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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

未商業短編

傷物になったので婚約破棄させて欲しいのに、未来の筆頭魔術師様が「私はこんなに愛しているのに、どうして?」と離してくれません。

 マリアヴェヌス・ムッシートナ伯爵令嬢の壮麗なガーデンパーティ。咲き誇る満開の花のように、新緑の庭に令嬢たちのスカートが彩を添える。


 パラソルの下、令嬢たちは噂する。

 彼女たちの視線は白を基調としたドレスを纏った、ひとりぼっちの18歳の令嬢へと向けられていた。


「見て、あの人。クリア・シムワイク子爵令嬢よ」

「痛々しいから視界に入れたくないのに、どうしてマリアヴェヌス伯爵令嬢はサロンに誘うのかしら」

「そりゃあ……マリアヴェヌス伯爵令嬢の美貌と力を見せつけて、アルジーベ公爵子息様と婚約解消してもらうためよ」

「そうよね。アルジーベ公爵子息様にピッタリなのはマリアヴェヌス様よ」


 豪奢なサロンに招かれても、クリア・シムワイク子爵令嬢に話しかけるものはいない。皆遠巻きに彼女を眺めては、ひそひそと扇に隠して噂話をする。


 クリア・シムワイクは文字通り傷物である。

 透き通るような銀髪、日焼けをしない真っ白な肌。色素の薄い灰色の瞳。そんな彼女の顔、右半分には縦に亀裂が走ったような、大きな傷跡があった。


 かつて彼女がオークの襲撃から、幼い子どもたちを守った時についた傷跡だった。


(……私もわかっているわ。ユルギス様の婚約者として、私が不相応なのは)


 ティーカップの水面に映る、顔に暗い気持ちになる。


 婚約者ユルギス・アルジーベは19歳。

 国立魔術師学院を飛び級で卒業した、アルジーベ公爵家の嫡男かつ若手随一の魔術師の才を誇る将来有望な青年だった。

 切り揃えた黒髪に凛々しいかんばせ。

 宮廷魔術師共通の礼装である真っ白の軍装も、まるで彼のためにあつらえられたかのようによく似合う。

 すでに「筆頭魔術師に最も近い若手魔術師」と評される、今最も輝いている男だった。


 そんな彼には、何度も婚約破棄の申し入れをしている。

 彼は何度も、消し炭にした手紙を返送してくる。

 苛烈なほど、彼は「別れるものか」を強調してきた。


「ーークリア・シムワイク子爵令嬢、聞いているの?」


 はっと我にかえる。

 振り返ると、マリアヴェヌス伯爵令嬢の友人たちが勢揃いし、冷たい目をクリアへと向けていた。


「あなた、まだユルギス様と婚約破棄なさらないんですってね?」

「いくら嫁ぎ先がもう見つからないからって、将来のある殿方を束縛するなんて毒婦だわ」

「マリアヴェヌス伯爵令嬢のお父様、ムッシートナ伯爵が彼の未来を憂いて一生懸命娘を紹介しようとなさっているのに……あなたがいるから、ユルギス様はマリアヴェヌス様と幸せになれないのよ」

「年増の行き遅れが見苦しいって、本当なのですね」

「くすくす」

「くすくす」


「……」


 もう何度、同じような罵倒を聞かされただろうか。

 この罵倒の場に、マリアヴェヌス伯爵令嬢はいない。


 彼女はいつもそうだ。

 表向きはにこにこと愛想を振りまいて、ドス黒い感情など持たないという振りをして、周りの取り巻きの友人たちに、己の思っていることを代弁させるのだ。


「なんとか言ったらどうなの?」

「よしてあげましょうよ。彼女っておつむが可哀想だから、私たちが何を言いたいのかも、とんとわかっていないのよ」

「とぼけた振りしちゃって。かわいこぶったって、顔に傷があるあなたはちっとも可愛くないんだから」


 彼女たちはクリアのドレスに紅茶をかけると、笑いながら去っていった。


 反撃しても良いのだけれど。

 少しでも反撃してしまえば、やれ「暴力女に暴行された」だの、「骨折した」だの、気絶したふりをしたり倒れたふりをしたり、大騒動になってぴいぴい言われるのが目に見えている。


