もう一人の男
「別にそいつの言うことなんて全く気にしてないわ。でも一つ忠告してあげる。カッサランで商売するつもりなら礼儀知らずの田舎者はちゃんと教育しておいた方がいいわよ」
「何だと?」
カイランの言葉に一歩踏み出すシムラをエニシが制す。
「いやはや……全く耳が痛いかぎり。こやつには儂からきつく言っておくのでな……どうか今は……」
「…………………………………………ええ」
冷たい目でシムラを睨み明らかに納得していない様子だがエニシの対応で一応の解決は見られた。
センとヲチは胸を撫で下ろす。
するとエニシとシムラは先ほど六人で食べた汁物を装ったお椀を一つ持ってエニシが出てきた家屋へと戻っていった。
(もしかして……もう一人いるのか……?)
状況からヲチはなんとなくそう推測する。
「ひいいぃっ!」
直後、すぐそばから悲鳴があがる。
声の方を見ると頭を守るようにして踞るススノロに対してカイランが何度も足を振り下ろしていた。
「ほんっとに!使えないわね!あんたのせいで!あたしが恥かいたじゃない!」
センとヲチはその光景を目の当たりにしながら固まっている。
「どうしてくれんのよ!どう責任とるつもりなの!ねえ!ねえ!ねえねえ!」
「お、おい、何もそこまでしなくても……」
センが止めに入ろうとした瞬間、カイランは即座にセンの眼前まで距離をつめ怒りに歪んだ表情でセンを睨みつける。
「何?私が悪いの?まさか私が悪いって言いたいわけ?あたしはこの愚図のせいで恥をかかされた被害者なのに?あたしが一体こいつのせいで今までどれだけ苦労してるか知ってて言ってんのよね?」
「はあ?別にそんなこと言ってるんじゃ……」
「偉そうに。何様なの?本当に虫酸が走るわ……あんたみたいなガキが一丁前に正義面してんの見てると」
「お前……さっきから俺たちのこと馬鹿にしてるよな」
カイランとセンは睨みあい再び険悪な雰囲気が訪れる。
「ちょ、ちょっと待った二人とも!お互い……疲れてるんだよ……きっと」
「ええ、本当に疲れるわ。礼儀も知らない商売人気取りの田舎者に何もできない木偶のぼう、自分が絶対に正しいんだと思い込んでる無知な子供……何であたしの周りにはこんな馬鹿と役立たずしかいないのかしら」
「お前なあっ!」
完全に頭に来ているセンの前に出てヲチは必死で宥める。
「セン!気持ちは分かるけど……今は無駄な体力は使わない方がいい……」
「………………はっ!」
ヲチに止められセンは何とか怒りを鎮める。
「ヲチ、行こうぜ。こんな奴と一緒じゃ休まるものも休まらない」
事情を知らない者が集まった所で結局何かが分かるわけでもない。
ならば現状行動を共にする必要性もないだろう。
そもそも異様な状況とはいえ、ここに来た二人の目的は変わらない。カッサランを目指すための体力を回復するための寝床と食料だ。
「………………うん」
ヲチがセンの後を追おうとした時だった。
ーーガシャガシャァン!!!
