#16 叱責と激励
昼休み。僕は昼食をとる時間も惜しんで、軽音部の部室まで走った。先輩たちのクラスはそれぞれから聞いたことがあって、なんとなく知ってはいた。しかし、もしかしたら教室ではなく部室にいるのではないか、と第六感のようなものが頭のどこかで働いたために、ひとまずそこに向かうことにしたのだ。
そっとドアをスライドさせ、中を覗く。
やはり、カンは当たっていた。ベギー先輩とジュリエット先輩の姿が見えた。ただ、いつもと様子が少し異なっていた。
休み時間中、楽器をチューニングしたり、メンテナンスしたりしているということは今までにもしばしばあったが、今日はそれともまた違っている。掃除用具入れからほうきや塵取りを取り出し、いかにもこれから部室の掃除を始めようとしているところだった。
状況がよくつかめず、顔をしかめつつも、僕は扉を全開にして室内に踏み込んだ。
「あ、暁くーん、やっほ!」
僕に気づいたジュリエット先輩が、普段の数倍は元気のいい声を溌剌と響かせながら、右手に塵取りを掲げたままこちらに駆け寄ってきた。その異常なテンションの高さに面食らい、僕はわずかに後ずさる。
まさか、活動停止のことを知らないのか? と一瞬思ったが、すぐにそんなことはないと思い直す。二人とも現在の軽音部員の中では最上級生で、部長と副部長という職を担っている。必ず、顧問のみなみ先生やクラス担任の先生などを通じて、聞き及んでいるはずだ。
「あ、あの……」
まず謝罪の言葉から切り出そうとしたが、いざとなると思うように言葉が出てこない。一応前もって考えてはきたが、相手を前にすると頭が真っ白になる。何と言われるかと考えると、尚更だ。
僕がもごもごと口を動かしていると、ジュリエット先輩は笑顔を維持したまま言い出した。
「聞いたよ。いやあ、やってくれちゃったみたいだね〜! それで、今日いっぱいでしばらくここが使えなくなるから、これからベギーと掃除しようとしてたところなの。よかったら、君も手伝ってくれない?」
使えなくなる、という言葉が妙に気になった。どう表現したらいいのだろう、そこに何か、不穏なニュアンスが含まれているような……。
「あの……使えなくなるって、どういうことですか?」
「活動停止になっちゃうとね、部員は原則として、部室に立ち入れなくなるっていう決まりがあるみたいなんだよ〜。次に入室できるのは活動停止明けの二週間後だから、今日中にきれいにしとこうと思って。まあ、使えるようになったとしても、あんまりすることないんだけどね。フェスにはもう、出られなくなっちゃったし」
「え……?」
突然の事実を突きつけられたような感覚に戸惑い、僕はそう声を漏らしたあと、思わず絶句しそうになったが、なんとか声を絞り出す。
「……出られなくなったって、どういうことですか?」
自分が撒いた種ながら、そんなことを訊くのはどうかとも思うけど、なかなか頭の中で整理が追いつかない。
「だって、考えてみてよ。フェスまではあと二週間もないんだよ? 対して、活動停止期間は今日から数えて、ちょうど二週間。完全にアウトだよね〜」
ジュリエット先輩は、いかにも投げやりな言葉の調子で言う。正直、ここまでどうしようもない危機的状況に置かれているなんて、考えもしていなかった。
直後、激しい後悔に見舞われる。それでも。
「どうにかならないんですか?」
「ならないよ」
僕が言い終わる前に、即座の返答。その顔は、もう笑ってはいない。
ジュリエット先輩は、後ろでほうきを持っているベギー先輩の方を振り向き、
「そうだよね、ベギー」
と、確認を取るように彼女に尋ねた。
ベギー先輩も床に目線を落としながら、短く答える。
「……あぁ」
今まで頭が回らなすぎて、フェス本番がそんなに間近に迫っていたのだということをこの時に改めて実感した。
僕らは、大変な罪を犯してしまったのかもしれない。
ジュリエット先輩はまた僕の方に視線を向けると、
「だってさ」
と、にっこり微笑んだ。
何とかしないと、これまで積み重ねてきたことが全て水泡に帰してしまう。そんな不本意な結末だけは、何があっても避けなくてはいけないのに。
「先輩、諦めちゃうんですか」
「だって、仕方ないじゃん。こうなっちゃったんだから。それとも何? 責任とりますって? あはは。じゃあ、何かいい方法でもあるの?」
「それは……」
語調を強めるジュリエット先輩の弁舌に圧され、僕は口籠る。
「フェスを目指すって言い出したの、確か綺音ちゃんだったよね。君も一緒になって説得しに来てくれたよね。君たちのその必死な姿勢に魅せられて、了解したんだよ。たぶん、ベギーもね。本人は黙ってるけど、あぁ見えて実はすっごい楽しみにしてたんだと思うよ?」
