第五話
過日。
「クイズ王って、つまりクイズが強ければいいの?」
時を数える者も寝入るような時刻、バーカウンターにて肘を並べ、その女性はゆったりと微笑みかける。
東京の片隅、月夜に咲く花のごときオーセンティック・バー。
他に客はおらず、店主も店の奥に引っ込んで何も語らず、夜が歩みを止めているかのような凪の空間。
「僕が思うに、クイズ王にはいくつかの世代があるんです」
それは七沼遊也と呼ばれた男。擦り切れてぼろぼろのジーンズに、薄汚れたシャツと黒のジャケットという姿は夜の街にあってもみすぼらしかったが、その人物の放つ暗鬱な凄み、爬行する蛇のように低く構えた警戒の気配、夜が深まるほどギラギラと光る瞳が、誰にも軽んじられない迫力となっている。
あるいはそれも、周囲に侮られないための技術であったやも知れぬ。
一方の女性は薄めの化粧に鮮やかなイブニングドレス。目鼻立ちは鋭角的で人目を引くような気配。引き締まりつつも柔軟性を感じる猫科の獣のような肢体。彼女を初めて見る者でも、芸能人だけが持つ香気を感じずにはいられない。
「元々、僕が憧れていたのは第一世代のクイズ王でした。圧倒的なまでの知識を持つ人々。どんな質問にもすらすらと答えて、対話すると世界が広がっていくような知恵者たち。数千年の風雪に耐えた岩のような人々、それに憧れてたんです」
「それが第一世代……第二世代以降というのは何?」
彼女は女優であったりエッセイストであったり多才な人物であった。七沼遊也とは出演者とスタッフの関係であったが、何度かこのように飲みに出かけたことがある。
親密であったとまでは言えない。何にでも興味を持つような女性だったのだろう。七沼遊也のような偏屈者にも。
「僕がそう呼んでるだけですが……。クイズ番組が国民的なイベントとなって、青春を、人生をそれに捧げてもいいと思えるような若者たちが生まれた時、彼らはクイズの競技性に着目しました。どうすれば早くボタンを押せるのか、どうすれば勝負に競り勝てるのか、あるいは、どうすれば番組出演者に選ばれるのか。それは個性的で魅力的で、色とりどりの宝石のような人々でした。それが第二世代です」
「では、第三世代というのは?」
「それは……」
七沼遊也は数秒、逡巡する。
「それは、まったく異なる世界……」
その畏れは、古典的なクイズ世界を守ろうとしているからか。
そのためにクイズ戦士たちの奇手妙手を封じてきたからか。
「あるいはその時代では、もはや既存のクイズ世界というものが形を留めず、知識でも、テクニックでもない、全く違った形のクイズの世界。そんな世界が始まるのかも知れない。そして、その世界にふさわしい王たちが……」
「それは、あの子のこと? 付き合ってるとかいう」
「付き合ってるわけじゃありません、付きまとわれてるだけです。仕事の上で手伝ってもらっているだけで……それに彼女はまだ高校生です。確かに能力は、異様なほどですが……」
何かを打ち消すように、にわかに言葉が早くなる。
――棚黒 葛
その名が浮かび、ごく僅かにまなじりを絞る。
その名を思う時、いつも気が急くような、背に何かがもたれかかってくるような圧迫を覚える。彼自信がその実在を信じたくないような、よくない経験を忘れたがっているような。
あまり言及したくないのか、時間が流れ始めるまでじっと沈黙を続ける。
「面白いね」
女性はそう言って、グラスの中の氷をからんと鳴らす。
「なかなか面白いよ。受け入れようとしてるのに、心のどこかで拒んでいる。誰よりもテレビを愛してるのに、番組潰しと恐れられてる。矛盾してるけどそれもまた人間、ということかしら?」
女性は酔いを楽しむかのように、陶然と笑う。
彼女は決してクイズ王ではなかったけれど、やはりあるクイズにおける王だった。七沼遊也は、彼女の中にクイズ王たちに等しい輝きを見ていた。
芸能人であるというだけではない。彼女は特別であり、花形であり、卓抜の人間。
魅力的だと感じる。七沼遊也は彼女に惹かれる自分を感じていた。選ばれしもの、持てる者。何かを極め、唯一無二の凄みを備えた者。
「いつか、出会えると良いわね、本当のクイズ王に」
その女性。席を共にしたことは多くはなく、この会合もおそらく彼女の中では失われてゆく記憶の一つに過ぎないとしても。
それでもまだ、覚えている。
一流の輝き、というものを。
※
夜を越えて朝を迎え、パルパシアの石の街並みを太陽の光が暖めるころ。
地上六層。
パルパシア王宮の存在する外縁部が第七層であり、一段下がった場所はオフィス街のような印象である。だがビル状の建物は、個人の邸宅が多いのだという。
天井までは高く取られており、色とりどりの角柱型の建物が天地を繋ぐように建設されている。それぞれの建物は柱でもあり住宅でもあるようだ。
「すごい建築だな……あとから嵌め込まれたような」
「そーです! その通り嵌め込んでるっス!」
カル・フォウは歩道の横にある柵に乗り、一歩横にずれれば奈落に落ちる場所をてくてく歩いている。カヌディが脇を締めた構えで補足する。
