突風の正体
(くそっ……速すぎて巨大蜻蛉の姿が追えない……このままじゃ本当に負けちまうぞ……)
落ちてきた孔雀龍を目にしてからずっとセンの頭には孔雀龍の状況や状態が頭に流れ込んで来ている。
それは孔雀龍の視界を共有しているかのような感覚であったり孔雀龍を俯瞰で見ているような、そんな光景だった。
巨大蜻蛉の速度に全くついていけていない孔雀龍、全力突進とカウンター吐息の応酬。
そして孔雀龍の負傷具合。致命傷寸前の傷をいくつも負い、いつ決着がついてもおかしくない状況だ。
だがセンが感知するのは外見的な要素だけではない。
敵意と苛立ちそして悦楽の入り交じった孔雀龍の複雑な感情や巨大蜻蛉と交戦している最中の孔雀龍の思考まで読み取ってしまう。
だからこそ、孔雀龍から見た巨大蜻蛉の高速飛行が吐息の直撃で若干の陰りを見せているのも承知している。
ピファウルに足を踏み入れた時には全く感じなかったというのに今では嫌というほど孔雀龍の情報が頭に流れ込んで来る。
そのせいか時々、周りの事が何も見えなくなるような瞬間がある。
それは今まで生きてきた人生の、山奥の故郷の中では一度たりとも無かった事だ。
獅子龍の怒り心頭状態の時もそうだ。なぜ自分があそこまで体調を崩す事になったのか。
いや、心当たりが全くない訳じゃない。
獅子龍が怒り心頭状態になる直前、感じたのは苛立ちと焦り、そして底知れぬ怒りだった。
あの巨大な感情に自分の心と身体耐えられなかったのだと今ではそんな風に思う。
そしてふと思い出す。
自らの内で起きたもう一つの不可解な現象を。
それは狂人絵師たちの偉業の模造品を眺めていた最中の出来事。
朝鳴の鶏冠龍カッショクヤケイと絢爛の孔雀龍ハスコイフィリアの闘争が描かれた絵を視界に捉えた瞬間だった。
まるでその絵の世界に引きずり込まれるように周りの世界は一変し、気付けば全くどこか分からない場所にに自分は立っていた。
そしてその世界にあったのはカッショクヤケイとハスコイフィリアの闘争によってもたらされた災厄の光景だ。
そしてあの場にいたもう一人の男の存在。
(少しだけ落ち着いた今なら何となく分かる。あの狂ったように何かを描いていたあの男こそ……)
狂人絵師。暗黒時代に人々の希望となった存在。
(でも一体何で俺はあんなもの見ちまったんだよ……俺が……俺だけが……?)
あの絵を見て発狂したのはセンだけで、他の者は皆、叫び喚くセンに奇異の視線を向けるだけだった。
(まさかこれも俺の素質が関係してるって言うのか……?)
自分の中にある『素質』と呼ばれる物が急速に成長し暴走しているようで自分でも少し恐い。
(でも待てよ……絵は他にもあった。なのにどうしてあの一枚だけ……)
自分が鶏冠龍と孔雀龍の絵を見る前に何枚か他の絵も見ていた筈なのに、その時はただ視線が通り過ぎていくだけだった。
(いや……あの絵は明らかに他の絵とは違った……そもそもあれは『絵』と呼べる代物なのか……?)
自身の素質だけではなく、あの絵自体が何か特異な素質を持っているように感じる。
意識を朦朧とさせながら口から出た自身の言葉を思い出す。
ーーまるで……生きてるみたいだ
(そうだ……あれはきっと……たまたま絵の形してるだけの狂気……)
龍種や暗黒時代、そして逸話や狂人絵師などの知識を持つエニシとヲチだけは、疑念を捨てきれないもののあの絵が何なのかということにある程度の察しはついていた。
しかし、今となっては倒れてきた物の下敷きとなり掘り返して探すのは事態の緊急性からは到底現実的ではなく、孔雀龍落下による衝撃波で修復不可能な損傷を受けている可能性も多分にある事からエニシもヲチも口惜しい想いを飲み込んでこの場から離れる事を最優先にしている。
(セン……君はやっぱり孔雀龍と巨大蜻蛉の戦いを把握しているのかい?)
