疾走の商人
「は……なせ……」
すると、ヲチのすぐ横で声がした。
額に汗を滲ませながらシムラはヲチを睨む。
「ここにいるのは危険です」
「同情……のつもり……か……お前……みたいな……ガキが……」
気まずい表情でヲチは下を向く。
こんな状況になっても自分の中の小さなプライドを捨てきれず傲慢な態度のシムラをエニシは冷めた目で見ていた。
「俺はもう……終わったんだ……生きる……意味も……もう無い……」
「う、うおあああっ!!!」
ヲチは掛け声と共に全身を使ってシムラを無理やり荷台へ投げ入れた。
シムラは勢いよく叩きつけられると呻き声を漏らす。
「はあ……はあ……随分と無様じゃないか……あれだけ僕たちの事を見下しておいて……良い気味だ」
「貴様……」
「そんなんだから自分の死に場所も選べないんだ。こうやって馬鹿にしてた僕に助けられる。全ては自分の責任さ」
「分からんな。そんな奴をなぜ助けようとする?」
「僕にもよく分かりません……ただ、何もかも終わったという顔をしていたから一言言っておきたかったんだと思います」
「一言?」
どこに行けば良いのかどう生きれば良いのか分からず彷徨いやがては疲れ果て、もうどうでもいいやと諦めたあの時の自分。
そして、そんな自分の前に現れたとある一人の青年。
絶望し雨の中呆然とする自分を見つけた彼はどこか楽しそうに気軽に声をかけてきた。
ーー『どうしたんだ?そんな何もかも終わった顔をして』
自身の人生に大きな転機をもたらしたその出会いを思い出しヲチは少し笑う。
「まだ何も……終わってないんだという事を」
エニシはヲチの表情を暫く見つめると、軽くため息を吐く。
「ほら、お前さんもさっさと乗れ」
エニシはさっとヲチを担ぐと荷台へ放り投げる。
シムラの上に落ちた事でまたシムラは呻き声を上げていた。
「ぼ、僕も手伝います!」
「いらん。そんな事をされても足手まといだ」
「まだ蔵小屋にはあの二人が……」
「馬鹿を言うのはよせ。奴らには話が通じんという事は嫌という程分かっただろう。それに奴らが逃げるのだとしたら儂らとは逆方向の筈だ」
「それは」
「では行くぞ。振り落とされんようにしっかりと捕まっておれよ?」
「無茶だ。この人数をあなた一人でなん」
突如、足元が揺らぎ身を乗り出していたヲチは荷台から放り出されそうになるのを何とか堪え辺りを見渡すと、景色がとんでもない速度で過ぎ去っていくのが分かった。
「な、何だ!?」
「あの爺さん、本当に何者だよ……」
センは驚きのあまり呆れたような笑みを浮かべる。
ヲチも即座に状況を把握した。
四人の人間を乗せた荷車を引っ張りながら人が走っている。
だが、その様はあまりに異質だった。
尋常な速度ではない。馬にでも乗っているのかと錯覚する程に風を切っていくのを感じる。
(そんな嘘だろ……何だこの速さは……人を四人も乗せて……それにさっき負傷したばかりの筈なのに……)
「当然だ……はあ……あの方にとって……こんな事は……日々の日課よりも……容易い事……」
エニシの力に驚愕するセンとヲチを見てシムラは一人でほくそ笑む。
(あまりに人間離れしている。この人たちが本当に商人……?いや違う。この人たちはまだ真に正体を明かしてはいないんだ……)
エニシの底知れぬ器に恐怖しながらも今は味方でいてくれる事にセンとヲチは深く安堵していた。
「くそっ!くそっ……くそっ!くそっ!くそおおおっ!!!」
倒れてきた物に手足が下敷きになった状態のカイランは苛立ちに声を荒げている。
意識が戻った時にはエニシやセンとヲチたちの姿はなく自分たちがいた蔵小屋はこの有り様になっていた。
「早く何とかしなさいよ!」
「ううっ……カイラン……もう少しだから……」
