#04 軽音部にようこそ
「失礼しまーす」
四十谷さんは声をかけながら、部室のドアをスライドさせ、中に入った。僕も恐る恐る、その後に続く。
部屋は、空き教室をそのまま部室に使った感じ。窓際には、ドラムセットやらギターやらが並んでいる。前には黒板の代わりにホワイトボード。その前には何故かブラウン管が置かれ、テレビにゲームのコントローラーのようなものが繋がっている。また、床にはお菓子の包み紙らしきものが散乱している。
多分、僕の頭上には無数の疑問符が浮かんでいるんじゃないかな。
その部屋には女の人が二人いて、一人は中央辺りの床に寝そべって本を読んでいる。
読んでいるのは漫画だろうか? その人は僕たちが部屋に来たことに気づいていないのか、顔を上げようとしない。
最初は四十谷さんが部屋を間違えたんじゃないかと疑ったけど、ちゃんと楽器が置いてあるし、ここが軽音部の部室だということはどうやら事実らしい。
僕はもう一人にも目を向けた。その人は、後ろの壁にもたれかかるように座ってただ天井を眺めていた。少し大人びた面差しで、全体的に誠実の権化のような人だ。これは僕の独断だけど、勉強がよくできそう。
しかしその一方、どことなく怖そうな印象もある。無表情かつ鋭い視線で、天井の方を睨み続けている。目は開いていても、まるで無の境地に達しているかのような冷然たる趣がある。なんというか、とても怖そうな人。眼鏡をかけて真面目そうだけど……とても怖そうな人。
「先輩。見学の人、連れてきましたよ?」
四十谷さんはまず、眼鏡の人に近づいていって声をかける。なかなか勇気ある行動だと僕は感心した。僕なら、話しかけるのすら躊躇ってしまうかもしれない。
眼鏡の人は顔を上げ、四十谷さんよりも少し後ろに控えている僕に視線を向けた。やっぱりそれには目力が宿っていて、僕は緊張して一歩も動けなかった。
すると眼鏡の人はいきなり立ち上がり、僕のところへ歩み寄ってきた。立つと、四十谷さんよりも身長が高いように見える。イコール、僕よりも高いということになるわけだけど。僕、四十谷さんと同じくらいだし。
目の前まで来ると、眼鏡の人はずいっと顔を近づけてきた。蛇に睨まれた蛙のごとく、僕は固まったまま立ち竦んでしまった。やばい、食われる。
しばらく鋭利な視線に耐えていたが、数秒後にやっと離れてくれた。その瞬間、僕は今までにないほどの安堵感を味わう。ああ、怖かった。
しかし、眼鏡の人が小声で、
「……チッ、男子かよ」
と呟くのが聞こえた。期待はずれとでも言わんばかりの顔をし、後ろを向いてしまう。先程までの「怖い」という僕の感情は、そこで「驚き」に変わった。
この人は何を期待していたのだろう。女子ばかりの部活だから、女子が来ることを期待していたってこと?
悪かったな、男子で。というか、せっかく来たのに、なんだよ。感じ悪い!
「え、なになに〜? もしかして、入部希望者?」
そう言いながら、さっきまで漫画を読んでいた人が僕に近寄ってきた。先程とは違い、興味津々に僕の全身をしげしげと眺め回してくる。
こっちの人は、僕よりも背が低く、眼鏡の人よりよっぽど女の子っぽいと感じる。
「じゃあ、暁くん。紹介するね」
四十谷さんは、二人を順に指しながら、僕に紹介した。
「こっちがベギー先輩で、こっちがジュリエット先輩」
はい? ベギー? ジュリエット?
