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#10 カラフル

「しっ、失礼しますっ!」


 翌日の放課後。いつも以上に心の中に緊張の糸を張り巡らせながら、やや裏返った声を張った。声だけでなく、部室の戸を開く手も震えている。


「あ、待ってたよ〜!」


 窓際のドラムセットの奥に、ちょこんと座っているジュリエット先輩が、待ちわびたように両手を振ってくる。弾けんばかりのその笑顔に、少し緊張が解けたような安堵を感じた。


 入室する僕に続き、綺音も部屋に入ってきた。


 先輩たちはすでに演奏の準備を整えたようで、ホワイトボードの両脇にはアンプが二台ずつ設置されている。


 大丈夫だろうかと、今更ながらにそんな予感が全身を迸る。それでも、ここまできたら逃げられない。覚悟を決めて臨むしかない。今日はあの時のように恥をかくこともないだろうし、気楽に歌おう。


 と、呼吸を整えつつ、決心する。


「はい。これ、マイクね」


 ジュリエット先輩がドラムセットの向こうから手を伸ばし、マイクを差し出してくるので、それを取りに行く。そのまま、部屋の中央へ。


 綺音も、いつの間にかギターの準備を終え、それを抱えてこちらへ来た。


「大丈夫、まだ練習の段階だからね」


 優しさのこもった瞳で僕を見つめながら、励ましの言葉をかけてくる。


 確かに彼女の言う通り、今日が本番ではないのだ。ここは失敗してもいいやという気持ちで、そう、軽い気持ちでやろう。


「うん、肩の力を抜くよ」


 今できる精一杯の笑顔を作ってみせると、安堵したのか綺音も微笑み返し、自分のポジションについた。


 しかし、綺音にはああ言ったものの、やっぱりまだ緊張しているようだ。心臓がバクバクと鳴っている。


 上がりすぎて初っ端からトチって、ベギー先輩から叱責されても凹むだろうから、すうっともう一度、息を吸い込む。空調がきいているせいか、ホコリまで一緒に吸い込んでしまった気がするが、ふうっと今度はお腹に溜め込んだ空気を全て外に出すつもりで、息を吐き出した。


 深呼吸。


 それを二度、三度と繰り返すうちに、だいぶ気持ちが落ち着いてきたのか、激しかった動悸は徐々におとなしくなった。


「え〜と、まずは一番からね。じゃ、始めるよ〜」


 ジュリエット先輩が甘ったるい声調で声をかける。せっかく引き締めた気が若干緩みかけるが、彼女のその声を合図に、スピーカーから激情のメロディーが大音量で流れ出す。


 ギュイィィィン、というベギー先輩の鳴らすギター音を皮切りに『COLORFUL』の冒頭の演奏が始まり、他の楽器の音がそこに次々と重なっていく。僕も息を呑み、しっかりとマイクを握りしめて、再び意識を「歌うこと」だけに集中させる。


 CDで聴いた感じだと、この曲にアコースティックは使われていないようだった(僕が聴き取れなかっただけかもしれないけど)。でも、不思議なくらいに綺音の奏でる爽やかなギターの音色は、まるで化学反応のごとく、いい感じに他の音と混ざり合っている。


 改めて綺音の尊大さを思い知らされた。


 さらに、驚いたことがもう一つある。個々人のレベルの高さだ。ボーカルが皆より少し前に出ているせいで姿は見えないけど、ジュリエット先輩は複雑なリズムを力強く軽快に、それも的確なビートでドラムを叩いているようだった。ベギー先輩に至っては爽快なまでに耳当たりのいい、少しも騒音っぽさを感じさせない旋律を響かせている。


 疾走感のある見事な演奏に、思わず圧倒されそうになる。これが、先輩方の実力なのか。


 ――隠れた、才能。


 プロのバンドさながらの迫力あるイントロで余計にプレッシャーがかかり、今また心拍数が急激に跳ね上がっていくのを感じる。


 できるのかな……? という不安で、頭の中が真っ白になりそう。


 間もなくイントロが終わる。ただ、もうやめることはできない。こうなったら、やれるだけやってやるしかない。


 と、震える手に握ったマイクをそっと自分の口許に近づける。


 昨日、読み込んだ歌詞を頭の中に浮かべ、口を開き、息を吸い、そして歌い出す。


 まずはAメロから――――



 ♪ Cry 囁くような誰かの言葉が 闇の中に聞こえる

   辛い時間の中に 埋もれてしまった心を探して



 思いのほか、歌い出しは順調だった。難なく、Aメロはクリアできた。

 続いて、Bメロに突入する。



   一人じゃ生きられないと知っても 頑なに逃げてる自分がいる

   目の前に広がる偽物の世界に 消えゆく涙があるんだ


   Don’t get down 不自由を愛している現実に

   I wanna be free かりそめの安穏だけじゃ満たされないなら…



 どうにか、目立った失敗をすることなく歌えた。歌いながら、かなり落ち着いてきていると実感する。


 そして、いよいよサビへ。



   あからさまに色づいた景色を乱して さんざめく夜を越えていけ

   限りなく黒に近い白色だけの世界 悲しみさえもう見えない

   僕が望んだあの世界へと感情は流れていく 僕らの色彩いろは変わらぬまま



 歌い切ると、穏やかな達成感に包まれる。初めてにしては、自己評価はけっこう高い。


 瞼を閉じ、間近から聴こえる後奏を耳だけで楽しんだ。自分がこの曲の世界の中に囚われたかのような、そんな錯覚が生まれる。


 演奏終了の気配を感じ、恍惚とした意識のままそっと目を開けた、その時だった。ある異変が、僕の眼前に広がっていたのだ。


 もともと後ろのドアが開けっ放しになっていたせいか、軽音部以外の生徒が何人も部屋の前に集まってきているようだった。歌ってる時は全く気がつかなかったけど、見ると十人以上はいるようだ。


