第66話 大江山ダンジョン第81層 人形遊び
■大江山ダンジョン第81層 未踏領域
深山。
森が鬱蒼と茂り、霧が立ち込めている。
露に濡れた獣道が幾筋か、森の隙間を縫っていた。
その山深い谷あいを、一筋の滝が流れている。
特別、大きな滝ではない。だが水量は豊富で、何段にも曲がりくねって白い飛沫を上げている。
滝壺は狭く、深い。
覗き込んでも水底は見えず、ぽっかりと黒い穴が開いているかのよう。
そのほとりに、石造りの鳥居と石仏がある。
いずれもすり減り、半分以上が緑の苔で覆われていた。
かろうじて見える地肌には、漢字とも仮名とも違う、文字と思しきものがそこかしこに彫りつけられている。
その石仏の頭の上にあぐらをかく不届きな童子がひとり。
年の頃は十に満たぬほどか。
平安貴族が着るような狩衣をまとっているが、烏帽子はかぶらず、蓬髪を伸びるがままにしている。
その額には二本の角が生え、薄い唇からは白い牙が覗いていた。
酒呑童子である。
「随分と手痛くやられたようだな」
退屈そうな双眸の先には、立木に縛り付けた人型を滅多打ちにするイバラの姿があった。
被害者はクロガネ・ザ・フォートレス――の人形。
イバラが<アイナルアラロ>から拐ってきたものである。
「きぃぃぃ! 口惜しい、口惜しい!」
黒髪を振り乱し、充血した目で人形に当たる様子はさながら幽霊画だ。
美人なだけにかえって凄みが増している。
もしこの光景を目撃した人間がいたなら、怪談噺の格好の素材になっただろう。
もっとも、このダンジョンの深層に来られるものなど滅多にないのだが。
イバラの傍らには、人間大の昆虫の抜け殻に似たものが転がっている。
頭部は無惨に砕けた鬼女の面、背中にはこれまたへし折れた4つの肢。
先日捕らえた配信者の女、<くのいち>のゼンキと<黒魔術師>のコウキが針と糸を使ってそれを繕っていた。
「わらわの着物も一着ダメにされるし! 何なのよ、あの人間どもは!!」
イバラが地団駄を踏むと、ゼンキとコウキはびくんと身体を震わせる。
生気のない瞳に浮かぶ感情は恐怖。
よくよく見れば、その身体のあちこちに生傷や痣がある。
犯人はあえて言うまでもないだろう。
「腹が減ったな。イバラよ、その女子どもは包丁は使えるのか?」
見かねた酒呑童子が声をかける。
別に人間二人を哀れんだわけではない。
ヒステリックに当たり散らすイバラの姿が単純にキツイのである。
「食事でございますか。それならばわらわが」
「お主は疲れておろう。骨を休めておれ」
「なんとおやさしい……! さすがはシュテン様! 無惨やさしい! 無惨やさしい!」
イバラが抱きついてこねくり回してくる。
逃れたいが、いまはじっと我慢する。
こういう場面で冷たくあしらうと、とにかく後を引いて面倒なのだ。
イバラにもみくちゃにされながら、酒呑童子は目顔で人間どもに指図する。
いまのうちにさっさと調理場に行け、という指示だ。
女たちは目に涙を浮かべ、ぶんぶんとうなずいてから駆け出していく。
女たちには酒呑童子が天の助けに思えたのだろう。
地獄に仏、というやつかもしれない。
実際は鬼であり、女たちを気遣うつもりなど微塵もなく、ただただ自分の感情を優先しただけなのだが。
「そもそも、お主は戦場で槍を振るう者ではないのだ。個の武で引けを取ったからとそう悔しがることもなかろう」
「ううう……そうですが、そうなのでございますが」
いかん、泣く。
焦った酒呑童子は慌てて言葉をつなぐ。
「越後の国を捨てたときからそうではないか。武を振るうのは儂の役目、知恵を繰るのがお主の役目じゃ。いつも頼りにしておるぞ」
そう言って、酒呑童子はイバラの髪をそっと撫でる。
背丈に差があるので背伸びをしてやっと届いた。
「さすがはシュテン様……どこまでも無惨やさしゅうございます……」
シュテン童子を胸に抱き、うっとりと目をつむるイバラ。
このまま機嫌を直してくれると助かるのだが。
そう酒呑童子が願っていると、イバラの懐で何かが振動した。
「ああっ! もう、こんなときに何を……」
イバラの身体が離れ、細い指が懐からスマートフォンをつまみ出す。
着信画面を見て一瞬顔をしかめると、酒呑童子に目礼して通話に出た。
「もしもし、わらわよ。何の用かしら?」
酒呑童子に向けていた甘ったるい声が、冷然とした口調に切り替わる。
「今月分はもう売ってあげたでしょ。追加発注? 在庫が切れた? そんなのわらわの知ったことじゃ――へえ、仙台の大物からの注文。ふうん、もう少し詳しく聞かせなさい」
通話相手の声は聞こえないが、何やら商談のようだ。
イバラはダンジョン産品の密売で地上で活動するための資金を得ているらしい。
詳しいことは酒呑童子は知らないし、興味もない。
そういった些事を任せられるから、イバラを右腕として重宝しているところもあるのだ。
「――そう、それなら特別に対応してあげるわ。わらわ自ら届けてあげる」
通話が終わり、イバラはスマートフォンを胸元にしまった。
そして残念そうに眉をひそめる。
「申し訳ございません、シュテン様。地上でつまらない用事ができまして」
「かまわぬ。儂のためにしてくれていることであろう」
「ああっ! さすがはシュテン様! 心がお広い! 無惨寛大! 無惨寛大!」
イバラはわしゃわしゃと酒呑童子をこねくり回しはじめる。
酒呑童子はされるがままにしつつ口を開く。
「イバラよ、急ぎに見えたが、こんなことをしていてよいのか?」
「ああっ! こんなわらわにお気遣いまでしてくださるなんて!」
「よいよい、急ぐのならば儂に構わず往くがよい」
「はいっ! では手早く済ませて戻りますわ1」
イバラの手から茨の蔓が伸び、空中に輪を描く。
輪の中には、どこか別の山奥の景色が映っていた。
イバラの異能の本領はこれだ。
どこでも自由に――というわけではないが、遠く離れた地点を瞬時に移動できる。
「それでは、しばし失礼を致します」
「うむ、気をつけてな」
イバラが輪の向こうへ姿を消すと、酒呑童子はほっと短いため息をついた。
頼りにはしているが、イバラの相手をずっとしていると疲れるのである。
酒呑童子は自分のスマートフォンを取り出すと、WKプロレスリングのアーカイブをおもむろに開くのだった。
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