「えー……と、外国人ですか?」
「んなわけあるか!」
突然、眼鏡の先輩から額に思いっきりチョップを食らった。うわぁ、どんな人かまだよくつかめないんだけど。
因みに、眼鏡の怖そうな人がベギー先輩で、背の低い人がジュリエット先輩。加えて、部長を務めているのがベギー先輩、副部長がジュリエット先輩のようだった。
ベギー先輩は相変わらず、笑顔を見せることもなくムスッとしている。やはり、僕から見た印象は依然として変わらない。
一方、ジュリエット先輩はベギー先輩とは違い、
「よろしくね〜」
などと言いながら、僕の肩をポンポンと叩いてくる。僕としては、こっちの方が話しやすいかも、なんてことを考えてしまう。ただ、ちょっとスキンシップが激しいかな、この先輩は。
アイドル顔で、声優のような甘い声も相俟って、年上のはずなのに年下に見えなくもない。動物に例えると兎っぽい。
「じゃあ、仮入部届を出してくれるかな」
「え、仮入部ですか?」
ジュリエット先輩に言われたので、僕は問い返す。
「そうだよ。あれれ、もらってないの?」
相手は相手で不思議そうに訊いてくるけど、僕は見学に来ただけで、そんなものはもらっていないし、第一入部するつもりもないのだ。
ジュリエット先輩は首を傾げつつ四十谷さんの方を振り返って、彼女に尋ねた。
「ねぇ、ユキちゃん。どういうこと?」
「あ。彼、見学ならいいって言ってくれただけなので」
何事もない表情で答える四十谷さん。
というか、「ユキちゃん」? 彼女の名前って確か……。
「なんだ〜。あ、まあ、いっか。活動もろくにしてないし!」
ジュリエット先輩が陽気に言う。
気になることが多すぎる。「活動していない」とはどういうことなんだ? 音楽フェスとかに今は出演していないという意味なのか、練習さえしていないという意味なのか、一体どういうことなんだろう?
四十谷さんの名前についても、気になって仕方がない。僕の記憶が正しければ、彼女の下の名前は「ゆき」ではなかったはずだ。ニックネームだとしても、どこから出てきたのかが謎すぎる。
なんか、深い事情がありそうな……でも、訊かない方がいいのかな……?
「あの〜……」
少し逡巡しながら、ジュリエット先輩に呼びかける。
「どうしたの? あ、もしかして入部したくなったとか?」
先輩は振り返りざまに、眩しいばかりの笑顔を見せた。可愛い。
「あ、あの。名前、間違えてません?」
「え、誰の?」
意味がわからない、というような顔でまた首を傾げられる。まあ、そりゃ、そうだろうな。
僕は、先輩と四十谷さんとを交互に見やりながら訥々と言った。
「四十谷さんの名前、違うような気がするんですけど……」
そこで、ようやく氷解したという顔になるジュリエット先輩。今度は、大きい目をさらに見開く。それもそれで、なかなか見応えがあった。
「えっとね、綺音ちゃんが千條ユキの大ファンだって言うから、そう呼んでるの」
紛らわしいですね、はい。しかも、いやに安直だ。なんというか、深く考えて損した気分。……四十谷さんは何故か笑ってるし。
四十谷さんから聞いたところ、先輩たちのニックネームもそれぞれ一番好きなバンドの名前に由来するらしい。
因みに、四十谷さんがファンだという「千條ユキ」は有名な女性シンガーソングライター。僕も大好きなアーティストだ。こんなところで共通点が見つかるなんて、ちょっと感動。
四十谷さんは後ろを向き、廊下側に戻っていった。それを目で追うと、扉付近にはギターが立てかけられ、その横に鞄が置かれてあった。彼女は、ギターの隣に腰を下ろした。いよいよ軽音部の練習風景を見られるのか、という期待に、僕は胸を膨らませる。
……が、四十谷さんは鞄から一冊のノートと筆記用具を取り出すと、座り込んだ状態のまま何かを書き込み始めた。てっきり、ギターでも弾き始めるのかと思っていた僕は、少しばかり肩を落とす。それでも、何を書いているのかが気になった。
そろっと彼女に近づいてノートを覗き込もうとすると、誰かに手を引っ張られた。
「ねぇ、ねぇ! 暁くん……だっけ? これから、何して遊ぶ?」
