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#25 僕らのステージに光を

 舞台では、僕たちのひとつ前のバンドが今まさに演奏している最中だった。袖から間近で見ると、迫力が段違いだ。真に迫るものがある、とでも言うのだろうか、映像などで観賞するよりも格段にすごさが伝わってくる。


 じっとそのパフォーマンスに見入っていると、不意に誰かに肩を叩かれた。打山くんかな? と何気なく振り返ると、薄暗い中、舞台から漏れる仄かな照明の光に照らされていたのは綺音の生気あふれる顔だった。思わず声が漏れそうになるのを、どうにか堪える。


「レンくん、お待たせ。お母さんね、思ってたよりも元気そうだった。たぶん、疲れが出ただけだって先生も言ってたから、もう大丈夫だよ」


 綺音はここまで走ってきたのか、その声は途切れ途切れだったが、嬉しさが伝わるには充分すぎるくらいだった。彼女の穏やかな笑顔を見ると、心底安堵した。


 すると、綺音が不意に僕の腕を引っ張って、袖の奥へと連れて行った。


「どうしたの?」


 その行動の意図がすぐには読み取れず、後ろ姿に問いかけると、彼女は立ち止まってこちらを振り返った。その目は、先程とは打って変わってどこか儚い色をしていた。


「レンくん……あたしたちって、今、青春してるのかな」


 唐突にそんなことを言い出すものだから、当然、僕は戸惑ってしまった。返すべき言葉が思いつかず、彼女の顔をただ見つめることしかできない僕に、彼女は問いかけるような真面目な視線を返してくる。それが、何か答えないとと僕をさらに焦らせる。


「してるん……じゃないかな。君が、そう思ってるなら」


 青春……その響きは美しいけど、実を言うとあまり実感がない。


 綺音は少し視線を伏せて、


「あたし、実は歌詞の中に隠しメッセージを込めたんだ」


「……隠しメッセージ?」


 問い返すと、綺音は顔を上げて微笑を浮かべながら、小さく首を振った。


「ううん、何でもない。頑張ろうね!」


 言ってから、今度は僕に手を差し出してくる。躊躇いがちに、僕もそっとその手を握った。温かった。彼女の手の温もりが、心の芯にまで染み込んでくるように思えた。


 それが、僕の中に蟠る唯一の罪悪感を刺激する。


 メンバーたちに綺音の正体を吐露してしまったことを、本人にも話さなければならない。そんな衝動が、ここに来て突然生まれた。


「ねえ、綺音」


「なに?」


「僕、実は、みんなに言っちゃったんだ」


「……何を?」


「君の正体が、《アスキー・アート》だってこと」


 しばらく、不思議そうな眼差しで僕を見つめたまま黙っていた綺音は、やがてその表情を崩し、また淡い笑顔を作ってこう呟いた。


「そう、なんだ……」


「あ、でも! 誰にも言わないでいてくれるみたいだから! 約束してくれたし!」


 諦めたような声を出す綺音に、弁明するかのごとき口調で僕は慌てて付け加える。しかし、綺音はにっこりといつもの笑みを送ってくるだけだった。こう見えても意外と怒ってたりするかもしれないので、とりあえず形式面だけでも謝っておく。


「……ごめん」


「いいよ。もちろん、この落とし前はきっちりつけてもらうけどね」


 表情を変えず、そう言って綺音は応じる。


 落とし前って……帰りにジュースを奢るとかならいいんだけど。


 変な妄想をしていると、綺音は気がついたように、パンッと両手を胸の前で鳴らした。


「あ、そうだ。レンくん、これが終わったら話があるの」


「……話?」


 綺音は、こくりと頷く。


 話って何だろう? もしかして、今の話と関係がある?


