第18話 仙台駅前ダンジョン第16層 vs モンスターカポエリスト
クロガネの戦い方が変わった。
格闘技に詳しくないアカリにも、ひと目でわかる変化だった。
それまではどっしりと腰を落とし、すり足で移動していた。
しかし今は、ボクサーのようにステップを刻んでいる。
リングで見せる軽業もそうだが、クロガネの巨体が軽やかに動き回る姿はトリック映像を見せられている気分になる。
ステップイン。
間合いを詰める。
乾いた炸裂音が響く。
クロガネの鋭いローキックがサソリ男の下肢を叩いたのだ。
ステップアウト。
間合いを開ける。
風切り音と共にサソリ男の尾が過ぎ去る。
クロガネは、間合いを自在に出入りしながらローキックを浴びせ続けている。
炸裂音。風切り音。炸裂音。風切り音。
みしり、と何かが軋む音。
炸裂音。炸裂音。破断音。
ゴム紐が限界を超えて千切れる音。
サソリ男の左前足が1本、火花を散らしながら千切れ飛んだ。
「へっ、やっと1本もらったぜ」
マスクの下で、クロガネが不敵に笑う。
サソリ男が頭を震わせ、カシャカシャと音を立てる。
(すごい、最初は不利だったのに、あっという間に逆転しちゃった……)
アカリはカメラを回しながらその光景に圧倒されていた。
実況をすることも、コメントを追うことも忘れてしまっている。
【サソリ人間をカポエイラ使いに見立てたんだな】
【なるほど、それでレスリングスタイルからキックボクシングに切り替えたわけか】
【どっちかっつうとムエタイだな】
目の肥えた視聴者から、解説のコメントが入っている。
カポエイラとは、南米の黒人奴隷が編み出した格闘技だ。両手が枷で封じられても戦えるよう、蹴り技が主体となっている。ジンガと呼ばれる舞うようなステップで幻惑し、変幻自在の蹴り技で敵を仕留める実戦格闘技である。
一方、クロガネが切り替えたムエタイは、キックボクシングの元にもなったタイの伝統格闘技だ。
試合前にはワイクルーという舞いを神や精霊に捧げ、多彩かつ強烈な蹴り技で敵を仕留める。ムエタイの原型はラウェイという軍隊格闘技であり、やはり実戦性に重きをおいた武術である。
東南アジアと南米という、はるか遠くで生まれたふたつの格闘技。
地理的にも文化的にも接点のないそれらには、舞いと蹴りという奇妙な共通点があった。
だが、まるで異なる点もある。
サソリ男も蹴られっぱなしではない。
足をもがれても、必殺の尾を振るって反撃を試みる。
「疾ッッ!」
しかし、それは標的に達する前に止められた。
最短距離を走る前蹴りが、尾の中ほどに命中し、勢いがつく前に迎撃したのだ。
クロガネは蹴り足を下ろすと、それを軸にして間合いを詰める。
そしてまたローキック。ローキック。ローキック。
足の1本を失い、大ぶりの一撃も止められたサソリ男はたちまち体勢を崩す。
クロガネの狙いは2本目だ。
尾による反撃を前蹴りで完璧に封じ込めながら、執拗にローキックを繰り返す。
【理想的なカポエイラ殺しだな】
【カポエイラの蹴りは軌道が読みづらいが、円運動だから当たるまでが遅い】
【起こりを抑えられたらどうにもできないな】
クロガネが行った作戦は2つだ。
ひとつめは、ロー攻めによる足の破壊。
ジンガのリズムを崩すことにより、動きを読みやすくした。
ふたつめは前蹴りによる反撃つぶし。
前蹴りはボクシングのジャブにも例えられるムエタイの基本技術だ。
最短距離を走る神速の前蹴りは、主に間合いの調整や牽制、そして先制的カウンターに用いられる。
相手が攻撃に入る瞬間を捉えて封じることで、攻撃そのものをなかったことにしてしまむ。。
起こりを抑えるとは、そういう技術である。
破断音。
2本目の足が千切れ飛んだ。
左側の足をふたつ失ったサソリ男は、立ち姿すら斜めに傾いでいる。
頭部が間欠的に震え、カシャカシャと音を立てている。
「どうした! 動きが止まったぞッ!!」
クロガネの右足が唸る。
今度はローではない。
顔面に向けたハイキック。
戦斧の如き一撃が、サソリ男の側頭部に食い込む。
いくつもの眼球を砕きながら振り抜く。
サソリ男の長大な身体がもんどり打って床に転がった。
「へっ、ひさびさに打撃屋の真似っこをしてみたが、案外なんとかなるもんだな」
クロガネの口元がにいっと釣り上がり、白い歯が覗いた。
アカリの目には、獰猛な肉食獣が牙を剥く姿が重なって見えた。
「どうだ、まだやるかい?」
クロガネは指を鳴らしながら、床に転がったサソリ男を見下ろす。
さっきの蹴りには手応えがあった。
立ち上がれないようならトドメを刺すまでもないとクロガネは考えていた。
命を張った闘いではあるが、クロガネにとっては試合でもある。
敗者に鞭打つような真似は、彼の奉ずるプロレスの美学に反するのだ。
サソリ男は半壊した頭部をカシャカシャと震わせる。
立ち上がろうとしては床に転がる。
尾を立てて、必死にバランスを取ろうとしている。
「へっ、いいファイトじゃねえか」
その様子に、クロガネが笑みを浮かべる。
侮っているのではない。心からの称賛を込めた笑みだ。
クロガネの美学は、不屈の精神に敬意を払う。
立つまで待つ。
クロガネがそう決めたときだった。
サソリ男の尾の先端が赤熱し、ぎちぎちと不穏な音立てる。
「なんだそりゃ――」
クロガネが疑問を口にしかけた、その瞬間だ。
尾の先端が、爆ぜた。
ドリアンを連想させるそれは、爆発とともに四方八方へ無数の棘が発射した。
「ぬおおおおおお!?」
クロガネはとっさに両腕で顔をかばい、身を小さくした。
飛来する棘が全身に突き刺さる。
ひとつひとつが高熱を持っており、肉の焦げる嫌な匂いが立ち込める。
――弩豪ッッ
ガードの上から衝撃。
続けて浮遊感。
クロガネの身体が宙を舞い、ふっ飛ばされる。
棚に激突し、なんとか着地する。
顔を上げれば、サソリ人間が全身を揺らして立っていた。
ダメージはあるが、いまのいままで立ち上がれなかった重症にはとても見えない。
「あー、そうか、そうだよな。カポエイラにはそれがあったな。レスラー相手に効いたフリとはやってくれるじゃねえかッッ!!」
全身血まみれのクロガネが、弾丸の勢いで飛びかかる。
流れる血が空中に軌跡を描く。
肩からの体当たりで、サソリ男からダウンを奪う。
続けざまに飛び上がり、棚を蹴ってさらに高く舞う。
空中で一回転し、薪を割る鉈のように踵を振り下ろす。
――首切り落とし格子
地響きと共に、クロガネの必殺技が、サソリ男の首を叩き切った。