第三十一話 エピローグ2
「カルちゃん、ユーヤ様のお話に入ってはご迷惑だよ」
寝室のドアが開かれ、銀の盆に焼き菓子を乗せたカヌディが入る。カヌディも医師の診断を受けたとのことだが、今日も変わらず身の回りの世話をしていた。
「カヌディ、本当に大丈夫なのか」
「だ、大丈夫です。お医者様には貧血か低血糖だろうと言われました」
ぱちん、と扇子を閉じるのはユゼ王女。
「そうでもないぞ、医師に聞いたが本当は入院ものじゃと聞いておる」
「本人が動けると言って聞かんから働かせておるだけじゃ、ユーヤに説得してもらおうと思っておった」
「! そ、双王さま! それは内密にしてくださると……!」
ユーヤが、そのカヌディの肩にそっと手を伸ばす。
「カヌディ、頑張ってくれるのはありがたいけど、パルパシア側のメイドさんが世話をしてくれるから大丈夫だよ。君はちゃんと休んで体調を取り戻してくれ」
「ゆ、ユーヤ様……」
と、いつもはこれで引くはずのカヌディであったが。
なぜか決然と、ユーヤをにらみ返す。
「……ユーヤ様がそんなこと言えるお立場でしょうか?」
「えっ」
「さんざん無茶して何度も倒れて! お命の危険だってあったんですからね! もはやユーヤ様お一人の命ではないというご自覚はあるはずです! そのような無茶をするユーヤ様を、メイドが少しぐらい無茶して見張っていることの何がいけないと言われるのですか!」
「え、き、昨日は僕の好きにしていいって」
「あの時はあの時です! ともかく私どもメイドは絶対にユーヤ様から眼を放しませんからね! ほらちゃんと寝てください!」
ばん、と掛け布団をかけつつ上から両手で押さえられる。
見ていた双王は露骨に笑いをこらえていた。
「カヌちゃんどうしたっスか? なんかえらくハッスルして」
「エイルマイル様から言われてるの! ユーヤ様は無茶するから、ちゃんと怒ってあげないとダメって!」
体をくの字にして笑っていた双王が、なんとか呼吸を落ち着けつつ言う。
「くく……うむ、そうなるとユーヤは数日は静養か、まあ仕方ないのう」
「映画でも持ってきてやろうぞ。ユーヤあれじゃろ、学生ものとか、ドSなやつとか好きじゃったよな」
「よく分からんけど持ってこなくていいから」
ふうと息をつく。
まだ双子都市に来て数日だというのに、何だか一ヶ月ほども走り回っていた気がする。
しかし双王という人種に遠慮などあろうはずもなく、大変な勝負の後だというのに速くも退屈の構えである。王宮でどうやってユーヤと遊ぼうかと、ああだこうだと話し始める。
「お前たち、ユーヤは病み上がりだぞ」
そこへ現れるのはコゥナ。いつもの革の上下セパレートに、この時は尾羽根の飾りなどは外されていた。彼女なりのTPOがあるらしい。
「それどころか、まだ病人同然だ。あまり騒ぐんじゃない」
「フォゾスの姫よ、ならばお主が我らの遊びに付き合ってくれるか?」
「付き合ってやってもいいが」
コゥナは、自分が入ってきた扉をさらに大きく開け放つ。
「ユーヤに客人だ」
「僕に……?」
そして入ってくるのは白いスーツに浅黒い肌。全身を黄金の装身具で固めた優男である。
その艶のある唇と、鋭い眼光に黒豹のような野生味がある。
「なっ!?」
やおら立ち上がるのは双王。
「アテム! お前何しに来たんじゃ! ここは我らがユービレイス宮じゃぞ!」
「というかお前が双子都市に来るなど聞いておらんぞ! 騎士はなぜ取りつがんかった!?」
「面倒だから双王に知らせるなと言った。分かりましたと言われたぞ」
「あいつら全員クビにしてくれるわ!」
そのような王族のゆるい感じはもう何度目かの光景だが、ユーヤはカヌディに布団を押さえられたまま、その砂漠の太子へと目を向ける。
アテム王とはユーヤの知る限り、もっとも王族らしい尊大さを備えた人物である。ユーヤを見下ろしつつ、カル・フォウの差し出す椅子にどかりと座る。
「ふむ、何かあったようだな。病床のおり訪ねる無作法は遺憾ではあるが、やむなき事情あってのことだ、許せ」
「アテム王……なぜ僕に」
「ユーヤよ、セレノウよりそなたの身柄を借り受けたい」
「え……」
アテムの声の調子には、それは深い洞察を持つユーヤでなければ分からない程度に、懇願の色が窺えた。
「火急の用件にて、お前をシュネスに招きたいのだ。もちろん相応の礼は用意する」
「火急の……」
それはまさか、妖精に関わることか。
それは声には出さない。
