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第二十七話 +コラムその11



シジラはすいと身を引き、数歩下がってカヌディに並ぶ。


「制限時間は設けません。数時間かけても構いませんよ、この場に時間の流れは無意味です」

「分かった」


ユーヤは絵に意識が向いているようだった。まずは二列縦隊の最初、鐘楼の絵に向き合う。


「額装を外してもいいか」

「当然のことです、しかし、心配には及びません」


二つの絵は同じような紫檀の額に収まっていたが、それはよく見れば絵に密着していなかった。数リズルミーキほど絵から離れ、不可思議な磁力のようなもので浮いている。


「カンバスの側面も自由に見ることができます。しかし、常識的に考えて絵を傷つけて調べることは禁止としましょう」

「……了解した」


状況を見守るしかなかったカヌディは、胸の前でぎゅっとこぶしを絞る。


「ユーヤ様……」

「さあ、我々はもはや口出し無用です。あなたもこちらへ」


シジラはこの空間に奇妙な順応を見せていた。それは彼女の柔軟さと言うより、数多くのことを彼女に理解させた妖精の仕業とみるべきか。


少し離れた場所に白木の丸テーブルと椅子が出現しており、ガラスのコップには黄色い液体が注がれている。


「甘い匂い……これは」


持ってみて驚く、異様に重い。


「……蜂蜜のようですね。妖精のもてなしのつもりでしょうか」


その冗談のような物体に、カヌディは空恐ろしさを覚える。

周囲で微笑みながら浮いている妖精も、ユーヤとシジラのために用意された戦いの舞台も、人間たちのために尽くしているとか、人間たちを歓迎しているという気がしない。

より正確に言えば妖精が何を考えているのか分からない。笑っているように見えるが好意的な気配はなく、遠巻きに眺めるだけだが嘲るような気配もない。

虫や植物と話が通じないように、ただひたすらの断絶。


あるいは妖精には、人間こそが虫や花に見えるのか。


カヌディは、ともかくもユーヤへと視線を送る。


「ゆ、ユーヤ様、ここまで来た以上は、どうか迷いなき選択を……」

「……あのユーヤという異世界人、絵画の専門知識はあるのでしょうか」


特に打ち解けているわけでもないが、この茫漠たる世界に人間が三人だけという構図からか、ごく自然に会話を交わすこともできる。


「い、いえ、そのような話は伺っておりません。この世界に来る前は、クイズ王であり、クイズ番組を運営する側であった、とだけ……」

「……そうですか」


シジラの直感で言えば、無謀というほかない。

しかし、この黒衣の画商は冷静に今の状況を見つめ、つと言葉をこぼす。


「この戦い……思ったほどあの異世界人に不利ではありません」

「そう……なのですか?」

「絵画の世界では贋作は常について回る話です。時として専門家ですら匙を投げる。しかし、今回は最もやりやすい事例と言えるでしょう」

「やりやすい……」

「そうです。それというのも、二枚あるうちの一つが本物だと最初から分かっているからです。通常、贋作鑑定とは新たに発見された一枚だけを鑑定しますからね」

「な、なるほど……」


精工な贋作が世間を騒がせたという話はいくつも転がっている。しかしそれは、誰もそれが贋作だと気づかなかったという話であり、贋作と真作を並べて見比べたという事例はあまり聞かない。


「さらに言うなら、五枚の贋作をすべて同じ人間が描いたこと、ほぼすべての作業を一人で行った贋作であること、それもまた重要なヒントになります」

「ひ、一人で描いた、ですか?」

「そうです……多くの場合、名のある巨匠は己の工房を持っていました。最初から最後まで全て同じ人間が描く絵というものはさほど多くない。風景部分などは弟子に任せることも多かった。そこには僅かなタッチの違いが見られます」


(……この形式、贋作鑑定としては通常あり得ないほど鑑定側に有利、あるいはここまで読んでのこと……?)


