地響きと共に
「それが……森で観覧していた者たちに不可解な死を遂げる者が多数現れ……今や森は収集がつかないほど大混乱に陥っています」
死者、大混乱と聞いて村長や付き人たちにも動揺が広がる。
「不可解な死じゃと?どういうことじゃ!」
冗談や悪ふざけの類いではないことは祭儀の最中であることやカンコンの付き人の表情からも見て取れる。
だからこそ、その状況の異常さにキレレキは声を荒げずにはいられなかった。
「どうやらいつの間にか身体に深い傷がつけられているようなのです。被害を被った者は皆、大量の血を流しながらもがき苦しむのですが、どこにも加害者らしき者の姿が見当たらず……」
「何じゃそれは……一体この龍奉儀で何が起きとるんじゃ……」
全身から嫌な汗が流れる。龍奉儀を途中で中断することなど絶対にあってはならない。
だが、運搬役の姿が見えないことから同じような状況にある可能性は高い。
「あの、そのことについてなんですが……」
付き人とキレレキのやり取りを聞いていたヲチが気まずそうに声をあげる。
「誰じゃおぬしは」
「ヲチ殿じゃ。数日前からヤギ村に立ち寄られた客人じゃよ」
キレレキの疑問にカンコンがざっくりと答える。
ヲチは自分の考えを村長たちに伝えたが、反応はセンの時と同様に信じがたいという者ばかりだ。
「カンコン村長、私も男の腹から何かが出てきたところを目撃しました。彼の言っていることはあながち間違いではないかと……」
「蟻……か」
蟻と聞いて数年前にカソ村で発見されたという集団で人間を襲う蟻のことを思い出しカンコンはソボクに視線を向ける。
「いや……儂らの村で見つかった蟻も高い攻撃性を持っていたが襲う時は数十匹ほどの集団で仮に襲われたとしても死に至らしめるにはもっと時間がかかる筈じゃ。体色も赤ではなく茶色っぽい色で大きさももっと小さかった筈じゃ」
「そうか……」
(カソ村で……人を襲う蟻……?)
ヲチは村長たちの話に何か引っ掛かったが話の邪魔をしないよう黙っていた。
そもそも村の誰も気づかず急に祭儀広野に生息しだしたというのが妙だ。祭儀広野は龍奉儀が近づくまで放置されている訳ではなく、定期的に手入れがされていると聞いた。
「山羊龍連合龍奉儀史上最悪の事態です。とても、今すぐどうこうできる問題じゃありません……」
「バカな……なぜこんなことに……」
状況は最悪だった。
森に殺人蟻が潜んでいること自体脅威だがそれ以上に龍奉儀が破綻することこそがヤギ村を始め山羊龍連合の集落にとって存続の危機であった。
もし十分な量の供物を用意できないとなった時、山羊龍はどんな意志決定を下すだろうか。
いや、そんなことは考えたくないし考えるまでもない。飢餓状態の龍は暴れ狂い山羊龍連合に属する人間たちの暮らしが破壊されるだけなのだから。
だからこそ、絶対に失敗してはいけなかった。否、例えこんな最悪な状況でも無理にでも成功させるべきなのだ。
そうでなければ蟻に殺される被害よりずっと大きな被害が出る。
「龍奉儀は必ず成し遂げなければならん……」
「しかし……この状況では……」
「一か八か森を全速力で駆け抜けるしかあるまい!そこから何とか立て直すのじゃ!」
村長や付き人たちは山羊龍の巨体を見上げる。
山羊龍カプリコーンはこの危機的状況に一切関心を示さず生々しい咀嚼音を出しながら供物を貪り喰らっていた。
(たしかに、この巨体に暴れられるより殺人蟻を相手にした方がまだ勝機はあるのかもしれない……)
そんな風に感じた村長や付き人たちが志を一つにするのに時間はかからなかった。
「分かりました。ではここから一番近いヤギ村を目指しましょう」
「決まりじゃ。皆、ここからは死人も出るじゃろう。数分ほど時間を作る。心の準備をしておくのじゃ」
カンコンの言葉通りに各々自由な方法で心を落ち着かせようと努める。
「とんでもないことになっちまったな……」
ずっと沈黙していたセンが口を開く。初めて人の死を目の当たりにしてショックを隠しきれない様子だ。
「セン、大丈夫?」
「ああ……何とかギリギリな……ヲチは……平気そうだな。恐くないのか?」
「まさか!恐いにきまってるじゃないか。ただ……そうだな……人より少しだけ馴れてるのかもしれない。どうも僕はこういった修羅場に巻き込まれやすい運命らしいから」
「そっか……そりゃ大変だな……」
「セン、ヲチ殿」
二人の名を呼ぶ声の方を見るとカンコンが立っていた。
「お前たちはここに残れ。その方が安全じゃろう」
「ジジイ……」
「ヲチ殿……すまんがセンを頼めるかの?」
「カンコン村長……」
「待てよ!俺も行く!人数は多いに越したことはないだろ!」
センは自分がどうしてこんなことを言っているのか分からなかった。
龍奉儀のことなんてどうだっていいと思ってる筈なのに、どうしてここまで感情的になっているのだろう。
「セン、お前はこれ以上龍奉儀に関わるな」
カンコンは厳しい口調でセンを叱る。
「なんだよ……それ……」
カンコンの拒絶の言葉にセンは傷つきうまく言葉が出てこない。