たとえ事情を知っている人間の集まりであっても、それを言葉にすることに恐ろしさがある。
「うむ、それならコゥナ様も行こうぞ」
「え、コゥナも?」
コゥナはベッドの脇に近づき、ユーヤの額をぽんと叩く。
「父上からも世界を見てこいと言われているしな、シュネスは隣国でもあるし、一度訪問しておくのも悪くない。問題ないだろう? シュネスの黒太子よ」
「構わぬが、物見遊山ではないぞ、そなたを守るための人員も用意できるかどうか」
「自分の身ぐらい自分で守れる、よし、決まりだな」
「ちょっと待たぬか! 我らは同意しておらんぞ!」
「そうじゃそうじゃ!」
双王が場の中央で立ち上がり、見えない塀を崩すかのように扇子で空を切る。
「双王……申し訳ないが、僕が必要とされてるなら行かねばならない。僕はそのために、この世界に呼ばれたんだから」
「いいや駄目じゃ!」
ユゼ第二王女がコゥナとカヌディを押し退け、ユーヤの寝るベッドにどしんと腰を下ろす。
「ユーヤはこの有り様じゃぞ! パルパシアが病臥の客人に無理をさせる国と思われては名折れというもの! 本人が行けると言っておっても関係ない! ユーヤのその手の言葉ほど信用の置けんものはないわ!」
それは割と全員がその通りと思ってしまったため、誰も何も返せない。
ユギ第一王女はというと、はてと首をかしげる。
「ユゼ……? どしたんじゃ? えらくこだわるのう」
「ユギよ! そなたも一緒になってユーヤを守らんか! あのアテムめなどに我らの玩具を奪われてもよいのか!」
「お……おお、そういえばそうじゃな。ええいそなたら離れよ、ユーヤはあの勘定クイズで我らが勝ち取った客じゃぞ」
カル・フォウが、隣に来ていたコゥナにそっと囁きかけた。
「あの、もしかしてうちのご主人って女運悪いっスか?」
「……………よ、よく分からん」
そして、はてと首をひねる。
「そういえば双王様、よく勝てたっスね。勘定クイズはユーヤ様も参加してたと聞いてるっス」
「……パンケーキだ」
「ほえ?」
「あのとき、支配人の男がこう言ったのだ。『料理はお安いもので2500、平均で6000から7000、メインディッシュなどは2万というものもございます』とな、そして目標金額は三万だった」
「……あ、まさか」
「メニューで一番安いと思えるものがパンケーキだったのだ。それが2500ディスケットなら、12皿でちょうど三万になる」
「ほええ、でもすごいっス、双王様めっちゃフードファイターっス」
「九皿目で他の王が棄権したのだ。コゥナ様も、さすがに目の前で人が死ぬところは見たくなかった」
「……おお……もう……なんか、台無しっス……」
そのようなひそひそ話はさておき。
ユゼ王女はベッドの端に腰かけたまま、さらに声を張る。
「とにかくユーヤは渡さぬぞ! こやつはパルパシアにて静養させるのじゃ! 永住でも良いぞ!」
「ユゼ王女よ、独占は良くないな。そもそもユーヤがそこまで疲弊したのも双王のせいではないのか」
「うぐ……い、いや、そうとも言えるような、言えぬような」
王宮の客間とはいえ寝室はさほど広くはない、7、8人が集まって熱気と騒々しさが渦巻きつつあった。
ユーヤは困り顔ながらも、ふと思いついた様子で手を叩く。
「……よし、じゃあクイズで決めたらどうだ」
「クイズ?」
何人かがおうむ返しをして、双王とアテムが顔を見合わせる。
「アテム王、勝負をする時間ぐらいはあるだろう?」
「多少ならば問題ない。側仕えの者を少し休ませたくもあるしな。出立は夕方にしようと思っていた」
「うーむ、しかし我らとアテムでは得意ジャンルがまるで違うからのう。ぶっちゃけしょっぱい試合になりそうじゃが」
「クイズと言っても色々あるさ。僕の世界にあった、料理対決クイズで決めよう」
「料理対決……じゃと?」
「ルールはこうだ」
ユーヤは上体を起こし、双王とアテムを見て語りだす。
「まず二組が食材を決めて料理を作る。肉と魚とか、果物とキノコとかそんな感じだ。そして審査員は五人、より多くの票を集めた方が勝ちとなる」
「ふむ……興味深いが、生憎だが余は不調法者でな、たしなむ程度に台所に立ちはするが、人前に披露できる腕とは言えぬ」
「我らもあまり……」
「違う、料理をするのは君たちじゃない。料理人を呼ぶか、王宮の料理人に作らせる」
「何じゃと?」
ユーヤは枕元にあった置物を取り出す。魚と獣の置物である。
「例えばテーマが肉と魚なら、ステージの真ん中に箱を置き、その中には『肉』『魚』と書かれた札を入れる。調理の間、双方はいつでもこの札を取ることができるが、早いもの勝ちとなる」
