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#21 練習開始!

 記念すべき、《トラブルサム・アート》としての練習初日。


 前日、昼休みにメンバーの五人で集まり、翌日の打ち合わせをしたあと、放課後は僕と綺音だけが教室に居残って作詞の続きに取り組んだ。


 結局、トータルで一時間ほどかかったけど、無事に歌詞は完成した。楽譜に書き込んだものを早急に印刷して渡してくれると綺音は約束してくれたけど……間に合ったのかどうか、正直なところ、少し懸念があった。


 一抹の不安を抱えながら、スタジオのある場所へと足を運ぶ。綺音が前の日に用意してくれた、プリントアウトされたマップを頼りに、最寄りの駅を出るとそこを目指して歩く。


 綺音の知り合いの家は、駅から徒歩で十分くらいのところにあった。大きな交差点の角だったから、あまり時間はかからずに見つけられた。普通の家というよりも、音楽スクールのような白壁の建物だった。


 壁に沿うように階段が備え付けられていて、そこを上って行くと、門がある。その脇のチャイムを押すと、そこの家の人と思しき男の人が出てきて、僕が用件を口にする前に、初めからわかっていたのか、にこやかな笑みで門を開けてくれた。目尻が下がり、とても人が良さそうな、優しそうな印象を受ける。


 ただ、初めて来る場所に戸惑いを隠せず、門の前に佇んでいる僕に、その人は口をつぐんだまま手招きし、背を向けて玄関の方に歩いていく。その後を、僕は気後れしつつ、おずおずとついていった。


 門戸をくぐると、真っ直ぐに板張りの廊下が奥まで伸びて、突き当りにはガラス張りの戸があり、その向こうにバスドラムやギターが置いてあるのがここからでもよく見えた。僕は案内されるまま、廊下を進み、男の人は奥の戸を静かに開けた。


 そこは、軽音部の部室よりもやや広い、ミュージック・スタジオだった。フロアは、廊下と同じ薄い橙色の床が蛍光灯の光を反射して白く輝き、ダンス・スタジオとも兼用しているのか、向かいの壁は一面鏡張りだ。


 入口から向かって右手の壁側には、アンプなどの様々な音楽機材に加え、ちらっと玄関からも見えたいくつもの楽器が整然と並んでいる。そして、その傍らに座り込み、膝の上に広げたノートに何かを書き込んでいる、僕と同じ制服を着た一人の女子がいた。


 彼女はふと顔を上げて、僕を見やると同時に、その口許が綻んだ。


「あ、レンくん。早かったね。残りのメンツはまだ来てないから、もう少し待っててね」


 綺音はいつもの調子でそう話すと、再び顔を伏せた。


 僕をここまで案内してくれた人(おそらくこの人が綺音の言っていた知り合いだろう)も、笑顔を維持しつつ会釈をすると、ドアを閉めて廊下を音も立てず引き返していった。


 僕は少々畏まり気味にスタジオ内に踏み入り、ぐるりと視線を巡らせた。正面の鏡張りの壁に沿って、左に視線を動かす。奥行きもそこそこはあるようだ。予想していたものよりも本格的な音楽スタジオのようで、いよいよ気が引き締まる。


 現状、本番まではあと十日もない。それでも、やると決めたからにはやれるだけやってやるしかない。


 綺音はB5ノートの上でペンを走らせ――というより、踊らせていると表現した方が適切かと思えるほど、活き活きと何かを書き留めている。集中しているのか、気づいていないのかはともかくとして、彼女は僕からの視線をものともせず、初めに挨拶をした以外は、一度も顔をこちらに向けることなく、ひたすらノートと向かい合っていた。


