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#22 君がくれたラブソング

 DMF――『ディヴァイン・メロディアス・フェスティバル』前日。



 明日が本番とあって、スタジオを借りられる時間をいつもより一時間ほど延長してほしい、と綺音と前もってスタジオの貸し主に交渉しに行き、承諾を得ていた。


 その練習も終わり、戸締まりをしてこれから帰宅しようというところであった。因みに、僕と綺音以外の三人はいつもとほぼ同じ時刻に出ていってしまった。


 本来は綺音もきっかり七時に帰る予定だったらしいが、僕がスタジオの使用時間をもう一時間くらい延ばせないかと相談したところ、彼女は「熱心だね」と感心したように笑うと、快く頷いてくれたのだった。熱心というか、今の練習量のままでいけるのだろうかという、焦燥に近い不安があったのだ。


 あれから、平日週末にかかわらず五人で集まって決められた時間、セッションなどをやって修練を積んできた。その結果、日増しにメンバーの息が合ってきているような、そんな手応えも感じられるようになった。


 使用時間の延長については、半分は僕の我が儘だったし、付き合う必要はないとメンバーに伝えたところ、打山くんをはじめとする他の面子は少々後ろめたさを顔に出しつつも、「悪いな」「お先に」などと口にしながら、先に帰っていった。けれども、綺音だけは最後まで僕の練習に付き合ってくれた。そのことだけで、僕の燃えるようなモチベーションは桁上りに上がったと言っても過言ではない。



 八時十分前、綺音は練習用スタジオを提供してくれた人(葦田さんというらしい)に挨拶をし、僕もその人にお礼を述べてから、彼女とともに外へ出た。


 駅に向かっていると、隣で綺音がぽつりと呟いた。


「……明日が終わったら、解散だね」


「えっ?」


 唐突な発言に驚いて、僕は彼女の方を見た。そうすると綺音は一瞬はっとしたような表情を見せたあと、微笑しながら言葉を続けた。


「《トラブルサム・アート》ってほら、ある意味、付け焼き刃のバンドでしょ? だから、明日のフェスが終わったら……もう活動する意味もなくなっちゃうわけだよね」


 綺音はそう言ってから、どこか物憂げな視線を地面に落としていた。


 ……そうだった。これまでは目前の練習に必死で、同時に本番のことしか頭になく、忘れていた。僕たちは、DMFに出場するためだけに結成された、言わばその場限りのバンドなんだ。


 この一週間はなかなかハードだった。が、それなりに充実もしていた。これが青春なんだ、そう思えた。ようやく、自分の居場所を見出だせたような気持ちにもなれた。そして何より、歌うことが心から楽しいと思える時間を過ごせた。


 こんなふうに思わせてくれたのは、綺音や、力になってくれた仲間たちだ。


 思わず「ありがとう」と口に出しそうになったが、咄嗟にその言葉を呑み込む。お礼を言うのは、時期尚早というやつかもしれない。まだあと一日、頑張ろう。


 少し寂しそうな顔をしていた綺音は、後ろ向きな思考を取り払うように大きく首を振り、顔をこちらに向けた。


「大丈夫。短い時間だったけど、一日も休まずに練習を積んできたわけだし。今は、自分たちの力を信じて頑張ろう!」


 彼女らしい声、彼女らしい笑顔が戻った。そこにはもう、憂いは見られなかった。彼女と目を合わせながら、僕も大きく頷いてみせる。


「軽音部としてまた活動できるようになったら、先輩たちに成果を見せつけて驚かせようね」


「そうだね。僕も、今から楽しみになってきたよ」


「ねえ、レンくん……」


 綺音が急に足を止めた。僕もほとんど同じタイミングで停止。綺音が立ち止まるのは、何か話がある時だ。……それが必ず大事なこととは限らないけど。


 そんなことを考えていると、不意をつくように綺音が両手でまた僕の手を握ってきたのだ。ドクン、と心臓の跳ね上がる音。それを合図に、身体中に熱が走る。


 しかし、綺音は真顔でじっと僕の顔を見つめてくるだけだった。僕は顔を逸らさず、いや、正確には逸らせずにただ固まっていた。こんなこと、以前にもあったような……などと考えている間にも、僕の鼓動のビートはどんどん加速していくみたいに思われた。BPMもそれこそ二百に迫ろうかと思えるくらいに。


 何か言わなきゃ……でも、どう切り出すのが正解なのだろう。


 視線を交わすこと数秒。その時間が数十分にも感じられたが、やがて綺音は穏やかな表情になって、僕を見つめたまま言った。


「ありがとう。君がいてくれなかったら、あたし、きっと諦めてたと思う。今日は、そのお礼が言いたくて」


 え? このタイミングで? 僕の我慢は一体?


