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第三話


双王の馬車とユーヤたちのものが分かれ、ユーヤたちはホテルへと向かう。


それは赤レンガ造りで地上五階建ての建造物であり、金で飾られた窓枠や、花の彫られた門柱などが少しばかり華美に見えなくもないが、全体としては上品で落ち着いた印象である。


「さ、サフォン・ホテルはおもに外国要人の滞在するホテルです。このように内観外観に広告のない造りはとても贅沢なものなのです」

「そうなのか。せっかく来たんだから、広告でゴテゴテした内装ってのも見てみたかったが……」


ホテルの前には何人かのポーターたちが出てきており、馬車に積んであった荷物を側面から運び込んでいる。客間とは別にトランクルームがあるのだろうか。


「セレノウのユーヤさまでございますね。お待ちしておりました」


ドアマンがうやうやしく礼をして、踏み込めばそこは吹き抜けの大広間である。三階相当の高さまで伸びる採光窓。その真下に受付のカウンターがあり、左右にラシャ張りの大階段がある。

さっと周囲を見る。一階のロビーはかなり大きく作られており、談笑用のソファや軽食の取れるラウンジ、絵画なども大きく飾られている。青い衣装を着た踊り子の絵がはっと目を引く。


「て、手続きをしてまいります。ラウンジにてお待ち下さい」

「分かったよ」


窓から外を見ればやはり白一色の世界。そこに積み木の町のようにレンガ造りの屋敷が散らばる。それなりに美しくもあり、贅沢な感覚を味わえる景色ではあるけれど、やはり非現実的であり、作り物じみていた。

果たしてこの足元にはどんな熱気が詰まっているのか、このホールケーキの中身はどんな甘みがあるのか。そんなことを思う。


「……」


何となくラウンジの片隅に足を向ける。

そこは階段の下にあってやや影になっており、青い衣の踊り子が潜んでいた。


それは夜の絵、一瞬の絶景を切り取った一枚。

祭りの風景であろうか。群衆が遠巻きに喝采を贈り、空には祭りの灯があかあかと照り返す。青い長裾の衣を優美になびかせた踊り子が、木靴を鳴らして土の上で踊っている。

躍動という言葉が浮かぶ。画面全体を使ってゆったりと手足を伸ばし、観測者に背中を向ける一瞬を捉えた構図。民族衣装ふうの布帽子と肩掛けをなびかせ、夜半の冷たい風を受けて汗ばむ気配。

油絵の具らしき顔料は仔細をぼかして表現しているが、それがこの世のものとも定かならぬ祭りの熱狂を、踊り子の美しさに呼吸も忘れるような観察者の陶酔を、うっすらと上気した踊り子の肌の熱気を表現するかに思える。

だが何よりも目を引くのは青の鮮やかさだ。足元で蹴立てる土の色、祭りの火の赤、そして夜闇の濃藍色の中で存在感を放つ踊り子の衣装、鮮烈な青。それが脳の奥まで一直線に届くかに思える。


「すごいな、何気なくこんな絵が見られるなんて、やっぱりこちらの文明は相当に深い……」


さらに近づく。それはしっとりと濡れるような質感の青だった。肩口から踊り子の背面全体を覆い、緩やかに足元に流れる青。


ふと、ユーヤの足が止まる。


「この絵……」

「その絵がお気になりますか」


背後の声に振り向けば。


水銀の川が流れるような錯覚。


(銀の髪……)


それは腰にまで届くほどの見事な銀髪の女性。最初に髪に注意が行ったのは、その女性が全身を黒の衣装で包んでいたからだ。

驚くほどに前にせり出した豊かな胸、肉付きの良さを残しながらもぎゅっとくびれた腰。それをメッシュのような粗い目の服で包んでいる。糸目のひとすじも見えぬような神業の縫製。肩から斜めに降りて脇腹に届くラインで布が厚くなっており、それ以外では肌の白さが透けている。高貴な気配を残しながらも女性らしさを前面に出すような仕立て、ユーヤの職能として、彼女は社交を重視する職業だと察する。