驚いて振り返って見ると、ジュリエット先輩のやけに嬉しそうな表情があった。しかも発言の意図も全く読めず、戸惑いを隠せない。
「……遊ぶ、ってどういうことですか?」
「だって、見学なんでしょ? だったら、何もしないよりは何かしようよ! あ、ゲームでもやる? RPGとか興味ある?」
何気なく、先程から無言でいるベギー先輩の方に視線を持っていくと、彼女は彼女でさっきみたいに壁に寄りかかり、本を耽読していた。……やる気ゼロだ。
本当にここは軽音部……というより、ちゃんとした部活動の部室なのかと疑わざるを得ない様子に、呆然としてしまう。楽器があるのに、何故練習しないんだろう。ここは、はっきりと確かめておこう。
「すみません。練習、しないんですか?」
「え、しないよ?」
即答だった。ジュリエット先輩は続けて、
「しても意味ないからね〜」
と、付け加える。
「どういうことですか?」
「あ、さてはやっぱり聞いてないんだ〜。去年までは部員も結構いたんだけど、重音部ができてからはみんなそっちへ転部しちゃったんだよね。残ったのは私とベギーの二人だけ。でも、さすがに二人だけでバンドやるのは無理があるからって、特にやることなくなっちゃったんだよ」
僕は、打山くんの話を思い出す。「重音部ができてから、軽音部は特に活動をしなくなった」という言葉。そういうことだったのか。まさか、部員までとられていたなんて。
しかも、打山くん情報によれば、軽音部は現在、《トラブルサム・セット》と呼ばれている、らしい。確かに、いかにも厄介そうな人たちだ。……四十谷さんを除けば、二人だけど。
「でも、せっかく在籍してるんですから、ゲームとかするよりは活動した方がいいと思いますよ。少人数でも、演奏はできますし……」
ちょっと無礼な言い方をしてしまったと後悔したけど、勿体ないという気持ちも強かった。
ただ、ベギー先輩も案の定、僕の言い草が気に食わなかったらしく、読んでいた本を閉じると、再びこちらに歩み寄ってきた。相変わらず、オーラがすごい。
先程のように、その顔を僕にぐいっと接近させる。
「仮部員でもないやつが、余計な口を挟まないでもらいたいものだな。私らは、それでいいと思ってやってるんだ。中途半端に活動して重音部に目をつけられでもしたら、今度こそ潰されるかもしれないからな」
ベギー先輩は上から僕を睨みつけてそう言い放つと、顔を離し、スタスタと元いた場所まで戻っていった。そして座って、また本を読み始める。
これが、軽音部の実情。もはや言い逃れすらできない、どうしようもない実態。この分だと、顧問の先生さえいないのかも、という不安が広がる。
これまでに聞いたことをもとに考察すると、軽音部は重音部とトラブルになるのを避け、あまり活動しなくなったのだろう。
なんというか、「失意」という言葉しか今は思い浮かばない。あ、でも、これで僕がこの部活に入部する理由がなくなったと思えば、それはそれでラッキーなのかもしれない。
……ラッキーなのか? 四十谷さんや、他の部員の人には申し訳ない。
「じゃあ、これで失礼しますね」
背後から声が聞こえ、僕は振り返った。
鞄を肩にかけ、ギターバッグを背負った四十谷さんが後ろの入口前に立っている。どうやらこれから帰るらしい。
ペコリと頭を下げ、四十谷さんはドアをくぐって部屋を出ていった。それを見送った後で、僕はふと我に返り、慌てて彼女を追いかけた。
渡り廊下の手前くらいで追いつき、背後から彼女を呼び止めた。
「四十谷さん!」
僕の声に反応したらしい四十谷さんは足を止め、ゆっくりとこちらを振り向く。窓から射す西日が、彼女の顔を照らし出した。
最終下校時刻にはまだ早い時分だった。彼女を引き止めたのは、どうしても気になることがあったからだ。
「君、まだあんまり練習してなかったよね。これから、用事でもあるの?」
彼女は「うん」と頷いた。そしてさらに、
「途中まで、一緒に帰る?」
という、嬉しい言葉をかけてくれた。僕としても、今更部室に引き返すのもなんとなく気が引けるし、お言葉に甘えて、そうすることにした。
毎日同じように繰り返している「帰る」という行為だけれど、この日は図らずも胸がいつもより騒がしかったことは否定できない。