#08 再始動
軽音部として活動できるようになったとはいえ、先のことはまだ全くの未定だった。ジュリエット先輩もそれを危惧してか、
「そのためには、まずは目標を決めなくちゃね!」
と陽気に言いながら、こちらに歩いてきた。
「ユキちゃんは、フェスに出たいんだよね?」
「はい。来月開催されるフェスに、ここの軽音部が毎年出演してるって聞いたので」
「ああ、それね」
ジュリエット先輩はすぐに理解したように笑うと、くるっと向きを変えてスキップしながら、廊下側の壁に沿って置かれた鉄製の棚に駆け寄った。そこには、ファイルやら冊子やらがびっしりと並んでいる。その中から、一冊の青いファイルを抜き取って戻ってくると、先輩はそれを広げて、あるページを見開きでこちらに示した。
そのうちの片方のページを指差す。一枚の広告が挟んである。
ステージをバックに、ギターを手にした少女の影が描かれている。
さらに、ヘッダーには、
『DIVINE MELODIOUS FESTIVAL』
という、ワインレッドの文字。
どうやらこれが、綺音の出演したがっている音楽フェスのチラシらしい。合っているのか、綺音もファイルの中身を覗き込みながら、うんうんと首を振っている。
この学校には、「原則芸能活動禁止」という校則があるが、このフェスはオーディションでもコンクールでもないため、賞金などは出ないものの、それに抵触する心配はないみたいだ。
それ以外に、フェスに関する詳しい話を聞くと、市が主催する高校生を対象とした中規模のものらしいが、毎年かなり多くの人が出演する人気フェスだという。
また、演奏できるのは一組につき一曲までで、披露する曲に関してはオリジナル曲でも、他のアーティストのカバー曲でも、特に制限はないようだ。
「本番までは時間がないから、演るとしたらカバーか、既存の曲になると思うんだけど」
と、ジュリエット先輩は言った。
その発言に対して、綺音が質問する。
「オリジナル曲、あるんですか?」
これは僕も興味のある内容だ。軽音部といえば、カバーばかり演奏しているイメージがある(これは偏見かもしれない)けど、オリジナル曲があるなら是非聴いてみたい。
「あるよ。一曲だけだけどね」
やっぱり、あるのか。どんな曲だろう、なんて考えていたら、綺音が半歩前に進み出た。
「聴きたいです!」
彼女も、とても興味津々な様子だ。
ジュリエット先輩は微笑を浮かべ、ベギー先輩の方を見やる。
「ねえ、聴かせてあげてもいい?」
「何故、それを私に訊く」
「う〜ん、一応訊いといた方がいいかなって思って」
「好きにしろ」
ベギー先輩の返事を聞いて、ジュリエット先輩はもう一度こっちを向くと、
「いいんだってさ」
と、またにっこり笑った。
こうして、「軽音部試聴会」と題して(僕が勝手に心の中でそう言ってるのだけど)その曲が録音されたCDが再生される運びとなった。
部屋の中央辺りに椅子を二つ並べ、そこに僕と綺音が腰掛けて待った。ジュリエット先輩が目の前にラジカセ型のオーディオを持ってくると、CDを入れて再生ボタンを押した。ベギー先輩は僕らの後ろに仁王立ちしているけど、今は気にしないでおこう。
曲が始まった。冒頭は、エレキのかっこいいギターソロ。そこにベース、ドラムなど様々な楽器の音が重ねられていく。
……あれ? 想像以上のかっこよさ。
打山くんは、軽音部の曲はポップス寄りだと言ってたけど、どちらかと言えばロックっぽい趣がある。軽音部も、こんな曲を演奏していたんだ。
ボーカルが加わると、その歌詞の内容にさらに唖然とする。一言でいえば、ちょっぴり反抗的。それでいて、夢を追いかける姿を想起させるような、前向きなフレーズも要所要所に散りばめられている。
ただ、メロディーの中にキャッチーさもあり、ギターやベースのバックサウンドといい塩梅に調和されている。重音部の過激なパンク・ロックのかっこよさとは、何かが違う。
左右のスピーカーから流れる激情の旋律。聴き入っているうちに、段々とその世界観に吸い込まれていくようだ。一聴して苛烈なサウンドは魅力的であり、そこに乗せる力強い歌声も、どこかで聴いたような気もするし、初めて聴くような新鮮さもあった。
曲が終了しても、おそらくしばらくは放心状態だっただろう。不意に誰かに肩を叩かれ、僕は無理やり現実に引き戻されたように、我に返った。
振り返ると、ジュリエット先輩がこう尋ねてきた。
「さっきから質問しようと思ってたこと、ちょっと思い出したんだけど、暁くんはどの楽器がいい?」
「いえ、僕は、楽器は、その……」
「えっ、弾けないの?」
意外そうな、驚いたような視線を送ってくるジュリエット先輩。少々きまりが悪い。
そこに、綺音が口を挟んできた。
「彼には、ボーカルに専念してもらおうと思うんです。すっごく上手いんですよ、彼」
「うーん……欲を言えば、楽器できる子がよかったかな」
こう見えてけっこうはっきり言うんだな、ジュリエット先輩って。今の発言で少し傷ついたのって、僕の情が弱いから?