シジラは頭を振る。あのユーヤという異世界人の振り切った様子、とても演技とは思えない。あの場で妖精の介入まで読めるはずもない。

どこまで演技でどこまでが本気なのか、おそらく彼自身にも分かっていないだろう。


(……確かに、魔女のウィッチ騙し絵クラフトといえど人間の手になるもの、顕微鏡レベルでまったく同じ、ということはありえない)


(だが、だとしても素人がこの五つの課題を戦い抜けるか……)


そしてユーヤへと視点を向ければ。

彼は絵の前にひざまずき、丹念に端から観察していた。


(……違いはある)


使われている顔料は油絵の具のようだ。眼を近づければ、ごくわずかな違いは分かる。それは筆の先端が、顔料の分子が生み出す偶然の妙。そこは人間の踏み込める領域ではない。


(……通常、模写においては三つの段階があると言われる。それが「忠実のコピー」「自由のコピー」「自在のコピー」だ)


ある絵を模写しようと思ったとき、最初に至るのが「忠実」の段階。これは外見だけを近づけようとするため、筆使いや色使いに窮屈さが生まれる。


その次が「自由」の段階。作者の意図を読み取り、同じ要素を描くことができる。

しかし外見的には異なった絵となる。エッセンスのみを再現するためである。


そして最後が「自在」の段階。これは絵が構成される要素を完全に理解している。元絵を寸分違わず再現し、さらに製作者の魂を憑依させるように同じ要素を描き出すことができる。このような贋作こそが広く人々を欺き、専門家をすら迷いの沼に引き込むとされる。


(だが、シジラの言葉によれば、これを描いた人物は巨匠への尊敬があったという。ならばこれは「自由」のコピーのはず……)


この空間には全方向から光が届いており、およそ影というものがない。ユーヤは絵に眼球が触れるほどまじまじと見ていく。



――始まりはTでした。



「……」



――私たちは皆、Tの申し子なんです。



(そうだよ……僕たちはみな、天才になりたかった)


(もっと優秀に、何でもできる人間になりたかった。そうすれば、この世の憂いから開放されるだろうと……)


思い出す、あまりにもまばゆき王の名を。


かつてクイズ黄金時代、天才の名をほしいままにした王がいた。


その王こそはT、クイズにおいて発想力、思考力が問われる番組の王であり、十数年に渡ってその番組の頂点に君臨し続けた王。かつて仕事上のパートナーが憧れていた存在。


(そう……彼女はTに近づこうとした。すなわち、天才へと近づく道程を見出そうと……)


あらゆることを瞬時に見抜き、誰も思いもつかぬ角度からの連想を可能にする「天才」という存在。

あるいは、技術の力で天才に近づけるなら。


生まれてから今まで築いてきた知識を総動員できるなら、あらゆる連想が自在にできるなら。

きっと、人生のどんな課題であろうと、解決できる。


(それはまさに、人間の枠を超えるということ……)


(技術によって、蓄えた知識のすべてを動員し、思考力をフルに引き出そうとする試み……)


確かに絵画の本をいくらか読んだことはある。美術評論家の本、オークション会社の本、テレビで見聞きした絵画の話、鑑定の話。



――人間が生まれてから死ぬまでに積み重ねる知識の量は、さほど差がないのかも知れません


――問題は、それをどのぐらい活用できるかです



彼女はそう言っていた。

きっと天才ならば、ごく当たり前の人生を送っていても、その中で培った知識だけを動員して、いかなる課題をも解決する。

その境地に、近づけるならば――。


「第一問、『アーギハイバムの鐘楼』」


ユーヤが顔の前に手を挙げ、短剣を投げるように右手側を示す。


「右が真作だ」


瞬間。

示された絵が真紅に染まる。落日の赤より鮮やかで、血の赤よりも濃密な、名状しがたい赤に。


「見事です……なぜ分かったのか伺っても?」

ひび割れクラックだ」


赤く染まった絵の、鐘楼部分を指差す。


「油彩画は時間を置くと表面がひび割れてくることがある。右の絵にはひび割れに不自然な途切れが見えた。おそらくは絵の制作された時より後の年代、修復を受けた跡だ。贋作に修復があるはずがない。だから修復を受けている方が真作だ」

