第30話 仙台駅前ダンジョン第1層 vs ヘカトンケイル
それは巨躯であった。
それは異形であった。
上背はソラのおよそ2倍。頭部は6つの頭がでたらめに融合し、歪みきってもはやソラの面影もない。胴体は皮膚のない剥き出しの肉の蔦を編んで作られており、ねじくれた古木に生き血をぶちまけたような形。床板をぎしぎしと踏みしめる2本の太い脚も胴と同じ質感だ。
肩、背、脇腹からは6対の腕が伸びており、それは原型のまま。手に手に様々な武器を持っている。胴の太さと腕の細さがあまりにもちぐはぐで、強いて世辞を言うならば前衛芸術に例えられるだろう。
『くくクッ! くくくくクッ! 美しかろウ! 神々しかろウ! 拝跪し祈りを捧げてもかまわんゾ! これこそが神造合成蛋白質生命の極北がひとつ、<ヘカトンケイル>であル!!』
脳みそが音割れした声で絶叫する。
もともと狂気的な姿だが、極彩色の明滅を伴ってますます冒涜的に見える。
少なくとも、今の姿を見たものは百人中百人がこれを邪神と断ずるだろう。
「あー、泣きの延長戦ってことか?」
『無礼者ガッ! 泣きなどではなイ! 我がジョブの真髄を、舗装された運命の深奥を見せてやろうと言うのダッ! <ヘカトンケイレス>よ、ゆけイッッ!!』
異形が動き出す。
一歩一歩、床板を軋ませながらソラに迫っていく。
「うえー、ちょっとグロ系は苦手なんだけど……」
ソラは文句を言いつつも、ステップを刻んで間合いを測る。
胴や脚はソラの倍近くの長さがあるが、腕の長さは変わらない。
腕の数、顔の数を挙げるまでもなく、こんな奇怪な体型の生物は少なくとも地上には存在しない。
どんな間合いで戦えばいいのか、ソラは測りかねていた。
「暖炉に棲まうモノ、消し炭に潜むモノ、稲妻とともに地に降りしモノ、我が手に集い、矢となりて敵を穿て――<火炎の弩>」
「魔法っ!?」
短杖を持つ腕が振られ、そこから一筋の炎が放たれる。
ソラは側転でそれをかわす。
外れた炎は壁面の神像に直撃。
爆発してそれを粉砕した。
「さっきと全然威力違うじゃん! なんかズルしてない!?」
『くくくくクッ! 卑怯も不正も虚偽も虚構もなイ。六体を練り合わせたのダ。魔力量も当然増えていル!』
「だからそれがズルだと思うん――」
言いかけて、今度はバク宙で飛ぶ。
ソラが立っていた場所に数本の投げナイフが突き刺さった。
盗賊の腕から放たれたものだ。
「もうっ! 飛び道具ばっかり!」
徒手空拳で魔法も使えないソラに遠距離攻撃の手段はない。
このままではジリ貧になると見て、一気に間合いを詰める。
「戦士スキル<強打>」
すかさず戦士の長剣が降ってくる。
身体を捻ってそれをかわす。
逆側から鈍い衝撃。
「ぐぁっ!?」
商人の武器がソラの背中を打っていた。
杖の先にそろばんのついたふざけた得物だ。
それほどの威力ではなかったが、意識外からの一撃にソラは思わず悲鳴を上げた。
「大丈夫かっ!?」
「心配無用!」
クロガネの声に、ソラは即答する。
そろばんのお返しとばかりに強烈なローキックを異形に叩き込む。
カーフキック――筋肉や脂肪の薄いふくらはぎを蹴るMMAの技だ。
一撃、一撃、また一撃。
ソラは回り込みながらカーフキックを積み重ねる。
不自然な体型のためか、あるいはその巨体の重量のためか、動きは鈍い。
フットワークについては完全にソラが上回っていた。
しかし、死角には入れない。
というよりも、死角が存在しない。
デタラメについた6対の双眸が常に全方位の視界を確保しているのだ。
表情も変わらないため、打撃が効いているのかも判断がつかない。
「あー、もう! やりづらすぎる!」
ソラは再び間合いを取った。
もともと小技で勝負をするファイトスタイルではないのだ。
華麗に舞い、美技で観客を酔わせる。
それこそがソラのスタイルであり、スカイランナーの美学なのである。
「いと偉大なる我らが主よ、我らを見守る御使いたちよ、哀れなる迷い子に癒やしを奇跡を授けたまえ――<癒やしの光>」
間合いを空けた直後、先端にアンクがあしらわれた杖が振るわれ、異形のふくらはぎを暖色の光が包む。
僧侶の持つ回復魔法だ。
治すということは、つまりロー攻めには効果があったらしい。
「ふーん、それならこういうのはどうっ!」
スライディングで突っ込み、異形の膝を脚で挟む。
足首の後ろから片足を掛け、膝の前からもう片足で挟んで刈り取る。
転倒と膝の靭帯とを狙ったスタンドの足搦みだ。
だが、異形の太い脚はびくともしない。
技の形は完璧だったが、あまりにもパワーに差があった。
しかし、ソラは不敵に笑う。
「ま、簡単にはいかないよね――でもっ!」
次の瞬間、異形の巨体が傾く。
轟音と共に、巨体が仰向けに倒れる。
ソラはその衝撃を利用し、膝靭帯を伸ばして足搦みが完全に入った。
圧倒的体格差をどう覆したのか?
手品のタネは親指。
異形の足の親指を両手で掴み、踵を支点に回転をさせた。
指一本に対して腕二本という力の差。
さらに、てこの原理を利用することで、局所的に異形に勝る力を生み出したのだ。
ルチャ・リブレとは、自由なレスリングという意味だ。
試合展開も変則的で先が読めないものが多い。
それゆえ、臨機応変の応用力が求められる。
ブーツを履いて闘うプロレスにこんな技は存在しない。
今この瞬間、自由な発想によって生み出され、そして二度使う機会はないだろうオリジナルだった。
「諦めてギブアップしなよ……なんて言っても通じないよね?」
痛みを感じないのか、異形は膝が壊れるのも厭わずもがいている。
完璧に入った極め技は、抵抗すればするほどより深く極まっていくものだ。
靭帯がぶちぶちと千切れる嫌な音が、肉を通じて伝わってくる。
このまま片足が壊れたら、あとはジャベで手足をひとつずつ潰していけばいいだろう。
それが堅実で、確実な勝ち方だ。
しかし、ソラの美学は、そんな勝ち方をよしとしない。
「スカイランナー、俺がコーナーポストだ!」
クロガネの声。
両手を合わせて低く構え、バレーボールのレシーブのような姿勢を取っている。
その意図を、ソラは一瞬で理解する。
足搦みを解き、全力で走る。
跳躍し、クロガネの掌に乗る。
「ふんぬっ!」
クロガネが満身の力で両腕を振り上げ、ソラを天高く射出する。
ソラは2回、3回と宙返りをしながら、倒れた異形の真上へ飛ぶ。
長髪をなびかせ天を駆けるその姿は、まさしくスカイランナー。
重力加速度、遠心力、全体重。
すべてを乗せた両膝が、異形のみぞおちに突き刺さる。
――空を舞う鷹の一撃
異形の身体がくの字に曲がった。
12の瞳が白目を向き、6つの口が血の泡を吹く。
異形が完全に動かなくなったのを見て、クロガネは試合終了のゴングを鳴らした。