第74話 Y巡査(23)の証言
■仙台市山城区川上交番勤務 Y巡査(23)の証言
ええ、はい。自転車でパトロールしてる最中でした。
深夜にね、野菜泥棒が出るっていうんで定期巡回してるんです。
最初はね、花火大会かと思ったんですよ。
だって、どおーん、どおーんって、空気が震えるんですよ。
何度も、何度も。
そんなの、花火以外ありえないでしょ?
あいや、でっかい和太鼓って線もあるかな――すみません。関係ないですよね。
それで、どこでやってるんだろうって空を見上げますよね。
ま、当然何も見えませんよ。だって深夜も2時ですもん(笑)
花火大会なんてやってるわけがない。
そこでやっと、あっ、花火じゃないって気がついて。
でも、どおーん、どおーんって音が山の方から聞こえてくる。
何度も、何度も。
工場でもあるならね、爆発事故でも起きてるのかもって心配もしますよ。
でも、そっちの方には何にもなくて、田んぼと畑と民家だけ。
変わったものって言ったら、プロレスの道場があるくらい。
あ、WKプロレスリングって知ってます?
最近、配信とかでけっこう人気の。
ははは、自分もファンで、実は何回か試合を観に行ったこともあるんですよね。
きっかけは署のイベントでゲスト出演してたからなんですけど。
交通安全週間のやつで、自動車に轢かれたらどうなるかってやつなんですけど、手違いでスタントマンが間に合わなくて――
あっ、すみません。また話が逸れちゃいましたね。
どうも自分の悪い癖で、上司にも報告は要点をまとめろってよく――
あっ、すみません、すみません。
それで、音の正体が何か、ですよね?
えっ? 人間が殴り合う音?
あはははは、ないない。絶対ないです。
あれはそういう音じゃないですもん。
腹の奥にずしーん、ずしーんって響くような。
絶対に近寄っちゃいけないって警告するような。
何か人知を超えた――そう、山の神様が怒ってるとか。
自分のうち、何代も前からこのあたりなんですけど、そういう山の怪談みたいのって本当に多くて。
おじいちゃんおばあちゃんなんかに聞いたら、真剣に話してくれますよ。
小さいころはおっかなくって、夜中にトイレに行けなくなったり(笑)
ええ、はい。だからそういうのは実際にあるというか、いると思ってるんです。
だって、見たでしょ、アレ?
迷宮災害だとか言ってるけど、あのへんにダンジョンなんかないですもん。
山の神様だったんですよ、アレ。
あっ、これちゃんとモザイクとかかかるんですよね?
こんなオカルト、大真面目に話してたなんて知られたら減俸ものですもん。
あ、配信日は教えてくださいよ。
自分、そういうの好きなんで。
チャンネル登録もしておきますよ!
* * *
■仙台市山城区 WKプロレスリング道場前
二頭の凶獣が立っていた。
一頭は黒。刈り込んだ黒い短髪に、日に焼けて浅黒い肌。黒のスウェットは原型もなく千切れ、下半身を残すのみ。
一頭は白。伸び放題の縮れた白髪、幽鬼じみた白い肌。白のジャケット、グレーのシャツは破れ、やはり下半身を残すのみ。
共通点は太さ。
眉が太い、首が太い、肩が太い、腕が太い、胴が太い、腿が太い、脛が太い。
「おらぁっ!」
「ふんっ!」
――そして、声まで太い。
「がぁあっ!」
「ぐうっ!」
衝突音。
衝突音、衝突音、衝突音、衝突音衝突音衝突音。
否、それはもはや衝突を超えた爆発の域。
凶獣が拳を振るい、一方がそれを受けるたび、花火の炸裂するような音が夜闇に響き渡る。
二頭とも血まみれだ。
目尻から、鼻孔から、耳孔から、口元から、拳から鮮血を垂れ流す。
顔面は真っ赤に染まり、しかし白い歯だけが不気味に月光を反射する。
爆発音。
クロガネの肘が、蛮の頬に突き刺さる。
爆発音。
蛮の肘が、クロガネの頬に突き刺さる。
爆発音。
クロガネのつま先が、蛮のみぞおちに突き刺さる。
爆発音。
蛮のつま先が、クロガネのみぞおちに突き刺さる。
殴る、蹴る。殴る、蹴る。殴る、蹴る。殴る蹴る殴る蹴る殴る蹴る。
打撃の応酬が律儀に交換され、そのたびに爆発音が鳴り響く。
「ひっ、ひぃっ!?」
爆発のたび、身をすくませる者が入る。
金髪の少年――正木ユウヤは雷に怯える子どものように丸まっている。両耳を塞ぎ、がくがく震え、あまつさえ足元は小便で濡れている。
周囲の半グレどもも同様だ。
蛙と化した異形は這いつくばって、蛇と化した異形はとぐろを巻いて死んだふり、蝸牛と化した異形は殻に籠もって角も出さない。まるで身じろぎすれば雷に打たれるとでも信じているかのように。
そんな霹靂が乱れ降るが如き戦場で、軽やかに動く二つの影。
クロガネと蛮が岩と岩との衝突とすれば、それは風と風とのぶつかり合い。
一方は銃を持ち、一方は無手。
一方が退がれば、一方は詰める。
銃口が火を吹けば、その先にすでに相手はいない。
蹴りが夜気を切り裂けば、やはりその先に相手はいない。
「ハッハー! やるじゃん! こんなに当たらないの初めて!」
「こっちは撃たれるのなんて初めてだっつーの!」
それは二羽の猛禽。
臥藤ショコラと風祭ソラ。
鳴り響く雷鳴を背景に、鷲と鷹とがその爪を振るう。
蹴りをかわしたショコラが、すかさず銃口を向けて引き金を引く。
しかし、銃声の代わりにカシャリと気の抜けた音。
「やばっ、弾切れ」
「よっしゃ、隙あり!」
ソラが天高く宙を舞い、クロガネ直伝のローリングソバットを繰り出そうとする。
それを見て、ショコラは不敵に笑う。
ジャケットから、二丁目を抜き放つ。
「あはっ、なーんてね」
銃口が火を吹く。
必殺のフルオート。
33発の9mmパラベラムが蜂の群れの如く飛び出す。
だが、照準の先にソラの姿はない。
標的を見失った銃弾の群れは、道場の瓦屋根を虚しく砕く。
「修理代、高くつくからね!」
「下っ!?」
頭上を飛んでいたはずのソラが、懐に潜っている。
顎を狙った前蹴りを、十字に組んだ腕でかろうじて防ぐ。
二丁のグロックが夜空に舞う。
「やるじゃん、どんな手品よ?」
バク宙で距離を置きながら、ショコラが尋ねる。
それを連続蹴りで追いながら、ソラが答える。
「下に重心を残してたの。ま、要するに飛んだふりだねっ!」
ふりではない飛び蹴りが、ショコラの腹に刺さる。
その口から漏れるのは苦痛の呻き――ではなく、こらえきれない愉悦の笑い。
「二丁目を読んでたってことか。あんた、喧嘩上手いね」
「あいにく、喧嘩よりもプロレスが得意でね」
「ははっ、苦手でコレなんだ。けど、うちはもう苦手はやめさせてもらうよ」
ショコラがジャケットを投げ捨てると、どしゃりと重い音がした。
まだまだ武器を仕込んでいたのあろう。
タンクトップ姿になったショコラは、両掌を軽く開いてソラに向ける。
「うちの得意も素手喧嘩なんだよね」
「だーかーらー、あたしは喧嘩なんて得意じゃないって言ってるじゃん!」
二羽の猛禽が、夜闇を挟んで改めて対峙した。
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