第十七話
シジラは、ありのままに表現するなら「なんと物分かりの悪い双子だ」という眼をもはや隠しきれなくなっていた。蔑むような嘲るような、あるいは攻撃性を持った眼で言う。
「パルパシアに、後顧の憂いをもたらすこととなりましょう」
「それはどうかのう。鏡を濫用したハイアードがどうなったか知っておるじゃろう」
「鏡をみだりに使えば世は乱れる。謀らずもあの国が教訓となってくれたわ」
「もし、鏡の効果とやらが本当にまばゆき物であったなら」
「それこそが憂いというもの。鏡を使うという選択肢、いざとなれば鏡があるという慢心、それこそが災いを生む」
「鏡のことなど忘れてしまえば良い、それでパルパシアは平穏無事に、愉快に楽しくやってきたのじゃからの」
そして二つの扇子が、黒衣の美女へと向けられる。
「シジラよ、お前を拘束する」
「お前の行いは到底見過ごせぬ。あの王子が何をやっていたのか、お前がどのように働いたのかも聞きたいしのう」
「……」
複数の入場口から、腰にサーベルを下げた男たちが集まってくる。
そして、ユーヤは。
「…………」
ユーヤは、気配を消してただじっと考えていた。その周囲から音も気配も遠ざかり、まだ続いている妖精たちの宴に隠れた稀薄な存在となる。
「さあ、引っ捕らえよ」
だが。
じゃき、と突き出されるサーベルが、蒼と翠、双王の頚の周りでクロスする。
「何……」
同様のことはユーヤにも起きていた。だが何も反応を示さないこの堅物を、騎士たちは多少、けげんな眼で見る。
やや離れた場所では、待機していたメイドたちの声もする。
「うわ、急に何っスか!」
「ど、どういうこと、ですか……」
「双王さま、あなた方が悪いのですよ。あまりにも、笑ってしまうほどに物分かりがお悪いから……」
シジラはくすくすと、過分に演技を乗せて笑う。
「私を追い詰めていたつもりでしょうが、実はその逆、あなた方は猫のねぐらに忍び込んだネズミに過ぎないのです」
双王の動きを制しているサーベルは見事に研ぎ澄まされており、冷気すら感じる鋭利さがある。とても強引に押しのけることはできない。
「馬鹿な……カリュケル、バクジオー、レノアゼ、なぜじゃ、まさかお前らが裏切るなど」
「あり得ぬ。こやつらはパルパシア王家に何代も使えておる忠臣ばかり、二君に仕えるなどあるはずがない」
「偽物だ」
ユーヤが声を張る。
その場の全員が、まるで今、その場にユーヤが現れたように視線を引き付けられる。
だがそれは一言だけだった。ユーヤはまだじっと何かを考えている。今の発言は、さながら「静かに」とほぼ同義の声だった。
双王とシジラはまた視線をぶつけ合う。
「偽物……まさか、そんなことが」
「いや、そういえばこやつら、どこか……」
「私は浅ましき美術商、さまざまな贋作を扱って参りました。モノに偽物があるなら、ヒトにないと誰に言えましょう」
「まさか、仮に用意できるとしても、時間などほとんど無いはず……」
(そうだ、時間はない)
ユーヤは沈黙したまま思考する。
(おそらくナディラの街を歩く中で入れ替わった。双王の偽物も用意されているだろう。護衛たちにしばらく待つように言いつけて、丸ごと入れ替わる)
(簡単なことではない。偽物の精度はもちろん、この街の地形を調べつくし、綿密な計画を立てなければいけない。リハーサルを含めて数週間はかかる)
(ハイアードキールの一件が終わってから準備して間に合うことじゃない。おそらく、もっと以前からの計画)
かつてハイアードの王子は、大陸に散らばる妖精の鏡をすべて集めようとした。
ハイアードが集めた鏡は自国のものを含めて4つ。無事だったのはセレノウ、パルパシア、そして存在の有無すら不明だったヤオガミの鏡である。
(つまりこの計画は、ハイアードの王子が遺した忘れ形見か)
あの八面六臂の怪物。
その存在が世界から消えても、意思を受け継ぐ人間が、あるいは立てた計画だけが生きていたのか、そのように思考する。
(一つだけ)
ユーヤの眼に暗い光が宿る。微動だにせぬまま、腹の中で刃を研ぐような気配が。
