#18 かなしい! うれしい! 大親友!
四限目が終わると、すでに教室内は授業から解放されてすっかり昼休みモード。朝、昼休みに二年生の教室に赴こうと綺音と打ち合わせていた。昼食をとってからにしようかとも考えたが、善は急げともいうし、先に用事を済ませることにした。
そして、前席を見たのだけれど――
……あれ、いない? 授業中にはあったはずの綺音の姿が、いつの間にか忽然と消えていた。おかしいな、と疑念を抱きつつ教室の中を見渡してみても、やはりどこにも見当たらない。一足先に行ったのだろうか? いや、でもちゃんと前もって約束していたからそれはない、と思いたい。それなら、彼女はどこに行ったのだろう。
もう少し待っていようか。ああでも、綺音のことだから本当に先に一人で行ってしまったのかな……だけど、追い駆けてもし行き違いになったら……。
こんな葛藤が三分くらい続いて迷った挙げ句、やっぱり一人で行くことにした。
二年生の教室があるのは、一つ下の二階だ。ベギー先輩とジュリエット先輩のクラスは予め知っていた。二人が、同じクラスだということも。「2年5組」と札に書かれた教室の後ろ扉の陰から、そっと中の様子を伺う。
後方の席にジュリエット先輩の姿を認めると、思いきって、廊下から呼びかける。
「……じゅ、ジュリエット先輩」
彼女は僕の声に反応し、振り向くなり、一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに立ち上がって外に出てきてくれた。
「あれれ、どうしたの〜?」
先輩は思いの外、陽気だった。というより、もとに戻った感じだ。もう怒ってないのかな、とかえって不安になる。
「あ、あの。お話がありまして……」
「もしかして、部活のこと〜? ベギーは今、委員会に出てていないんだけど」
そこで、ベギー先輩の姿が見えないことに初めて気づく。やっぱり、もう少し時間を置いてから来ればよかった、と若干後悔する。どうやら、見たところ綺音も来ていないらしい。
それならどこへ? とますます不審がる僕に、ジュリエット先輩は不思議そうな視線を送り続けている。ここは、彼女にだけでも聞いてもらうべきだろうか。そう踏ん切りをつけ、昨日綺音と相談したことを、ざっくりと要点だけを並べて説明した。
軽音部としてではなく、個人でならフェス出演が可能であること。自分たちで新しくバンドを組もうしているとこと。一応、綺音が持ってきてくれた新曲についての話もしておいた。
それを、腕を胸の前で組んでドアの枠に凭れながら聞いていたジュリエット先輩は、
「ふーん。君たちは、そうまでして出たいんだね?」
と、当然の反応を示す。これは概ね予想済みだったから、特に何か言い返そうなどとは思わなかった。
「はい。……やっぱり、一緒に出るのは無理ですか?」
返答はわかりきっていたものの、相手の顔色をうかがいつつおずおずと訊いてみると、今度は意外な答えが返ってきた。
「私はいいよ」
「えっ?」
リアルに、そんな間の抜けた声を上げてしまった。
確実に断られるとばかり思っていたから、正直、驚きを隠せなかった。それでも、喜ぶにはまだ早すぎたようだ。
「けどね、ベギーは何て言うかな〜。私はやってもいいけど、あの子はたぶん、反対するんじゃないかな〜?」
その言葉で、内心ドキッとした。
彼女の話にも一理ある。いや、百理ある。さらに、先輩はこう続けた。
「私はベギーの意見に従うから、残念だけど参加できないと思うよ」
一瞬だけ高揚した気分が、またもやすぐに萎んでしまう。まあ、ここに来る前からとりわけ期待していたわけじゃないけど、刹那的にでも希望が見えたせいもあって思ったよりショックが大きい。
それに、皮肉かもしれないけど、これによって再認識する事柄もあった。この二人は本当に仲がいいんだな、と。ジュリエット先輩は、あくまでも部長であるベギー先輩の意向を尊重したいようだ。
仕方がない。ひとまずこの結果を綺音に報告して、今日いっぱいはメンバー集めを試み、誰一人として集まらなければ、二人だけで参加申請するしかない。
「じゃあ、僕はこれで失礼します」
「あ、待って」
軽く頭を下げて、自分の教室に戻ろうとした僕に、先輩は慌てたように声をかけてきた。
「あのね、昨日のこと、君にまだ謝ってなかったから」
何のことか、よくわからない。先輩が謝らなければならないようなことがあっただろうか? 謝る理由は、こちらにしかなかったはずなのに。