「だから、レンくんも聞かせてほしいんだ。君のアンサーソングを」


 これまたよくわからない。本番直前だというのに、意味ありげなことを続けざまに言わないでいただきたい。気になるじゃないか。でもそれを訊く前に、向こうの舞台袖で待機している他のメンバーたちのところに歩いていってしまった。


 結局、彼女が何を言いたかったのかさっぱりだったけど、今は気を取られずに集中しよう。僕は瞼を閉じ、深く呼吸をする。大丈夫だ、もう緊張はしていない。観客を意識せず、大切な人に向かって歌うつもりで歌おう。


 その時、脳裏に浮かんだのは夢乃の顔であった。あいつも、応援してくれるかな。


 打山くんに呼ばれると、なるべく音を立てないように僕は早歩きで彼らの側へ寄った。前のバンドの演奏が終了したらしい。


 全員で舞台袖の中央に集まり、円陣の代わりに手を重ね合わせた。最初に、打山くんが掌を伏せて差し伸べ、それに小鳥谷くん、北郷くんが続く。その上に綺音が手を置き、最後に僕が自分の手を重ねた。


 打山くんがこちらに目配せをするので、僕は頷き、精一杯の大声を張り上げた。


「いくぞー!」


「おぉー!!」


 僕の掛け声を合図に、全員の地響きのごとき大音声が壁を震わせんばかりに袖に響き渡った。ちょうどその時、場内からざわめきが聞こえてきた。今の声が観客席にも聞こえたのだろう、お客さんが何事かと囁き合っているようだ。


 僕たちは息を詰めてもう一度、互いの顔を見て確認するように頷き合うと、意を決してステージへと向かった。


 舞台は照明がすべて落ち、暗闇だった。それでも気後れすることなく、闇の中をただ進む。一点の光を求めて歩く、旅人のように。


 中央の辺りに立ち、客席の方を向くがやはり何も見えない。そこにスタッフが来て立ち位置を微調節し、そしてマイクを手渡される。背後では、メンバーがアンプに楽器をつないでいるのか、ヒソヒソと微かに話し声が聞こえる。


 ビーッ、とブザー音が鳴り響いた。


 直後、光を失った世界がそれを取り戻したように、パッと視界が明るむ。太陽のような証明が降り注ぎ、顔中に熱を帯びる。改めて客席に視線を向けると、座っている一人ひとりの顔が明瞭に見える。おそらく、中庭ライブの数十倍――いや、百倍はいるかもしれない。


 その中に、見覚えのある顔があった。最前列の中央付近に、ベギー先輩とジュリエット先輩の姿が見えたのだ。ベギー先輩は腕を組んでこちらを睨んでおり、ジュリエット先輩はいつもの明るい笑顔で手を振ってくれている。


 二人とも、来てくれたのだ。しかも早く来ないといい席は取れないと聞いていたから、朝の早い時間帯からここに来てくれていたのだということが一目瞭然だ。それを思うと、顔に出すわけにはいかないけど、心の中で感涙せずにはいられない。


 彼女たちにも、練習の成果を見せつけてやらねば。僕たちの選択は間違ってなんかなかったのだと、ここで知らしめてやろう。


 司会者が短くバンドの紹介を終えると、満座から一斉に拍手を受ける。そして、ついに曲が始まる。


 僕らの「今」が詰まった――曲名『アワーステージ』。


 デモはバラード風な曲調だったけど、重音部の彼らにも演奏しやすいようにと綺音がアップテンポ調にアレンジしてくれたのだ。8ビートのドラムに、エレキギターが奏でる清爽なメロディー。そこに重なる、ベースのスラッピング、そしてアコースティックギター……。


 前奏が終われば、ついにボーカルの出番である。僕はそっと、マイクを口許に近づけた。


 最初のAメロは僕のソロパートだ。



 ♪夕立が僕の傘を濡らす

  少し前まであんなに晴れていたのに

  こんな不安も雨が洗い流してくれたらな



 歌い出しは好調。ここまでは練習通りだ。


 続いて、綺音のパート。メロディーは先のパートと同じ。



 ♪逸るもどかしいこの気持ちを

  うまく扱えずに持て余していた

  きみの歌は今の僕を照らし出すよ



 だが、その歌詞には違和感があった。一緒に考案し、練習の時に歌っていた歌詞とは違っていたのだ。


 あれ……こんな歌詞だったっけ……と少し動揺したものの、すぐに合点がいった。確かに、思い当たる節がある。


 つい先程の出来事。綺音が話していたことだ。


 ――『聞かせてほしいの。君のアンサーソングを』


 綺音はそんなことを言っていた。さらに彼女は、終わったら「話がある」と続けた。これはもしかして……と思うが、すぐにそんな余念は振り払う。集中、オブ、集中。


 次からは、二人で歌うパートが続く。


 まったく、手の込んだサプライズだ。でも、あとで答えてやらなきゃとは思っている。本当にそれが、君の思いなのだとしたら。


 ……だから、今の歌詞が、二人で考え出したBメロにつながっていくんだよな?