 何を書いているんだろう、と気になり始めた頃、他の三人――打山くん、小鳥谷こずやくん、北郷ほうごうくんがようやくスタジオに姿を見せた。


 全員が揃ったところで、綺音がメンバーを点呼しながら、全員に楽譜を配布する。


「昨日、徹夜で急いで作ったからちょっと雑になっちゃったけど、楽譜としてはちゃんと機能してるし、全然大丈夫だと思う」


 綺音は、やや恥ずかしげに少し舌を出して笑い、気を取り直したように顎を上げると、楽譜の説明に入った。


「一応、それぞれの担当楽器に合わせて人数分作成したの。ちゃんと自分の担当の譜面かしっかり確認して、もし違ってたらすぐに言って」


「いや、合ってる」


 すぐに、打山くんが応じた。その声に続いて、小鳥谷くんと北郷くんも各自、同様のことを告げる。


 僕も配られた楽譜を見……いや、僕の場合はボーカル専門だから譜面ではなく、歌詞だけが書かれたものだった。しかもその全てが手書きで、詞の他には声の強弱や発声についてなどが仔細に記され、文字の色も使い分けられていて、そこに綺音のマメっぷりが溢れ出ていた。これはおそらく、僕が歌唱する部分と、彼女が歌う部分とを区別するためだろう。


 顔を紙から離してもう一度、綺音を見る。彼女もいつの間にかこちらに視線を向けており、目が合った。綺音は僕の目を見つめながら、話を続けた。


「あと、どの楽譜にも歌詞は載せておいたから、よく見ておいて。因みに、青で書いた部分はレンくん、赤い部分があたしの歌うパートね。で、黒は二人で一緒に歌うところ」


 全員へのアナウンスのはずなのにこちらばかり見てくるのは、この中で僕が最も反芻すべき人物だからだということは重々自覚しているつもりだ。


 正直、楽器を奏でるだけの人にはそこまで重要なことではないと思う。僕はここに書かれた通りに、慎重に歌わなければならない。間違えて歌詞を覚えていたり、本番でトチってしまったりすると、恥をかく以前にみんなに迷惑がかかってしまうかもしれない。


 でも、緊張さえしなかったら、練習と同じように歌えば、きっとなんとかなるはずだ。


 そう信じて、今は懸命にやろう。


「じゃあ、これで要点は全部話したと思うから、各自で練習始めて。今日は初日だから個人レッスンにするけど、明日からは最後に全員でセッションするからね」


 綺音からの周知事項が終わったと見るや、皆、互いに距離をとると、各々練習を開始した。


 僕はまたスタジオ内を見渡す。練習中の打山くんに、綺音が何か話しかけている。内容までは聞こえてこないが、彼の楽譜の中を指で示しながら、何やら指導らしきことをしているようだ。


 綺音はエレキギターについても詳しいのだろうか。いや、ひょっとしたら全ての楽器を教えられるくらいの知識量があるということか。そして、彼女の未だ見えざる隠れた部分に漠然と距離を感じ、僕は胸の奥から突き上げてくる不思議な痛みを覚えた。これまでにも何度か経験したことがあるが、今までとは比べ物にならないくらい、それは明確な疼きだった。


 その邪念にも似た激情を無理やり振り払うと、僕も発声の練習を始めようと気合を入れた。時間は限られているから。



 七時五分前になり、今日の練習は一旦切り上げることになった。あれから、綺音はメンバーにそれぞれアドバイスや指導を施していた。


 が、何故か僕のところへは来なかった。不思議に思って自ら尋ねにいったが、


「君はいつも通りでいいよ」


 とだけ返ってきた。


 何がいつも通りでいいのかわからず右往左往した挙げ句、「何も教えることがない」という意味にもとれてしまって、すこぶる不安になった。


 ただ、綺音は僕の歌をなかなか評価してくれてるみたいだし、特に指導しなくても大丈夫ということなのかなという気もする。


 ……いや、翻って考えるとこれは試練なのか? 彼女は、僕を試そうとしている? 段々とそんな思考にまで発展していき、気がついた頃には終了時刻間際であった。


 だが、その答えは今日中に出せそうな気がする。いや、もう出ているか。


 明日から、全員でのセッションがある。これまでとは違うメンバーで、戸惑いが解消されているとは言えない。綺音は、そのことを気にしているのではないか。でも、僕に歌う楽しさを思い出せてくれたのは、紛れもなく彼女なのだ。その彼女のためにも、今は精一杯、「歌うこと」だけを楽しもう。二人で紡ぎ出した歌詞を、メロディーに乗せてともに歌おう。


 ここから、我ら《トラブルサム・アート》はスタートするのだから。

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