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第十話



夜のファミレスはなぜこんなに明るいのだろう、と男は思う。


すりきれたジーンズとよれたTシャツ、暖かい季節とは言え東京とは思えない飾りのなさである。寝癖だけはかろうじて直しているものの、肌荒れと無精髭は慢性的な病のように治らない。


「七沼さん、ここ分からないんですけど」

「……ああ、そこはこっちの式を代入して……」


客も少ない時間、向かいに座るのはセーラー服の少女。高校生の勉強を見てやるぐらいはできるが、すでに深夜である。こんな時間に女子高生と会っているなど、道端なら職質されかねない。必然的に、会う場所はファミレスなどになる。


「うん、終わりました。いつもすいませんね」

「別にいいよ……その代わり、会う時間は考えてくれ、未成年がこんな時間に……」

「いいんです、両親は私のこと気にしてませんから」


彼女の名は、棚黒たなぐろ かずら


ある番組にて、新幹線の車内で行われた300問の4択クイズ。それにおいて296問という正解を叩き出した択一クイズの王である。


その手法とは出題者へのプロファイリング。

出題者を「好きになる」ことにより思考をトレースし、正解を見出すという手法。言葉にすると現実味が薄いが、やってのけたことは事実だ。


とはいえそれ以外でのクイズでは凡庸、本戦では一回戦で敗退だった。

七沼遊也は彼女の技術に興味を持ち、択一クイズにおける技術的要素の聞き取りを行った。


それがいつの間にか、こうして宿題を見てやる関係になっている。


彼女の家庭環境は複雑らしく、家に戻らない日も多いようだ。友人の家に泊まったり、ネットカフェで夜を過ごす日もあるとか。だからといって、夜半に七沼が会うことの免罪符にはならないが。


「それで、今日は何の相談ですか?」

「……これを聴いてくれ」


マイクロカセットレコーダーを取り出す。かなり大ぶりでレトロな機械ではあるが、音質に問題はない。



――今週のお、むーびーくえっしょーん



芸人らしいおどけた声、エコーをたっぷりとかけてエフェクトで塗り固めたようなタイトルコールである。


「視聴者から映画に関するクイズを募集するというコーナーだ。映画評論家でもあるディスクジョッキーが問題に解答し、「良問」と認定されると粗品が出る。ここまで41回行われて、115問出題された。良問認定は38回出ている」

「何かおかしなことが?」

「……問題に、作家性が感じられる」


長く続く番組などには、まれに感じられることである。

大喜利の解答、視聴者からの質問の葉書、それを同じ人間が書いてるのでは、と感じられる瞬間。


実のところは勘に過ぎない。七沼遊也という人間の直感。言語化の難しい違和感、不自然さ。

あるいは鉄条網を頭に巻き付けられるような、耐えがたい嫌悪。


「比較的長く続いているので、投稿者側も一定のテンプレートを意識してるだろう。スタッフが選ぶ葉書の傾向というのもある。それを加味しても不自然に文体が似通っている。映画から問題を作り出す際の着眼点も似ている……」


七沼はだらだらと独り言のように話し、棚黒は目の前の機械から流れる音を聞いている。


すると、不可思議な感覚がある。

少女の動きが静物画のように止まり、瞳孔がすぼまって全人格を一点に向けるような集中。セーラー服の黒さが夜と同化し、目の前の少女の集中に自分まで引きずられるような。


「そうですね、声が違います」


どれほど時間が経ったのか、やがてそのように言う。


「いくつかの問題では声が葉書ではなく、もっと固いものに当たってます。机に置いたファックス用紙に話している、というわけでもないです。画板に張り付けたルーズリーフを読んでるんだと思います」

「……構成作家が用意した問題を?」

「だと思います。七沼さんの言う通り、文体も似ています」


やはりか、と七沼遊也は思うが、まだ表情には出さない。


「声の調子はどうだろう、何か偽りをしている雰囲気は」

「あります。コーナーの最初からずっとそうですね。司会者の方はやらせをしたくないみたいです」


声の波長によって嘘を見分ける、という研究は恒常的に行われている。

ある研究者はこのように言う、我々の耳は他人の発言の真偽をいつも・・・見抜いている。たとえ意識の表層では疑っていなくても、脳の奥深くでは偽りの声に不快感を覚えるのだと。


