#01 アスキー・アート
真っ暗なホール。静かな客席。
緊張を追い出すために、ゆっくりと息を吐く。
突如、机を強く叩くような音がホールの中に満ち、まばゆい証明がステージを照らし出す。僕は顔中に熱が帯びるのを肌で感じながら、舞台の中央から客席の方へ目を向ける。ほとんどの席は、まだ暗闇に包まれている。ステージだけが明るい。
僕は目を閉じ、顔を伏せた。
開演のブザーが鳴り終わると同時に、背後から大音量の曲が流れ出す。体温が上昇していくのを実感しつつ、僕は太陽のごとき光が降り注ぐ中、顔を上げてもう一度、客席を見渡した。そこには色々な顔があり、また色々な表情がある。
僕は今、「僕らのステージ」に立っていた。
――――
「なあ、俺らと一緒にバンドやらないか?」
クラスメイトの打山くんにそう言われ、僕は顔を上げた。まさか誰もいなくなった教室で、開口一番そんな話をされるなんて思わなかった。
「頼む、手を貸してくれ!」
彼は両手を顔の前ですり合わせ、神仏にでも祈るように懇願してくるが、僕には何のことかさっぱりわからない。
彼とは席が隣接していることからすぐに仲良くなったが、入学から二週間程が経った今日、休み時間に突然、「放課後、大事な話があるから教室に残っててくれ」と言ってきたのだ。
「ボーカルだけ足りないんだ。暁、やってくれないか?」
「脈絡なさすぎて何のことかわからないんだけど……打山くん、バンドやってるの?」
「おう、悪い。実はさ、俺、重音部に入りたいんだよ」
「重音部?」
「そうそう。新歓の時に紹介あっただろ?」
新歓――新入生歓迎会は、文字通り一年生を歓迎するための学校行事だ。
その部活動紹介コーナーにおいて、「重音部」という名の部活が場内を大きく沸かせていた。ロックにロックを重ねたような、ザ・ハードロック。新入生だけではなく、在校生からも多くの声援が飛んでいた。
「カッコよかったよなぁ。お前もそう思うだろ? 果てのない疾走感! あれこそ、ロックの醍醐味だよな!」
打山くんはつんつんと逆立てた前髪を指で弄りながら、得意気に言う。
と思うと、急に神妙な顔をして僕を見つめる。
「それでさ……昨日、仲間を誘って入部届持っていったんだよ。そしたら、なんか入部条件がすげー厳しいらしくてさ。客を集めて、中庭でライブをしろって言われたんだ」
今の発言で嫌な予感がした。多分、そういうことだよね。凡そのことは察知してるけど、確認のために一応訊いてみる。
「その、ボーカルを……僕にやれってこと?」
案の定、打山くんは首肯して答えた。
「そうだ! 暁、やってくれるだろう?」
「いや、待って。無理だよ、大勢の前で歌うなんて……」
「大勢って言ってもなぁ……。今、仲いいやつに声かけてるところだけど、大きく推算しても十人前後ってとこだろ。場合によっては五、六人だし」
打山くんは淡々と説明するが、それでも気が乗らなかった。
「ごめん。僕はちょっと、遠慮してもいいかな」
「なんだ、歌いたくない理由でもあるのか?」
気に食わないのか、打山くんが眉をひそめながら問いかけてくるので、僕は少し逡巡しつつ答える。
「あ、いや……。歌うの、嫌いなんだ」
しかし、打山くんの目はますます怪訝そうになるばかりだ。
「嘘だろ。今日の音楽の時間、ちゃんと聞いてたんだからな。お前、男子の中では抜きん出て上手かったぞ」
「あ、うん。あれはそういう授業だから歌っただけで、本当は歌うの好きじゃないんだ」
「マジか。もったいないと思うけどな〜」
理由ならちゃんとある。僕が歌いたくない――歌うのが嫌になった理由が。でもそれを彼に打ち明けたところで、どうにもならないことは十全承知だ。
彼の話を聞きながら、僕は歓迎会の時に見た重音部の演奏を思い出していた。確かにあれは客観的に見てもカッコよかったと思う。耳を劈くようなエレキギターの音色、ドラムの激しいリズム感。打山くんの語るように、疾走感が半端じゃなかった。あんなふうに弾けたらどんなにいいか、と誰もが思ったことだろう。
まあ、素晴らしかったことは共感するけど、やや気になることがある。僕は演奏を観ている間、ずっとある疑問を抱いていたのだ。何故、この学校には軽音部が存在しないのだろう、と。
「ちょっと質問なんだけど、どうして重音部なの? ああいう部活は大概、軽音部っていうと思うんだけど……」
打山くんなら何か知っているかも、と期待して尋ねてみると、やはり正解だったようで彼は即座に答えてくれた。
「軽音部なら、一応あるらしいぞ。重音の先輩から聞いた話だけどな」
打山くんは続けて、
「ここからは完全に伝聞なんだが、聞くか?」
僕は無意識のうちに頷いていた。
「重音部は去年、現在の二年生を中心に設立されたそうだ。それまでこの学校には軽音部しかなかったけど、重音ができてからは特に目立った活動はしなくなったらしい」
「だけど、どうして同じような部活を作ったんだろう……」
「それには、音楽観の齟齬が関係してるみたいだな」
「音楽観?」
聞き慣れない言葉に、僕は首を傾げる。そんな僕の疑念を読み取ってか、打山くんはさらに説明を加えた。
