開幕ー山羊龍龍奉儀ー
村長、付き人たちはカンコンとキレレキの二人を残してそれぞれの仮宿へと戻っていった。
彼らの役目は山羊龍カプリコーンに跪き、龍の捕食活動が終わるまでずっとその場に居続け見届けることだ。その役目を全うするためには体力、精神力共にしっかりと養う必要がある。
龍奉儀までまだ五日ほどあるが、彼らは皆その五日間を自身の心身の調整に当てるのだ。
「ついにこの日がやってきたな。儂らにとっての最後の祭儀が」
「そうじゃな」
「儂もお前も身体は相応に衰え次の祭儀は生きておるかも怪しいの」
「キレレキは身体は丈夫だが心は綿のように柔いからのう。祭儀が終わるとぽっくり逝きそうじゃな……無論儂は次の祭儀でも健在じゃが」
「ふんっ!よく言うわ!村長として初めて祭儀に臨んだ時は水溜まりのできるほど汗をかきぶるぶる震えておったくせに」
「ふんっ……随分昔の話を持ち出すのう。そこまで遡らなければろくな反論も出来んようじゃな」
「なんじゃと?」
「なんじゃ?」
「「くあっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!!!!」」
二人は同時に豪快な笑い声を上げ腐れ縁の友人とのやり取りを楽しんでいた。
「あれからもう十年か……」
「…………」
「なに、もう二度とあのようなことは起きん」
「当然じゃ」
「……ならばなぜそう浮かない顔をしておるのだ。ソボク殿が言っておった事を気にしておるのか?」
「もちろん、その事も気がかりじゃが……」
「ならば一体何が気がかりなのだ」
「キレレキ、おぬしにだけは話しておこう」
そう言うとカンコンは煙管から吸った煙を吐き出した。
「セン、のことじゃ」
「おお、お前が面倒見ているあの女の子供か……」
「似てきておるのじゃよ。母親に」
「なに?」
「普段は年相応の子なのじゃ。じゃがな、最近になって時折スコーンのような事を口走るようになっておる。龍のことをまるで対等な存在であるかのように」
「…………」
「キレレキ、儂はな皆を強く説得しておきながら、センの事を恐ろしいと思ってしまう時があるのじゃ」
「もしその話が事実ならなカンコン、そう遠くないうちにあの子を……厳しい決断をしなければならんぞ」
「それだけはならん!そんなことをすれば儂らはあの過ちから何も学んでおらんということじゃ!」
「だがな、あの女が亡くなりそれから十年経ってもなお皆の心に深く刻まれた恐怖は消えておらん。もしもまたあのような悪夢が起こり得るならば、綺麗事では済まされんぞ」
「わかっておる……」
「ならばお前がしっかりせんでどうする!あの子にとってはもはやお前が親のようなものじゃろう」
「…………」
「何も一人で背負いこむ必要はない。儂に何か出来ることがあるなら儂を頼れ。それでもあの子の心に何か届けることができるのはお前以外にはおらん」
「歳はとりたくないもんじゃな、まさかキレレキに諭されるとは」
「ふんっ!調子を取り戻した途端これとは……励ましがいのない男じゃのう」
その後二人は長年の友人らしく楽しくお互いを罵りあった。
地中からぐにゃりと曲がった大きく太い二本の突起物が生えている。
山羊龍カプリコーンの身体のほとんどは地中に埋まっており山羊のような二本の角だけが地上に露出していた。
自らの巨体を地中に沈め深い眠りにつくことで十年の月日のほとんどをこうして過ごしている。
そして、深い眠りから目覚めた龍は暗い地中の闇の中ゆっくりとその眼を開いた。
ーーハラガ……ヘッタ
山羊龍カプリコーンが目覚めた翌日、ついにその日がやってきた。
山羊龍連合による山波の山羊龍カプリコーンを奉る一大行事『龍奉儀』である。
その日は空が薄明るくなる早朝からヲチの借宿にやって来た者がいた。
ーードンドン、ドンドンドンドン!