 ♪恥ずかしい気持ちも歌でなら伝えられる



 僕も同じだ。君と初めて言葉を交わしたあの日から、そうだったのかもしれない。


 そしていよいよ、僕と綺音がハーモニーを織り成すこの曲の一番のミソ、最後のサビへ――



 ♪ほら、僕らのステージが光に包まれるよ

  夜半の空に浮かぶ月のように、鮮やかに輝く


  真っ白いキャンバスに描いたあの夢は

  僕らの中でいつの日か虹色に変わっていくんだ

  このステージの上で



 これで、ボーカルは一区切りだ。ただ、演奏はまだまだ続行中。


 舞台に立つ側として、第一に気にかけないといけないことは「観客を退屈させないこと」だ。しっとり系のバラードならまだしも、テンポのいい曲で、歌い終わったからといってその場に直立しているのは、ちょっと物足りない感じを与える。


 軽快なステップを踏む。綺音に頼んで、曲調を速めてもらったのはこのためだ。メンバーには内緒で、帰宅後もこつこつと自室で練習を重ねていた、パフォーマンスの一環。


 全身を動かすことに意識を置き、曲に合わせて軽やかにステップを踏んでいく。楽器が弾けないのだから、せめてこれくらいのことはさせてほしい。


 いかにお客さんを楽しませられるか、それは演奏する人ももちろんだけど、ほとんどが最も注目が集まるとされるボーカルにかかっていると言っていい。そのことが、こうしてステージに立っている今、やっと理解できた。


 数百人、数千人の視線が、僕のところに集中しているような感覚。それは思い上がりだろうと言われるかもしれないが、実際にそんな気がするのだ。


 皆、それぞれの役割を持っている。


 ――僕らのステージは、まだ終わらない。終わらせない。


 僕は両手を掲げ、マイクを握った手にもう片方の手を打ちつけるようにして、手を叩く。


 すると観客席の方からも、ワッと手拍子が沸き起こる。狙い通りだ。


 さらに、ここでジャンプ!


 手拍子が熱を持ったまま、一層強くなった。ふと客席の方に目を向けると、軽音部の先輩の姿がある。ベギー先輩は相変わらず憮然とした態度で僕たちの演奏を見ていたが、ジュリエット先輩の方はノリノリで、こちらに手拍子を送ってくれている。


 ロックより激しくなく、ポップスのようなキャッチーさもない。不器用な旋律。トラブルサム・メロディー。だけど、これくらいがちょうどいい。これが、今の僕らの音楽なんだ。


 ――夢乃、僕はいま、ちゃんと歌えているかい?


 君がずっと夢見ていた舞台に僕が立っていたら、君は怒るかな。それとも、君なら代わりに夢を叶えてほしいって言うかな。


 千條ユキのライブに行ったあの時から、君の夢は始まった。それを、僕は無駄にはしない。絶対に叶える。まだまだ先になりそうだけど、どうか見守っていてくれると嬉しいな。


 ふと、夢乃の歌声がどこからか聞こえてくるような気がした。



 ♪心の中にある言葉たちを

  ありのままに云えたらいいのにな

  これまで感じたことのなかった思い

  張り裂けそうな胸の痛み

  すべてが僕らのためにあるみたいで



 よし、まだ歌えてる。これからもこの大切な仲間と一緒に、輝かしいこのステージで、自ら輝ける日まで立ち続けたい。だから、信じてくれるかな?


 ――僕は、心の底から楽しんで、歌えているよ。

これで完結とさせていただきます。

ありがとうございました。

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