 クリアは汚されたドレスを見下ろして、ため息をついた。


「……お母様がせっかく用意してくださったのに……ごめんなさい……」


 全ての嫌がらせが終わった頃、マリアヴェヌス・ムッシートナ伯爵令嬢が長い花摘みから戻ってきた。


 彼女は決して手を汚さない。にこにこ笑顔でクリアに近づくと、彼女はさも親切のようにこういった。


「そんなドレスではティーパーティも台無しでしょう。今日は残念ですけれど、お引き取りになって。また日を改めて誘わせてちょうだいね」

「……それではお言葉に甘えて、お先に失礼させていただきます。マリアヴェヌス伯爵令嬢」


 辞儀をしながら、クリアはもはやマリアヴェヌス・ムッシートナ伯爵令嬢に呆れを通り越して尊敬の念さえ覚えていた。


(こんな風に……根回しが上手な人で陰湿な方の方が、かえって、ユルギス様の後ろ盾として強力なのかもしれない……)


 マリアヴェヌスは、毒のような女だ。

 けれど人がよく正義感の強いユルギスには、毒虫のような女が味方にいた方が、ドロドロとした宮廷社会で渡り歩くには有益だろう……有益なのかもしれない。


 クリアは半年間のいじめの中で、だんだん、洗脳されるように心が不安定になっていた。


 ガーデンから踵を返し、クリアはそっと傷跡に触れる。


(……私みたいな、考えなしのわきまえない、暴力女よりずっと……同じ女なら、マリアヴェヌス様の方がきっと……彼を幸せにするわ)


