第十四話
「……な」
ユギ王女『骨筆』
ユーヤ『ユゼ王女の骨筆』
司会者は二つの答えを見て、イベントスタッフの方に首を向ける。
「ええっと? あれ、これってどういう扱い……」
「な……なぜじゃ!」
声高に叫ぶ。それはユギ王女の声。
「なぜこれがユゼの骨筆だと分かった!?」
「やはりそうか」
ユーヤは指をカギ型に曲げ、架空の玉子を掴むような動きをする。
「主となる素材は獣の牙だとは思った。無数の素材を触った経験があるからだ。埋め込まれているのは貴金属か宝石、ならば高貴な人間の私物だと予測がつく」
「そうではない! なぜユゼのものと分かったかじゃ!」
「……色だ」
双王はその場に傾斜が生まれたかのように、片足だけを引く。
「な……何じゃと!?」
「双王を象徴する色だろう。蒼と翠だ。人間の指にはあらゆる感覚器が備わっている。圧力、痛覚、冷たさ、熱さ、ならば色覚が無いと誰に言えるだろう。これは決してオカルトではない。そのように主張する人はたくさんいる。人間は訓練によって、指先で色を感知することも可能なんだ」
――こんな話があるんです。透視能力者として知られている人の話。
――彼は目隠しをしたまま、紙に書かれた文字を読むことができましたが、ある状況下ではできなかった。
――その状況とは、紙に赤いペンで文字を書き、部屋を赤い光で満たすこと。
――つまり彼の透視能力とは、指に視覚を持っていたのではないか、と……
「そ、そんな馬鹿な……」
ユゼ王女も指をわななかせる。その骨筆は確かに自分のものだ。蒼と翠が対になっている二本で一つの芸術品。ユギ王女のそれは象牙にサファイアが埋め込まれている。
問題は使用人と業者の話し合いで用意されたと言うが、まさか自分たちの私物から出題されるとは思わなかった。あまりにも余計なことと言わざるを得ないが、気を利かせた者がいたとしか考えられない。
「……ふ、なるほど」
そしてスカイブルーのユギ王女は、肩からすっと力を抜く。
「やはりユーヤは並大抵のクイズ戦士ではないのう。まさに感服じゃ。この神業、四問目の差を埋めて余りあると見るべきじゃろう」
そして司会者に扇子を向ける。
「我らの負けを認めるしかあるまい! 司会者よ、勝ち名乗りじゃ!」
「あ、はーい! 双王様の降参により、この勝負」
「ユーヤ選手の勝利ですたーん!!!」
歓声が生まれる。
煮え立つ鍋の蓋を取ったような、もうもうと湧き上がる歓喜の声援。セレノウ側もパルパシア側も称賛の拍手を惜しまなかった。それほどこの勝利が特別なものと感じられるような、惜しみない拍手が。
「ゆ、ユギ! ユギ!」
ばんばん。とユギ王女の肩が叩かれる。
「ん、どしたんじゃユゼよ」
「あの、その……」
モスグリーンのユゼ王女は、顔に玉の汗を浮かべていた。スポットライトの熱気だけではないだろう。扇子で顔の下半分を隠して、あらぬ方に視線を投げながら言う。
「その……こ、ここはやはり、我らの勝利とすべきではないか?」
…………
……
間が落ちる。
観客も両腕を振り上げたまま動きを止め、ざわざわと草の擦れるような音が流れる。
ユギ王女の、その時の顔を何と表現すべきか。足が生えて歩くケーキを見たような。壁に落書きしてる犬を見たような顔だった。
端的に言うならば、この双子の間で意見が分かれること自体がほとんどありえないことであり、ユギ王女は双子の発言が本当に理解できなかったのだ。
ややあって、ようやく口を動かす。
「……い、いや駄目じゃろ、どう見ても我らが引くべきじゃ」
「そ、その……ほ、ほれ四問目は我らのほうが詳細に言い当てたことじゃし」
そこらへんはユーヤが異世界人であるという事情の話なので、抱き合うほどに近づきながら囁きあう。観客のざわめきはずっと続いている。