ヲチがエニシたちには聞こえないようどうにか小声で話すと、その問いにセンは頷く。
(ただ……少し不味い状況だ。形勢が傾く程の傷は負ってないが、このままだとハスコイフィリアも………………負けるかもしれない……)
(!?……そんな……)
咄嗟にヲチは孔雀龍が敗北した際の状況を考えると、直ぐにエニシと同じ結論に至る。
(もし孔雀龍が負けたら今度はカッサランが狙われるかもしれない……ただでさえ朱蟻の問題があるのに……)
朱蟻と巨大蜻蛉が同時にカッサランに現れるところを想像するだけで頭が痛くなる。
(最悪でも相討ち……いや余程の重傷を負わせてくれないとカッサランがとんでもない事になる……)
とはいえ、センの言葉を疑うわけではないが今だに信じられない。
エニシの問いに答える際にも感じた事だが山羊龍と朱蟻、獅子龍と白銀真珠蟻の戦いにおいて単純な戦闘面では龍種の方が勝っていたように見えた。
(龍種に真っ向から挑んで追いつめるなんて……これじゃあ……)
ーーブオオオオオオッッッ!!!!!!!!!!
すると突然、強烈な突風が吹き荒れた。
「な!?」
「うぉわあああっ!!!」
それは四人を乗せた荷車を浮かび上がらせそれを引くエニシをも巻き込んで吹き飛ばしてしまうほど強力で、四人とも荷車から投げ出され数メートルほどの高さまで舞い上がると地面に叩きつけられる。
「く……そ……」
「いっ……」
「全員無事か!?」
センとヲチ、そしてエニシは何とか受け身を取っていた。シムラも頑丈な身体のおかげか大した怪我はない。
ピファウルの男を探すと少し離れた所でぐったりと横たわっている。子供の亡骸はまだ抱えたままだ。
エニシは裏返って倒れている荷車を蹴りでひっくり返すと大声で叫ぶ。
「全員、早く乗れ!」
すぐにセンはピファウルの男をヲチはシムラを荷車まで引きずっていく。
(はあ……重い……)
シムラを引きずりながらヲチはぼんやりと空を見上げる。
「この突風……もしかして……」
「奴だ……」
ヲチの予感に賛同するようにシムラが呟く。
「突風が吹き荒れる直前、確かにこの目で見た……巨大な何かが俺たちの上空を過ぎ去っていく瞬間を……」
(そうか……やっぱり、ここに来た時からずっと吹き荒れていた突風は地上近くを飛んでいた巨大蜻蛉の高速飛行によるもの……)
センが感知していないのだから孔雀龍のものではないのだろう。
目で追うのも難しい速度なのだから、ずっと上空を見張っておくなどでもしない限りは何が起きたのか到底気付きようがない。
(僕らがここに来た時には既に戦闘は始まっていた……ヤギ村やラゴ部族の集落だけじゃない。ピファウル集落でも……)
ーー『世界各地でほとんど同時期に奴らは現れたのだ!』
オオトリノの言葉がまた頭に浮かぶ。
朱蟻が出現してから白銀真珠の蟻、そして巨大蜻蛉が出現するのに一月も経っていない。
(もしかしたら……世界中の至る所ではもう既に……)
考え得る可能性の中でも最悪のシナリオがヲチの脳裏をかすめる。
(嘘だ……そんな事が……あっていい筈がない!)
全身から大量の冷や汗が流れシムラの服を掴む手に思わず力が入る。
それこそまさしく人類にとっての終わりの始まり。史上最悪の時代である暗黒時代の再来になりかねない事態だからだ。
焦りでとにかく思考が鈍りかけていると、自身の肩に誰かが手を置いたのに気付く。
振り返るとすぐ隣にエニシが立っていた。
「少年、その手を放せ」
「え?」
そう言ったエニシを見ると足を僅かに後ろに下げ、蹴りの予備動作に入っていた。
(なっ……!)
意図を理解するより早くヲチは咄嗟にシムラを掴んでいた手を放す。
「ぐおぁっ!」
エニシはシムラを蹴り上げると、宙に浮いたシムラは弧を描いて荷車に落ちていった。
「こうした方が早い」
そう言うとエニシはさっさと荷車へと戻っていく。
ピファウルの男に肩を貸しながら荷車まで戻ってきたセンは中で泡を吹きながら痙攣しているシムラを見てぎょっとしていた。
人間離れした怪力に唾を飲みながらヲチは自分の妄想を頭から振り払う。
(しっかりしろ!今はここから離れる事を最優先にするんだ!)
思いを新たにするとヲチもエニシたちの元に走って荷車に乗り込んだ。




