狂言
「それで……結果どうなったんだよ」
「いや、話はここで終わりじゃ」
やり切ったようにエニシはふうっと煙を吐く。
「…………?」
ヲチも期待した展開とは外れ首を傾げる。
「どういう意味だよ。見てたやつがその時点で死んだってことか?」
「いやそうではない。正確には続きがあるのだが……どうも何が言いたいのか……要領を得なくてのう……」
「何と言っていたんですか?」
「うむ……確か……天地がくっついただの、世界が真っ白に染まっただの……後は空間が歪みだした、なんて表現もあったかの……」
「何だよそれ。無茶苦茶だな……」
「恐らく逸話の伝承が上手くいかなかったのだろう。まあ珍しい事でもない。所詮は人の言伝て。それが何百年ともなれば多少の尾鰭もつくものだ」
「とはいえ、鶏冠龍も孔雀龍も生きているのであれば決着はまた有耶無耶になったということでしょう」
端的にヲチがまとめるとエニシもそれに軽く頷く。
「まあ腑に落ちぬ結末だがそれなりに楽しめたのではないか?」
「まあ……勉強にはなった……かな」
笑みを浮かべるエニシにセンは少し気まずそうにしながら答える。
「しかし龍の生態を探るのが禁忌というのは分かるが……ただ逸話を聞く事すら許されんというのは……どうもなあ……」
「仕方ありません……世界には龍に対して強い憎しみと共に挑もうとする人たちもいますから……」
少し前に出会ったオオトリノやどこか歪な少年イコトが所属する『石竜子殺し』がヲチの脳裏をよぎる。
「ああ、いや儂らは龍に憎しみなぞ抱いておらん。むしろ人間同士の争いを止める抑止力として世界に必要不可欠な存在だと思っておる」
また妙な疑いをかけられたと思ったのかエニシは急いで弁明する。
「ただなあ……あの超常の生き物に余計な関心を持つな、ただ崇め奉れ、と言われてものう……禁忌だ禁忌だと言われるほど知りたくなるのが人の性分だと思うのだがな」
その言葉にヲチは自身の過去を、故郷でのことを思い出した。
故郷の掟を、禁忌を犯した十一歳の自分。
そして、故郷を追放され途方に暮れながら空腹と疲労で倒れた時は死を覚悟し、過去の愚かな自分を呪った。
「そうですね……確かにその通りかもしれません。ただそれを犯した者に向けられる憎悪はきっと……並大抵の物ではないでしょう……」
どこか遠い目をする少年に彼らの素性についてずっと気になっていたエニシは聞かずにはいられなかった。
「お主たちは……一体何があった……」
人には言えないこともある、という自身の発言を棚に上げ、濁していた彼らの事情について踏み込んだ。
ヲチは下を向いてしばし考える。
少なくとも今、エニシはこちらの話に耳を傾けてくれている。
それにもし、状況の緊急性を理解し協力者になって貰えれば商人の人脈で中央議会の列席者に接触できることだってあるかもしれない。
センの方を見ると軽く頷き肯定の意を示していた。
「僕たちは……」
真っ直ぐに目の前の相手を見つめ、気負うことなくありのままの事実を言った。
「山波の山羊龍……カプリコーンの死を中央議会に伝えにいかなければなりません」
ヲチがそう言うと屋内は長い沈黙に包まれ、言葉の意味が受け入れ難いのかエニシはピクリとも表情を変えず固まっていた。
「……………………何?」
ずっと押し黙っていたエニシはようやく言葉を発する。
やがて、話を聞こうとする態度から徐々に疑惑の視線へと変わっていくのがヲチにははっきりと分かった。
何とも言えない気まずい空気が流れヲチは下を向いてそれに耐えながら次の相手の言葉を待っていた。
「それは……どういうことだ……つまり……獅子龍アスカゴウラと戦い、敗れた……ということか……?」
獅子龍は龍種の中でも特段凶暴で五本の指に入るとまで言われていたためその名を広く知られている。
中でも山羊龍との死闘の逸話や山羊龍に対する執着は密かに逸話を収集し楽しむ者たちの間ではことさら有名だ。
山羊龍の死と聞いて獅子龍の名が出てくるのはごく自然な思考の帰結と言えるだろう。
