第六話
「国を出た……?」
回廊の片方の壁を埋め尽くす果樹園の絵、その前を歩きながら話す。
どうも他の客が少ないが、廊下の隅や曲がり角の奥などにそれとなく夜会服の男がいる。双王を警護する衛士だろうか。どうやら美術館全体をいくつかのブロックに分け。ユーヤたちの動くのに合わせて他の来客を制限しているらしい。心苦しく思わなくもないが、仕方のないことかと口は出さない。
ユギ王女が一枚の絵を示して言う。
「うむ、この絵を見るがよい、ジドーヴァの『貴婦人と道化』、傑作じゃが、つい先日まで贋作を疑われておった」
「贋作……」
「そうじゃ」
ユゼ王女が頷き、また別の方角を示す。
「あれはキロトシュラークの『イブキスの略奪』。きわめて高価で取引される画家じゃが、今は相場がストップしておる。大手のオークション会社でもキロトシュラークの出物は絶対に扱わん。世界中でそうなのじゃ」
「どうして……」
「贋作の疑いが捨てきれぬからじゃ」
白い床と高い天井、乱舞する光の妖精。完成された硬質な空間。双王のヒールの高い靴がかつかつと鳴る。
「「魔女」のせいでの」
「魔女?」
双王は歩きながらゆっくりと話している。それは勿体をつけるというより、大きく重い背景を意識するような口ぶりだった。
「それは、もしかしてさっきのシジラの関係者」
「魔女は魔女じゃ、名はない。奪われたのじゃ。公的にその名は抹消され、存在しない者となった」
「ただ魔女という通称のみで語られるのじゃ」
パルパシア王家には、必ず双子が生まれる。
土地の特性か人種的理由か、パルパシアには国民にも六割の確率で双子が生まれるが、王室においてはどれほど歴史を遡っても例外なく双子が生まれている。
先代の王は幾人かの愛妾を抱えていた。その妾の中の一人が、ユギとユゼ王女に先んじること五年、やはり双子を宿したという。
パルパシアでは正室の子が絶対的に優先されるため、第二王位継承権者といってもその差は大きかった。シジラと、双子の姉は王宮にて育ったが、年上であってもユギとユゼを敬う姿勢は忘れなかったという。
シジラの姉、便宜上そのように呼ぶが、姉は絵画に興味を持っていた。それも創作ではなく、かつての巨匠の筆を真似て、その筆致を再現することに心血を注いだのだという。
裕福なパルパシア王家のこと、どのような名画でも望むままに借り受けられ、あらゆる道具も、当時の顔料も手に入った。また大学の教授などの指南も受けることができた。
そして何より、その姉には魔性の技があった。
画家の息づかい、アトリエの空気すら再現すると言われるその複製画はまさに完璧。複製のみならず、その画家が描いたであろうタッチで「新作」を作ることもできた。
双子都市の片隅に作られたアトリエにはいつしか無数の名画が並び、来客はその一枚一枚に驚嘆したという。
そしてある時、姉はこの世を去った。
アトリエに盗みが入り、山のような画材と、姉の死体のみが残されていたのだ。ナイフで胸を一突き。青ざめた死体が血の華の中に倒れていたという。
アトリエに収蔵されていた数百枚もの絵はすべて消え失せ、そして数週間後、闇のマーケットに名画が出回るようになった。
魔女の騙し絵
そう呼ばれる絵画は確認されているだけで30点。しかしこれは消えた絵のごく一部に過ぎない。あまりの出来に贋作と本物の見極めは困難を極め、マーケット全体が贋作の存在に戦々恐々とする羽目になった。新規に発見された絵画はどのオークション会社も手を出せず、今現在、美術館にある絵すらも疑わしい。
そんな状況が何年も続いているという。
「そ、それは、その姉という方の落ち度ではないのでは」
カヌディが珍しく語威を強めて言う。そのような自発的な発言は少ないメイドなので、ユーヤは少し驚いた。
双王は誰の発言かなど気にする素振りもなく、頭をゆっくりと振る。
「落ち度が無くはない。複製画を作るなら作るで、署名を入れるなり、本物と見分けられるようにするべきであった」
「何より、そのように複製だの、巨匠の「新作」だのを作ること自体が褒められたこととは言えぬ」
「あるいは最初から贋作を作るつもりだったのでは」
「絵は裏社会に売り飛ばすために描かれ、そして裏切りにあって絵だけを奪われた、そんな可能性すら囁かれた」
パルパシアは事態を重く見た。魔女を王籍から除き、あらゆる文書からその真の名を排除したのだ。
先だって述べた通りパルパシアでは妾腹は立場が低く、大使として公務を行うこともなかった。魔女はパルパシア王家に連なるものであると囁かれてはいるが、それが真実だと知る者はさほど多くはない。
これが一時間あまり、美術館の主だった展示品を見ながら双王の語ったことだった。
「魔女の妹、シジラが画商になったというのは噂に聞いておったが、これも血の定めというものかのう」
「あるいは魔女の騙し絵でも探そうとしておるのか……」
「……そうか、ありがとう、話してくれて」
ユーヤはそうとだけ述べる。
「なに、身内の恥ではあるが、パルパシア王家として隠しだてはせぬ」
「それでユーヤよ、顔見知りと言うておったが、何か話をしたのかの?」
「ああ、それは……」
