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第八話





「……これは王宮じゃないだろ、パーティ用の別荘とかじゃないのか」

「い、いえ間違いありません。何度も建て替えや移築がなされていますが、これがパルパシアのユービレイス宮なのです」

「うきゃー、映画で見たことあったけどすごいっスー、高そうなものが山盛りっスー」


日の傾き始める夕刻の手前、ユーヤたちが招かれたのはホテルからも見えていた建物。いくつかの尖塔を備え、黄金色の屋根を持つパルパシアの王宮である。

どことなく絵本で見るような戯画的な城であった。せいぜい三階建て、大きさだけなら富豪の屋敷という程度である。


緋色の絨毯を渡り、円柱の立ち並ぶ回廊を通って奥へ。左右には白磁の壺であるとか、美女の石像だとかの調度品が並ぶ。


しかし、その背後。

回廊の壁であるとか円柱の表面、あるいは樫の木の大振りなドアにまで、何かしらのポスターがごてごてと貼り付けてある。

料理屋、映画、服飾やどこかの大学の入学案内まで、それぞれ手描きであったり印刷であったり、ほとんど壁の地肌が見えないほど敷き詰められているのだ。


「本当にこれが……」

「こ、これがパルパシア風の装飾なのです。特に王族や議院の邸宅などではこの傾向が顕著です」

「そうなのか……」


確かに、ユーヤの世界でもポスターや包装紙などに高い美術的価値があり、飲み屋の壁を埋め尽くしていた、などという時代はあったらしい。しかし王宮にそのような風習があるとは。


「こら、おぬしら、早すぎるじゃろ」


双王は回廊の脇から出てくる。湯あみを終えたばかりなのか、二人ともボリュームのある髪を巻き貝のように編み上げ、上気する肌を大きめのガウンで包んでいた。化粧も落としていたが、双王は元から目鼻立ちがくっきりしているため気にならない。


「これから全身に按摩を受ける予定だったのじゃぞ、予定を繰り上げて会いたいとは何事じゃ」

「さっき別れたばかりではないか、ガツガツしとるのう。仕方ない、急ぎ食事の用意を……」

「双王、それどころじゃないんだ、急ぎ話したいことがある」


ユーヤの切り出しに、双王はふむと小首をかしげる。


「パンはよいのか? すごいのが出るぞ」

「……」


ユーヤは片手で頭を掴み、頭痛に耐えるかのように頭皮を揉みしだく。奥歯を火花が散るほどきつく噛むと、一度きつく眼を閉じてからぐっと息を飲む。ふたたび開かれた眼は血走っていた。


「そ……れ、どころじゃ、ないんだ……」

「そんな人生の正念場みたいな葛藤せんでも……」

「食べながら話せばよいじゃろ、おぬし融通きかんとこあるよな……」

「聞かれたくないんだ、例の国宝に関することだ」

「ほお……」


それで場の全員が連想するものは一つしかない。さすがに双王もまなじりに緊張を走らせる。


「わかった。しかし腹が減っては何とやらじゃ、何か用意させるから会食の間に行くがよい」


会食の間は、すり鉢状の構造になっていた。

中央には火が炊かれ、大ぶりの鍋がかかっている。チューリップハットを伏せたような浅めの鍋だ。円形に広がる階段状の席には何ヵ所かに敷物が敷かれ、ユギ王女はゆるやかに寝そべり、ユゼ王女はメイドに足の爪を整えさせている。


この時の双王は蒼と翠のワンピースであるものの、いつもより柔らかな布地のものだった。胸元や股上のあたりに自然な余裕が生まれ、くつろいだ印象を与えている。


ユーヤたちの左右にはパルパシアのメイドがいるが、なぜか黒のレオタードと黒タイツ、そこに淡い黄色のエプロンという格好である。階段では裾を踏みやすいからだろうかと、何とかいかがわしくない方向に解釈する。


