第一話
海のごとく濃い青の空、その下を馬車がゆく。
道は驚くほど丁寧に舗装されている。聞くところによれば突き固めた赤土の上から砂利を敷き詰め、さらに石板を並べて道とするという。左右には獣よけの石垣が組まれ、ちょっとした高速道路のような眺めになる。
道幅は馬車が三台も並ぶほど、それだけの道路が地平線の向こうまで続いている。
「立派な道だな……」
「は、はい。ハイアードとパルパシアを結ぶアムレストン王路は30年をかけて建設されました。3つの山を削り、17の河に橋をかけての大工事によりダダムトリル、オリマウトなどの都市を結ぶ道路を建設したのです」
答えるのは小柄なメイドである。薄紫色のリボンを結び、前髪が目を完全に隠すほど長い。ボックス席の馬車の中でちょこんと座り、汗を飛ばすように必死めいた様子で話している。
名前はカヌディ、この旅に同行することとなった上級メイドであり、文書管理や情報収集が専門だという。
「舗装材だけど、アスファルトとかは使わないのか?」
訪ねるのはタキシード姿の男、どこか気難しそうな、いつも眠りが足りないような印象のある男だ。今は元の名を捨て、セレノウのユーヤと名乗っている。
ここはクイズと妖精の支配する大陸。ディンダミア妖精世界。
妖精の中には無機物に取り付いて自在に操るものもおり、ユーヤは人型のアスファルトに取り付いた妖精を見たことがあった。
「アスファルトですか? い、いえ、あれはハイアードでわずかに産出されるだけですので。ハイアードは実験的に採取しており、接着剤や建材として研究してるとは聞きますが、一般的ではありません」
「そうなのか? 天然のタールやアスファルトは貴重なのかな……」
「ふふん、立派なのは道だけではないぞ。我がパルパシアの誇る御用馬車の乗り心地も最高じゃろ」
そのユーヤの脇には翠と蒼。
タイトワンピース姿であり、羽扇子で口元を隠した二人の王女が誇らしげに足を組んでいる。まだ幼さの名残が見えるものの、人を食ったような不敵な気配と、八重歯を見せるような快活な笑みから放たれるエネルギーは卓抜なものだった。風を受けて広がる栗毛の髪には赤や金色の付け毛が編み込んである。
年の頃なら16か17、パルパシア双兎国の王女、ユギとユゼである。
双子であることも相まって豪奢な印象の二人だが、そのボディラインが露骨に出るタイトワンピースといい、羽のついた扇子といい、脳裏にどうしても「バブリーな」とか「懐かしの」という形容詞が浮かんでしまう。
ユーヤは馬車の乗り心地へと思考を切り替える。
「確かに……」
窓から頭を出して下を見る。舗装された道路とは言え、石畳の道を高速で駆けているのにほとんど振動がない。土台は二層の板バネで衝撃を吸収する構造になっており、樹脂を何万回も巻いた車輪はゴムタイヤのように優秀だ。
しかも、視線を伸ばせば馬車は一つではない。四角形の客車が複数。まるで列車のように連なっているのだ。側面には網状の金属板が渡され、乗員は走行中でも客車を行き来できるようになっている。客車はパルパシアの双王の部屋が前から2つ目、ユーヤが3つ目。メイドや御者の控えは一番前となっているが、これは運行上の都合だろう。
客車は5つ。それを2頭の馬で牽くという驚愕の眺めである。頑丈な鋳鉄で連結されたその構造は、ユーヤの世界にある鋼鉄の大蛇を連想させずにはおかない。
「あれだっけ……重力を操る妖精」
「うむ、翅嶽黒精じゃの。ものを重くしたり、逆に軽くしたりできる。蜂蜜とブラックオパールで呼び出せるが、上質なものは重量を97%まで減らせる。このぐらいまで減らすと岩を浮かすこともできるのじゃ」
そういえば以前に見たクイズイベントの映像で、岩を宙に浮かせる演出があったなと思い至る。
「翅嶽黒精は五年ほどで妖精の世界に返ってしまうからのう。万一のために我らはブラックオパールの宝飾品を身に着けておるぞ」
双王、翠のユゼ王女のほうが自慢げに指輪を見せる。ユーヤのいた世界ならばひと財産レベルの大粒のブラックオパールだが、若すぎるユゼ王女にはあまり似合ってるとは言えない。