 マリアヴェヌスじゃなかったとしても。

 自分以外ならば誰でも、自分よりはずっとましだ。

 計画的に自尊心を削られ続けたクリアは、いつしかそう思うようになってしまっていた。


◇◇◇


 ーー針の筵の上で炙られるようなお茶会も終わり。

 台無しにされたドレスに仰天する御者を宥めつつ馬車に乗ったクリアだったが、意外な先客に驚いた。


 馬車の中に、今ここにいるはずもない人がいたからだ。


「アルジーベ公爵子息様……ッ」

「やあ。半年ぶりだね。……少し、やつれたかい?」

「どうして、ここに」


 彼は国外遠征に赴いていて、まだ帰国していないはずだ。

 手紙で何度も


「帰国したらどこでデートしよう」

「ほしい毛皮はある?」


 なんて、会うこと前提の連絡が届いていたから、返事を引き伸ばして会わないようにしていたのに。


「こうでもしないと、私を避けるつもりだっただろう?」

「ッ……」


 ユルギスは意志の強い目元を寂しげに細くする。


 首を傾げると、切り揃えた艶やかな黒髪が顎のラインを流れる。

 まっすぐな黒髪と、真っ白な軍服。

 ユルギス・アルジーベ19歳。

 容姿からまっすぐで凛々しい男だった。


「寂しいな。あなたはずっと、私をユーリくんと呼んでくれていたのに」

「っ……以前の呼び方の不敬、お許しください」

「ふふ。じゃあ、もう一度ユーリくんって呼んでくれるなら許してあげようかな」


 距離をとるクリアに構わず、ユルギスはにこりと微笑みを向ける。この甘え上手な口振りは、ずっと会いたかった愛しい幼馴染兼婚約者そのもので。

 クリアの心と顔の傷が、ずきんと痛んだ。


「……私に構うと、あなたの出世に響きます。だから父を通して、婚約解消してほしいと再三申し上げておりますのに」

「……半年の間に、変わっちゃったね、クーちゃん」


 悲しげに、ユルギスは眉根を寄せる。


「私が幼い頃からの約束を、そう簡単に違えるような浅ましい男に見えるのかい?」

「義務で私と婚約を続けてくださるのが、心苦しいのです」

「義務だけで私が、クーちゃんのことが好きだと言っているのだと思われているの? それも心外だな」


 傷跡を右手で覆い、距離を取ろうと馬車から降りようとするクリアの右手を、ユルギスは問答無用で引き寄せ、己の腕の中に閉じ込める。


「ッ……離して、ください」

「離さないよ、クーちゃんは可愛い婚約者だから」

「……嫌です。私は婚約破棄をしたいのです」

「オークさえミンチにできるあなたが、どうして非力な魔術師の私の手を振り解けないの?」

「……」

「ねえ、教えて?」


 低く囁いて、まっすぐな強い瞳で見つめながら。ユルギスは優しく、クリアの顔に走る傷跡を撫でる。

 皮膚が薄く敏感になった傷跡は、触れられると熱くヒリヒリと痺れてしまう。


 情に流されそうになった瞬間、汚れたドレスが目に入る。


(私がいるから。マリアヴェヌス様との縁談が進まない)

(離れなければ。彼のためには、私がいては駄目だ)


「ほら、唇がお留守」

「ッ……」

「次は目を瞑って?」

「ユーリ、くん……っ」


 だめ。

 理性ではそう思っていても、クリアはユルギスの細く優しい、けれど男性らしい腕からは離れられない。オークなら秒殺の彼女でも、ユルギスへの恋の魔法の前には、あまりに無力なか弱い女でしかなかった。


「やめてください。……知っているんです。公爵子息様が……マリアヴェヌス・ムッシートナ伯爵令嬢とご結婚すれば、次期魔術師協会総選挙で、最年少の筆頭魔術師候補に推挙してもらえるのだということを」


 ユルギスの黒々とした目が見開く。


「知っていたのか」

「ええ。……マリアヴェヌス様のお友達が、私にそれとなくお聞かせくださいますので」


 馬車の中を沈黙が流れる。

 ああいっそ、彼が憎かったらよかったのに。わきまえを知らない傷物の怪力女なんていらないと、他の殿方のようにふってくれる人だったらよかったのに。


◇◇◇


 事件の起こりは一年前。

 デビュタント前の幼い貴族子女たちの顔合わせパーティが王宮の庭で盛大に催された。

 しかしパーティを事前察知した隣国の悪逆非道な魔導師集団が、禁呪で突然野生のオークの群れを転送してきたのだ。


 阿鼻叫喚に襲われるパーティ。

 騎士が助けるのも間に合わない。


 あわや大惨事、となるところ。子供たちを身を挺して庇ったのはクリア・シムワイク子爵令嬢だった。

 クリアはレイドス侯爵令嬢(5歳)の侍女をしていたので、たまたま最もオークを迎撃しやすい場所にいたのだ。


「王国の未来をつくる、貴族息女たちは私が守りますッ」


 ドレスを裂き拳に覇気を込めてオークの群れと激闘した。

 クリアは魔力の代わりに、天性の怪力を持って生まれた令嬢だった。

 そしてそんな彼女の才能を、子爵夫妻ーー両親はスクスクと伸ばして育てていたので、咄嗟の危機にも、反射的に迎撃をすることができたのだ。


 ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。


 真っ白なドレスを血まみれにして、実践慣れしていない騎士よりも、誰よりも勇猛果敢に貴族息女たちを守り抜いた。


 一件後。

 シムワイク子爵夫妻は娘の激闘に感涙し、よくぞ頑張ったと抱き締めた。


 王家も彼女に一代限りの女騎士の位を与えた。

 ほぼお飾りでしかないものだが、少なくとも王家は、彼女の勇姿を讃えてくれた。

 直後、()()()ユルギス・アルジーベは他国の魔術師との連携を深めるための国外遠征に旅立った。


 ユルギスがいなくなった途端に、クリア・シムワイクの悪評はあっという間に広まった。

 奇しくも事件の直前、新鋭気鋭の超天才魔術師ユルギス・アルジーベ公爵子息との婚約が正式発表されただけに、社交界ーー特に女性陣は、美貌の天才魔術師ユルギスの妻として剛腕傷物令嬢、クリア・シムワイクを認めたくなかったのだ。