そして、と、カヌディたちを見て言う。
「僕とカヌディ、カル・フォウが一票ずつ持つ。僕たち三人は最後に選べるが、話し合いはしない。最終的に多数派になれば選んだほうの料理を食べられるが、少数派になると食べられない」
「……なるほど、見えてきたぞ。どちらが勝つかをいかに早く読むかがポイントなのじゃな」
「しかし勇み足で敗北側を選んでしまってはこれは大恥じゃな、なかなか面白いぞユーヤよ」
「おい、コゥナ様には何か役目はないのか」
「ああ、コゥナには立会人と、途中経過での味見とか、料理人から解説を聞き出す役を頼みたい」
「うむ、承知したぞ」
「ふ……」
と、口の端で笑うのはアテム王。場を楽しむ気配と、攻撃的な気配を同時に放つかのような、一分の隙もない笑みである。
「面白い。ユーヤは確かパン料理が好みだったな。ではシュネスから双子都市に出店している『ゾルネ・ルスワンクス』のシェフを呼ぼうではないか。シュネスは粗食を美徳としているが、あの男のサンドイッチは世界的に評価されているからな。すぐに使いを出そう」
「何じゃと、あの大陸の七舌と呼ばれておる男を……」
二人の王女はちらりと視線を絡ませ、羽扇子をぶわりと打ち下ろしつつ立ち上がる。
「よかろう! 七舌には七舌をぶつけるまでのこと! こちらは『ホテル・ベルストラ』の総料理長を呼んでやろうぞ! 未来においても二度と現れぬと言われる至高の揚げパンを見せてくれるわ!」
「おお……サンドイッチ対、揚げパンっス、とんでもない有名人同士の戦いっス」
「食材もすぐに用意させる。料理のできる舞台もな! こと美食にかけてシュネスなんぞの田舎者に負けるはずがないわ!」
「ふ、ユーヤの説明を聞いていなかったのか。これはどちらが旨い料理を作るかではない、いかに早い段階で決断するかの勝負だ。それにパルパシアの美食と言ってもな、美々しく飾り立てているだけで本質が伴っておらぬと聞くが」
「ふふん、料理とは眼でも楽しむもの、そんなことはじょーしきじゃ。お主の趣味の悪い金飾りも、金箔にして料理に振り撒けばまだ価値もあろうものを」
「余は金箔など食べる趣味はない。知らんのか、金は濃硫酸と濃硝酸の混合液である王水と、双王の胃液にしか溶けんのだぞ」
がちん、と互いに額をぶつけあってガンをつける。双王はぎりぎりと奥歯を鳴らし、アテムも静かながらも目を見開いて睨みあう。彼の黄金の耳飾りが、ちゃりちゃりと良い音で鳴った。
「……ま、とにかく勝負するようだし、カヌディ、カル・フォウ、パルパシア側のメイドさんに勝負のこと伝えてきてくれ」
「はいっス!」
「わ、わかりました」
にわかに騒々しくなってくる。多くの人間が、来るべきクイズに向けて動き出す。
ユーヤはふと、窓の外を眺めた。双子都市の白くのっぺりした構造体、その背景として広がる花園。さらに向こうには蛇行する大河と峻厳なる山々。
その向こうには大森林があるのか、あるいは砂漠があるのか。
そのすべてに、クイズと妖精が満ちているのか。
どこまでも行けるような気がする。
それは、わずかでも自分を必要としてくれる人がいるからだろうか。
世界各国の王たち、そして、遠い遠い胡蝶の国で、自分を待っていてくれる姫君のことを想う。
そして寸刻、過去のことも思い出す。
だがそれは悔恨や傷みだけではなかった。過ぎ去ってきたすべてを、過去の絶望すらも、この世界ならば受け入れてくれる気がする。
あの世界、もはや遠い記憶となりつつあるユーヤのいた世界で、世界から弾き出されてしまったクイズ王たち。
彼らの記憶と技術はユーヤの中に残り、この世界でユーヤとともに旅をしている。そんな風にすら思えた。
「――」
ユーヤは、誰かの名をつぶやいた。
それは恋人なのか、婚約者なのか、あるいは憧れの対象か。
その名はそっと空気に溶けて、陽光の中に拡散し、ユーヤの旅路の先を照らすかに思えた。
(完)
最後までお付き合いいただきありがとうございます。これにて完結となります。
ユーヤたちの旅はまだまだ続くようですね、また機会があれば彼らの旅を書くかも知れませんが、ひとまずはここで区切りとなります。
次はまた別の連載を考えていますので、よければそちらも見ていただければ幸いです。
最後になりますが、わずかでも面白いと思っていただけたなら感想、評価をよろしくお願いいたします。
ではまた、近いうちに。