「昨日、ちょっと言い過ぎちゃったかなって、あれから反省したんだよ。まさかあんな事態になるなんて予想もしてなかったから、軽くパニクっちゃってて……君に強く当たりすぎたって思うよ。ごめんね?」
申し訳なさそうに眉を下げて謝る先輩に対し、僕は頭を振る。あれは僕と綺音側に非があり、先輩が悪いわけじゃない。叱られて当然のことをしたのだ。
「……軽音部が活動停止になったのは、僕が喧嘩を止められなかったせいでもあるので。気に病まないでください」
今更言い訳がましくもあるけど、それくらいしか言葉が出てこなかった。
しかし、ジュリエット先輩はいつものようにニコッと笑うと、最後に付け添えた。
「ライブ、頑張ってね」
その笑顔に応えるように、僕も大きく頷いた。一寸先は闇という状況にもかかわらず、何故か清々しくすらあった。よし、やってやろう、という気持ちにこの先輩がさせてくれたのかもしれない。
教室に戻っても、まだ綺音の姿はなかった。本当にどこへ行ってしまったのだろうと、心配になってくる。今日は朝から登校し、授業にもちゃんと出ていたはずだ。それなのに、昼休みになってから僕が目をそらした間に、さっと行方をくらませてしまった。一緒にベギー先輩とジュリエット先輩に会いに行こうって約束もしていたのに……。まあ、目的は果たせなかったけど。
「おう、暁」
前方から、陽気な声がかかる。
打山くんが手を振りながら近づいてくるので、僕も教壇の少し手前で立ち止まり、そのまま向かい合った。
「お前、四十谷とバンド組むんだってな」
いきなりの発言に、自覚するほど引きつった顔になってしまう。予想外の言葉だった。
何故、彼がその話を知っているのだろうか。僕は何も話していないから、綺音から聞いたのかもしれない。
「それ、四十谷さんから聞いたの?」
「そうだ。さっきあいつと廊下で会ってさ、なんか軽音の部室に行ってたらしいぞ」
と、打山くんは恬淡と答える。とりあえず、安堵し……ん、部室に?
「部室、って言ってたの? 確か今、部室は出入り禁止のはずだけど。何してたって言ってた?」
「そこまでは聞いてないから、それは俺もわからん」
ぶっきらぼうに彼は言い、そして言葉をつないだ。
「でさ、メンバーが足りないんだったら……俺が入ってやってもいいぞ」
またしても意外な発言に、今度こそ言葉を失う。しかも、何故か上から目線。ただ、問題はもちろん、そこじゃない。
「だけど、君って重音部じゃ……」
「重音部も活動停止食らって、ヒマしてるからなー。俺も実は後悔してるんだ。あの時、あいつらの喧嘩を止められればなって。それに俺、やっぱり楽器が弾けないと神経症になるっていうか、苛々するんだよなぁ。フェスには、無所属のバンドとして出演するんだろ? だったら是非、俺も仲間に加えてくれよ。むしろお願いだ。俺にもちょっとは責任があるからな」
「打山くん……」
正直、彼の気遣いがこれほど嬉しいとは思わなかった。感慨の涙が出そうになるのを堪え、もちろんいいよという意味を込めて、こくりと僕は頷いた。
――しかし。
安心するのはまだ早いとも言える。彼を含めても、メンバーが今のところまだ三人しか集まっていないのだ。
「残りのメンバーは、どうしよう……?」
心許ない声で呟くと、打山くんは僕の両肩をぽんと叩く。
「大丈夫だ。俺に任せてくれ」
いやに自信たっぷりな打山くんの声を聞きながら、やる気に満ち溢れたその眼に見入る。彼が、こんなに頼もしい存在だったなんて!
午後の授業の予冷が鳴るまでの数分間で相談した結果、今日の放課後、綺音も加えて仮のバンド名とフェス当日までのレッスン方針を決めることになった。もう時間がない。練習時間などの問題もある。
それと何より、練習場所。これが確保できないことには、二進も三進もいかない。
大方の話がまとまると、打山くんは僕を残してその場を離れていった。
メンバーが足りない問題について、打山くんはこれまた自信満々に「俺に任せてくれ」と言っていたけど、具体的にはどうするつもりなのだろう? もっと訊いておけばよかったと思うが、まあ、放課後になればわかるだろう。ここは彼を信じて、一任するしかない。
綺音が帰ってきたら、彼女に今しがた得た朗報を伝えてあげよう。確証はないけど、きっと喜んでくれるはずだ。もしも打山くんの申し出がなければ、悪い報せだけを告げることになっていただろうから。