第120話 たいむりぃぷ?
渡辺源次綱。
平安中期の武将であり、活躍したのは西暦で言えば1000年前後の人物だ。
酒吞童子を退治した源頼光の配下であり、当人にも茨木童子という鬼を退治した伝説が残る。
その千年前の人物を名乗る人間が現れたのだから、ソラが驚くのも当然だった。
「ああ、草双紙の流祖様――渡辺綱とはもちろん別人だ。源次綱流の流祖が渡辺綱でな。その名を継いでいるというわけだ。拙者は三十一代目に当たる」
「渡辺綱って襲名制だったんだ……」
初めて耳にする事実だ。
おとぎ話の登場人物の名を継いでいる人間が、令和の世にも存在するとはソラは思ってもみなかった。
「じゃあさ、この雑誌に出てる人は分派か何かってこと? よく見たら流派の名前も違うし」
「ふむ、渡辺源次流か。ざっと見るところ術理は未熟だが源次綱と似ているな。しかし、分派など聞いたことがない。そもそも千年の歴史などと誇っておるが、それでは当流よりも古いではないか」
『月刊秘奥』に目を落とすツナの眉には皺が寄っている。
どうやら自分の流派を勝手に剽窃されている感じがしているらしい。
「でも、渡辺綱って千年以上前の人じゃないの?」
「まあ大雑把に申せばそうなるが……実際はまだ九百年に満たぬな。まあ、所詮は講談やおとぎ話でしか知られぬ人物よ。詳しく知らぬのも致し方がないが……」
遠い目をするツナに、ソラは申し訳なさが半分、「ちょっとめんどくさい人だな」という気持ちが半分になる。
「ああ、で、でも、渡辺綱って平安時代の人でしょ? ほら、西暦953年から1025年の人だって。ほとんどぴったり千年じゃん」
「せいれき? 流祖は天暦から万寿のお人だが……」
「ほら、ちゃんとこれに書いてある」
ソラが差し出したスマートフォンには、百科事典サイトが表示されている。
ツナはそれを受け取ると、まじまじと読み込み始めた。
「間違ってはおらぬ……いや、伝書にない補足まで……」
「ツ、ツナさん? どうしたの?」
渡辺綱を名乗る人間だ。
インターネットですぐ調べられることぐらいは当然知っているだろうと思ったのだが、どういうわけか異様に食いついている。
スマートフォンを操作する指使いもおぼつかず、ソラが何度か手伝ってやる必要があった。
そのページに記載された情報だけでは飽き足らず、リンク先も読み込み始めたツナに、ソラは若干呆れつつも好きにさせてやる。
格闘に一生を捧げた人間には、時折異様なほど世間を知らない者もいるのだ。
ソラはクロガネを横目で見つつ、そんなことを考える。
「お、この鍋もうめえな。ネギと……これはマグロか? それを醤油と酒で煮込んでるのか」
「へえ、生姜もたっぷり利かせておりやす。近頃江戸で流行りのねぎま鍋ってやつでして」
「なるほど、それで魚臭さが気にならねえってわけか」
クロガネはクロガネで、黙り込んでしまったツナをよそに河童のコスプレをした店主と料理談義を始めている。クロガネの脳内は9割がプロレス、残りわずかな領域のほとんどを料理が占めているのだ。
「この果物も美味いでござるな。しゃりしゃりした食感が面白いでござる」
オクはオクでスイカに夢中になっているし、アカリはカメラを回したまま一言も喋らない。口元がにやついているところから察するに、同接数はかなり好調なのだろう。
こうなると、ソラは手持ち無沙汰だ。
店内をきょろきょろと見渡したりする。
客は和装ばかりで、中にはどう見てもカツラではないチョンマゲを結ったサムライ風の男などもいる。ハロウィンもまだまだ先なのに、かなり気合が入っているなとソラは感心する。
内装にはビニールやアクリル板などが一切使われておらず、よほど店主がこだわっているのだろうと思われた。
しかし、壁掛けのディスプレイは非常に薄く、最新の有機ELなどのようだ。同じく時代劇風のコスプレをした者たちの配信をそのまま流しているらしい。
「んん……?」
そこまで観察して、さらに気になることが出てくる。
極薄のディスプレイには電源ケーブルなどがまったく見当たらないのだ。
壁に指した釘から、紐でぶら下がっているだけに見える。
近づいてめくってみるが、裏側にも何もない。
「んんんんんー?」
こうなると、ソラの好奇心は止まらない。
隅をつまんでこすってみるが、感触はそのまま紙だ。
鼻を近づけて匂いを嗅いでも、動く画面から漂うのは和紙と墨汁の匂いしかない。
「お客さん、でっけえ写し絵巻はそれなりに値が張るんで、あんまりイタズラはよして欲しいんですが……」
「あっ、ごめんなさい!」
河童の店主に言われ、ソラはディスプレイから身体を離す。
しかし、その直後に違和感に気がつく。
「写し絵巻? 写し絵巻って何?」
「何って……お嬢さんがたったいま触っていたじゃあないですか。それにお嬢さんだって、手鏡くらいのやつをお持ちだったでしょ」
「んんんんんんんんー?」
こうなると、ますます何が何やらわからない。
写し絵巻とは何なのか。そんな言葉は聞いたこともない。
そして、ある可能性にたどり着き、意を決し、尋ねてみる。
「おじさんって、本物の河童なの?」
「へえ、ご覧の通り、あっしは河童でやすが……」
「UMA!?」
「へ? ゆうまとは何でやす?」
「あ、ごめん。おじさんってモンスターなの?」
「もんすたぁ? 何ですかい、それは?」
「んんんんんんんんんんーーーー?」
思い切って発した質問も、結局空振りに終わる。
というより、モンスターという言葉の意味が通じていない。
どういう事態なのだと思わず頭を抱えてしまう。
ここはダンジョンの中の、<アイナルアラロ>に似た空間ではないかと推理していたのだ。
「すまぬが……教えて欲しい。貴殿らが来た時代は、令和と言うのか?」
「えっ? そりゃ令和だけど……えっ、あっ、時代!!」
ツナの一言で、ソラの中で思考がひとつにつながる。
「タイムリープ! タイムリープ的なやつだこれ!」
「たいむりぃぷ? 何だそれは?」
「ええと、違う時代に紛れ込んじゃうやつ! それに異世界とか、ええと、パラレルワールドとかそういうのも混じっているやつ! あー、今年って西暦……いや、元号で何年!?」
「文政6年だが……」
「文政! 古い感じ! ちょっとスマホ返して!」
「うむ……」
神妙な顔つきで、ツナがソラのスマートフォンを返す。
ソラはスマートフォンを操作し、元号と西暦の対照表を検索した。
「ほら、これ見て! 文政6年っていまから二百年も前だよ!」
「はあ、何だそりゃ?」
「お化けが怖すぎて撹乱したのでござるか?」
興奮するソラに、クロガネとオクはとぼけた反応を返す。
しかし、ツナは違っていた。
「やはり……そういうことか。迷宮が異界に繋がっているとは、どうやら事実であったのだな」
ツナの形のよい眉に、さらに皺が寄る。
そして、アカリの口元は跳ね上がり続ける同接数ににちゃあと吊り上がっていた。
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