「ユゼよ、それはしょーがないじゃろ。このクイズ形式も、五歳児でも知ってるものという縛りも、ユーヤと対等に戦うためのルールなんじゃぞ。それでユーヤの世界にはない言葉が問われたから勝ちました、では自慢になるわけがないじゃろ。それに最後の問題、あれは使用人の誰かが気を回しおった結果じゃ。我らの私物で勝利とするなどこすっからいにも程がある」
「いやその、ほら、でもあの、騎士たちの前じゃし」
「あのー、双王さま、勝ちはユーヤさまで良いですたーん?」
「うむ良いぞ、勝ち名乗りを」
「ゆぎいいいい! ゆううぎいいいいい!!」
ばんばんばんと背中を叩く。
「どーしたんじゃユゼよ!」
「あ、あのほら、我らってばハイアードでも負けておるし、二連敗というのはちょっと」
「ふ、忘れたかユゼよ、我らはあの勘定クイズで勝利したのじゃぞ。ユーヤも含めて各国の王たちを下してな。あれは我がやった勝負じゃが、勝利はもちろん我ら二人のものじゃ」
「あれはぶっちゃけユギの作戦が卑怯すぎるし」
「ちょおおおおお!?」
さんざんあって月も傾き。
観客である使用人も仕事に戻らせ、スタッフも片付けが終わり、もう撤収という段までモメ続けて、ようやく決着がついたのが一時間後であった。
「ではでは、またお呼びいただけましたら嬉しいですたーん。うたたん星からいつでも見守っていますたーん」
ぞろぞろと、スタッフを引き連れて出ていくのは業界人じみた光景であったが、特に気にするものはいなかった。
ユゼ王女は床に四つ足ついて沈んでいる。
「うう……結局負けになってしもうた……」
「なんと……二人してそんな約束をしておったのか」
ユギは双子の片割れのそばにかがみ込み、その背中を撫でる。
「水くさいではないかユゼよ。そんな面白い賭け事をなぜ話してくれなんだ。我もきっと同意したものを」
「ユギ! 我ら罰ゲーム受けるんじゃぞ! あの鬼畜のユーヤがどんな恥辱の極みを命じてくることか!」
「人を妙なキャラにしないでくれ」
天覧の間に残ったのはセレノウ側のメイドが二人、パルパシア側ではもろもろの事情を知っている使用人たちが数人である。ドームの天蓋は閉じられたが、光の妖精が放たれたため十分な明るさがある。
「ふ、ユゼよ、我ら双王は生きるも一緒、死ぬも一緒、そなたの交わした約束は二人で交わしたも同じじゃ」
「うう、ユギ……」
二人は立ち上がり、せめてもの矜持を示すように胸をそらす。
「さあ! 脱げと言うなら脱ごうではないか! 上からか下からか! それとも脱がしたいのか自分で!」
「誰が脱げと言った」
きょとん、と双王が眼を点にする。
「なんじゃと、では何を」
ユーヤは空間の真ん中の方を示す。
「あそこでうたたん星人のマネやってくれ、全力で」
…………
……
「え……?」
「曲名は確か「おろろろろまんす」だったな。去年のヒットチャート14位だ、歌詞わかるだろ」
二人は一度顔面を紅潮させ、
それから急速に青ざめて、
また耳まで赤くなる。
「ちょっ……! ちょっと待たんか! お前マジでゆーとるのかそれ!!」
「わ、我らは王じゃぞ! そんなマネが!」
「罰ゲーム受けるんだろ? 王に二言はないよなもちろん」
「あ、あの歌詞ものすごーーーくあまあまなんじゃぞ!」
「我らのキャラに合わんじゃろーが!!」
「伴奏がいるかな、そこのメイドさん、いくらか楽器を持ってきて」
「かしこまりました」
「おい普通にやろうとするでない! ちょっと待てホントに!」
「カヌディきみ楽器できるよね? 上級メイドってそういうのできるらしいし」
「は、はい、何でも学んでおります」
「待てええええええ! ちょっと待たんかゆーやああああああ!!」
そして命じられるままに色々手際よく用意され、五人ほどのメイドが楽器を構えて扇を描く。数人がかりでピアノまで運び込んでいた。なぜかパルパシア側のメイドのほうがきびきび動いているのは気のせいだろうか。
双王はと言うと顔を赤カブよりも赤くしてがたがたと震え、なぜか膝を縮めてタイトワンピースの裾を押さえている。
ユーヤは両手をメガホンにして声を投げる。
常春の時代に生まれ落ち
酸いも甘いも吸い付くし