「お前はもう龍奉儀で苦しむ必要はない。これは儂らの問題じゃ、お前は何も背負わんでいい」
センの頭に手を置き優しく撫でる。
「セン、僕たちはここに残ろう。その方が安全だ」
ヲチはそう言いながらも自分の言葉に疑問を感じていた。たしかに森を抜けるよりは断然安全だろう。
だがそれはいつまでだ?森の人間たちを殺し尽くした後祭儀広野に侵攻してこないとは限らないしずっとここにいることはできない、いつかは自分たちも森を抜けなければならないのだ。
「カンコン村長、皆準備ができたようです」
「うむ。皆分かっておるじゃろうがこの危機を乗り越えなければ儂らに明日はない。恐らく誰かは必ず犠牲になるじゃろう。しかしそれでも!家族のため、友のため進まなければならん!覚悟はよいな!皆の者行くぞぉ!」
「「「うおおおおおおおおおおお!!!!!」」」
カンコンのかけ声に村長や付き人たちが呼応する。
大丈夫、きっと何とかなる。全速力で駆け抜ければ蟻だって襲いにくい筈だ。数だって実はそんなに大した数じゃないことも考えられる。
生物の繁殖力とは基本的に力の強い種ほど低く、力の弱い種ほど高いのだから。
ヲチは自分に言い聞かせるようにして不安になる気持ちを振り払う。きっと何とかしてくれるはずだ、村の人たちが。カンコン村長が。
そうして走り出したカンコンたちに視線を移した瞬間だった。
ーーズズズズズズズズズズズズズズズズズズズッ!!!!!
とてつもない地鳴りと共に視界が大きく揺れ始めた。走り出していたカンコンたちはバランスを崩し地面に倒れ込む。
何が起きたのか、理解するのに幾何かの時間がかかった。地面が大きく揺れていたのだ。
まともに立つことすらできない、恐ろしいほどの強い揺れ。森の木々もミシミシと音を立て今にもへし折れそうだ。
以前に山で似たような事態に陥った二人は思わず顔を見合わせた。
「ヲチ!これって……」
「そんな……まさか……」
二人が予感した通り揺れは数十秒経っても収まらずカンコンたちは足止めをくらっていて、寝そべった状態でただ呆然としていた。
全くの無関心だった山羊龍ですら捕食を止め辺りを窺っている。
揺れ自体は待っていれば収まるがへし折れ傾いた木々や地割れなどがカンコンたちの進行を大きく阻害するだろう。
「くそっ!これじゃあジジイたちが……」
案の定、ヤギ村へと続く通路は周囲の木々が倒れ道を閉ざされてしまい、カンコンたちの間にも絶望感が漂う。
そこへ追い討ちをかけるようにしてボゴボゴッ、ボゴボゴッと地震とはまた別の振動が地面から伝わってくるのを感じた。
不審に思ったヲチは耳を澄ませるようにして揺れる大地に顔を押し付けると、表情をひきつらせながら信じられないような言葉を口にした。
ーー何かくる。
その瞬間、山羊龍の周囲から朱色の何かが噴水のように噴き出し、山羊龍を超える高さまで舞い上がったそれらは山羊龍に向かって落ちていく。
少し驚いた表情を浮かべるも山羊龍は微動だにせずただそれをその身に受けた。
朱色のそれは山羊龍の後頭部や両翼などに付着しうねうねと蠢いているようにも見えた。
「な……んだ……」
「まさか……あれは……嘘だ……そんなこと……」
その光景を見たセンとヲチは声を震わせながら呆然とすることしか出来なかった。
朱色のそれはまさしく奴らだった。森で多くの人を殺した蟻。それも尋常じゃない規模だ。数百、数千なんて数じゃない少なくとも数万匹はいるだろう。
それが地中から噴水のように噴き出し空高く舞い上がっていた。
「たしかに……蟻は地中に巣を作る……地中をある程度移動出来るだろうけど……でも……こんな揺れの中でまともに動ける筈がないんだ!」
「ヲチ……」
「いや……そもそも前提が間違っているのか……?」
そう。そもそもおかしい。あれほどの繁殖力。
繁殖力が高いということはそれだけ大量に死ぬ、つまり喰われる側である弱い存在でなければならない。
人間の肉を喰い破る凶器をもつ蟻が自然界において弱者である筈がない。
自然界において強者でありながら、爆発的な繁殖力を持つだなんてことはあり得ない。あってはならないのだ。
そんなことが許されるなら食物連鎖は崩れ世界が崩壊する事態となるだろう。
それはかつて龍たちが行った所業でもある。
にも関わらず、視界に映る蟻たちはヲチが知る弱者たちを遥かに凌ぐ数量で噴き出していた。
最早、自分の知識や常識に当てはめて考えるのは無意味な気がした。きっと何か前提が狂っているのだから。
(もしかしたら……逆なのかもしれない……地震の最中に蟻が地中を移動してるんじゃなくて……蟻が地中を移動するから地震が起きているんじゃ……)
そんなまさか?いくらなんでも飛躍しすぎだろうか?
だか、地中からあの高さまで噴き出すあの噴射力も何から何まで確実に『蟻』という枠を逸脱している。
そしてもしこの推測が当たっているのだとしたら数万どころではない。何億という果てしない規模の数がこの地中を掘り進めていることになるだろう。