(一つだけ、確認しなければ……)
「ぐっ!」
「おのれ、貴様ら!」
はっと顔を上げる。双王が騎士に扮した男たちに押さえつけられ、床に這わされていた。
「はっ! 鏡なら手に入らんぞ、さすがにこの場に持ってくるわけがなかろう!」
「鏡は王宮にある! いくら偽物を用意したとて、王宮の宝物庫にある鏡を持ち出せるものか!」
「それより身の安全を考えるがよい! どうやって我らと護衛を引き剥がしたか知らぬが、こんなことはすぐに露見する! ナディラの奥路地といえど、必ず見つかるぞ!」
双王は強がるが、ユーヤにはその言葉に色がついているように思えた。
急に饒舌になって、ぺらぺらと言いつのる様はあまりに不自然。
その色とはつまり、真っ赤な嘘の色。
「シジラさま」
と、騎士に扮した男がやってきて、黒革のケースを渡す。
「ぐうっ……!」
双王のうめきを聞いて、ユーヤは爪を噛む。だが頭は冷静に、まだ思考を続けていた。
黒革のケースから取り出されたのは、果たして、六角形の板である。
この世のものとは思えぬ輝き、揺らめくようなぼやけるような、雲の奥にある極彩色の王国を見るような眺め。
「美しいものですね……。あの王子に見せていただいたものと同じ輝き、間違いなくこれが妖精の鏡」
「なぜ持ってきたんだ……双王」
「す、すまぬユーヤ、もしかして必要になるかも知れぬと」
「事が終われば封印する予定じゃったんじゃ、ホントに……」
「……」
ハイアードの王子は人の世の縁すら操る。
彼が立てた計画なら、双王に鏡を肌身離さず持ち歩かせるような伏線は打っていたと見るべきだろう。王宮の宝物庫とて、絶対に安全とは言い難い。
「さあ、双王さま、これを」
ぱさり、と床に置かれるのは一枚の紙、金泥で装飾された見事なもので、双王の名を署名する欄がある。
「一時的に、あちらの娘に王権を預ける証書です。心配せずとも、こんな紙一枚で本当に玉座を失うわけがない、そこには偽りはありません」
「はっ、誰がそんなものに」
が、と目の前に短剣が突き立つ。
「何なら、血判でも構いません」
「う、ぐ……」
「書くんだ、双王」
ユーヤがまた、海の底から浮上するように唐突に発言する。
「じゃ、じゃがユーヤよ」
「命あっての物種だ、人生を楽しむことが何より大切、それがパルパシアの信条だろう?」
「う……」
数秒とも、数分とも思える葛藤の末、双王はペンを取る。
床に這わされた格好のまま、憎しみを込めるようにがりがりとペンを走らせた。
「これでよかろう!」
「確かに……さあ、こちらへ」
それは薄灰色のロングドレスの娘に言った言葉である。この娘は果たしてどこまで事情を知っているのか、顔にうっすらと汗をかきつつ、緊張の面持ちで歩み寄る。
「かの王子より伝え聞くところでは、条件を満たすものが鏡にその血を一滴落とし、手のひらをあてて祈るとき、鏡が金色に輝くと聞きます、さあ」
ナイフの先端が、娘の指先を裂く。
ユーヤはその瞬間だけ、苦々しげにそちらを見た。
そして娘が手のひらをあて、一心に祈るように眼を閉じる。
そのまま、長くの沈黙。
数十秒ほどもそうしていただろうか。娘ははっと眼を開く。
「やはりな」
発言するのはユーヤである。シジラはそちらを睨み付ける。
薄灰色のドレスの娘は、男の一人に連れられて退出した。
「……これでは無理だ、と存じていたのですか」
「当たり前だろう。ハイアードの王子から聞いていなかったのか。かの国が鏡を濫用するにあたって、どれほど人道にもとる行為をしたか。紙切れ一枚で条件が満たせるなら、誰だってそちらを選ぶ」
双王は押さえつけられたまま、強引に身を揺すって笑う。
「ふ、ふふ、残念じゃったのう」
「さあ次はどうする、我らを使うとでも言うのか」
「さすがにそこまですれば後戻りはできんぞ、この場の全員、死罪から逃れるすべはない」
「よろしいでしょう」
ぱさ、と再度、置かれるのはまた証書のたぐいである。そしてペンも置かれる。