「というのも、今、ベースとキーボードが欠番なんだよね……」
ジュリエット先輩は思案するように、人差し指を口許に添えて言葉を継いだ。
現在、軽音部員は僕を含めて四人。このメンバーだけでバンドをやるとなると、確かにやや少ない。
「まあ、いいや。それより、演奏する曲を決めないとね」
割り切ったように、ジュリエット先輩が言い出す。
「今の曲がいいです」
即答する綺音。よっぽど気に入ったんだろう。かくいう僕も、まだ一回しか聴いていないのに好きになった。一目惚れならぬ、一耳惚れってやつだろうか。それよりも、曲名は何というのかが、かなり前から気になっている。
「そういえば、さっきの曲、何ていうタイトルなんですか?」
「あたしも気になります」
綺音も、同調してくれた。
意外なことに、その質問にはジュリエット先輩ではなく、ベギー先輩が答えてくれた。
「『COLORFUL』だ」
さらに先輩は続けて、
「制作者は不明。八年くらい前に、軽音の先輩によって制作されたらしい」
もはや頷くことしかできないが、その顔は少しだけ楽しそうにも見える。無表情には変わりないから気のせいだろうとは思うけど、ベギー先輩も演奏できるのが嬉しいのだろうか。
……やっぱり、やりたかったんだ、バンド。
それにしても、『COLORFUL』か。あまりそんな感じの曲に聴こえなかったけど、その題名だけ聞くとなんか青春っぽいな、と思ってしまう。
「すっごく、かっこよかったです。軽音部も、あんな曲やってたんですね。友達からは軽音はポップスのバンドだって聞いていたから……」
僕の感想を聞いて、ジュリエット先輩はこう説明してくれた。
「うん。去年、部長だった人の意向で、ロックよりキャッチーを重視した曲を多く演奏してたんだけど、それ以前は軽音もロックとか色々やってたみたい」
なるほど。これでようやく合点がいった。ポップスは去年の部長さんの嗜好だったということか。
「あと、あの曲は、軽音部がこれまでで一番盛んだった時期に書かれたんだって。なんかね、一人だけすっごい子がいたらしいよ。途中で辞めちゃったみたいだけどね」
これも非常に納得できた。あんな曲、プロでもなかなか書けない、きっと。
「じゃあ、これで決定でいいかな?」
ジュリエット先輩はそう言って、ホワイトボードのところに走っていき、
『曲目:COLORFUL』
と、赤いマーカーで書いた。
もうすぐ練習が始まる。そんなワクワク感が、それを見ると否応なく芽生える。ますます僕も、歌うのが楽しみになってきた。
「それじゃ、明日からセッションするぞ」
ベギー先輩は、部長らしい語調で声をかける。
よし、いよいよだ…………え?
セッションって、みんなで音を合わせるって意味だよね……? しかも明日からって、個人レッスンもまだなんだけど? 曲も、今日初めて聴いたし。
「あの〜……個人の練習、とかは?」
「時間がないんだ、お前も明日までに歌詞を全部覚えて来い」
「ひぃっ!」
また睨まれた。どうしてそんなに睨んでくるんだよ、この先輩。
一気に不安要素が増える。
「レンくん、大丈夫だから。レンくんならいけるから!」
どこにそんな根拠があるのかわからないが、綺音は激励の言葉をかけてくれる。そう言われても、先程と百八十度逆の感情に襲われ、やはり動揺は隠せない。
「わ、わかりました。頑張ってみます」
と答えるものの、また帰るのが億劫になった。