真の『偉業』
センは改めてじっくりと絵を見てみる。上手いのか下手なのかいまいちよく分からない。
こんな物に一生を遊んで暮らせる程の値がつくと言われても到底納得できなかった。
見知らぬ龍ばかりだ。故郷の外を知らず、龍と言えば山羊龍しか知らなかったのだから当然ではあるのだが。
すると、とある絵に目が止まる。
その絵には白い体毛と強靭な二脚、そして頭に赤い特徴的な鶏冠のようなものが生える鶏のような姿の龍が描かれていた。
ヲチが答えていた鶏冠龍の特徴と一致している。恐らくこれが鶏冠龍なのだろう。
そして鶏冠龍の他にもう一体、青を基調とした体色にとても長い尾翼が生え両翼を広げ今まさに上空から鶏冠龍へと襲いかかろうとする龍の姿が描かれていた。
(もしかして……これが孔雀龍……なのか……)
不思議とその絵から目が離せなかった。
他の絵と比べて格段に上手いというわけでもない。
それなのにまるで、その絵以外の景色がどんどんと自分の視界から排除されやがて絵の中の景色にのみ意識が集中していくようだった。
そして、センの中で奇妙な現象が起きた。
(…………ん?何だ……絵が……動い……)
一瞬、絵の中の光景が動いたように見えると絵の風景がセンの視界を埋め尽くし、まるで別世界に引きずり込まれたような感覚に陥る。
(いや……明らかにおかしい。ここはどこだ?風を感じる。気温や匂いまで……)
そして。
ーーゴゲエエエエエエエエエッッッッ!!!!!!!!!!
ーーキュアアアアアアアアアッッッッ!!!!!!!!!!
巨大な咆哮と共にセンの真上で鶏冠龍と孔雀龍が対峙していた。
直後、センの全身に悪寒が走り、それと同時に鶏冠龍の姿に変化が訪れる。
白い体毛は褐色に染まり頭の鶏冠が後方へと長く伸びていく。
話に聞いていた通り、センはこれが鶏冠龍の怒り心頭状態なのだと直ぐに理解した。
(俺はさっきまで屋内にいた筈なのに……)
周囲にはヲチもエニシたちやカイランたちもいない。
センの混乱などお構い無しに既に鶏冠龍と孔雀龍の戦闘が始まっている。
龍が一歩踏み出すだけで地鳴りが起きる。凄まじい突風と舞い上がる石や樹木の破片。
(くそっ……何がどうなってんだ……!)
センは両腕で顔を覆い視界を遮りながらも何故だか鶏冠龍と孔雀龍の戦況がよく分かった。
怒り心頭状態となった鶏冠龍は次々と地形を歪める程の大技を繰り出し、孔雀龍は何とかそれを凌いでいる状況だ。
エニシから聞いた逸話通りの光景が繰り広げられる。
どうしていいか分からずその場に立ち尽くしていると、ふと背後に気配を感じた。
振り返るとそこには木の板に向かって黙々と筆を動かしている男がいた。
(こんな所に人……?)
歳は四十から五十くらいだろうか。薄汚く乱れた長い白髪と栄養不足による細い身体。
異様な雰囲気を放ちながら男は鬼気迫る表情で必死に何かを書き殴っているようだ。
(いや、ていうか何やってんだよ……こんな状況で……)
男の行為は明らかに常軌を逸している。いつ死んでもおかしくないこの災厄の中を逃げる事もせずその行為に没頭していた。
「おい、あんた……こんな所で何やって……」
男に声をかけた瞬間、エニシがしていた話を思い出した。
ーー『ともかく、何もかも通用しない時代だったのだ。常識も。正義も。憎しみも。心が壊れ気が狂った者がいても何ら不思議ではない。中には龍の戦いを絵に描いた狂人もおるのだからな』
(おい、嘘だろ……?まさか……こいつは……)
ーーキャアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!!!!!