「立派なものでしょう。バウンラッドの『冬の祭り』。作家の全盛期の作品です。300年前の巨匠であり、今も広く愛されております」

「300年前……」


この大陸にはかつて大乱期という混迷の時代があり、それが終わったのが120年ほど前。それ以前にももちろん大陸には文明があり、今よりも多くの国があったと聞いている。

ユーヤは一度絵を見返し、そのへんの柱に問いかけるような口調で言う。


「……本物なのかな」

「あら」


その女性は耳にかかった銀髪をそっとかきあげ、絹のようにたおやかに微笑む。その肌は白く、整っているという言葉では形容しきれぬ面立ち。その微笑みだけで千金の価値がありそうな、誰にも脅かされぬ王国のような美貌である。


「もしや、贋作とお考えですか。このサフォン・ホテルがそのようなものを掲げれば、日向を歩けぬ大恥となりましょうに」

「贋作、いや、そこまで明確に思っているわけじゃないけど」


ユーヤは踊り子の衣へと顔を近づけ、その色合いを見る。その青はユーヤのいた世界でも見たことがある。


「……この青。ねえ、その画家……バウンラッドだったかな。その人は王室お抱えの絵師だったとか」

「ふふ、違いますね。いわゆる死後に評価された画家であり、生前は貧乏暮らしを続けていたとわかっております」

「じゃあ、この絵は少しおかしくないか。この青は、ラピスラズリから作られている」

「その通り……」


一瞬。

背中に氷を当てられるような、冷ややかな空気が流れる。

それが目の前の女性から放たれた気配であることは、ユーヤですら見逃しかけるほど一瞬のことだった。


「バウンラッドという画家の実像については、ここ10年ほどでようやく分かってきたのです。大店おおだなのパトロンが何人もいた、という話は後代に作られた偽り。彼の没後、画商の手によって画家の人生そのものが編み直され、いくつかの贋作が作られました。それらは今でもバウンラッドの手になるものとして流通しております。この絵のように」


それはユーヤの知る絵画の歴史。

かつて画家にとって、美しく映える青を生み出すことは大いなる課題であった。

ある時代においては、天然のラピスラズリから作られる顔料が用いられたという。それは極めて高価なものであり、現在でも著名な名画の中にその青を留める。

「海を超える」というその顔料の名は、ウルトラマリン。


「皮肉なことです。より優れた贋作を作ろうとするあまり、バウンラッドが手に入れるすべもなかったラピスラズリの顔料が用いられております。玉井ビジオラもない時代、今よりももっと高価な顔料でした。そして生まれたこの絵、市場に出せば10億ディスケットは下らぬ名画ですが、あと20年もすれば贋作と定められてしまうでしょう。ですが、心配には及びません」

「なぜ?」

「私が、本物を用意して差し上げるからです」


その女性はやはり陶然と微笑み、飼い猫について話すように脱力した声で語る。


「この絵のオリジナル。300年前に描かれた本物は入手しております。私はこのホテルの代理人なのです。贋作と判明する前に、絵を本物に掛けかえるために立ち働いております」

「君は画商なのか……」

「いえ、美術商でございます。絵だけでなく、骨董や宝石、稀覯きこう本なども……。見たところセレノウふうのお召し物のようですが……職人の国と呼ばれるだけの見識とお見受けいたします。お名前を伺っても?」


ユーヤは自分の言ったことなど何でもない、というふうに応じる。


「ユーヤだよ。セレノウのユーヤ」

「ユーヤさま。ですね。私はパルパシアの川底に居を構え、つつましく美を扱います美術商、シジラと申します」


川底に居を構え、というのはこの双子都市ならではのへりくだった表現だろうか、と胸の内で思う。


「……なぜ僕に今の話を? ホテルの内情のことだろうに」

「本物はすでに入手している、と述べましたでしょう? この絵は今夜にも本物に替わります。今の話はほんの一時の戯言、怪しげな美術商の語った絵空事とお考え下さい」


したたかな女性だ、とユーヤは思う。

これはいわば秘密の共有。ユーヤと何かしらの秘密を共有することで、未来の顧客にでもしようというのか。

さらに言えばこの踊り子の絵、贋作という噂は存在していたのだろう。でなければホテル側が彼女に依頼する必要がない。やはり贋作だった、本物に変わったなどという真偽不明な話をしても、何ら問題ないと踏んでいるわけだ。


