第二十四話
双王は、ユーヤの言葉に少し顔を見合わせる。
だがそれは何かの葛藤というよりは、もっとシンプルな困惑、そしてユーヤという人間との何か隔絶したものを感じる顔であった。
双王はじっとユーヤを見据え、それから野良犬の頭を撫でるように、慎重に口を開く。
「ユーヤよ……」
その眼は多少なりと憐れみのようなものも混ざっていた。いかにクイズが広く愛され、クイズが政治的な意味すら持ちうる時代とは言え、これほど頭の芯までクイズに染まった人間というのが度しがたかったのだろう。
双王は、それはこの傲岸不遜な二人としては珍しいことだったが、言葉を選びつつ言う。
「かの妖精王祭儀でのクイズ大会において、ガナシアどのが自ら負けを認めたことがあったな」
「勝負の展開において、不誠実とも取れるハプニングがあったからじゃと……。それはそれなりに騎士道精神あふれる行いと言えよう」
「だが」
その二音に重みを乗せて言う。
「あまりにも事情が違う。かのハイアードの王子は、少なくとも表面上は正面から勝負を受けておった」
「我らは違う。男どもに押さえつけられ、半ば強制的に樹霊王の儀に挑まされておる」
「それに、王位がどうのという話は書類の上だけとしても、妖精の鏡がかかっておる。あれをみだりに使われる事態は避けねばならぬ」
「我らのプライドと、国の危難を天秤にかけることなどできぬのだ。打開する手段があるなら使う」
「これは卑怯であるとか、クイズとの向き合いかたという話とはまったく別次元じゃと考える」
周囲で目配せが飛び交う。
それは何もかももっともであり、ユーヤを除く場の全員が同調するような気配を放つ。
ユーヤはというと寝台の上で膝を抱えるような姿勢となり、盛り上がったシーツの上に拳を置いて言う。
「……パルパシアの鏡の効果、おそらくは、死者を蘇らせるものではないか、と思う」
「何じゃと……!?」
「パルパシアの王族が唯一、求めるとすればそれだろう。なぜパルパシアには鏡が使われた記録がなく、効果が忘れ去られてしまったのか。それは、あるいは王族以外の誰も、使ったことに気づけなかったとしたら。もっと言うなら、パルパシアは王位継承が異常に早いと聞いている。そして世襲を成した王は隠居してしまうと。そこにも何かしら鏡の影響がないとも言えない」
「ううむ……」
さすがに、そのような提案は半信半疑と受け止められていたが。何人かは連想もしていた。
その効果であれば、シジラが執拗に鏡を狙うことも、自分自身で鏡を使おうとする理由も説明できる、と。
「もしその効果だとしたら、僕は、どうしたらいいのか分からない」
それはユーヤの生まれた国や、彼の属していた民族ならではの感傷か、あるいは彼自身の気質ゆえか。
「使いたいのなら使わせればいい、そうとも思えてしまう。双王は、これをどう……」
「冗談ではない!」
そう声を上げるのはコゥナである。メイドたちを押しのけて前へ出る。鳥の羽飾りを頭につけており、放物線を描いて背中に流れるその羽根が、床に円を描いて揺れる。
「それは摂理に反している! 人の生死は人間の踏み込んでいい領域ではない! それに、人は死すればより高位なる魂となり、子孫を見守るとされている! 敬うべき神であり、生きるものの都合で呼び戻してよいものではないのだ!」
「うむ、我らも同感じゃ」
双王も扇子を口元に当て、同意を見せる。
「パルパシアの王族はすべて双子。過去において、その片割れを生き返らせた可能性がないとは言わぬ。我らとて片割れが死したる時にはどれほど嘆き悲しむか知れぬ」
「だが、だからと言って生き返らせることが正しいとは思わぬ。それに、そんな効果が世に知れればどうなる。国家を転覆させてでも鏡を求めようとする輩が生まれかねん」
「現に今、まさにそうなっておる」
「妖精の鏡は宝物庫の奥深く、王族ですら容易に手が出せぬ場所に封印するべきじゃ」
ユーヤは。
その顔から血の気が失せているように見えた。悲しみとも諦めともつかない、砂のような顔をしている。
だが、その眼だけには光が生まれたように見えた。双王を見上げる顔にはわずかに安堵のようなものが浮かび、数年ぶりに息をするかのように肺の空気を吐き出す。
「そうだね、その通りだ」
ユーヤは無駄話はそこまでだという風情で顔を振って、双王を見る。
「分かった、僕の知っている技術を伝える。ただこの技術は双王だけに話したい。他のみんなは一旦出てくれ」
「む、分かったぞ。ほらお前たち、外へ出ぬか」
コゥナが皆の背を押して部屋を出ていく。
(……ユーヤ様)
気弱そうな薄紫リボンのメイド。カヌディは外に出るとくるりと反転し、入り口を見張るように立ち尽くした。そこは王宮の客間であり、気密性の高いドアの前では中の音はまったく聞こえない。
高い位置で腕を組んだコゥナが、さらに2メーキほど離れて立つ。
「ユーヤも頭の固いやつだ。事情が事情ということもあろうに」
「はい……」
カヌディは、少し考えるように目を伏せる。
クイズを愛するが故に、不正が許せない。できれば使いたくはない。それは分かる。
だが今の一場面は、それとも少し違うような気がした。
「ユーヤ様は、安心してたような気がします」
「安心?」
「何と言えばいいのでしょう……。私たちと意見が違うことに安心していた。コゥナ様や双王様が、自分に反対してくれたことに安堵したような、そんな感じがするのです」
「ふむ、つまりあれか、双王が正しい道を選んでくれてよかったという。あるいは、双王にきちんと決意してほしかった、という事か」
「そう……ですね」
相槌は打ったものの、それもまた違う気がする。