孔雀龍の巨大な咆哮と共に再びセンの全身に悪寒が走る。
上空を見上げると、孔雀龍の姿は変容し逆立つ体毛に光沢が輝き、長い尾翼は扇型に大きく広がっていた。
やはりきた。孔雀龍の怒り心頭状態だ。
逸話の続きが見れるかもしれない。
これがどんな状況かも理解しきれないまま、なんとなくそう思った。
その瞬間。
孔雀龍の全身にいくつもの光の帯のような物が巻きついているように見えた。
「うああああああああああああああああっっっっ!!!!!!!!!!!!!」
突然のセンの絶叫にその場にいた全員がセンに注目する。唯一心を病んだ男だけが相変わらず自分の世界に閉じ籠っていた。
「……セン……?」
「何だ……今度は一体……」
「ううぅ…………ぐぅ……ああああああああっっっっ!!!!!!!!!!!!!」
絶叫は止まらない。
ヲチは困惑しエニシもうんざりしたような表情でセンを見る。
「ああああああああああああっっっっ!!!!!!!!!!!!!」
「ちょっと!早くそいつを黙らせなさいよ!」
「セン……セン!どうしたんだ……一体何が……」
「はあ……はあ……はあ……何だ……なんなんだよ……あの絵……」
センは頭を抱え顔に大量の汗を滲ませながらひどく怯えた様子で呟く。
「絵……?」
ヲチは振り向き荷車からこぼれ落ちた龍が描かれた絵を眺める。
絵と言われて今ここにあるのはエニシたちが作らせ、或いは収集した狂人絵師たちによる偉業の模造品以外には見当たらない。
「あれは……あれは本当に絵なのか……?」
「セン……君は何を見た……いや何を感じたんだ……?」
ヲチはセンの状態に僅かな心当たりがある事を思い出した。
それは獅子龍と上空から降り注ぐ白銀真珠の蟻たちとの戦闘に乗じて逃亡する最中の出来事。
獅子龍の怒り心頭状態を感じとったセンが著しく体調を崩した時と似ているような気がした。
「あの絵……まるで生きてるみたいだ……」
「絵が……生きてる……?」
センが見聞きし感じた事をヲチが理解できる筈もない。
だが、似たような話をヲチはかつて聞いたことがあった。
それは、模造品ではない本物の『偉業』を見た男の言葉。
ーー『あれは、ただの絵ではない。初めてその絵と出会った時、僕は恐怖と感動でその場から動けずにいた。僕の生きてきた価値観を全て覆されたような……そんな気分だった。あの瞬間に、僕は一度死んだのさ』
その言葉を思い出し、また床に散らばる模造品を眺める。
同様にエニシもヲチの異様な反応に心当たりがあった。
(聞いた事がある……本物を見た者の中には稀に心を壊してしまう程の衝撃を受ける者もいるという。逆に言えば、見た者の心を壊す事があるのならばそれは本物の偉業に違いないのだと……)
(センは絵を見てここまで酷く怯えている……普通ならあり得ない事だ……)
(どれ程精巧な模造品を作っても人の心をどうにかするにまでは決して至る事は無い。それが模造品と本物の決定的な差、なのだと……)
(模倣するだけじゃ絶対に到達する事の出来ない……かの時代を生きて感じた絶望や屈辱……それが無ければ到底その差を埋める事は叶わない。それこそが見る者の心を真に打つ、か……)
(と、言うことは……)
(まさか、この模造品の中には……)
((本物の偉業が……ある……?))
ヲチとエニシは殆ど同時に同じ結論に至る。
(まさか……闇市で収集した物に本物が混ざっていたというのか……?)
エニシは改めて六つの模造品を見比べるが、どれもこれも質は高いもののどの作品が飛び抜けて優れているのかは判断がつかない。
(馬鹿な!狂言吐きの者たちの戯れ言を真に受ける事はない……だが……)
センの様子が演技とは到底思えなかった。仮にそんな嘘をついて彼らに何の得があるのか。
(いや……理解できん者を理解しようとするのは時間の無駄だ。こ奴らは……ただでさえおかしな状況を更に混乱させて楽しんでおるのだ……例え自分たちの生命を危機に陥れようとも……)
「ふーん。カッサランの闇の市場でそれを富裕層相手に高値で売る闇商人。それがあんたたちの正体ってわけね……」
「理解してもらえたかの?確かに儂らは真っ当な商人ではない。だから信用してもらえるとは思わんが、ここピファウル集落の状況とは何の関係も無いのだ」
「それで?だから自分だけは見逃して欲しいとでも言いたいわけ?」
「ん?ああ、まあそう受け取ってもらっても構わん。そこに転がっとる間抜けは如何様にしてもらってもいい……どうだ?」
いともあっさり切り捨てられたシムラは何か言いかけるが、ほぼ同時にエニシはシムラの眼前に膝を曲げ腰を下ろす。
「シムラ……なぜお前が儂の旅への同行が許されたか分かるか?お前は自分が優秀だったからだと思っておるだろう?」
責め立てるような事はせず、優しく諭すような口調にシムラは一層恐怖を覚える。
そんなシムラの耳元に顔を近づけ他の者には聞こえない声量でエニシは語りかける。
「逆だ。多くの弟子の中で最も劣っていたからお前を連れてきたのだ。お前がこの旅に何の意味があるか考えておったかは知らんが、この旅の目的の一つはなシムラ……お前を捨てる事にあったのだ」
「はあ……そんな……なぜ……?」
「シムラ、お前は腕っぷしばかりが強ければ良いと考えておるようだがな……それだけでは真の強さとは到底言えんのだ。今この状況を見てみろ……お前は自身の欲求に振り回されるばかりで背後の……未来の敵に対する警戒を怠った。その結果がこれだ。まさか……あんな小娘にしてやられるとは流石に儂も思わなかったがな……」
「エニシ様……俺は……」
「何も言うな。黙って受け入れろ。それがお前の運命だ」
決して動じない、冷たく真っ直ぐな表情でエニシはシムラを見下ろす。
そんなエニシの表情に何があってもその判断が覆る事は無いのだとシムラは痛感する。
「……………………はい」
シムラは力のない返事を返す。
その目から光は消え何もかも諦めたように見える。何もかもどうでもよくなってしまったような、そんな表情だった。
ヲチはそんなシムラにかつての自分が重なった。
禁忌に触れた事で故郷から追放され、どこに行けば良いのかどう生きれば良いのか分からず彷徨いやがては疲れ果て、もうどうでもいいやと諦めたあの時の自分に。