「……面白い構造の部屋だな、これがパルパシア風か」

「そうじゃ、古代の様式を再現したものじゃな。かつてパルパシアの権力者たちは、このような席で三日三晩の美食に明け暮れたらしいのう」


そう言われればローマ貴族のような退廃的な空気を感じもするが、天井からタペストリー状の広告が下がってるので、どうも国技館を連想してしまう。

すでに料理は始まっており、薄切りにされた生の馬肉だとか、山菜と果物を炒めたものなどが四角い平皿で供される。


「うまいっスー! ソースが絶妙っスー!」


普通に食べているカル・フォウにはもはや誰も突っ込まなかったが、ユーヤとしては食事に舌鼓を打っている暇もなかった。


「双王、この話は使用人たちにも……」

「分かっておる」


双王が指を鳴らすと、幾人かの夜会服の男とメイドを残して残りが退出する。


「ほれ、残った人間は我らの側近、ハイアードキールでも連れておった者じゃ。鏡や、かの王子についても知っておる」

「それになるべく遠くに置く。囁きならば話しても支障あるまい」

「……わかった」


ユーヤは階段状の席をずるずると移動し、双王のそばに寄る。


そこへ、下段の方からメイドが来る。ハイアードでも見かけた三つ編みのメイドだ。

客人より頭を高くしないという礼儀でもあるのか、近づくごとに体勢を低くして、そばに至るときは座りながらすり寄る格好となる。


「セレノウのユーヤさま、こちらを」

「? これは……」


それは淡い黄色をした円盤である。表面に六角形が並んでいるが、木槌で叩かれたように潰れている。

手に持つとしっとりと濡れたような質感。そしてハチミツの匂い。


「ああ、これはいわゆる「巣蜜すみつ」だな、蜜蜂の巣房そうぼうからハチミツを絞った後のものか」

「そうじゃ、乾粗蜂ガンツウフェンと呼ばれる蜂の巣、これは天然物じゃな」

「蜜を絞った後に平たく切って、何度も叩いて風にさらすのを繰り返す。すると余計な甘味が抜けて、さくさくした歯触りのいい菓子となるのじゃ」


大きさはフリスビーぐらい。かじってみると確かにウェハースのように軽く、それでいて爽やかな甘さがある。


「なるほど、しかし大きいな、軽めだから食べられそうだが」

「それでユーヤよ、話とは」

「ああ、実はさっき、ロングコートの男たちに……」


ユーヤが先刻の出来事を説明するあいだ、ぐつぐつ、とものが煮える音が生まれる。

そしてパンの香り、開店したばかりの有名店の匂いか、あるいはパン工場のラインの前にいるような薫りか。

平たい鍋の中には湯が煮立っており、その鍋に投じられるのはパンである。色も形もさまざまで、それぞれに深い歴史のありそうな多種多様のパンが投じられている。


「……?」

「ふむ、それはマフィアどもかも知れんのう」

「鏡のことを嗅ぎ付けたのかの、だとすれば厄介じゃな」

「あ、ああ、そうだな……。しかし鏡だけ手に入れても意味がないはずだから……使い方までは知らないのかも」


すり鉢の底から沸き上がるような小麦の香り、学生の頃、購買に並んでいたパンの山を思い出す。

圧倒的な香気なのに少しもくどくなく、脳に忍び込んで五感を支配にかかるような魅力が。


「よし、それならお主にも護衛をつけねばならんの。さしあたって10人、それとパルパシアにおる間、この王宮に滞在するがよいぞ」

「そうじゃそうじゃ、お主の知っとるイントロクイズの形式を話してくれる約束じゃろ」

「パンの煮物だって……? シチューにでも仕立てるのかな」


そう呟いて、はっと意識が戻る。

双王を見て、こほんと咳払い。


「いや、実は相談は僕の身の安全のことじゃない」

「では何じゃ?」

「僕は、その男たちに鏡を届けようと思う」

「何……!?」


双王が眼を見張り、背後ではカヌディが息を飲む気配がする。


「もちろん偽物をだ。彼らがどこまで知ってるのか突き止めたい。そして鏡は絶対に手に入らないのだと告げねばならない。必要なら中心にいる人間を捕縛してでも。だから双王、彼らについての情報を教えてほしい」

