不穏な気配
カイランもそんなエニシの態度見てゆっくりと笑みが消えていく。
(ふん……エニシ様がその気になれば……お前のような小娘なんぞ……一瞬でぐちゃぐちゃに壊されて終いだ)
エニシに対して威勢良く吠えるカイランをシムラは内心でぼんやりと嘲笑う。
一触即発の雰囲気の中、センとヲチは仄かな悪臭が漂ってきている事に気付いた。
(ヲチ……)
(うん……何だろうこの異臭……)
カイランたちやエニシたちに悟られないよう、小声で会話する。
すると、エニシやカイランたちも徐々に顔をしかめ始め、辺りをきょろきょろと見回しだした。
とうとう我慢できなくなったカイランはエニシを視界に収めつつ、ススノロに探せ、と顔を少し動かして指示する。
「あんたたちも動くんじゃないわよ」
そう言ってセンとヲチを牽制する。
ススノロは恐る恐る悪臭の元を探し始め蓋僅かに開いた一つの樽の中を開けた瞬間だった。
「ひいいいいいいいいいいっっっっっ!!!!!!!!!!」
ススノロは悲鳴を上げ大きく後退ると、腰を抜かしたように尻餅をついた。
その直後、樽が倒れその勢いで中身が半分ほど現れた。
それは泥や土に塗れ赤黒く腫れたり潰れたりした人間のような物だった。
ヲチは一瞬、それを趣味の悪い人形だと思った。
しかし、直ぐにそれが大きな間違いである事に気付く。
(まさか……人間……?……本物の……?)
「おい……これってまさか……」
センが何かを言いかけた瞬間。
「うあああああああああああああああああっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!」
悲鳴を上げながらそれを抱き抱えたのは、心を壊しまともに反応すら出来ないと思われていたピファウル集落唯一の残存者の男だった。
(何っ……!?)
唯一事情を知るであろう男の新たな反応にエニシは目を見張る。
男に抱き抱えられるそれをよく観察すると凄まじい重症を負った子供のようだと分かった。まだ十にも満たない、顔の腫れがひどく男か女かも判別がつかない。
(いや、既に死んでおるな……)
「その子は何だ?一体何が」
「もうほっといてくれよおおおっ!!!一人に……一人にしてくれよおおおっ!!!」
エニシは事情を尋ねようとするが男は泣き叫ぶだけだ。
ヲチたちの頭は混乱していた。損傷の激しいまだ小さな子供の遺体。それがどうして住民の消えたピファウル集落に取り残されているのか。
(やっぱり只事じゃない……こんな小さな子供がこんな残酷な目に合うなんて……)
それからはもう冷や汗が止まらない。
幽霊街と化した静かでのどかなピファウル集落に垣間見える微かな狂気。
とにかく今は一刻も早くここから離れたいという気持ちで頭がいっぱいになる。
(やっぱり大規模な賊に襲われたんじゃ……)
(あり得ん……それなら商人の情報網に引っかからない筈がない……)
ヲチとエニシは再度この状況について推測するが全く進展する気配はない。
「ちょっと!早くそれ元の場所に戻しなさいよ!臭くていい加減おかしくなりそうだわ!」
「お前はちょっと黙ってろ!」
カイランの物言いにセンが怒りを露にする。
「何だと……!もう一度言ってみろ糞ガキ!」
「何なんだよ!お前ら……早く……早くどこかに行ってくれ!」
ヲチは男の肩を掴み無理やり顔を上げさせる。
「一体何が……何があったんだ!」
ヲチはそう問う事しか出来ない。この男が大切な者を失った事は何となく理解できる。
しかし状況は切迫している。カイランがいつまた事をややこしくするか分からない。
「それが分かれば僕らも直ぐにここを出ていくよ……だから……」
「分かんねえよ……何があったかなんて……分かんねえよ……ただ……」
「ただ?」
男は苦しそうに表情を歪ませると、震えながらもやがてぽつりぽつりと語り始めた。
「今日は仕事が午後からだったから……だから昼まで寝てるつもりだったんだ……でも外の喧騒があまりにもうるさいんで目が覚めちまった……それで起きて何事かと外を見に行ったら……」
男は口をつぐみ自分の腕を掴む手に力を込める。
「見に行ったら……何だったんだよ……?」
「分からねえ……俺には訳が分からなかった。ただどいつもこいつも死に物狂いで走ってて……そうだ、まるで……何かから逃げるみてえに……」