咲く花ふたついつまでも
添い遂げようと決めた道
名高き双子の心はひとつ
さあ歌っていただきましょう、うたたん星人のあの名曲
「妙な口上やめんかああああああああああ!!!」
※
帰路につくのは深夜となる。
王宮とホテルは目視できる程度の距離である。月明かりに照らされ、最上層は仄白い塩の砂漠のように見える。
カンテラを提げた馬上の騎士たちに見送られ、ホテルへと帰り着く。あいも変わらずサーベルを差しただけの夜会服という出で立ちの男たちだ。明らかに顔で選んでそうな、という印象は心で思うだけにしておいた。
「ホテルの内外を30人体制で警護しております。また最上層と第六層を結ぶ道の警戒を厳にしております。どうぞご心配なく」
「ありがとうっス」
さすがに大げさと思わなくもないが、ともかくホテルに戻った三人である。
「お、お部屋の確認をしてまいります。ロビーにてしばしお待ち下さい」
「分かった。今は貸し切りだし、パルパシア側の兵士が詰めてるから心配ないとは思うけどね」
そしてロビーに残される。ユーヤはふと、階段下の暗がりにある絵を見た。
「……掛け替わってるな」
「ほえ? どしたっスか?」
「いや、大したことじゃない」
カル・フォウはそれは上級メイドであるためか、それとも人並み外れた体力を持つのか、夜が深まるにつれて活力が増すかに見えた。ノミのように大きくジャンプし、音のない着地を繰り返す。
「でも感動したっス! ユーヤさまは指で色が分かるっス!」
「分からないよ」
ごち、と顔面から壁にぶつかるメイド。
「へっ!?」
「……確かに練習したことはある。色のついたフェルトのボールを当てる練習なんだが、いくら練習しても正解率が上がらなかった。パートナーの女性は出来てたような気がするけど、それは現実に起きたことなのか自信がない。何か霊感めいたものか、あるいはトリックだったのかもね」
「で、でもあのペンがユゼ王女のものだって当てたっス」
「双王は二人しかいないんだから、どちらかの私物だと見当をつければ確率は二分の一だ、それに」
「それに?」
「あのクイズのとき、上からスポットライトが当たってただろ、無数の光の妖精が集まって、天蓋の丸い穴から差し込むような光」
「はあ、あったっス」
「そして箱の前面は透明な素材になっていた。その状態でペンを前の方に出せば、差し込むスポットライトがわずかにペンに当たるだろう。その状態でペンを回すと、光の反射が起きる」
「え……」
「ごくわずかな光だが、指で色を感じるよりは見やすいだろう。ステージ中央と観客席との明暗差、それによって全員の注意が僕だけに向いてたせいで、壁にわずかに散った光に誰も気づかなかっただろうね」
「…………」
「ユーヤさま、お部屋の確認が終わりました。自室に戻られてお休み下さい」
「分かった」
ユーヤはロビーから伸びる大階段を登り、途中でカヌディと二、三の言葉を交わしてから自室へと戻っていく。
そしてカヌディは、こちらは色々とあって疲れが少し見えていた。肺に残った街の空気を出し切るように深呼吸をして、旧友に呼びかける。
「カルちゃん、私たちも休もうか。明日はユーヤ様に付き添って第一層に行かないとだし、早く休んで体調を整えないと」
「……カヌちゃん、ユーヤ様はやめといた方がいいっス、あれかなりの悪い男っス」
「何の話!?」
そしてメイドたちも部屋に戻り、貸し切り状態のホテルはぐっと静かな模様となる。
元来が明るく、さばさばした性格のカル・フォウは疑問に思うこともなかっただろう。
あの空間にはクイズを運営するためのスタッフが大量にいた。その中には観客席から、誰かがヒントを送らないか見張っていた者もいたのだ。
反射光が壁に散る。
そのような事象が、あの状況下で見過ごされるものかどうか。
すべては定まらぬままに過ぎてゆく。
人智を超えた事象も、秘すべき過去の思い出も。
すべてを混沌の口で飲み込んで、パルパシアの夜は更けていく。