 貴婦人達は、じわじわとクリアの居場所を無くした。


 刺繍披露会では嘘のテーマを教え、恥をかかせたり。

 あえて顔の傷が目立つようなヘア・コードを指定したお茶会に彼女を呼び、顔を隠せないようにして陰口を叩いたりと。

 特に中心人物、マリアヴェヌス・ムッシートナ伯爵令嬢の一派のいじめは激しいものだった。


 王妃は貴婦人のサロン管理に興味を持たず、生まれたばかりの息子を溺愛するばかり。下々の女達の相手をするより、第二王妃を虐げることに夢中だった。


 性根の悪い女が支配する貴族社会は、全体的に性根が悪い女たちの独壇場と成り果てていた。


 貴族子息も特に治安に変わりない。

 貴族子息たちは女の陰湿な虐めを面白がるように囃し立て、気にいりの貴婦人とお近づきになる格好の話題のネタとして、クリア・シムワイクを使い続けた。


「子供に優しい令嬢というのは素敵だけれど、ドレスを破ってオークをちぎる女は女じゃないね」

「あの有能かつ美しいユルギス・アルジーベ殿のことも、閨ではちぎっては投げるのだろうか」


 社交界で馬鹿にされても、当初、クリア・シムワイクは子供達を守った自分の行為を後悔しなかった。

 シムワイク子爵夫妻も、涙を見せずに毅然と社交界に挑む娘の幸せを願い、応援し続けた。


 しかし。

 日々の中、ついにクリアの心が折れる事態が起きた。


 ムッシートナ伯爵から直々にシムワイク子爵家に、婚約破棄するように命令する書簡が届いた。


 婚約破棄するのならば謝礼金は弾む。

 そしてーー次期魔術師協会総選挙で、ユルギス・アルジーベを最年少の筆頭魔術師候補に推挙してやってもいいと。


 シムワイク子爵家はアルジーベ公爵家の傍系にあたる。本家の子息の出世を妨げることはーー娘を愛する両親にも、難しい選択だった。


「お父様、お母様……私のような傷物の暴力女が婚約者では、彼の出世を妨げます。どうか、婚約破棄を申し入れたいのです」


 二人が恋仲であることを知る両親は、何度も引き止めた。

 しかしクリアの思いは変わらずーー娘がそう思うのならばと、両親はユルギスに手紙を送ってくれていたのだった。


 結果、手紙は全部消し炭となって返送されていたのだが。


◇◇◇


「……クリア。……クーちゃん。クーちゃんはどうして、私の実力を信じてくれないの?」


 馬車の中、長い沈黙の末。

 甘い声音で囁きながら、ユルギスは黒髪を揺らして再びクリアの頬を捉える。その顔は優しいながら、目はどこかゾクリとするほど暗い色を湛えていた。


 オークの群れよりも、ユルギスが怖い時がある。

 まさに今、クリアの頬を撫でるユルギスのように。


「私は自分の腕一つで、筆頭魔術師になってみせるよ?……そもそも筆頭魔術師なんて目指したいと思うようになったのも、あなたの悪評をひっくり返したい一心なのに」

「ユルギス様の思っていらっしゃるほど、正当な実力が認められる世界ではありません」

「根回し、権威づけ、後ろ盾、だろう? それくらい私だってやっているよ」

「え」

「本当はそんなもの要らないけれど、私の純然たる暴力を行使せずに、異物を穏便に宮廷から排除するためには必要な下拵えだからね」


 意外な言葉に驚くクリア。

 ユルギスは片目を眇めて笑う。


「ごめんね、私が国外遠征に向かっている間に、クーちゃんがこんなに思い詰めさせられているって気づいていなくて。……でもクーちゃんも悪いんだよ? ただ婚約破棄したいばかり書いてくるから、僕は手紙に一言でも『虐められて辛いから婚約破棄したい』って書いてくれれば、遠隔で隕石だって落とせたのに」

「そんなことをしそうな方だから、言えなかったんです」

「そうだね。隕石で死んでしまうのは、最も優しい、人道的なやり方だ」

「えっ」

「私はクーちゃんが傷を負った理由を作った連中を絶対に赦さない」


 隣国の魔術師のことを言っているのだろうか。

 だからもしかして、彼は長期間国外遠征を……?