 だけどまあ、お礼を言うのも、言われるのも、当然の義理ではあるかもしれない。お互い、一人では到底ここまで来られなかったと思うから。


「……僕も、感謝してるよ。君がしつこく誘ってこなかったら、僕は今でも歌えないままだったと思う。好きだったはずの歌を、嫌いになってた。ありがとう。それから……」


 完全に衝動的だったけど、僕はそろそろあの話をしてもいい頃合いではないかなと思った。僕は、彼女と目を合わせたまま一呼吸おいて、続ける。


「それから、僕、君に謝らないといけないことがあったんだ」


「謝らないといけないこと?」


「……うん。僕、ずっと君に嘘をついてた」


 綺音がきょとん、と眉をひそめる。広い目で見れば、どうでもいい話。でも、僕らにとっては大事な話、だと思う。


「君に下の名前を訊かれた時、わからないと思って、つい嘘言っちゃったんだ」


「えっ? レンタくん、じゃないの?」


「いや、読み方は確かにそうなんだけど……、『れん』のところ、実は『蓮』じゃなくて……こ、『恋』って書くんだ」


「恋……?」


 綺音は一段と戸惑ったように首を傾げる。


 やっぱり、ここで言うべきではなかったのかな……と後悔に近い羞恥心が、沈黙の時間が長くなるに連れて僕の中に渦巻いた。


「あ、ご、ごめん。急にこんな話して、びっくりさせちゃったよね。今のは、忘れて」


「すっごく面白い名前!」


 綺音がいきなり顔を上げるなり、僕の声に被せるように言った。その声に驚き、僕は思わず一歩後ろに退いてしまった。


 さらに綺音は続けて、


「へえ、恋太くんかぁ。『こいた』って書くんだ」


 と、感嘆したように呟いている。


 個人的に、その呼び方はあまりされたくない。昔、よく「こいた」と呼ばれてはからかわれていた。そのこともあって、下の名前はあまり他人に教えたくないのだ。それでも、罪悪感が全くなかったわけではない。嘘をつくのは、やはり褒められた行為ではないから。そこはちゃんと謝らないといけない。


「……ごめん」


 綺音の目を見つめつつ、もう一度、お詫びの言葉を。だが、綺音は首を振った。


「いいよ。ほんとのこと、言いたくなかっただけでしょう? でも、あたしはいいと思うけどな。君のその名前。もっと、自信持ってもいいんじゃない?」


 正直、返す言葉が見当たらなかった。


 家族以外にそんなことを言ってくれる人が、これまでにいただろうか。なんでそんな漢字を当てたんだろうと、つけてくれた親に対して不満を抱くこともあったが、「自信を持てばいい」と初めに言ってくれたのは妹の夢乃だった。だから、僕はそれまでよりは自分の名前に憎悪を感じることも、コンプレックスに思うことも少なくなった。


 しかし、そうは言っても、どうしても好きにはなれなかった。男なのに「恋」なんて……。それでも、こうして綺音が言ってくれるのを聞いたら、自分の名前に対する自信も不思議と取り戻せそうな気がしてくる。少しだけ、好きになれそう。


「ありがとう」


 無意識に、また感謝の言葉を口にしていた。


 綺音は特技のにっこり笑顔で応酬してくれて、さっと背を向けると再び歩き始めた。


 彼女は夜空を仰ぎながら、ある曲を口ずさむ。数歩遅れて僕も彼女を追いながら、その歌声を黙って聴いていた。そしてサビの部分が耳に入った瞬間、不意に胸の奥がズキンと傷むのを感じた。どこかで聴いたことがある歌だった。


 懐かしい、温かく世界を包み込んでくれそうな、包容力のあるメロディー。


 それはすぐに思い出せた。当然といえば当然だ。これは、夢乃が初めて自分で制作したオリジナル曲なのだから。歌詞は僕と彼女の共作で、将来への期待や不安がテーマになっている。今思うと千條ユキの二番煎じでしかないが、二人で夜中までかかって一生懸命、頭を捻りつつ考え出したのは今になっても鮮明に憶えている。そのおかげで、次の日は学校に遅刻してしまったほどだ。


 そんな思い出に浸っていると、いつの間にかまた足が止まっていた。綺音もそれに気づいて歌うのをやめ、再びこちらに正面を向けた。その瞳は街灯の明かりを照り返し、ゆらゆらと光を湛えて揺れていた。


「……わかる? 夢乃ちゃんが作った曲。これ聴いて、あの子のファンになったの」


「夢乃も気に入ってたよ、それ。いつも家で歌ってた」


「ねえ。レンくん、あたしね……」


 そう言いかけると、綺音は恥ずかしそうに口をつぐんだ。道端の街灯に照らされた彼女の頬が、少し紅く染まっているようにも見えた。


「どうしたの?」


「ううん、なんでもない!」


 綺音は笑顔のまま、ぶんぶんとまた首を振る。彼女は僕に何を言おうとしたのだろう? と少し気にはなったものの、これ以上は追求しないでおくことにした。話したくないことを無理やり聞き出すのは、さすがに気が引ける。


 それから、僕らは再び並んで歩き、駅に向かった。数分ほど行くと、駅舎が見えてくる。


「じゃあ、ここでお別れだね。また明日」


 駅前広場まで来ると、綺音が告げた。


「えっ、電車じゃないの……?」


「あたしの家、この近所なんだ」


 そういえば、当然のように綺音も電車で帰宅するものだと思い込んでいたが、スタジオから彼女と帰ったことはまだ一度もなかった。練習が始まってからは毎日、打山くんたちと一緒に帰っていたし、綺音はスタジオに残って葦田さんと歓談したりしていたから、誘う機会がなかったのだ。


「明日、頑張ろうね!」


 別れ際、綺音はもう一度それだけ言うと微笑んだ。


「うん、頑張ろう」


 僕もそう応じる。


 綺音は身を翻し、足早に向こうの路地へと去っていった。彼女の背中は黒いギターバッグに遮られていて見えなかった。だけど、純一無雑な希望を胸に抱いて走っている綺音の横顔は、まるで彼女がまだそこにいるかのように、僕にはわかる気がした。


 ふと空を見上げると、満天とはいかないまでも、そのまま歌詞にできそうなほどの星たちがあちこちに散らばっていた。紺色の空には雲ひとつなく、見えるのは月と星だけ。


 夢乃ならこの夜空を見て、どんな曲を作るだろう。どんな世界を描くだろう。やっぱり彼女の得意だった、ミディアムバラードになるのだろうか。それを聴いた人はきっと、優しさに溢れた美しい旋律と言葉に感動を覚えるだろう。少なくとも、僕と綺音は。

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