改めてベギー先輩を見ると、彼女は何も聞こえていないように、掃き掃除に専念している。
寡黙な先輩だけど、ギターを掻き鳴らしている間だけはどこか楽しそうに見えた。歌唱する僕の背後で彼女が奏でるエレクトロニックなサウンドが、それを伝えてくれていた。本当にこの人は音楽が大好きなのだと。早くステージに立って、思う存分弾いてみたいのだと。
僕らは、そんな先輩の期待をも裏切ってしまったのだ。
「で、君に何ができるのかな?」
ジュリエットの先輩のその一言で、僕の視線の照準は再び彼女に戻される。もはや手の打ちようもない。二進も三進もいかない状況。ここは……。
「すみませんでした!!」
僕はいっそう声を張り上げて陳謝し、深々と頭を下げた。
「そうだよ。君は謝ることしかできないんだよ? それ、わかってる?」
普段の先輩からは想像もつかないような冷淡な声でまくし立てられる。ただ、彼女の心情を読み取るには十分だった。怒る気持ちも大いにわかる。僕や綺音を信じて腰を上げたのに、その当人である僕らがあんな騒動を起こしてしまったのだから。
普通教室ほどの広さの部室を、ひんやりとした静寂が包み込む。
もう、ほとんど頭が回らなくなっている。この期に及んで、現実から目を背けたいという衝動が、無意識にそうさせているのかもしれない。
顔を上げるタイミングも判断しかね、ひたすらこの状況に耐え続けなければならない苦痛を味わう。
その時。
「あれ? みんな、ここで何してるの?」
そんな女性の柔らかい声が、入口の方から聞こえた。ふと僕は頭を上げて振り向くと、ドアの前にみなみ先生が立っていた。何事かという顔で、きょろきょろと室内を見渡している。
「あ、みなみちゃん。あとで職員室行こうと思ってたんだけど〜」
ジュリエット先輩が、先生に声をかける。先生もまた、気落ちした様子で視線を下にそらすと、言った。
「……うん。話は聞いてる。ごめんね、何もしてあげられなくて」
「みなみちゃんが謝ることないよ」
ジュリエット先輩の声にも、どこか張りがなかった。先程、いつもより元気がいいように感じられたのは、わざと明るく振る舞っていたからだ。しかし僕を責めたとたん、まるで心の糸が切れたみたいに、感情のコントロールを失ったのだろう。それに気づくと、彼女にも無理をさせていたことへの心苦しさが増した。
先生も、先輩も、どれほど本番を楽しみにしていたか改めて考えてみると、胸が痛くなる。
僕は先生の方に体を向けると、一歩、前に進み出た。目線を上げ、先生の顔をしっかり視界の中に捉える。相手も不思議そうな目で、こちらを見つめ返してくる。
「あ、あの。こんなことになって、本当にすみませんでした!」
もう一度、深く低頭する。
「大丈夫。ほら、顔を上げて」
先生はまた穏やかな声音で優しく言うと、僕の両肩に手を添えた。そしてゆっくりと上体を起こされると、目の前には先生の女神のような笑顔があった。彼女は慈しむような視線で僕に笑いかけたまま、続ける。
「今回がダメだとしても、次があるよ。また、頑張ろう!」
「でも……」
「大丈夫。あなたはまだ入学したばかりだし、上の子たちもまだ一年以上残ってるんだから。気持ちを切り替えて、また次の機会を狙ったらいいじゃない」
僕だけでなく、ここにいる部員全てを鼓舞するように、みなみ先生は三人の顔を見回す。
不意に、目の奥がじわりと熱くなり、視界がぼやけてくる。すると、先生は目ざとく僕の頬をそっと両手で挟み込み、左右の目尻に滲んだ涙をそれぞれの親指で払ってくれた。
「もう、泣かないの、男の子でしょ!」
笑いながらそう言って手を離すと、先輩たちにも激励の言葉をかけていた。先生は僕たちが失意のどん底で塞ぎ込んでいないかを心配し、様子を見に来てくれたらしかった。ただ、彼女のプラス発言によって、この場の空気がガラリと変わったことは事実であった。
今回はこんな形で終わっちゃったけど、次こそはと僕は心の中で決意を新たにする。絶対に同じ過ちを繰り返さないために、先生や先輩にこれ以上の迷惑をかけないように、重音部ともきっちりと折り合いをつけていく必要がある。
そしていつか、みんなで一緒に同じステージに立ちたい。
先生から励ましのエールをもらったからか、自分でも驚くほど前向きに考えられている気がする。彼女はいつも太陽のような明るさでもって場を和やかにしてくれる、ムードメーカー的な存在だ。妙な感動と嬉しさを覚え、これからも頑張ろう、と僕はぎゅっと両拳を握りしめる。
――しかしその一方で、とうとうこの日、綺音が登校してくることはなかった。