「参考になった、ありがとう」


建前として、目の前の女子高生の発言をそのまま信じて動くことはない。

これはラジオ局への投書を通じて、七沼遊也の耳に入ったやらせ案件。

七沼に調査権限があるわけではなく・・・・・・・・、調査依頼があった訳でもない。


では、そんなことを調べてどうするのか。


表に裏に動いて、やらせを止めさせたいのか。

そんなことに何の意味がある。

さほど人気のある番組ではない、素人の葉書だけではコーナーが成り立たないことも予想はつく。


それはふつふつと燃えたぎる、抑えがたい衝動、あるいは暴力性とでも言うべきもの。


クイズが絡んだ時に、あらゆる行動にためらいがなくなる。

どうしようもなくなってしまう。

あまりにも危険な獣が、己の中にひそむ破壊衝動が――。


手を取られる。

棚黒がテーブルの上で手を握ったのだ。思考が深みにはまりかけていた七沼は、はっと目を見開く。


「やめてくれ」

「怖い顔してますね。これから誰か殺しに行くみたい」

「……」


表情を整え、暗い感情を臓腑の奥にしまいこむ。


「七沼さん、今夜泊めてくれません?」

「だめだ」


それだけはきっぱりと言う。


「あんまり帰りたくないんですよね」

「……これでビジネスホテルでも泊まるといい」


取られていない方の手で封筒を差し出す。ろくに趣味もない身である、自由にできる金はある。

時代がもっと下れば、彼女のような存在をケアしてくれる制度もあるだろう。あるいは今現在でも、頼るべき場所、団体、それはいくらでもあるはずだ。

だが彼女はそれを拒んでいた。夜の底を渡り歩き、定まった止まり木を持たなかった。


「もらえませんよ」

「ただのお礼だよ」

「お金を貰うほどは働いてませんよ」


封筒がテーブルに張り付いたような感覚。形にならない言葉が、行き場を求めてさ迷っている。

棚黒はわざとらしい笑みを作って言う。


「中途半端に面倒見るのって罪だと思いますよ。いっそ、七沼さんの家に置いてくださいよ」

「そんな訳にいかない……君は未成年だし、両親だって」

「感情的には置いてもいい?」

「揚げ足を取らないでくれ、年だって離れてる」

「でも本当は、ずっと話していたいんでしょう? クイズ王と」


感情を消せている自信はあったが、それでも目をそらしてしまう。

棚黒 葛、彼女に惹かれている自分も確かに感じていた。あまりにも異端で、異質で、超常をきわめる王。

そんな特別な存在に惹かれる、それもまた七沼遊也という人間の宿業。


「……僕が思うに、クイズ王という存在には三つの世代がある」


最近、折に触れて話している事である。それは実のところ、強引に話題を変えるための、その場の空気を混ぜ返すだけの話に過ぎなかったが。


「世代ですか」

「そう……第一世代とは知識の王、知の巨人たちだ。第二世代とは技術の王、クイズを競技として捉えた王たち。だが、王たちはあまりにも成長しすぎた。もはやその知識の深淵、技術の高みに誰もついていけない。やがては興業として成り立たなくなるおそれもある」

「成り立たないと、どうなるんです? クイズ番組がなくなっちゃう?」

「……だから、クイズも変貌していくのだと思う。それが第三世代のクイズ世界、そこに君臨するのが、つまりは君のような王だ」

「私ですか」

「そう、それはすなわち頭脳の世界・・・・・、クイズは知識の競いあいと言うより、発想力や推理力が競われるものになるかも知れない。君のように、生まれもっての頭のよさが求められて……」


それは早熟せざるを得なかった彼女の境遇のためか、彼女は人並外れた頭脳と、優れた五感を持っていた。フィクションの世界ならば名探偵にでもなっていそうな、卓抜なる人物と感じていた。


だが、棚黒はかぶりを振る。


「違いますよ、七沼さん」

「違う……?」


棚黒はにこやかに笑い、しかし目の奥にはどこか冷静さを宿している。すでに周りに他の客もない、明るすぎる深夜のファミレスで、その声は七沼以外の誰にも届かないほどひそやかに語られる。


「これは技術です。七沼さんだって使ってるやつですよ。そのポーカーフェイスとか、交渉術だとかで」

「技術? まさか、君の頭脳と五感は生まれもっての才能のはず……」

「この世の中には、まれに本物が生まれます」


まだ手を握られている。棚黒はその手首のあたりを指でなぞりつつ言う。


「本物の美女、本物のコメディアン、そして本物の天才。私は凡人ですけど、天才になれば自由に生きられると思った。だから真似してるんですよ、Tを」

「Tだって?」

「そう、始まりはTでした。私たちはみな、Tの申し子なんです」


見上げる棚黒の眼。

そこから顔をそむけたいのに、意思が従ってくれない。それが本当に信愛による眼だと分かるから。顔を背けてはいけないと想わせる力があるから。


魔女に魔法をかけられたような。という比喩が浮かぶ。その黒いセーラー服も、黒く大きな瞳も、どこか恐ろしいながらも眼が放せない。


「七沼さんも覚えてみませんか? 私の技術を」

「僕が……?」

「ええ、これからじっくり、教えてあげます。きっと役に立ちますよ、不正を見つけることにも、生きていくことにも……」


まだ手は握られている。

その手が、ややもすると二度と離れないのではないか、という感覚がある。



少女の眼。

その眼は確かに、真実の愛情にうるんでいた。


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