「ふ……その通り、『アーギハイバムの鐘楼』は一度、大規模な修復が行われています。修復家は時間経過に伴うひび割れクラックを再現してみせた。その仕事によく気づいたものです」


現実的には、それだけの根拠でそれが真作だと確定するわけではない。どちらが真作かを問う、というクイズ形式ならではの回答と言える。


ですが、と、シジラはゆっくりと足を組んで言う。


「それは世界的名画ですから設問に入れたまでのこと。残り四つはまさに難攻不落。この眼に赤く見えていなければ、私ですらどちらが本物かの断言は難しい。さあ、次の絵に取り掛かりなさい」

「望むところ……」


鎖が引き上げられ、鐘楼の絵は天の高みへと消えていく。

そしてまた、双子のごとき絵が。











コラムその11 大河ゴーフシーニーと双子都市




パルパシア双兎国上級メイド クタマチスのコメント

「こんにちは、双王の側仕えをさせていただいておりますクタマチスと申します。ここでは双子都市ティアフル&ファニフルの中央を流れる大河、ゴーフシーニーについて解説させていただきます」


セレノウ胡蝶国上級メイド カル・フォウのコメント

「本当に変わった街っス、見た目は割れた肉まんみたいっス」




・大河ゴーフシーニーとは

クタマチス「大河ゴーフシーニーはフォゾスを流れる大河マーグミールと並び、大陸で最大級の流路距離、および流域面積を持つ河です。峻厳なるコーラムガルフ山系より流れ出し、パルパシアを斜めに横断しています。実は双子都市を流れているのは人工的に作られた支流です」


カル「ゴーフシーニーというのは古い言葉で「押し寄せる泥」という意味っス。かつてはよく氾濫する河で、でもこの氾濫が何千年も続いたことで、パルパシア全土が肥沃な土地になったと言われてるっス」


クタマチス「双子都市を流れる支流は深さが7メーキほどあり、魚もたくさん住んでおります。双子都市の生活を支える河ですね。ちなみに河にゴミを捨てることは厳しく禁じられています」


カル「破るとどうなるっス?」


クタマチス「古い法律だと家を解体されて、捨てた人間ごと河に放り込まれたとか」


カル「……???」





・生活用水と上下水道

クタマチス「パルパシアでの生活用水はゴーフシーニーより採水されております。それらは早朝のうちに、必要な分だけを各層に送られるのです」


カル「どうやって運ぶっス?」


クタマチス「翅嶽黒精ネグナティアを用います。巨大な金属製のタンクに水を詰め、妖精の力で重量を減らして気球で運ぶのです。一度の運搬で7メーキ立方の水を運べますが、双子都市の人口を支えるには一日に何十往復もしなければいけません」


カル「でも翅嶽黒精ネグナティアは五年ぐらいで妖精の世界に還るっス、タンクがバシャーンと落ちないっスか?」


クタマチス「そういうのを見た場合、見た人は拍手することになってます」


カル「……いや別にオッケーな感じになってないっス」



・観光の街と芸術の街

クタマチス「双子都市は世界最大の歓楽街であると同時に、エンターテイメントの街でもあります。ダンサーや音楽家、奇術師や格闘家までもが集まって、毎日数多くの興行が行われているのです。また芸術の街という側面も持ちます。あらゆる快楽を追求する街なのです」


カル「いかがわしいお店も多いけど、それ以上に楽しめる街っス。一度は行ってみるべきっス」


クタマチス「まあ住むとしたら第五層までがいいです、第六層は超高級住宅街ですが、住むのはオススメしません」


カル「なるほど、きっと家賃がメチャ高いとか……」


クタマチス「双王が夕飯時に乗り込んできたりするので」


カル「…………」



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