闇の商人
「ふふっ……どう?全く動かせないでしょ?」
カイランは室内に入ると床に突っ伏しているシムラを見下ろす。
その後ろからススノロも現れる。
「き……さま……」
苦しそうに首を動かしカイランを睨むが、手すらろくに動かす事ができない。
「麻痺毒か……」
エニシは冷静にシムラの身に起きている状態を分析する。
「ええ、よく知ってるわね」
カイランはそう言うとシムラを踏みつけながら刺さった刃物を抜く。
グシュッと生々しい音と同時にシムラが呻き声を上げる。
「良かったわ。一番厄介な奴を最初にやれて」
「カイラン殿……これは一体どういうつもりか?」
身に覚えのない敵意にエニシはその真意を尋ねる。
「……ちが悪いんだ……」
すると、どこからかカイランではない声がした。
「ん?何だ?」
聞き取れなかったエニシは再度尋ねる。
「お前たちが悪いんだ!」
そう叫んだのは、カイランの背後に隠れるようにしていたススノロだった。
「お前たちが……僕たちを……ここまで追いつめたから……だから……だからしょうがないんじゃないか!」
「儂らが……お前さんたちを追いつめた?一体何の話をしておるのだ?」
エニシは心底理解できないという表情でススノロたちを見る。
「ひっ……だ、だから……」
この状況でも動揺する事なく冷静な態度のエニシにススノロは怯み口調も勢いを失う。
「ええ、分かってるわ。あんたたちに私たちの苦しみが理解できる筈がないわよね」
「……もう一度聞くが、儂らはそれほどまでの殺意を抱かせるほどの事をしたのか?もし、うちの馬鹿がカイラン殿を壁に投げつけた事を言っておるのなら」
「余裕こいてんじゃねえぞ糞爺っ!!!」
凄まじい剣幕でカイランが怒鳴る。
「あんたの護衛はっ!今ここに無様に転がってんのよ!状況わかってんの!?次はあんたの番!殺してやるわ!私たちの邪魔をする奴らはみんな!なぶり殺しよ!」
カイランは息を荒くして
そんな様子を見てエニシはため息を吐くと倒れているシムラに視線を向ける。
「シムラ、何をしておる早く立て」
その言葉に驚愕の表情でシムラはエニシを見る。
しかしエニシの表情からそれが冗談でない事は直ぐに分かった。
応えようとシムラは立ち上がろうとするが、身体に全く力が入らない。
「あははっ!無駄よ!どれだけ身体を鍛えても毒に犯されたら病人と一緒!あんたは身動き一つ取れずに私に笑われながら死んでいくのよ!」
カイランは起き上がろうと踠くシムラを何度も踏みつける。
「どうした、シムラ。それで終わりか?お前はもう立ち上がる事も出来んか……?」
冷たい目だ。
失望するような、何かを諦めようとしているエニシの表情にシムラは焦燥感に駆られ必死に力を込める。
「あ……ぐ……がぁ……」
すると、シムラの身体がゆっくりとだが徐々に動き出す。
底知れぬ執念だ。麻痺毒で身体の自由が利かない筈だが最早精神力だけでそれに抗っている。
「へえ、やるじゃない」
カイランは率直にシムラを讃える。
直後、もう一度刃物をシムラに突き刺した。
「うごぁっ……」
声を押し殺したように叫ぶとまた床に倒れてしまう。
「それで?それがどうしたの?」
本来なら勝ち目のない相手に対して完全優位な状況をカイランは楽しむように下卑た笑みを浮かべる。
その様子を見たエニシは軽くため息をついた。
「まあ、こんなところか……」
「ま、まだです!俺は……俺はまだ!」
「シムラ、お前はもういい。毒をくらった時点で決着はついておる」
「そんな……俺は……俺はまだ……」
自分たちに敵意を剥き出しにしていたシムラがああも絶望したような表情を浮かべている事にヲチは複雑な胸中になりながらも、この状況を理解しようと必死で思考を巡らせていた。
(これは……どういう状況なんだ……ひとまず助かった……のか……?)