「……凄いんだな。その若さで何億って名画を扱うなんて」

「はい、幸運に恵まれ、さまざまな方にご贔屓にさせていただいております」


その仕草のすべてに男を骨抜きにするような力がある。ユーヤも少し目を合わせるのが躊躇われて、カウンターのほうに視線を投げる。


「ええっと……まだかな」


その様子にシジラはぽんと手を合わせ、小首を傾けつつ微笑みかける。


「人待ちのご様子ですが、いかがです、私とひとつゲームでも」

「ゲーム?」


シジラはゆるゆると己の指を差し出す。そこにはオレンジに輝く琥珀の指輪と、薄緑色の翡翠の指輪があった。


「この指輪のうち、少なくとも一つは偽物です。未熟であった頃に甘言にほだされ、まんまと騙されてしまったものです。戒めのために身に着けております。では、この二つのうち、本物はいくつあるでしょうか」

「ああ、なるほど、その問題は……」


「ユーヤさまーーーっ!」


その背中に衝撃。誰かが思いきりタックルをかましたのだ。


「のわっ!?」


マトモに正面に倒れかけ、すんでのところで踏みとどまる。


「うきゃーーーっ! ホンモノっスー! 銀写精シルベジアで見たまんまっスー! 会えてカンゲキっスー!」

「だ、誰だ君、って……」


その人物はくるくると回りながら前に出てくる。小柄で手足が細く、絵の中の踊り子とは白鳥とスズメぐらいの優雅さの差。短めの髪がツンと尖って四方八方に飛び出ており、それをさらに灰色のリボンで止めている。といってもまとめるほど髪が長くないので、ハチマキのように額に巻きつけているのだが。


そしてその女性は、間違いなくセレノウのメイド服を着ていた。

若干、他の子と違うのはスカートがキュロットのように細くなっており、袖も半袖になっていることか。さらになぜか指の出た革手袋をしていた。

その革手袋でびしりと敬礼のような動作をして、顔全体で笑いつつ自己紹介する。


「お初にお目にかかりますっスー! わたくしセレノウ本国よりお呼びのかかり、早馬で駆けつけましたカル・フォウと申しますっスー! エイルマイル第二王女よりの直々のご指名とあって心躍ってますっスー!! モットーは毎日がパラダイスっスー!」

「なんか凄いのが出てきた……(き、君が本国から来たメイドか、よろしく)」


あまりの驚きに発言と思考が逆転しつつ、ともかくも握手の意を示そうと手を伸ばす。カル・フォウはその手を両手で握ってぶんぶん上下に振りまくる。


「ふふ、それでは私はこの辺で、いつかあなたのお屋敷に、美を添えるお手伝いができますよう」


シジラのほうは新たに現れたメイドに毒気を抜かれたのかも知れぬが、そのような素振りはまったく見せずにその場を離れんとする。


「あ、ちょっと君」


ユーヤがその背に呼びかけ、シジラもつと足を止める。


「本物は一つ、翡翠のほうが・・・・・・本物・・、そうだろ?」

「……ふふ、実になまめかしいお答えですね、セレノウのユーヤさま……」


シジラは揺らめく影のように、正門から外へと出ていく。あの影のような女性は陽の光に触れれば溶け消えるのではないか、そんなとりとめもない想像が浮かぶ。


「不倫だったっスか?」

「そういう冗談は二度と言わないように」


ともかくカル・フォウの手を引き離す。


「でもなんか意味深だったっス、偽物がどうとか」

「ちょっとした確率論の話だよ。あとはまあ、あの指輪も商売の道具だろうし、翡翠が本物だろうなと」

「まあそんなことどうでもいいっス、お届け物っス」

「君すっごくいい性格してるな」


カル・フォウの取り出すのは革張りの衣装ケース。それに深い藍色の妖精である。


藍映精インディジニア……誰かからのメッセージ?」

「はい、メイド長のドレーシャ様と副長のリトフェット様からっス。パルパシアでの正装をお届けにまいったっス」


ケースを開ければ一揃いの夜会服にドレスシャツが数着、それに靴やベルトや懐中時計。ほか小物がいろいろ入っている。


「今回は時間があったとのことで、靴も時計も凝りまくったらしいっス」

「時間あったとも思えないけど……ハイアードキールを発ってまだ4日だぞ。それに君が駆けつける時間も必要だし」

「うちのメイド長ちょっとおかしいっス」

「それ今度会った時に伝えるぞ」

「あはははは」


何の意味もないような笑いを一つ。


そしてロビーの片隅とはいえ、そのメイドはいきなり妖精の背を押す。


濃藍色の妖精の、額の第三の目が開かれた。



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