カヌディにも、あるいはユーヤ自身にも複雑すぎて理解し得ない感情。
(あえて、言うなら……)
それは繊細で、あの偏屈な異世界人に深い同情を見せていたカヌディですら、その瞬間にわずかに近づけただけの答えであった。
(ユーヤ様は、自分の意見が間違っていることに安心していた)
(ユーヤ様は、もしかして、自分自身の価値観すらも信じていない、のでは……)
そのような考えはほんの1、2分のこと。
扉が開き、双王が出てくる。
「あ、双王様……もうよろしいのですか」
「うむ……、それほど複雑なことではなかったからの」
双王は、ユーヤと話をした人間がしばしば見せるような、半信半疑の顔であった。
それはそうだろうとカヌディは思う。一流クイズにおいて、誰しもが理解できるような不正があるとは思えない。きっと自分などには理解の及ばぬ、魔法のような御技なのだろうと察する。
「では、私はユーヤ様のそばに」
「うむ、ついててやるが良い」
双王はぱちりと扇子を閉じて、一言だけ言いおいて去っていった。
「また倒れてしもうたからの……」
※
「……始まりはTでした」
過日。
混濁したアパートの一室。東京とは思えぬほどにうらぶれた部屋。一つの炬燵が部屋の重心。山のように積み上げられた本と新聞。
「私たちはみな、Tのような天才に近づこうと努力しました。その結果、世はTの亜流で溢れてしまった。本物か偽物か、もはや誰にも分からないんです……」
炬燵の上には小皿が並んでいる。あるいはワイングラス、タンブラー、数多くのCDやVHSテープも。
そこにいたのはセーラー服の少女。彼女を象徴するかのような黒一色の姿。
彼女は目隠しをしている。全身から気だるげな気配を放ち、泡を吐くように言葉を放つ。
「……こんな話を知っていますか。ある時代、受験において知識ではなく発想力や柔軟な思考を問う傾向がありました。パズルのような愉快な問題。深い思索がなければ解けない問題。勉強量の多寡ではなく、その学生がどれだけ豊かな人生を送ってきたかを知ることができると思われた……」
「……」
「その結果、何が起きたと思いますか……」
「……さあ、何かな」
向かい合うのは七沼遊也。彼は細い箸で貝類をつまみ、それをセーラー服の少女、棚黒葛の口元に運ぶ。
少女は唇に触れたそれをゆっくりと捕まえ、いとおしむように舌先で弄んだあと、奥歯でかるく噛みしめる。
「私塾において、そのような問題を網羅的に教えるようになったんです。あらゆる出題パターンと、その応用を教えてしまえばどんな問題にも対応できると。受験用の参考書も数多く生まれ、試験対策のマニュアル化が進みました……」
七沼は何も答えない。しかし無意識の反応が目の動きに現れている。棚黒葛は黒い目隠しの奥から、七沼の様子を見通すように笑ってみせる。
「それはつまり、塾に通えないようなご家庭は合格の可能性がうんと低くなる、ということを意味します。しかしそれは学校側に都合が良かったと思いませんか。期せずして裕福な家庭を選別することができる……」
「何が言いたいんだ」
ふ、と息を漏らすような笑い。
いつからだろうか、と七沼は思う。いつから彼女の情愛は、自分へのサディズムに変わったのかと。
「天才は量産されるんですよ、七沼さん……」
「……」
「イレギュラーな本物なんて、誰も求めていないんです。あらゆる天才性というものは技術で制御されればいい。私にも、こうしてあの女と同じことができている……」
ぷ、と噛みしだいた貝を吐き出す。
「こちらが二級品、正解はAです……」
「……正解だ」
もう何問目か、七沼も数えきれてはいない。
だが、用意した課題をすべて使い果たすまで、そう遠くない事だけは分かる。
「君は誤解している……。何度も言ってるように、あの人は僕と恋愛関係なんかではない。大物芸能人なんだぞ、常識で考えてくれ」
「でも、私のことは見てくれない……」
「分かってくれ……年が離れすぎてるし、君のことはクイズ王として興味があっただけなんだ」
「それほど離れてるとも、思えませんよ……」
迂闊だったのか、と思う。
「七沼さんは異常者ですからね……。自分で、自分のことが見えてないんですよ……」
それは認めざるを得なかった。
いくら興味を持ったからといって、家出した少女を家に受け入れ、予備校に通わせる。それはマトモな事ではない。
だが、彼女には恋愛感情は持てなかった。彼女の考え方と相容れなかった事もあるし、こうして嗜虐的な行為に及んでいることもある。
最初から、何かが噛み合っていなかったのか。そんな風にも思った。
「次の問題を。どうぞ……」
「……次は紅茶だ。一つは最高級のダージリン、もう一つは同じダージリンだが最も等級の低いものだ」
「そろそろ、最後の問題ですか……」
七沼は己の背後を見る。
「そうだな、そろそろだ」
「約束ですよ……、全問正解したら、私の望みを……」
「ああ、覚えてるよ、何でも言うことを聞く」
「それなら……」
また、口の端を歪めて笑う。
これ以上ないほどサディズムに満ちた笑い。首を絞める時のような、という奇妙な形容が浮かぶ。
「死んで、と言ったら、死んでくれますか……」
「……ああ、死んであげるよ」
どうせこの世に。
未練など。
七沼もまた嗜虐的な気分になっていた。
もし本当に、技術で天才と並べるなら。
クイズ王とそうでない人間の差が無くなるなら。
己の生きる指針は無いも同然、そのように思う。
くす、と笑ったのは、果たしてどちらだったのか。
「この世界には、クイズ王はいなかった、それだけのことさ……」