敵対していた二人の内一人は戦闘不能状態にある。
その上センとヲチ二人にとっての敵対者と敵対する二人が現れた。
(これは……絶好の機会……?今なら逃げられるかも……)
ヲチはセンに視線を送る。
センも同じ事を考えていたのか応えるように頷いた。
「で?あんたはどうするわけ?頼りの護衛はこの有り様なんだけど……?」
「どうする……か。何、そろそろここを発とうと思っておっての。やはりこの状況は薄気味悪い」
一瞬、エニシはセンとヲチの方をちらっと見たがそれだけだった。
「ふーん。本当に憎たらしいくらい冷静ね……ああ、でも良いこと思い付いたわ」
「良いこと……とは?」
「これでしょ!あんたたちが隠したがってた物は!」
そう言うと、カイランはエニシたちの荷車に覆い被さっていた布をおもいっきり引っ張った。
バサッと布をはためかせると同時にその勢いで何かがバタバタバタッと荷車から落ちてきた。
チッとエニシは舌打ちするとカイランを睨む。
エニシの余裕そうな態度が崩れると、カイランは心底嬉しそうに卑しく笑う。
「へえー、それで何を必死に隠そうとして……」
それを見たカイランの口が止まる。
(こ……これは……)
ヲチもそれが何かを悟った瞬間、思考が停止する。
現れたのはヲチが推測した通り額縁の中に大事そうに収納された絵であった。
しかし、ただの絵ではない。
「龍の……絵だ……」
それは龍を描いたものだった。
龍が世界を喰い荒らしている絵。龍同士で闘争を繰り広げている絵。
彩色豊かな物もあれば、あれは炭だろうか黒一色で描かれた絵もある。
オオトリノの助手として多くの龍種に関する資料に触れた事があるヲチにはそれが一体どういった物なのか直ぐに分かった。
「これは……狂人絵師たちの作品だ……」
ヲチの言葉に一同は静まり返る。
「あ、あり得ない……本物なら人生を十数回遊んで暮らせる程の値がつく筈だよ……」
ススノロがヲチに反論する。
「勿論、本物じゃありません。模造品です。それでも質の高い物なら百分の一ほどの値がつくんです」
個人が手にする金額としては大金だ。
「で、でも彼らの偉業の模造品を作る事は多くの国で禁止されてる……バレたらどんな重い罰を与えられるか……」
「だからああも必死に隠そうとした、という事なんでしょう」
センとヲチ、カイランとススノロの四人はエニシを見る。
エニシは相変わらず悠然とした態度で佇んでいた。
「分からない……あなたはかの時代に生きた人たちの苦しみや狂人絵師たちの偉業に涙をこぼす程の心情だったのに……どうしてこんな事を……こんな事で大金を得ようとするのは彼らの生き様に対する冒涜だ!」
「ぐははははっ!!!冒涜か!ずいぶんと高い志を持っておるではないか、なあ狂言少年よ……」
「狂言なんかじゃない!」
センがエニシの皮肉に噛みつく。
「だがな少年、お前たちも分かるだろう?志で飯は食っていけんのだ。苦労したのだぞ?一つの模造品を作るのに一流の絵師を集めたり、闇市に流れる質の高い模造品を収集したりとな……」
エニシは開き直り若干のしたり顔で語る。
「いやしかし、狂人たちの偉業とは本当に恐ろしいものよ……これだけ上質の模造品を作った絵師たちですら皆、最期は筆を折り、生気の抜けた死んだような表情でこう言い残した。『自分がこの先どれほど努力し絵描きに人生を捧げても元絵の足下にすら到底及ばないだろう』とな」
独り言のようにエニシは饒舌に語る。
「儂には元絵も模造品も同じく素晴らしい出来で見分けがつかんかったが、やはりただ鑑賞するのと狂人たちが至った境地を目指すのとでは見える景色がまるで違うらしい」
それはどこか子供のような、少年のような表情で。あのひどく冷たい目をしていた男とは全くの別人のように思えた。
ヲチはまた分からなくなる。
狂言少年や踞るシムラを見る時の冷徹さと、かの時代の人々や龍を語る時の憧憬の眼差し。
一体どちらがこの男の本質なのだろうか、と。
「……残念です。もしかしたら、あなたは……僕と似た考えを持っている人だと思ってました……」
「………………」
ヲチの言葉にエニシは少しだけ複雑な表情を浮かべていた。