「無駄なことじゃ、どんな文面であろうと」
「よくお読みなさい」
言われて双王は、眼をすがめつつ文章を追う。さほど長くはない文面であったが、二人はほぼ同時に声を上げた。
「樹霊祭の儀、じゃと……!?」
「その通り、お二人にはあれを受けていただきます。これは国民の前で儀式を行うという証書。これに署名した以上。儀式を放棄することも失敗と見なされる」
「馬鹿な……! あんなものとっくの昔に形骸化しておる! 何の意味があるというんじゃ!」
「あなた方は、まだ正式には王位を継いでいない」
はっと、二人が眼を見張る。
「儀式に失敗すれば、王位継承は一年間延びることになる。しかし前王と王妃は正式に引退している。するとパルパシアの国法において、玉座は空位となり、王の実子の中で年長者が第一王位継承権者と見なされる」
「まさか、パルパシアでは正室の子が優先されるはず……」
「それは大乱期の後の時代の話。かつて王の子息に本腹と妾腹の差は無かった。樹霊祭の儀が行われなくなり、関連法も忘れ去られて久しいけれど、この法だけは残っている、間違いなく」
「お、おぬし……まさかそこまでの準備を」
「まさか、妖精の鏡に選ばれることで、この国の王位を得ようとでも……」
(それは違う)
ユーヤは思う。
(鏡のことは王家ですらほとんど知られていないはず。それに誰の眼にも強引なやり方、法が認めたとしても通るはずがない)
(では、シジラの本当の目的とは何だ)
(自分が王位を継いで、鏡を使うことが目的なのか、なぜそんなことを)
「さあ、署名を」
「ぐ……」
双王は、混乱と憤りがないまぜになったまま、ともかくも己の名を刻んだ。
「確かに頂戴しました、では儀式の準備が整うまで一両日はかかりましょう。その間、こちらの殿方の身柄はお預かりします」
「ゆ、ユーヤさま!」
「ダメっス! 人質なら自分たちが!」
ユーヤはメイドたちに向けて手を突き出す。
「大丈夫だ。君たちは双王と一緒にいてくれ」
「う、う……」
「シジラよ、そのユーヤはセレノウより預かった客人、爪の先ほどの傷でもつけてみよ。おぬしの腕を根本から引き抜いてくれる」
「ふ、恐ろしいことですね……。さあ、双王をお連れしなさい、私たちも移動いたしましょう」
そして、数人の騎士風の男を除いて全員が出ていき。
極彩色の舞台が続いていた妖精劇も、ろうそくの火が弱まるように光を失いつつあった。
(さて、と……)
ユーヤは考えを打ちきり、状況を確認するかのように軽く左右を見る。
(できることは多くはない、せめて一つだけ、確認しておかないとな)
「さあ、セレノウのユーヤさま。しばし、その身をお預かりいたします」
「……ダメだな」
ぽつねんとこぼす言葉に、シジラは小首をかしげる。
「ダメ、とは?」
「君はまるでダメだ。交渉も下手なら感情も隠しきれない、王子の遺した計画の尻馬に乗ってうまくやったと思っているだろうが、こんなことを最後までやり通せると本気で思っているのか」
「……」
シジラの顔から表情が消える。
だがそれは、こいつの挑発などに乗ってやるものか、という意思がありありと見えた、すねた子供のような顔であった。
「あの王子を慕うのはいいが、もう諦めたらどうだ。彼はこの世から消えて、ハイアードの野望もついえた。その遺志を継ぐことに何の意味がある。あんな日陰の草のような、なよなよとした男にそこまで義理立てする意味はないだろう。彼にとって、君が特別な女だった訳でもない、そのぐらいは分かりそうなものだ」
「……そこのあなた、短剣をお貸しなさい」
シジラはそれを渡されると、つかつかと歩いてユーヤの背後に回る。
ユーヤは、少しだけ意外そうな様子で眼を見開いた。
(……あの王子への思慕の念からの行動かと思ったが、どうやら違うな。これは単に、僕に侮られたことへの怒りか)
そして後頭部に強烈な一撃、短剣の束頭で一撃されて、意識がガラスのように割れんとする。
最後の一瞬に思ったことは、割に素直な反省であった。
(いくつになっても、女心は分からない、な……)