 クリアの思考よりも早く、ユルギスはその解を示した。


「私は国外遠征で、証拠を突き止めてきたよ。オークの群れを子供たちの前で解き放てば君は確実に身を挺して守る。それをわかっていて、隣国魔道士クロード卿とムッシートナ伯爵は共謀していたって証拠をね」


 初耳だった。

 切り揃えた黒髪を耳にかけながら、ユルギスは笑う。


「ムッシートナ伯爵は魔術師協会の内部情報を隣国魔術師クロード卿に売り飛ばしている」

「え」

「そうでもなければ、貴族の子供たちが集まるガーデンパーティにオークを転送できるものか」


 忌々しい、とユルギスは言う。


「有力者の子供を数人殺せれば安泰だと思っていたらしいが、あなたが守ったから計画は失敗に終わった」

「そうだったのですね……」

「だが、あなたの顔に傷をつけることができた。ーー未来の筆頭魔術師と評される、僕の婚約者に」

 

 ユルギスの黒々とした瞳は暗く、怒りにたぎっていた。


「伯爵は情報を売って私腹を肥やしながら、あなたと私を婚約破棄させ、私と娘を結婚させようと画策していた。……いずれ情報売買が危なくなったら、婿入りさせた私に内通の全ての罪を着せて断罪し、私の命をもってクロード卿とのつながりを隠滅するつもりだったのさ。そして離縁した娘を、また再び他の魔術師に嫁がせる、ってね」

「そんな……」


 クリアはムッシートナ伯爵の計画も恐ろしかったが、道具のように扱われる娘マリアヴェヌスも可哀想だと感じた。いくらなんでも道具扱いがすぎる。

 けれどユルギスは、彼女に同情の余地はない、と言う。


「ムッシートナ伯爵令嬢マリアヴェヌス、あの女も父親似の、とんだふざけた雌犬さ。取り巻きの令嬢たちを魔術師協会の護衛騎士に身売りさせて、情報を仕入れて、同時に令嬢たちの弱みを掴んで意のままにする。自分自身は夜な夜な、父に命じて集めた眉目秀麗な騎士を集めて淫らな宴に興じている」

「あの人が!? 確かにしたたかな人ではあったけれど」

「本当さ。私の部下も宴に強制指名されて、それを拒否して酷い目にあっている」


 苦々しい顔をして、ユルギスは溜息をついた。


「だが暴挙ももう終わりだ。私は既に王宮の有力貴族達に証拠を示してきた」

「もう、ですか」

「私は筆頭魔術師候補さ。それくらいのこと、簡単だ。……明日にはムッシートナ伯爵家は断罪されるだろう。……まあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ユルギスは冷たい瞳で、ムッシートナ伯爵邸へと目を向ける。


「私の愛しいクーちゃんの心と体を傷つけた者達には、もっとしっかり復讐をしておきたかったからね」

「復讐なんてあなたらしくもない、ユーリくん」


 思わず言ったクリアを、ユルギスは真顔で見据えた。


「それにあなただって、らしくないよ。クーちゃん」

「っ……」

「ドレスを汚されて、傷をバカにされて、黙り込んで私を雌犬に譲り渡そうとしたクーちゃんに言われたくないよ」

「ッ……だって……」

「もっと誇り高い女の子だったでしょ? 私のクーちゃんは」


 ユルギスが銀髪の毛先に口付ける。

 それだけでぞくぞくと、体に震えが走る。


「私を誰にも渡さないって、ふざけた雌犬どもを投げ飛ばすくらいでいてよ、私のクーちゃん」

「ユーリくん……」

「ねえクーちゃん。クーちゃんが守った子供たちの間では、クーちゃんは凛々しい女神様として憧れられているんだよ? 知ってる? 知らないよね。この調子だと、情報は全て隠されていただろうし」