「何だ……?一体何から逃げていたというのだ!何故お前さんだけが無事なのだ!?」
「分からねえ!どうして俺は……俺は恐ろしくて……意味が分からなくて暫くぼうっと突っ立ってたんだ……でもようやく俺も逃げなきゃって……たった一人の娘と一緒にって……そんで……家の中にいる娘を呼ぼうと思ったんだ……そしたら……」
男の呼吸は次第に荒くなる。
「妙なもんが視界に入っちまった……たくさんの人が走っていく地面に弱々しく横たわってて……はあ……似てると思った。ボサボサの髪、いつも着てる服……でもそんな事あり得ねえって……あって良い筈がねえんだって……はあ……」
「ごめんなさい、もう大丈夫です。これ以上は……」
「どいつもこいつも……逃げるのに必死で踏みつけてる事に気付きやしねえ……でも俺も……はあ……確かめるのが恐くて……いつもぼーっと呑気に楽しそうに生きてるあいつが……はあ……そんな目に合うわけないんだって……」
男は死んだような目に涙を浮かべながら言葉を絞り出す。
「それで気付いたらみんないなくなって……はあ……俺とその子だけが取り残されて……はあ……それで俺はようやくそこで……はあはあ……その子の……はあはあ……か、顔を……はあ、はあはあ……確かめようと……」
(くそっ!……何て事だ……)
痛々しい男の姿にヲチは耐えきれず目を背ける。
センも怒りと悲しみと困惑が同時に押し寄せ自分の感情を上手く処理出来ないでいた。今自分がどんな顔をしているのか分からない。
「のうカイラン殿、これでもまだここで争い続ける気か?こんな所で足を引っ張り合うよりも、さっさとここから離れた方がお互い身のためだと」
「いい加減しつけえんだよ!いい!?私がその気になればあんたみたいな老いぼれ一歩手前の爺とガキ二人とそこの死に損ないを殺すのに時間なんかかかるわけないでしょ!?あんたみたいな世の中を知った気になって偉そうな爺がどんな風に足掻くのか見たかっただけ!」
それでもカイランの態度は一向に変わる事はない。
それどころか倍になって返ってくる。
「でももうそれも見飽きたわ。さっさと殺して上げる」
「そうか、ちょうどよかった。儂も今すぐにでもここを離れたいと思っておったところだ……」
「はあ!?私をどうにか出来るとでも思ってんの!?お前の虚勢なんかとっくに見透かしてるんだよっ!!!」
「カイラン殿、儂はおぬしのその溢れ出んばかりの怒りについては感心しておるのだ……だがな、カッサランの貴族にしろ儂らにしろ……牙を向ける相手を間違えれば取り返しのつかん事になるという事は身を持って知っておいた方が良さそうだな……」
エニシも首を左右に振りゴキッ、ゴキッと鳴らす。
(馬鹿が……ついにエニシ様をその気にさせやがった……)
そして、ついに両者が戦闘態勢に入る。
エニシが一歩踏み込むとカイランは一歩後ろへ下がる。更に踏み込むとまた一歩下がる。更に一歩踏み込むとカイランは下がろうとするがそこで壁にぶつかった。
エニシは右足を少し浮かせて蹴りの予備動作に移行した瞬間だった。
「待てっ!!!!!!!!!!!!」
大声で二人を制止させたのはセンだった。
センは汗をかく額に手を当てながら全身を震わせていた。
「何か来る」
一瞬、場が静まり返るが、センの言葉にまともに取り合う者はいなかった。
エニシは既に目の前の障壁を排除する事に、カイランも目撃者を始末する事を優先している。
「何か……落ちてくる……」
そう言ってセンは天井を見上げた。
何故かその時、ここへ来た時に見た雲の合間を飛び去る残像のようなものを思い出した。
「セン……?それってまさか……?」
この場で唯一センの素質を知るヲチだけがその警告に驚愕する。
エニシの蹴りは残像を伴う程の速度でカイランの顔面へと向かっている。カイランは麻痺毒ナイフを突き出そうとしているがそれでは到底間に合わないだろう。
「全員伏せろおおおっ!!!!!!!!」
センの叫びと共にヲチは子供の遺体を抱く男を巻き込むように頭から突っ込み、センもヲチとほぼ同時に後方の床へと飛び込んだ。
その直後。
ーーズザアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
凄まじい轟音と共に災害級の衝撃波がセンやヲチたちがいる蔵を直撃した。