「音楽観っていうのは音楽の捉え方、または感じ方のことだ。うちの軽音部の音楽はロックっていうより、どっちかっていうとポップス寄りだったらしい。それに反発した連中が去年の新入生の中にはいたみたいでさ、何人かで申請を出したところ、通ったようだな」
そこで、やっと理解が訪れる。なるほど、その人たちはロックがやりたかったがために軽音部には入部せず、重音部という新しい部活を作ったわけだ。
「でさ、これも重音の先輩から聞いた話だから確証はないんだけど、軽音部ってかなり曲者の集まりらしいぞ? なんでも、陰で《トラブルサム・セット》って呼ばれてるらしい」
「トラブルサム・セット……?」
「直訳すると、《厄介な連中》って意味になる。実際に会ったことはないからよく知らないが、一癖も二癖もあるやつらということは間違いない、というのが大方の見解」
《トラブルサム・セット》――その響きだけでも、さながらバンド名のようだ。
「まぁ、ロックとポップスはまず本質が違うからな。重音部と軽音部は犬猿の仲だってさ」
「そうなんだ……」
「そういうわけでだな。明日のライブなんだが……」
「どういうわけ!?」
唐突に話を戻されたので、一瞬何のことだかわからなかった。しかも、強引すぎる……。
「明日の朝、中庭に七時半集合な」
「明日だったの!?」
不意打ちすぎて戸惑うレベルだ。それに、明日って言われると余計に引き受け難くなる。急すぎるよ。
「他に上手い人はいないの?」
尋ねると、彼も考えるように少しばかり沈黙し、顔を上げて答えた。
「他にこのクラスで上手いやつと言えば……四十谷だろう」
「四十谷さん?」
僕は思わず後ろを振り返った。
いつも、僕の前で授業を受けている――四十谷綺音。
突然、打山くんが難しい表情になる。
「どうしたの?」
「あ……いや。ちょっと、気になることがあるんだよな……」
やや言いにくそうに、そう話す打山くん。
「……気になること?」
打山くんは頷き、訥々とした口調で問い返してきた。
「お前、《AA》って知ってるか?」
アスキー・アート……?
「それって、文字とかだけを使って絵を描くことだっけ?」
「まあ、普通はそう思うよな。でも、俺の言った《AA》はまた別モンだ」
「……?」
僕の記憶が正しければ、「アスキー・アート」とはインターネット上で記号や文字などを駆使して作成する、イラストのようなものだったはずだ。それじゃないとすると、彼の言う《アスキー・アート》とは一体?
「簡単に説明するとだな、主に動画サイトを拠点に活動するソロ・ミュージシャンだ。去年の後半ぐらいから人気が急上昇。動画のフォロワーは今やなんと百万人! 年内デビューも確実視されてるみたいだし、俺らの世代では知らないやつの方が少数派だぞ」
そう言われても、僕はそういうものには疎いからあまりピンと来ない。名前だって今初めて聞いたくらいだし、それよりもなんでそんな変な名前にしたのか、という方が気になる。
「その、《AA》っていう人がどうかしたの?」
「……ああ。実は四十谷こそが、《AA》の正体なんじゃないかって思ってな」
きょとん、と目を丸くする僕に、打山くんはさらに畳みかけるように話す。
「《AA》は顔出しはしてなくてな、肩から上までは動画の中に収まっていないんだ。【弾いてみた動画】ではよくある撮り方だよ」
「でも、顔がわからないんじゃ、その人が四十谷さんだってこともわからなくない?」
「一般論で言えばな。けど、歌声……っていうか、声質が全く同じに聞こえるんだ」
それで、彼は四十谷さんが《AA》なんじゃないかと疑っているらしい。しかし、たまたま声が似てるだけかもしれないし、どっちかと言えばそっちの可能性の方が高いんじゃないかなとも思う。
「それ、似てるだけじゃないかな」
「いや、しかし声質といい、けっこう似てるぞ。一応ネットでも調べてみたんだが、AAって今年から高校に入学したみたいだしな。だから、俺らと同学年ってことになる」
打山くんはそう言って譲らない。
「そんなに気になってるなら、いっそ本人に訊いてみたら?」
「うーむ……しかしほんとにあいつが《AA》だった場合、たぶん教えてくれないだろう」
「……何か、あるの?」
難しい表情を見せる打山くんを不思議に思いつつ、恐る恐る質問してみたところ、
「うちの学校、芸能活動は原則禁止みたいなんだ。もし学校側にバレたら、最悪の場合、退学まであり得る。噂によると、《AA》はすでにインディーズレーベルと契約してるって話だ」
と彼は言う。
「それはそうと、俺らのバンドは男子だけのグループだ。というわけで暁、ボーカルはやはりお前に頼みたい。お前しかいないんだ、明日のライブを成功させるために、頼むよ!」
打山くんは僕の肩に両手を置き、哀願するように頭を下げる。どうやら、もう逃げ道は封鎖されたみたいだ。困った。
四十谷さんの方が、僕なんかよりよっぽど音楽を愛していそうなのに。
本日より、毎日投稿予定です。
4日目以降は、1話ずつ投稿していきます。