 ユルギスは一転、甘い顔に戻ってクリアに顔を近づけた。


「ねえクーちゃん。顔の傷をよく見せてほしいな」

「やめて。汚いわ」

「嫌だ。綺麗だ。私は見たいのさ。……あなたという人が、勇敢に戦った美しい勲章なんだから」

「男性ならともかく、女の顔の傷なんて」 

「ならば……あちこちで『女に生まれておけば』だの『顔で魔術師が務まるのか』だのと揶揄される、私の顔は男として恥ずかしいものかい?」

「そんなことは」

「だろう? 私は私の顔が好きさ。そしてクーちゃんの顔も、大好きだ」


 にっこりと白い歯を見せて笑い、ユルギスは断言する。


「人生が刻まれた顔の美しさに、男も女も関係ないよ。少なくとも私にとってはそうだ。私はあなたの傷が美しくて愛おしくてたまらない。歳を取っても、何を着ていても、いつ何時でも誇り高い勲章を顔にいただく婚約者を持つことに、これ以上の喜びがあるものか」

「……ユーリくん」

「うん、その呼び方が一番『帰ってきた』って感じがする」

「照れるのだけど……」

「もっと呼んでよクーちゃん。汚い断末魔ばかりを耳にしてきた、私の耳を美声で浄化して」

「断末魔……大変だったのね」

「ああ。クーちゃんの傷を治すための薬の原料も集めていたしね」

「まあ」

「あなたが治したいタイミングで、私に教えて。……もちろん、治さなくても綺麗だから大歓迎さ」

「ユーリくん……会いたかった……寂しかった……」

「クーちゃん。……もう、一生一緒だよ」


 密室の車内で、二人のシルエットが重なった。

 御者は突然始まった睦言に、耳を塞げばいいのか、眺めてタイミングを見計らえばいいのか困って従者と顔を見合わせて困っている。


 外の音は何も、馬車の中には届かない。

 音声遮断の魔術くらい、ユルギスは当然最初からかけていた。


◇◇◇


「あなたらしくもない、か……」


 クリアを子爵邸に送り届けたのち、馬車の中でユルギスは 昏い顔で髪をかき上げた。そこにあるのは婚約者クリアを前にした時と全く違う、冷徹な「筆頭魔術師候補」ユルギス・アルジーベの表情だった。


「クーちゃんの顔に傷をつけた連中を、私が許すわけないだろう。()()()()()()()


 そのまま馬車は再びムッシートナ伯爵邸まで引き返す。

 ユルギスが屋敷に入ると、絶叫しながら苦しむ令嬢達が庭で芋虫のように這いずりのたうち回っていた。


 使用人達が言葉を失い、ガタガタと震えている。


 不協和音のガーデンパーティを見下ろし歩きながら、ユルギスは冷たく言葉を紡ぐ。


「……君たちが今味わっている苦しみは、クリアが傷ついたあの事件以降、クリアが心身に受けてきた苦しみ全てだ。オークと対峙した恐怖、傷の痛み、絶望、悲しみーー社交界で君たちに洗脳のように謗られ続け、輝きを失ってしまうまでの、苦しみだ。……耐えられるだろう? この痛みの大半は、君たちが彼女に与えてきたものなのだから」