この世界、妖精の世界において、馬車と道路というものも独自の進化を遂げているようだ。馬車は長距離を走るためや、重量物を運ぶだけでなく、明らかに速さを追求できる乗り物として認知されている。
「そうか……じゃあ思ったより早くパルパシアまで行けるのかな」
ユーヤは車窓の眺めを見る。いくつもの山を過ぎ、村を遠巻きに見つつ馬車は進む。
「列車か……」
「ユーヤさま、ど、どうかされましたか? 酔われたならば薬もありますが」
カヌディが汗を飛ばしつつ言う。胸元で両の拳を握っているのは緊張の現れかと思ったが、彼女はだいたいいつもそうやって拳を握っている。
「いや、列車が……こういう乗り物が何となく懐かしくてね。僕にも旅の思い出はあるし……」
「そ、そうですか」
ちらりと窓の外を影がよぎる。並走する黒服の騎士たちである。
この馬車は十数騎の騎士が並走しており、はるか前方では先触れの馬が走り、一般の商人や旅行者を一時的に道の端へ寄せている。ハイアードでの妖精王祭儀が終わって数日。王路には祭りを終えて帰る観光客が鈴なりであったが、それは道の端へ、あるいは石垣の向こうに待避して、馬車に向かって礼をしている。そういう眺めはさすがに王の威光というものか、と何となく思う。
騎兵隊は隊列を組み、警戒のためかときどき位置を入れ替えながら並走している。もちろん、それらの馬も数時間おきにある駅舎ですべて交換している。
「……パルパシアの騎士って、あれが正装なのか? 燕尾服に、金色のリボンで飾られた山高帽に、針みたいに細いサーベルって」
背筋はピンと伸びて優雅さが漂い、護衛という物々しさはない。わざと堅苦しさを削いでいるのだろうか。
「うむ、我らの護衛を勤めるのは王室直属の騎士団じゃ。年齢は22まで、見目が良く、色白で指が細く、鼻筋の通った色男が選ばれる」
「水着審査と歌唱審査を潜り抜けた精鋭ぞろいじゃ」
「カヌディ、僕いま大嘘つかれてないよな?」
「な、ないです。本当にそうなんです」
ふうと息をつき、話題を変える。
「そういえば……パルパシアまで馬車で帰るんだな、シュネスの王様は空路だったとか聞いたけど」
「うむ、大陸にはガガナウル山の周囲を巡る時計回りの風が吹いておる。それを捉える飛行船があるのじゃが、安全性があまり高くなくての、急ぎのときにしか使われぬ」
「金属板で補強した飛行船なら安全じゃが、それはシュネスが二つ持っているだけで、そのうち一つは王室専用じゃからのう。まあ急ぎ旅なんて貧乏人のすることじゃ、我らはゆっくり行けば良い」
「……」
ユーヤは流れる風景を見て、おおよその時速を測ろうとする。
(……馬車にしては早いな、20キロは出ている。何度も馬を変えながら一日に14時間近く走行して、およそ3日の道のり。パルパシアの首都までは800キロ以上あるのか。この大陸は、かなり広い……)
「ふふん、パルパシアの町並みを見せるのが楽しみじゃのう。存分にたまげるがよいぞ、ぎゃーを許す、ぎゃーを」
「あの勘定クイズで勝ち取ったユーヤじゃからのう。しっかりともてなしてやらねばの。それにしてもあの時のヤオガミ名代やらフォゾスの姫やらの悔しがりは格別じゃったな」
「君らの作戦は本当に卑怯だったと今でも思ってるからな?」
あの時。
各国の王たちで行った勘定クイズ。勝った国がユーヤを招く権利を得るという、戯れながらも真剣に王が争いあった一時の幻。その結果は誰しもの予想を覆すものだった。パルパシアのユギ王女が勝利を収め、ユーヤはパルパシア双兎国へと招聘されたのである。
ユーヤはわずかに腰を浮かす。
「さて、それじゃそろそろ客車に戻るよ」
「なんじゃ、もう戻るのか、勉強というやつか」
「分かってるだろう? 僕は異世界から来た人間だ。この世界のことを学ばねばならないんだよ。まずは幼児教育の教科書、それに絵本から」
薄紫のリボンをつけたメイドを見る。文書管理が専門のカヌディが同行したのはユーヤの教育のためでもある。この旅の間、ユーヤは馬車に揺られながらも勉強に勤しむ義務があった。