力強く戸を叩く音にヲチは飛び起こされる。戸を開けるとヤギ村に来てから毎日顔を見合わせている少年が立っていた。
「セン……こんな時間に一体どうしたの?」
「何言ってんだよ。とっくに龍奉儀は始まってるぞ」
「え?でもまだこんなじか……ちょ、ちょっと待ってて!すぐ行くから!」
ヲチは慌てて顔を洗い簡単に身支度を済ませるとセンと共に借宿を出た。
「もう始まってるって……こんな早くから?」
「山羊龍より遅れるのは非礼にあたるとかとかなんとかで日も昇らない内から村長たちは祭儀広野に入るって爺が言ってたんだよ」
「そっか……それもそうかもね」
ヤギ村の西にある祭儀広野を囲む森に向かって二人は走っている。流石にこの時間ともなると外にいる人間はまばらだった。
走っている途中ヲチは頭に浮かんだ疑問を口にする。
「センはいいの?その……お母さんの敵を見ることになるけど……」
その問いにセンは沈黙するだけだった。
しばらく走ると森が見えてきて、既に何人か森に入り始めているのが見える。すると急にセンが進路を変えた。
「セン?こっちじゃないの?」
「俺が龍奉儀にいるってバレたら面倒だからさ。別の道で行くんだよ」
センは人が通りやすいよう整えられた道を避け、木や草が生い茂るところを強引に入っていく。
「ちゃんとたどり着けるんだよね!?」
ヲチはセンの後を追いながら山でさんざん迷ったことを思い返す。
この問いにもセンは何も答えなかった。
途中、何度か転びそうになるが、センは走る速度を落とすことなくどんどん奥へと進んでいき、ヲチも問題なくついていく。
「さっきの答えだけどさ……」
走るのに夢中になっていると不意にセンが呟く。
「敵だからこそさ。敵だからこそあいつの姿をこの目に焼きつけておきたいんだ」
「セン……」
「心配すんなって……別に変なことはしねーよ」
(止めるべき……なのかな……)
きっと村人たちは祭儀広野に来るセンを恐れ拒絶するだろう。今センを止められるのは自分しかいない。ヤギ村に救われた恩を何とか返したいと思っているヲチとしてはそうするべきなのだろう。
しかし、これ以上は深入りするべきではないとも思えた。センと村の人たち、全てをどちらかの責任にすることは出来なかった。どちらもある意味被害者なのだから。
「見えた。あれだ」
そうこうする内に祭儀広野に着いていた。
「流石に大きいね」
祭儀広野を一目見るとその広さに思わず笑みがこぼれる。祭儀場は森の木々を伐採して作られた長方形の平地となっていて短辺は百メートル近くあり長辺はその約三から四倍といったところだろうか。
祭儀広野のヲチたちから見て手前には各集落の村長及びその付き人たちが横八列に並び片膝をついて座している。何人かの付き人は緊張なのかひどく震えているが村長たちは皆険しい表情で身動き一つ乱す様子はない。
奥側には肉、魚、畑野菜、果物、穀物さらには凸凹の団子のような物が信じられないほど高く積まれていた。
積まれてからかなり月日が経っているのか、肉や果物、団子からは腐臭が風にのって時折こちらまでやってくる。
蝿など腐臭や死骸にたかる虫たちが集まっている箇所もあり、あまり良い光景ではない。
龍奉儀の間祭儀広野内に入ることができるのは山羊龍連合の代表である村長及び付き人たちと食糧を運搬するために祭儀広野に入らざるを得ない者たちだけであり、ヲチやセンなどの見物者たちが踏み入れるのは外側の森の中までだけである。
森を見渡せば少し遠くにヲチはセンのような見物客と思われる人がちらほらいるのがわかった。
高く積まれた供物と村長たちの間は広く空いていてそこに山羊龍カプリコーンが降り立つのだろうとヲチはなんとなく推測していた。
とりあえず二人は最前列に陣取り他の人たちが皆そうしているように祭儀広野に向けて跪いた。センはしばらく抵抗する素振りを見せたがヲチの説得に折れて嫌々ながらも従っている。
時間が経つと見物目的の村人はどんどん増え、気づけば二人の周囲にも大勢の村人が跪いていた。幸い、センの事で大きく騒がれることはなかった。というより大人しく跪いていたためセンだと気づかれなかったようだ。
やがて談笑する声も消え祭儀広野は程よい緊張感に包まれていく。
長い沈黙。遠くで蝉の鳴く声が聞こえる。
完全に夜が明け、照りつける陽射しの中、頬を通りすぎる風が心地良い。
厳かな雰囲気が祭儀広野全体に漂っていた。
どのくらい経っただろうか、急に辺りが暗くなったかと思ったら強風が吹き荒れ森の木々は枝葉を激しく揺らし幹をみしみしと唸らせる。人も必死に地面を掴み踏ん張らなければ飛ばされてしまいそうだ。
「来たか」
空を見上げてセンは言った。
つられて見上げたヲチも思わず唾を呑む。
祭儀広野上空には少し濁ったような白の体毛、強風を巻き起こしながら動く両翼、巨大な牙と爪、視界を覆い尽くすほどの巨体、山羊と呼ばれる由縁となった頭から生える二本の角、山羊龍連合が崇め奉る山波の山羊龍カプリコーンが姿を現した。
山羊龍が地に降り立つとその衝撃が地面から伝わってくる。両翼をたたんだ山羊龍は少し視線を泳がせると、
ーーミナ、ゴクロウダッタ
と拙い人語を口にした。
「驚いた……」
ヲチは素直な感想を口にする。山羊龍が人語を話したことではない。
人と龍が共存する上で意志疎通は絶対に必要なことであり人間と同じくらいの知能をもつ生物である龍はいつからか人語を話せるようになっていた、と聞いたことがあったからだ。
ヲチが驚いたのは山羊龍の人間に対する態度だった。共存関係とはいえ、一般的に龍は人間を下等な存在だと認識しているし、ましてや敬意を抱くなんてことはあり得ない。
穏やかな気質、驚くほど理性的とカンコンとの会話の中で出てきた言葉だがこれほどとは思わなかった。
「お待ちしておりました!山羊龍カプリコーン様!私たちのか細い日々が今日まで続いてこられたのもあなた様という偉大な存在があってこその幸運!どうか私たちにその恩に報いることをお許しください!」
山羊龍連合を代表してカンコンが力強く叫ぶ。
だが山羊龍カプリコーンはカンコンのことなど視界に入らないようで、正面の何もない空間をじっと見つめるだけだった。
地上に降り立った姿をよく観察すると身体の至るところに苔のような緑が付着していて、十年も断食しているせいか痩せているようにも見えた。
やがて山羊龍は口から大量の涎をこぼしながら背後に積まれた供物を喰らい始めた。
ーーガシュッ、バグッ、ギチャッギチャッ
供物を喰らう生々しい咀嚼音が聞こえてくる。
「……様子が変だな」
険しい表情を浮かべながらセンはぽつりと呟く。