 令嬢達は傷のない顔をかきむしった。

 苦しみのあまり髪を引き抜いて叫ぶ者もいた。

 涙と涎でぐちゃぐちゃになった顔を、芝生に擦り付けて犬のように浅ましく伏せた。


 次第に彼女達の勢いは削がれ、最後にはただ、ブツブツと呟くだけの存在に成り果てた。


「……なんだ。あんなにクリアを馬鹿にしていたくせに、クリアの強さの足元にも及ばないんだね。……それで私の婚約者になりたいと、よく言えたものだ」


 ユルギスは充満した負の魔力を集め、小瓶の中に貯める。

 手のひらで浄化して輝く光となったそれは、クリアの古傷を綺麗に消すことができる秘薬の原料だ。


「落ち着いた頃クリアに聞こう。傷を消したいかどうか」


 うっとりと小瓶に口付けると、ユルギスはムッシートナ伯爵邸から立ち去った。


 ーーその日の夜。

 謎の流星により、ムッシートナ邸は爆発炎上した。

 伯爵とその令嬢は命からがら奇跡的に生き延びたという。

 まさに、奇跡で生きながらえさせられたかのように。


◇◇◇


 ユルギスの帰還を境に、クリアは明らかに変わった。

 いじめられていた一年弱とは別人のように明るくなり、堂々と傷跡を晒し、背筋を伸ばし毅然と己の傷と武勇を誇るようになった。


「な、なんなのよ。あの傷を恥ずかしくないの?」

「アルジーベ公爵子息の顔を立てるつもりもないのか」


 謗られると、クリアは美しい笑顔で言い返した。


「ユルギス・アルジーベ公爵子息様も愛してくださる、未来を守った私の誇りです。不満があるのであればどうか、私のような傷を負うものが出ぬよう、対隣国防衛について取り組んでいきませんこと?」


 彼女は強さを隠すことをやめた。

 学園時代、女子無差別格闘大会で殿堂入りを果たした腕力も名誉として掲げ、学園に時折赴いては、女子学生への護身術の講師を受け持った。

 女子学生向けに武術や護身術など不要と反対する声も多かったが、彼女は己の傷を晒し、強く訴えた。


「隣国は今もなお、我が国支配を目論んでおります。万が一の際に己の身、そして家族の身を守れるよう、最低限の護身術と最善の避難方法を身につけるべきなのです」


 凛々しく美しく、それでいて公爵夫人としての気品を身につけた彼女の言葉は、若い貴族息女たちの心を打った。

 非戦闘員の女性や子供、文官男性の護身魔導具の研究も発展。

 物理魔術学に強いユルギスの地位は、妻の躍進と共にさらに不動のものとなった。


 もちろん光には影もある。

 どんどん心身ともに輝いていく(形容詞)クリアを、社交界から厄介者として排除しようとする勢力もいた。

 しかし彼らは一様に悪夢に苛まれて心を病んで消えた。


 顔をオークに傷つけられる悪夢。

 顔に傷が残り続けて嘲笑されるような幻覚。


 心を病んだ者たちは皆顔を爪で引っ掻き、本当に傷まみれになってしまったらしい。


「みんなどうしてしまったのかしら」


 クリアは己の恐怖と苦しみを思い出し、同情して背筋が寒くなった。ユルギスは優しく抱き寄せる。


「きっとあなたを傷つけた罪悪感が、時間差で湧き上がって胸を苛んでいるだけさ。……きっと乗り越えられるよ。あなたが苦しんだものと同じだけの苦しみでしかないのだから」

「……そうね」


 ユルギスが何かやったのだろうと、クリアは薄々感じていた。けれど同時に、ユルギスを咎める権利はないと、クリアは思っていた。


 彼が復讐に駆り立てられたほどに、自分が弱く、彼に心配をかけてしまったのが悪いのだから。

 せめて復讐行為の咎を、共に背負おうとクリアは誓う。


「……私はユーリくんと共に生きるわ」


 それが、自分の贖罪でもあると信じて。


◇◇◇


 ユルギスが帰国して一年後。

 クリアとユルギスの結婚式には、年若い子供たちとその親を中心とした盛大なお祝いが届いた。

 既に失脚したムッシートナ伯爵家の一族と、取り巻きたちの姿はなかった。

 

 年若い貴族子女たちが社交界デビューをし始めたのを皮切りに、ますますアルジーベ公爵夫妻の名声は高まった。

 それでもクリアは驕ることなく、国中の子供たちに向けた慈善事業や護身術の伝授活動に腐心し続けた。


 いつしか社交界の中ではなく、未来を担う子供たちーーそして子供たちの親からの支持で、確固たる地位を築き上げたのだった。


 仲睦まじいクリアとユルギスの間には、あっという間に三人の子供が生まれた。

 その名はーー長女レヴェッカ、次女グレイシア、三女ベラドナ。

 光り輝くような美しい、アルジーベ家の宝物となった。


◇◇◇


それから、21年の時が流れたーー



◇◇◇



「娘がついにみな、結婚と婚約を決めたよ。……あなたに似た青い瞳のベラドナも、君に似て背の高い颯爽としたレヴェッカも、そして君の剛腕を受け継いだグレイシアも。……ふふ、私も父親として、少しは肩の荷が降りたかな」


