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#19 結成、トラブルサム・アート

 帰りの挨拶が終わり、教室の中はものの数分で閑散とし始める。十分もすれば、ほとんどの生徒が帰るか、部活に行ってしまい、室内は誰もいなくなる。しかし、今日は違う。僕と綺音の他に打山くんまでが居残り、作戦会議という名目で談議を開始しようとしていた。


 綺音は自分の椅子の向きを反転させ、打山くんは椅子を僕の席の脇まで持ってきて、そこに座る。彼らを移動させているみたいで申し訳ないが、席の位置関係上、仕方ないとも思える。


 これから行うのは、作戦会議――つまり、今後の練習方針の設定だ。


 バンド名、メンバー、それぞれの担当楽器(これは話し合うまでもない気がするけど)、披露曲、そのほか諸々をこれから決めなくてはならない。だが、今は全くの白紙状態。やっぱり、焦燥感は隠せそうもない。


 まずは、バンド名から決めることになった。


 しかし、三人で一緒に考えること数分。特にこれといった名前は出なかった。


 少しの間、僕は頭を休ませるために思考を一旦中断し、もしも軽音部の先輩たちだったらどんな名前を考案するだろうか……ということを考えていた。


 そういえば、軽音部は活動休止中、「トラブルサム・セット」って呼ばれてたんだっけ。今はどうかわからないけど、直訳すれば「厄介な連中」という意味だと打山くんが教えてくれた。確かに、そう言われるだけあって、部員の先輩は初めのうちは両者とも、とっつきにくい印象だった。


 ジュリエット先輩はそうでもなかったけど、ベギー先輩の方は何を考えてるのかわからないことが多かったし。


 ただ、もし綺音から声をかけられなかったら、僕が入部することはなかっただろう。妹の死の現実から抜け出せず同じ場所で足踏みしていた僕を、前に進ませてくれた。それは紛れもなく、綺音だった。


 それだけでなく、彼女は自分の正体を隠し、ネットの動画投稿サイト上において《アスキー・アート》という別名で活動もしている。危ない橋を渡ってまで「ここにいたい」という、綺音の確固たる意志。それに僕も支えられたのだ。もちろん、今も。


 そこまで考えついた時、頭の奥の方で何かが不意にチカリと瞬くのを感じた。


 降りてきた、という表現では物足りないほどの強い閃き。忽ち、《トラブルサム・セット》と《アスキー・アート》という二つのキーワードが、僕の脳内でまるで化学反応のように結びついていく。


 ――トラブルサム、アート。


 覚えず、僕は今しがた思い浮かんだその言葉を口走っていた。


 それが聞こえたのか、打山くんもこちらを見ると、僕の意図を察したようにやや目を剥く。


「そ、それはもしや……《トラブルサム・セット》と《アスキー・アート》を組み合わせた、奇跡のバンド名なのか……?」


 少しばかり、大仰に驚く打山くん。いや、しかし、間違っていない。


「うん、問題を起こしてばっかりの今の僕らには、ちょうどいいかなって」


 なんて、自虐的なことも言ってみる。すると綺音も、


「確かに、直訳したら《面倒くさい芸術》って意味になるけど、あたしはいいと思うよ」


 と、納得したように軽く頷く。


 もう少し考えれば、もっといい名前が出てきたかもしれない。でもこれほど、現在の自分たちに合ってる名前はないんじゃないか、とも思える。


 次いで、打山くんも片手を顎に添えて、言う。


「なるほど、わかりみが深いな。まあ、ぶっちゃけ俺らって問題児集団だもんな!」


 それ、自分で言うの? っていうより、この人たちは本当に反省する気があるのだろうか、という疑問すら生まれる。まあ、あまり時間もないことだし、ここは敢えて黙っておくけど。


 それにしても、腑に落ちないこともあるにはある。加担したとはいえ、「中庭のライブ事件」も重軽音部活動停止処分の引き金となったカフェでの口論も、少なくとも元凶は僕ではない、はずだ。どっちかと言えば、双方とも被害者に当たる気さえする。