ススノロの要領の悪さとエニシたちへの殺意で爆発寸前のカイランはようやく解放されると、ススノロの頬を叩き怒鳴る。
「あんた、こんな作業に一体どれだけ時間かかってんのよ!」
「ご、ごめん……」
「追うわよ!」
「え?」
「だから!追うつってんのよ!!!」
「あ……えっと……じゃあ……」
オロオロとするススノロの腹をカイランは蹴り上げる。
「馬を探してこい!早く!」
カイランたちは目覚めるのが遅かったせいで何が起きたのか理解していない。
カイランの頭にあるのはとにかく目撃者となった人間への殺意だけだった。
「先ずは状況を整理しよう」
ヲチの提案に反対の意を示すも者は誰一人としていなかった。
「ピファウル集落の住民たちが消えた……というよりは逃げるようにして走り去っていったのはほぼ間違いなく孔雀龍とあの巨大な化け物のせいだろう」
ピファウル集落の男の話と消去法的思考でエニシはそう推測する。
「という事は、僕らがここに来た時には既に雲の上では孔雀龍とあの巨大な化け物が闘っていたという事なのでしょう」
「巨大な化け物か……だがあれはまるで……」
「「「蜻蛉」」」
センとヲチそしてエニシは同時に答えにたどり着く。
「おぬしたちはあれが何か知っておるのか?」
「分かりません……」
「では山羊龍カプリコーンが蟻たちに殺されたというのは……」
「事実です。嘘じゃありません」
「……………………」
エニシは何か吟味するように黙り込むとまたすぐに口を開く。
「まあ今となっては……それを嘘と笑い飛ばす事も出来なくなったわけだが」
ヲチは空を見上げ微かに見える飛び交う二体の怪物を遠目に見ながら考える。
それは山羊龍と朱蟻が闘っていた時も獅子龍と白銀真珠蟻が闘っていた時にも感じた疑問。
一体あれは何者なのか。どこから来たのか。なぜ龍に挑むのか。そしてーー
(どうして蟲の姿をしているのか……)
考えても答えは出てこない。
今はここから逃げる事を最優先に荷台から振り落とされないように努める以外に出来る事はないだろう。
「おぬしたちは一体何を見た?何があった?」
エニシは再度二人の少年に問う。今度は軽い気持ちでなく覚悟を持って。
二人の少年も自分たちの言い分が受け入れられ始めた事を感じていた。
そして語った。ヤギ村での山羊龍龍奉祭、ラゴ部族の集落での獅子龍龍奉祭での事を。当然オオトリノやイコトたちの事は暈して伝えたが。
「暴虐の獅子龍アスカゴウラが死んだだと……それにあのラゴ部族たちまでもが……」
エニシは驚愕の表情を隠せない。
暴虐の獅子龍アスカゴウラは世界中で災厄を撒き散らした龍種の中でも五本の指に入ると言われている程の凶悪な龍。
エニシは実物を見た事はないが逸話を収集する中でその名を何度も耳にした事はある。
数多の龍を捩じ伏せ、山波の山羊龍カプリコーンに出会うまで最強の名を欲しいままにした龍。
そして、そんな獅子龍に心酔する暴力に魅せられた部族たち。
カッサランの中央議会を震撼させたあの事件は今でも度々商人の間で話題になる。
(全く……何が起きとるというのだ……)
だが、この二人の少年が嘘をついてるとはもう思わない。
自分の想像を遥かに越えた事態にそれを受け入れるにはまだ時間がかかるのだろう。焦りながらもエニシは冷静に自分を分析する。
何より自分の目でハッキリと見てしまった。
落ちてきた孔雀龍とその視線の先にいたどこか見覚えのある姿をした禍々しい生物の存在を。
エニシは速度を緩める事なく木々の中にある整理された道を駆けていく。
孔雀龍の落下の衝撃によってへし折れ道にはみ出した木を避けながら、繁栄都市カッサランを目指す。
上空の方からは時折、孔雀龍のものと思われる咆哮が響いていた。