「本で読む知識なぞ役に立たんぞ、実地が大事じゃ」
「そうじゃそうじゃ、我らの宝石コレクションでも見ていけ」
「……」
それもそうか、という気もする。
ユーヤにとっては目にするものすべて新しく、聞くことの全てが未知のことである異世界。何をしていてもそれも勉強であり経験と言えるだろう。
「……じゃあ少しだけ」
「よしよし、では紅茶でも淹れさせようぞ」
「茶菓子のパンもあるぞ、オルトシキムはどうじゃ」
「それ前に食べそびれたやつだな」
やがてパルパシア側のメイドたちが現れ宝石のケースを運び、双王が絹の手袋をはめて大粒の宝石をつまむ。
「見よ、直径8リズルミーキ(約8センチ)のルビーじゃぞ。これだけで城が買えるのう」
「……そういえば、この大陸ってずいぶん宝石が豊富なんだな。妖精を呼び出すために宝石が必要なのは分かるけど」
「うむ、パルパシア王家では優秀な玉井をいくつも管理しておるからのう」
「ビジオラ?」
それは自動翻訳が働かない言葉だった。ユーヤの知らない概念だろうか。
「シュネスでは玉井、ラウ=カンでは瑞泥地などとも言うのう。大地から不浄の泥が吹き出すことがあるのじゃが、妖精によってそれが浄化された土地のことじゃ」
「この玉井をいくつ持っておるかは国力の重要な指標なのじゃ」
「初耳なんだが……」
「ユーヤのいた世界では妖精がおらぬのじゃったな。よしそこのメイド。「ものぐさの井戸」の話をしてやるがよい」
「は、はい」
カヌディというメイドは大量の書籍を暗記しているらしいが、これから語られる話は大陸の人々にとっては常識的なものだという。メイドは胸に手を当て、呼吸を整えてから話し出す。
あるとき、山奥の村に、とてもものぐさな男が住んでいました。
いつも寝て暮らし、麦もろくに育てず、草も抜かず、家は荒れほうだい。
軒下にある蜂の巣を漁っては、刺されるのも構わず蜂蜜をなめて暮らす、そんな男でした。
あまりにもものぐさが過ぎるので、とうとう家の井戸が腐り、硫黄の匂いがする泥が沸き出してきました。
あまりのことに男はびっくり仰天。これまでの行いを悔い、どうか助けてくださいと妖精の王に祈りました。
するとどこからともなく、妖精の王の声がします。
その腐った井戸に樽一杯の蜂蜜を注ぐがいい、そうすれば、妖精たちが泥を宝に変えるであろうと。
男は軒下の蜂の巣を取り、さらに七日と七晩、野山を歩き回って蜂の巣を集めました。
そうして樽一杯の蜂蜜を井戸に注ぐと、たちまちに光が吹き出します。
泥は清浄な水となり、さらに色とりどりの宝石があふれ出したのです。
心を入れ換えた男はその宝石を村人に配り、村はたいそう栄えましたと……。
「あの、ど、どうかされましたか」
カヌディは怯えるように身を縮め、前髪の奥からユーヤをおずおずと見やる。
「ユーヤよどうした? いま眼が怖くなったぞ」
「話が幼稚すぎたかのう? 気を悪くしたならこのメイドが脱いで謝るぞ」
「えっ」
「いや……何でもない」
ユーヤは浮かびかけた感情を眼の奥に抑え込み、ぷいと窓の方を向いてしまう。
虹を敷き詰めたごとく、窓の外には一面の花園。
この大陸ではあらゆる場所で見られる養蜂のための花園だろう。なだらかな丘を埋めつくし、極彩色のモザイクが空の下のすべてを埋める。
それはあるいは、壁に現れた染みや穴や、この世の憂いなどを覆い隠す空虚な壁紙のようにも思える。
何もかもが不自然のようにも、どこか冒涜的にも思えるのは、それは内面の問題であろうかと自虐的に思う。自分が世界をとらえる視点というものが、どうしようもなくひねくれて、薄汚れているだけではないか、と。
(クイズと妖精の支配する世界。ディンダミア妖精世界か)
(妖精王。その支配は完璧だった。少なくとも百年。この大陸から戦争を奪ってみせた)
(油田を奪って宝石を与える、それも支配の一部だというのか)
馬車は走る。
涼やかな川を越え、勇壮なる山を仰ぎ見て。
目指すはパルパシア双兎国。
優美と混沌の都。世にも名高き双子都市へ――。
(だがその支配、果たして永遠に続くだろうか……)