ユーヤは昨日のことを話す。魔女の話の礼を返すかのように、なるべく細大漏らさず。
すると当然、双王たちの興味は別れ際の問答、指輪に関するクイズに引き寄せられた。
「ふむ? 琥珀と翡翠……翡翠の方が本物」
「なぜそう思ったのじゃ?」
「単なる確率論だよ」
美術館の入り口付近。開けた場所にて語る。
「いいかな? 琥珀と翡翠の指輪がある。この二つを本物と偽者で区別する場合、その組み合わせは」
1.両方が本物
2.琥珀が本物で翡翠が偽物
3.琥珀が偽物で翡翠が本物
4.両方が偽物
「この四つになる」
「おぬし馬鹿にするでないぞ、そのぐらい分かるわ」
「まあまあ……それで彼女、シジラはこう言った。「二つのうち、少なくとも一つが偽物」と。これに当てはまるのは2.3.4の三通りだけだ」
「ふむ?」
「この三パターン。一つが偽物として、もう片方を見た場合、本物、本物、偽物となる。つまり、「少なくとも一つが偽物」と言ったなら、もう片方が本物である確率は三分の二になるんだ」
「おお……なるほどのう」
「じゃが絶対ではなかろう。それに、翡翠の方が偽物と思ったのは何故じゃ?」
「クイズは出題者と解答者のコミュニケーションだ。この問題は今の確率論の話をするための前フリであり、会話の切っ掛けなんだよ。だから両方が偽物という答えはあまり面白くないのと……あとは翡翠の見分けかただ」
「見分けかたっスか?」
興味津々という様子でカル・フォウも割って入る
「そう……翡翠というのはその構造上、表面に光を当てるとさざ波のような波線が見える。これが翡翠と、偽物である樹脂やガラスとの見分けかた。つまり、彼女は僕のような男性を窓辺に誘い、翡翠をこうやって光にかざす」
身を屈め、カヌディの側に顔を寄せて手をかざす。説明に熱が入ったための動作だが、カヌディは前髪で眼を隠したまま、頬を染めて身を縮ませる。
「こうやって、ごく自然にパーソナルスペース……親密さが得られるような距離で会話ができる、これが彼女のセールストークなんだ」
「うきゃー! 大人っスー! たまんない色気っスー!」
灰色リボンのメイドがその辺を飛び回り、双王も目を丸くしながら感心する。
「ほー、なるほどのう」
「あやつめそんなワザを身に付けておったか、商売熱心に生きておるようじゃのう、少し安心したぞ」
話が終わる頃、全員の上に降り注ぐ光が妖精のものから陽光に変わる。網状の天蓋からは昼の光が届いていた。
双王が手をパンと打ち鳴らす。
「さあさあ、美も堪能したことじゃし、今宵は皆を王宮に招こうぞ。とっておきのワインと料理を用意しておる」
「そうか、それは楽しみだな」
「我らは一度王宮に戻る、夕刻に使いを出そうぞ」
「ああ」
美術館を出る段になると、ぞろぞろとメイドやら礼服の男やらが出てきた、王室の侍従たちだろう。
「……別にいいんだけど、パルパシアの衛兵って執事とかボーイみたいだよな」
ユーヤの知るガナシアという衛兵はいつも軽鎧を身に付けていたが、パルパシアではそもそも鎧を一度も見ていない。一応腰にサーベルをさしてはいるが、その武装で十分なのかと他人事ながら感じてしまう。
「んふ、んじゃー我々も帰るっスー! 王宮でお食事っスー!」
「普通に考えて君は相伴しないだろ」
「まあまあ遠慮することないっス、ホテルに戻るっス」
「おかしいな話が通じないぞ」
ホテルまでは40分ほどの歩きである。階層都市であるティアフル&ファニフルでは馬車は面倒が多いため、あまり使われない。
一般人は大型の乗り合い馬車か、個人用の騎馬、あるいは人力車で移動することが多いのだとか。
富豪の多い上層であるためか、行き交う人々も着飾った社交界風の出で立ちが目立つ。
そして双子も多い。男女問わず、同じ背格好の双子が楽しげに語らいながらすれ違う。
「双子なのに同じ格好の人が多いな。普通は髪型とか変えて見分けをつけるんじゃないか?」
「ぱ、パルパシアではそのような風習はありません。双子はなるべく同じ格好をするべきとされています。そ、双王は公務の関係で見分けがつくようにされていますが、むしろ例外的なことです」
「パルパシアの双子はみんな仲良しっス! 双子同士で結婚する家もたくさんあるし、生まれてから死ぬまで一緒に暮らす双子も珍しくないっス!」
「そうなのか……、お国柄と言うべきか、それとも異世界なら感性からして違うのか」
「あ、ユーヤ様ちょっと止まってっス」
言葉と同時に後ろ襟を掴んで引き倒される。
「のぐっ!?」
したたかに尻を打ち、勢いのまま後ろ向きに転がるユーヤ。
かつ、と石を打つ音、ユーヤそばに転がってくるのは円錐状の物体だ。尾部に房がついている。
「! 吹き矢……!」
しかも先端が濡れている。何らかの毒物か、あるいはいつかの夜会で見た眠り薬であろうか。
そして歩み出てくる人影。
物影から、路地の影から、フードつきのコートを着て、濃い色眼鏡をかけた男たちが何人も出てくる。
それなりに大きな道、周囲にはごく普通に人通りがあり、網状の天蓋からは太陽も見える時刻だというのに。
「ユーヤ様、集団の痴漢っス、いきなりコート脱いで全裸になるやつっス」
「それだけは違うと思うぞ……」