もしも仮に山羊龍が死ぬとしたらそれ以外に考えられない、とエニシは結論付けた。
だが、返ってきた答えはエニシの想定したものではなかった。
「いえ……獅子龍アスカゴウラではありません」
「……何?獅子龍アスカゴウラではない……だと?」
ヲチの返答を聞いたエニシは疑わしく思う態度を隠しもせずヲチを睨む。
「では何だ。何によって山羊龍の死はもたらされた?」
その迫力に気圧されながらもヲチは自分の見たことを伝える他ない。
「あれは恐らく……蟻……」
「あり?……ありとは地を這う蟻のことか?」
困惑した表情で言葉の意味を確認する。
「はい、でもただの蟻では……」
「はぁ……お主たち……一体どういうつもりなのだ……?」
ヲチの言葉をため息混じりに遮るとエニシは怒ったような呆れたような表情でヲチを見る。
「そんな狂言を吐いて何になるというのだ……」
エニシは最早完全に疑っている。
一縷の希望を持って打ち明けたはいいが完全に裏目に出てしまった。
それでもここまで話したからには後には引けない。
「狂言ではありません!蟻の大群が人々や山羊龍を襲い、その土地を破壊し歪めて……大勢の人が亡くなりました……そして山羊龍も……」
「はっ!ガキが何を言い出すかと思えば……」
狼煙の番をしていた筈のシムラがいつの間にか扉の端にもたれかかりながら嘲笑う。
「龍の名を使って何を企んでるのか知らんが……何にせよ録な育てられ方をしてないのは確かだな」
「俺たちは嘘なんか言ってない!気が狂ってるわけでもない!何も知らねえのに勝手に知った気になるなよ!」
センは立ち上がり言い返す。
だがエニシの冷めきった表情もシムラの見下す態度も変わることはない。
「くははっ!笑わせる……物を知らんのはお前らの方だろうが。お前たちの言い分は国によっては極刑、そうでなくとも狂人扱いだ」
シムラの言葉にヲチたちは何も言い返す事が出来ない。
(あのカイランとかいう女といい……どうも、今日は人の縁があまり良くないようだのう……)
エニシは心中でため息をつく。
(この少年もなかなか面白いかとは思ったが、まさか狂言吐きの癖があったとはな……人を見る目はあるつもりだったが、やはり儂も歳をとったということらしい……)
「……まさかお前たち石竜子殺しじゃないだろうな?」
シムラが殺意を持った目でヲチに詰め寄ると、胸ぐらを掴み壁に押し当てる。
「あぐあっ!」
足が床から離れ拳を喉に押し付けられているためヲチはまともに抵抗出来ず踠き苦しむ。
「ヲチっ!おい!やめろ!」
センがシムラを止めようと走り出した瞬間、センに向かってヲチを片手で放り投げる。
「うああっ!」
勢いよく向かってきたヲチを受け止めきれず二人は吹き飛ばされ倉庫内の積まれた荷に突っ込んでしまう。
「この状況にしてもそうだ。お前たち石竜子殺しの仕業なんじゃないのか?」
(ふむ……確かにあり得そうな話ではあるが……)
エニシはシムラの考えに一定の理解を示す。
「であれば……生かしておく理由はないな」
顔を左右交互に捻り肩を鳴らす。
「ひっ……ち、違っ」
「よせ、シムラ」
シムラが拳を振るう直前、エニシが口頭でシムラの動きを阻む。
「……………………エニシ様、こいつらは」
「馬鹿者。何の確証もなかろう」
「しかし、盗賊でもないのであれば奴ら以外に考えられない……」
「まず例え奴らだとしても山羊龍を死んだことにする目的が分からん。ピファウル集落から住人を連れ去る意味もだ。それに何より儂にはこの二人が石竜子殺しだとはどうも思えん」
先程の鶏冠龍と孔雀龍の話の時に二人から感じたのは憎悪や嫌悪感ではなく純粋に逸話を楽しむ少年の目だった。
石竜子殺しの者であればそんな表情は絶対にしない。
そしてそれは少年時代のかつての自分自身を想起させる光景でもあった。
だからこそ、その少年の口からあんな狂言を聞いた事にエニシ自身これほど失望の念を隠せないのかもしれない。