 その「問題児集団」とやらにきっと僕も含まれてるんだろうけど、言い訳がましく聞こえるかもしれないが、決して入りたくて入ったわけじゃないのだと断言したい。考えれば考えるほど、そのように思えて仕方がないのだ。


「じゃあ、今日はもう時間もないから、バンド名はこれで暫定ね。次は、メンバーなんだけど……」


 綺音は話を先に進める。が、後半は少しくぐもったような声の調子になった。その理由は、僕にもなんとなく察しがつく。


 今更だが、バンド名よりも、そちらを最優先にするべきだったのではないか? これが今回において、最大の問題だと思うから。


「えーと、それなら、打山くんが……」


 僕は、打山くんに視線を向ける。彼だけが頼みの綱なのだ。昼休みに言ってたことが口先の話でないなら、もうすでに手は打ってあるだろう。それを期待して希望の眼差しを向けていたのに、当の本人は真面目な顔でこちらを見つめ返してくるばかりだった。


「……俺、何か言ってたっけ」


 …………。


 言葉が出なかった。考えが甘かったのかな……?


「……という冗談はさておき、さっき小鳥谷こずや北郷ほうごうに話は通しといた。二人ともその気になってくれたよ」


 こんな状況でも冗談なんか言えるのか。彼のその肝の据わりっぷりには、感銘を受けるばかりだ。だけど、こういう時に頼りになるのは想像以上に大きい。適当そうに見えて、しっかりと考えてくれていたみたいだ。


 しかし、そのことに関しても、気になることが一点だけあった。


「……あの。もしかして、猪爪くんも……?」


「安心してくれ。あいつは今回、誘ってない」


 打山くんの返答を聞いて、僕は心底ほっと胸を撫で下ろす。あの人もメンバーに加わるとなったら、またあの時のように綺音と激突してしまう恐れがある。何より、僕がこれ以上関わりたくない。


「じゃあ、ここからが本題みたいなもんだけど、披露曲について話すね」


 突如、綺音の目の色が変わった。光を湛え、身を乗り出さんばかりに僕と打山くんを見る。


「レンくんには昨日、伝えたんだけどね。これまで軽音部で練習してきた曲は今回、使えないらしいの」


 そこまで話すと、目に宿っていた光が消え、綺音は再びしょんぼりしたように、若干目線を下に落とす。


「ああ、使用権限の問題か……」


 予め知っていたのか、今の話を聞いて事情を察したのかは曖昧だけど、打山くんも得心したように頷いた。


 僕たちが今回、軽音部としてフェスで演奏しようとしていた『COLORFUL』という楽曲は、使用権が軽音部にあるため無所属のバンドとなった今は使えない、とのことだった。


「じゃあ、今から練習できるとしたら、既存曲のカバーになるってことか?」


 そのように問う打山くんに、綺音は心持ち首を傾げながら返答した。


「厳密に言えばね、それも微妙なんだけど、他に持ち歌がない場合は認めてくれるって」


「そうか。じゃあ、全員が認知してる曲でいいんじゃないか? その方が演りやすいしな」


「あ、待って」


 そう言って、綺音が再度こちらに顔を向けると、彼女の視線が僕を正面から捉える。彼女の意図を察し、僕はすぐに机の横に引っ掛けた鞄から、一枚のディスクとノートを出した。この世界にたった一枚のCD。そこには、綺音が制作した曲が録音されている。