「ユーヤよ、おぬしまさかパルパシアの裏の連中と接触する気か」

「パルパシアには大小さまざまの悪党がおるが、中には騎士団ですら手を焼くものも少なくない。本気で潰そうと思ったら骨の折れる事態となるぞ」

「双王、これは僕の問題じゃない、パルパシア王家の危機だ」


言われて、双王もぐっと息を詰まらせる。


ぐつぐつ、とものが煮える気配。


「……誰かが、我らを供物に鏡を使おうとしておる、と?」

「鏡など宝物庫の奥に封印してしまえばよい。いっそ破棄しても良いではないか」

「それで鏡を狙う人間があきらめてくれるとは思えない。他の国の鏡が狙われる可能性だってある」


その鉄鍋は帽子のように広いフチの部分があり、フチの部分に波のようにアクが溜まっていく。

根本的に小麦の種類が違うのか、それとも煮ている水に秘密があるのか、小麦のグルテンが溶け出してフチに溜まっているのだ。

多種多様のパンがほろほろと崩れて溜まり、波の花のような眺めとなる。それがじわじわと煮汁に溶け出して、さらに鍋の香気が高まる。


調理していたメイドがヘラでその泡をさっとかき集め、脇に置いた石板の上に集めていく。石に熱を奪われ、パンの泡はメレンゲのように、あるいは生クリームのように徐々に固まっていく。


「なんだあれ……」

「ユーヤよ、つまり禍根を断ちたいと言うのじゃな。鏡のことを知る人間を少しでも減らしたいと」

「あ、ああ、そうだ……」

「ふうむ……しかし客人に何かあればセレノウに申し訳が立たぬし……」


メイドが階段を上ってくる。やはりレオタードに黒タイツ、それにエプロンという服装である。料理を持つためか、それとも儀式じみた礼儀作法か、ゆっくりとした足取りとなる。


「ユーヤよ、ならばいっそ我らも行こうぞ」

「え……」

「あの鏡を狙うことは王に弓引くも同然。王の役目として、ここらで気合いを入れてパルパシアのドブさらいと行こうかのう」

「……しかし、事を大きくしすぎると何が起こるか分からない。ここはやはり、護衛を連れて僕だけで……」


「ふむ」


ユギ王女がぱちりと扇子を閉じ、その背後からユゼ王女がかぶさってくる。二人は親密そうに頬を寄せあい、妖艶な笑みを浮かべる。


「ならばユーヤよ、クイズで勝負と行こうかのう」

「クイズ……」

「左様、おぬしにはハイアードキールのあの夜での借りがある。滞在中に勝負するつもりであったことじゃ、丁度いい機会というもの」

「お主が勝てば、お主と護衛だけで行く。我らが勝てば我らも行く、簡単じゃろ」

「……分かってると思うが、根本的に僕はクイズはできないぞ。どうしてもと言うなら種目の決定権はこちらにある」

「いいや、これは我らが行くというのをおぬしが止めたい、という勝負じゃろ」

「どちらが申し込むでもない公平な勝負じゃ。種目は話し合って決めればよい」

「それは……そうだが」


くすくす、と猫科の獣のような笑みを見せる双王。


「公平を計るゆえ、こちらの用意した種目で競ってはどうじゃ。心配せずとも、パルパシアは長い歴史と深遠なる文化の都、お主とも公平に戦えるクイズなど山ほどある」

「ここはパルパシアで最も一般的であり、また人気もあるクイズ、それで勝負といこうぞ」

「それは、一体……」


パルパシア側のメイドはしずしずとやってきて、ユーヤの近くに膝をつく。

そしてぐつぐつとまだ熱を上げるパンの泡、その芳ばしき白い泡を、バターナイフでさっと巣蜜に塗った。


「なっ……」


そして理解した、この料理は。


蜂蜜に・・・パンを塗る・・・・・!?」

「はい、これはズ・ヴォル、パルパシアでも最も古い料理の一つでございます。泡はわずかに冷えて牡蠣のような食感となっており、さくさくとした巣蜜によく調和いたします。お好みで香辛料をお使いください。シュネスの砂塵辛子などがよく合います」


それは嗅覚から察せられた。無数のパンをぎゅっと押し固めたような複雑な香り、背後に薫るのはナッツやバター、ミントやレーズン、それがハチミツのウェハースの上で楽団を成そうとしている。

口にしたなら、その味を言い表すことが不可能に思えるほどの巨大な期待。


おもむろにそれを頬張ろうとして。


はっと気づいて全身の筋肉でストップをかける。


「……そ、それどころじゃないんだ、話を」

「……いやもう食べろユーヤ、めんどいから」

「今のよく踏みとどまったのう……」


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[良い点] この作品の料理はほんとにおいしそうで困る 一体どこからこんな独創的な発想の料理が思いつくのか
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