 ユルギス・アルジーベ39歳。妻を亡くした真夏の午後には人払いをし、壁にかけた亡き妻と二人っきりの時間を過ごすと決めている。

 肖像画になってしまった彼女は今も、命を落とした26歳の笑顔のまま、ワインを傾けるユルギスに優しい笑顔を向けている。

 その柔らかな顔には、傷跡が雷のように刻まれている。

 毎年命日の度に魔法で描き添えている青い薔薇も、もう11輪描かれている。

 そして今年は、12本目。


「命を全うしてクーちゃんに再会する時、私がどんな歯抜けのジジイになっても、その笑顔で微笑んでくれよ」


 象が踏んでも死なないと言われたクリア・アルジーベ公爵夫人は、胸の病で急死した。魔術の呪いでもなく、健康に問題があったわけでもない。ただただ、不運の死だった。


 彼女の死に国中の支持者たちは泣き濡れ、葬儀には彼女を悼む水晶製の薔薇の花が数多く手向けられた。死化粧でも決して、彼女の傷は消されることはなかった。


 彼女は一生、傷を己の勲章として誇っていた。

 そんな妻のことを、ユルギス・アルジーベは愛している、今でも。


「ふふ……本当に、クーちゃんがいなくなった時は、どうしようかと思ったけれど」


 突然の不幸に荒れ狂ったユルギス・アルジーベに正気を取り戻させたのは、妻によく似た三人の娘たちだった。彼女たちは個性はバラバラなものの、どの娘も、妻のように優しく強かった。


 長女レヴェッカの結婚相手は、さる異国の成金大商人。見上げるほどの巨漢でレヴェッカの一目惚れだ。

 三女ベラドナの婚約相手は、年下で背が低く、小柄な彼女と釣り合いがとれる、真面目な学者の青年だった。

 次女グレイシアの結婚相手は、かの光り輝く白豚第二王子だ。生まれつき魔力光により全身が発光するので、人目を忍んで生き続けた努力家で心優しい第二王子。


 彼の婚約者として愛娘に白羽の矢が立ったときは心がいたんだが、その縁はかつてのユルギスの初心を思い返させてくれた。


「若い頃、私はクーちゃんを容姿で謗る人々を嫌悪していた。それなのに私は……あろうことか、

シャテンカーリ第二王子との結婚を、『白豚王子の犠牲』だと侮ってしまっていた……」


 次女グレイシアは父ユルギスに、シャテンカーリ第二王子と、まっすぐ目を合わせたいと訴えた。だからユルギスは筆頭魔術師としての能力を尽くして、彼女と王子の目を守る、サングラスを作った。


 妻の肖像画といった物体にほのかな仕掛けを作るような、物理魔術学が得意なユルギスだからこそできる芸当だった。


 グレイシアは美しい娘に成長した。

 あの若き日のユルギスのように、噂に惑わされることなく、グレイシアはシャテンカーリ第二王子の本質を見た。そして第二王子の魅力を知り、恋をした。


「……グレイシア。お前の気持ちはよくわかるよ。愛しい者のためならば、周りの愚かしい声も馬鹿らしい煩いも些事となる。勇敢に戦える。……私も昔は、そうだったんだ、よ……」


 ほろ酔いで眠るユルギスに、懐かしい声が響く。


「私の傷を勲章と言ったじゃないの、ユーリくん。……あなたが歯抜けのおじいさんになっても、それは精一杯生きた美しい勲章よ」


 頬を撫でるのは、開けっ放しの窓から吹き抜ける風か、それとも。


「愛してるわ、ユーリくん。……最愛のあなた」


 花がひらりと絵からこぼれ落ちる。

 ほろ酔いのユルギスの魔力に瑕疵があったのか、奇跡なのか。


 12年越しの再プロポーズに答えるように。

 彼が目が覚めるまで。

 ユルギスの胸に赤薔薇が一輪、そっと寄り添い続けていた。



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