 打山くんにそれを渡し、


「綺音が、曲を作ってくれたんだ。僕に作詞してほしいって、昨日、持ってきてくれた」


 と、簡潔に説明する。


 打山くんもディスクをまじまじと見つめながら、何やら唸っている。


「なるほどなあ。曲も作れるのか。……大したやつだな」


 彼の感心しきった顔をずっと見ているわけにもいかず、僕は次にノートのあるページを開いて、それを今度は綺音に差し出す。


「一応、歌詞も考えてきたよ。まだ出だしの部分だけしか、書けてないけど……」


 綺音はノートをそっと両手で持ち上げ、片方のページに鉛筆で雑に書かれている歌詞をじっと眺めていた。その時間が妙に歯痒く、くすぐったい。


 しばらくして彼女は顔を上げると、笑顔で言った。


「うん、いい感じ。やっぱり、君に頼んで正解だった」


「ほんと?」


「短いフレーズの中にも、君の考えてることが垣間見えるようで……胸に来るものがあるよ」


 一番のAメロ部分しか書けなかったから、どんな反応をされるのかとやや不安だったが、綺音の感想を聞くと、張り詰めていた心が一気に緩んで気分が晴れた。


「じゃあ、最初のAメロの歌詞はこれを採用するとして、残りのところはどうしよう?」


「あ……そうだね。よかったら君と、一緒に考えたいな」


 昨日の夜ぐらいから、僅かに胸中にあった言葉を口にしてみる。それに対し、綺音も怪訝な表情を浮かべることなく、さらににっこりと口許を綻ばせた。


「いいよ。それはバンド練習と同時並行でできると思うから」


 その顔を見ると、ずっと曖昧だった希望がやっと明瞭になった気がした。無理だと思っていたことが、ステップを踏むごとに現実味を帯びていく。


「おい、ちょっと訊きたいことがあるんだが……」


 打山くんが、ディスクケースの角を指で摘んで左右に振りながら、口を挟んできた。


「いつの間に、お前ら、渾名とか下の名前で呼び合うようになった?」


 ギクッ、と息が詰まりそうになる。今までは気をつけていたけど、色々あってそんなことを考える余裕がなくなっていたからすっかり失念して、他の人の目があるにもかかわらず綺音といつものように接してしまっていた。


 だが、彼の疑問の核はどうやらそこではなかったらしい。


「ま、それはいいや。ところで、練習場所は確保してあるのか? それに関しては俺は何も手をつけてないぞ」


 この瞬間、僕の中で何かが崩れた。砂の塔のようにザザザザと音を立てて崩壊する、希望という名の塔が。練習する場所がなければ、どうしようもない。それこそ、頭の中からすっぽり抜けていた。


「どうしよう……?」


 僕は綺音に不安の視線を送り、練習場所について彼女に恐る恐る尋ねた。


 綺音は目を閉じて俯き、しばらく沈黙していたが、やがて顔を上げてこちらを見ると、恬淡と話し始めた。


「レンタルのスタジオを予約したら基本的な練習みたいなことはできると思うけど、やっぱり毎日だとちょっと費用が嵩張ると思うの。それで、あたしの知り合いにね、家にスタジオを所有してる人がいて、その人が前に、趣味でそこを貸し出ししてるって言ってたの。だからその人にお願いしたら、安く貸してもらえるんじゃないかなと思って」


 これは綺音の人脈による妙案だと安堵する一方、確実性が薄い話だとも思う。スタジオといっても防音設備のついた小さな倉庫みたいなところか、あるいはバカ高いレンタル料をとられたりするんじゃないかと。それでも、まあ、完全に希望を絶たれるよりは幾分いいだろう。


 打山くんも訝しげに首をひねり、


「ほんとに、大丈夫か? なんなら、レンタル代くらいは俺が請け負うぞ?」


「それじゃ、悪いよ。今夜あたり、連絡入れてみる。番号も知ってるから」


 綺音が言うと、打山くんは怪訝そうに寄せていた眉をもとに戻した。


「そういうことなら、頼む」


 僕としてもまだ不安は拭えないものの、何もしないよりいいことには違いないと自分に言い聞かせ、綺音を信じて異を唱えたりはしなかった。


「じゃあ、今日はもう解散でいいか? 俺、これからあいつらのところ行って、状況説明とかしなきゃならないんだよ」


 打山くんが教室の時計を見やりながら言うので、僕も彼の視線を追うように時計を見ると、確かにもう五時前だった。綺音もそちらをちらっと振り見て、立ち上がった。


「それじゃ、今日はこれで解散ってことで。交渉が終わり次第、連絡入れるからね」


 その後、打山くんは今話し合ったことを伝えるために他クラスに行ってしまい、僕と綺音は一足早く学校を出て帰路に着いた。歩きながら、僕はこれからのことに思いを巡らせていた。まだ何も解決していない。


 過酷な十日間が始まる。そんな漠然とした予感だけが絶えず、僕の脳裏を占領していた。

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