「こ、これらの建物は地上で建設されたあと、翅嶽黒精で重量を減らされた状態で指定の場所まで運ばれます。その後、ジャッキによって天地に固定されるのです」
「なるほど……つまり建物がユニット式になっているのか。豪華客船なんかでそんな建造法があると聞いたことあるけど、まさに妖精の存在ありきの建築法であり、町並み……」
袋の中に積み木を詰め込んだような、というべきか。それぞれの建物が様々な方向を向いて洞窟に詰まっているような眺めは圧巻のものがある。
そして妖精である。白やオレンジの光を放つ妖精が飛び交い、無数の窓を照らしている。光量は非常に強く、路地には影も落ちていない。
「うむ、あれじゃな、パルパシア国営のギオラ美術館じゃ」
「所蔵する美術品は10万点以上。大陸でも指折りの規模じゃぞ」
左右をメイドが固め、背後からはパルパシアの双王。
この日の双王はカーキ色のロングコートを羽織り、大きめのサングラスで顔を隠していた。目立つことは控えたい日もあるらしい。
ユーヤはそこまで背が高い方でもないが、周りを固める四人が小柄な女性というのもあって、何だか引率のような気分になってしまう。
やがて建物に踏み込めば、そこは縦長の空間である。
正面には大きく山嶺の絵、左右には通路が伸び、常設展示と企画展が告知されている。特に受付もなく、誰でも入れる開放的な空間だ。それはこの第六層の生活水準の高さと、治安の良さを意味するのだろうか、と何となく思う。
「いやあ、異世界の美術館だなんてワクワクするな」
「そこらへんの感覚ぜんぜん分からんのう」
扇子で仰ぎつつ腰をねじる双王を、ユーヤは平たい目で見つめる。
「というか双王はなぜいるんだ? 招いてくれるならともかく、僕の行きたいとこについてこなくても」
「失礼なやつじゃな、我らも芸術には興味があるぞ」
「そうじゃそうじゃ、王族ともなれば美的センスも持っていて当然というもの。特に宝飾品はプロなみの目利きじゃぞ」
そういうものかと思わなくもないが、双王の装飾品と言えばゴテゴテした大粒の宝石ばかりなので、見立てとかセンスという言葉があまりしっくり来ない。
「ほんとは暇なんじゃないのか」
「まあ暇というのは否定せぬが、お主についていくと何か起こりそうじゃからのう」
「どこかのクイズ戦士から勝負を申し込まれたり、不良に絡まれとる女子を助けたり」
「そんなこと起こるはずが」
「あら、奇遇ですね」
声に振り向けば、そこには黒い影のような姿。
この広い天井を持ち、妖精が隅々まで光を投げかける空間で、その姿はおぼろげに感じられた。それは黒い長衣のためか、あるいは光を乱反射させるたおやかな銀髪のためか。
「ああ、確かシジラ……」
「……双王様」
その女性は背後にいた双子に気づき、しずしずと歩を進める。
ユーヤを追い抜く当たりで床に両膝を落とし、両手を組み合わせて深い敬愛の礼をする。
「ほう、シジラか、いつ双子都市に戻ってきたのじゃ」
「ご無沙汰いたしております。この数年世界を回っておりましたが、ほんの数週間ばかり前に帰ってまいりました。機会の無かったこととはいえ、長らく挨拶もできずにいたこと心苦しく思っております」
「風の噂で聞いたが、流れの美術商をやっておるらしいのう。わざわざそんな道を選ばずともよいじゃろうに」
「お耳汚しなことです。血は争えぬものとお笑い下さい」
つと膝を伸ばして立ち上がり、メイドを含めて全員に会釈を送る。
「これより商用なればこれにて……。いずれ機会あらば、双王様のご商談を受けられる日が来ることを願っております」
「うむ……達者でな」
その女性はゆっくりとした歩みで美術館を出ていく。全員が何となくその歩みに目が惹きつけられるような、不思議な存在感のある女性であった。
カル・フォウがユーヤをちらりと見て、口を開く。
「お尻でかいなーとか考えてるっスね」
「考えてないよ!」
カル・フォウは両手を広げてくるくると回り、一般客は目を合わさぬように遠巻きによける。
「くはー! でもなんか運命の再会っスー! よからぬ恋の予感っスー!」
「……カヌディ、あの子本当に国王陛下お付きのメイドなの?」
「こ、国王陛下は、お心の広い方ですので……」
「大きめの銀河より広いな……」
しかし、双王と顔なじみというのは意外だった。ユーヤがそれについて問いかける。
「双王、彼女とは昨日、サフォン・ホテルで偶然会ってたんだが、知り合いなのか?」
「うむ……あやつはシジラと言うて、5年前までパルパシア王宮におったのじゃ」
「我らは姉のように慕っておった、まあ実際腹違いの姉じゃったからな」
「……? ということは、彼女も王族なのか?」
双王は、それは彼女たちにしては珍しいことだったが、答えにくいかのように羽扇子で口元を隠す。
だがそこは王族なりの矜持というべきか、その出自にも家名にもひとかけらの曇りも持つべきでないと言うかのように、二人が同時にユーヤを見て、その目を正面から見据えて言う。
「あやつはな、自らの意思でパルパシア王家を出たのじゃ」
「自ら王籍を捨てて出奔したのよ。本来なら妾腹とは言え我らに次ぐ存在、第二王位継承権者であったのじゃがな……」