 瞬時には、なかなか理解が追いつかなかった。


「ねえ、軽音部って活動休止してなかったっけ?」


 演奏が終わると、観衆の中の一人が、隣の子に言った。それに続き、


「うん。確か重音部ができてから、ほとんど活動しなくなったって」


「あぁ、知ってる。ってか、これ正直、重音とタメ張れんじゃね?」


「いやいや、重音よりレベル高いだろ」


 などと、次々に言葉が飛び交う。


 どうやら、今の演奏を聴きつけた人が集まってきたらしかった。


 観衆たちのざわめきの中、拍手が突如として大きく室内に響いた。しかし、一見したところ拍手をしている人の姿は見えない。


 ……一体、誰が?


 すると、ドア付近に集まっている観衆の中から、生徒たちを掻き分けるようにして部屋に入ってきた人がいた。長袖の白シャツに、黒い膝丈のタイトスカート。女性だった。


 新米の先生かな? だけど、そうだとしたら、どうしてここに来たんだろう? なんて僕が首を傾げていると、先生と思しきその人は、興奮して赤らんだ顔のまま語った。


「いや〜、よかったよ! すごく、上手だったよ!」


「先生、いらしてたんですか」


 そう言ったのは、ベギー先輩だった。


 先輩はギターを体から外すと、後ろの壁に立てかけ、前に進み出た。


「先生」と呼んだということは、僕の予想はやはり当たっていたようだ。


「実はね、心配してたの。みんな、やる気がないとか言って、これまで好き勝手やってたじゃない? でも、ちゃんと活動できるようになったのね。見守ってきた甲斐があったよ!」


 その先生は満面の笑みを浮かべながら、ベギー先輩の肩を軽く叩いた。しかしイマイチ状況がわからない。


 この人は、軽音部とどんな関係なんだ?


 だが、そう思案するうちに、僕は大体の当たりをつけた。多分、合ってると思う。


 確認しようと声をかける手前、綺音がベギー先輩の方を向いて質問した。


「あの、先輩。そちらは?」


 当然、綺音も気になっていたらしい。どうやら、話についていけていないのは僕だけではなかったようで、少々安堵する。


 そこにジュリエット先輩も出てきて、ベギー先輩の代わりに、その先生を手で指し示した。


「顧問の柊木ひいらぎみなみ先生だよ! 愛称はみなみちゃん!」


 紹介された先生は、笑顔を崩さずにこちらを向く。


「あら、あなたたちが新入部員ね。柊木です。よろしくね」


 先生は僕と綺音に向けて、軽く会釈する。僕らも、反射的にペコリと頭を下げる。


「一年二組、暁です」


「同じく、四十谷です」


 それぞれの自己紹介が済むと、それを見計らったように、本題に入るべくジュリエット先輩が口を挟んだ。


「で、みなみちゃん。今日はなんで来たの?」


 問いかけるその顔は、とても不思議そうだ。


 いや、普通、顧問なら来ると思うんだけど。未だに軽音部の常識がよくわからない。もしかして、僕の常識の方が間違ってる?


 そんな当方の疑念に気づくこともなく、みなみ先生は快活に答えた。


「うん。今日ね、重音部の先生から聞いたんだけど、フェスに出るんだって?」


 その返事に対し、今度はベギー先輩が尋ね返した。


「何故、重音部の顧問の先生が知ってるんですか」


「なんかね、あっちでもけっこう話題になってるらしくて。重音部員は、ほぼほぼ全員知ってるみたいよ。私もそれ聞いて、気になったから様子を見に来てみたの」


「えぇ〜? なんで知ってるんだろ?」


 ジュリエット先輩も細い眉を若干中央に寄せ、不審そうに首を傾げる。


 重音部……嫌な予感がする。昨日、帰り道に会った二人は知っている。もしかしたら、彼らが他の部員に吹聴したのかもしれない。というより、それ以外に心当たりがない。


 しかし、みなみ先生は特に気にする様子も見せず、感心したように二回ほど頷いている。


「とにかく、頑張ってるみたいね。私も全力でサポートするからね、顧問として」


「みなみちゃんがいるなら心強いよ〜」


 ジュリエット先輩が、飛び跳ねんばかりの上機嫌で言う。こちらも、何も疑っていない様子だ。その一方で、ベギー先輩は少し怪訝そうな顔をしていたものの、特に追及するような発言はしなかった。


 それでも、打山くんたちにフェスのことを話したのは、ちょっぴりまずかったかもしれない。


 まさかこんなに早く広まるなんて、思いも寄らなかった。重音部に軽音部のことを目の敵にしている人が多いせいもあるんだろうけど、それも先輩たちの話を聞いてそうなのかなって思ってるだけだし、実際のところはまだわからない。まあ、猪爪はこちらに対して明らかに敵意むき出しだったけど……。


 その後、フェスまでの練習の日程や方向性について先生も入れて軽く打ち合わせをし、解散となった。セッションの時、廊下から中を覗いていた人たちもいつの間にかいなくなっていた。

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