エニシとシムラがいる筈の家屋から大きな音が聞こえてきた。
何かあったのだろうかとヲチが様子を見にいくと、センもそれに続く。
ヲチが室内を覗くと知らない男が横たわっておりすぐ側でシムラがそれを見下ろしている。
その後ろでエニシが腰掛け深くため息をついていた。
「だから言っておるだろう……脅しや脅迫ではそやつの心は動かん」
男は横たわったままそこから少しも動こうとしない。
「あの……これは……?」
苛つくシムラは開けっ放しの扉から現れたヲチを睨む。
「ああ……そういえばこやつの紹介がまだであったな。まあ……紹介できるほどこやつについて知っておるわけではないが……」
「この人は……一体……?」
「こやつは恐らく……今ここにおる人間でただ一人のピファウル集落の者だろう。そしてピファウル集落からなぜ人が姿を消したのか……その理由も知っておる筈だが……」
エニシの言葉を聞いてヲチは横たわる男を見る。この男がピファウル集落の住人なら当時の状況について話が聞ける筈だ。
しかし、先にこの男に接触していたエニシたちの口からその内容を聞いてはいない。
「それで……何か分かったんですか?」
問われたエニシは首を横に振る。
「駄目だ。こやつは今とても話ができる状態ではない」
「話ができない……?」
先ほどから気にはなっていた。男の様子がおかしいことに。
男は横たわったまま、そこから全く動こうとしない。
まるで生きることを諦めてしまったような、ヲチはそんな印象を受けた。
「どうも心を病んでおるようだ。こちらが話しかけてもそれに対する返答は一切ない……それに加え……」
「ううぅ……うああああああああああああっ!!!!!」
エニシの言葉を遮るように横たわる男は頭を抱えて悲鳴をあげる。
「……こうして時折激しく動揺し泣き叫ぶ……といった具合だ」
「………………そんな…………」
ヲチはそう呟くことしかできなかった。頭の中が混乱する。
どこかに消えた大勢の人たち。そしてただ一人残った住人は心を病み対話することすら困難だ。
このピファウル集落で一体何が起きたというのか。
(もしかすると、僕が考えているよりもずっと深刻で危機的な状況なのかもしれない……)
当初、ヲチは孔雀龍の龍奉儀の可能性を考えたが心の病んだ男を一人残してピファウル集落から誰一人いなくなるのはいくら龍奉儀だとしても異常だ。
すぐにでもここを発ちたい衝動に駆られるがこれ以上はセンの脚がもたないだろう。
最悪、自分がセンをおぶっていくことも考えたが流石にその状態でカッサランまでたどり着けるかは五分五分といったところだ。
「ねえ?何なの?聞くに耐えない声が聞こえて……誰よそいつ」
男の悲鳴を聞いてカイランもやって来た。
「ああ、こやつは……」
エニシはヲチにした説明をカイランにも伝える。
「何よそれ。そんな話聞いてなかったわよ!」
「すまんすまん。別に隠すつもりはなかったのだが……なかなか言うタイミングが無くてな……」
「はっ!どうだかね……話さなかったのは自分だけ情報を独り占めするつもりだったんじゃないの!」
「待て待て。隠すつもりならこやつをもっと他の場所に移すこともできた筈だろう。狼煙を上げたのもこやつがいる家のすぐ側ではないか」
「そんなことより!そいつから何か聞き出せたんでしょうね!?」
「いや、だからこやつは今まともに対話できる状態ではないのだ……」
諭されるようなエニシの態度に苛つくカイランは横たわる男の胸ぐらを掴み持ち上げる。
「ちょっとあんた!ぼけっとしてないで何とか言ってみなさいよ!」
「………………」
カイランの剣幕を前にしても男は生気の抜けた表情でどことも言えぬ空間を見つめている。
「っ……このっ!無視してんじゃ……」
苛つくカイランは拳を作り振りかぶる。
「よせ、カイラン殿。脅しや痛みでの交渉はうちの阿呆が散々やったばかりだ」
しかし、それが振り下ろされる寸前、シムラに腕を掴まれる。
「っ……離して!離してよ!」
激しく動揺したカイランは男を離すと、声を荒げエニシの腕に爪を立てながら掴んだ腕を引き剥がそうとする。
「おおっと、すまんすまん。いやなに、危害を加えるつもりはなかったのだ」
「フーッ……フーッ……」
エニシはにこやかに弁明するが動物が威嚇するような表情でカイランはエニシを睨み付ける。
(先ほどからこの女……情緒不安定でどうもやりにくいのお……)
頭をかきながらエニシは小さなため息をつく。
その間にセンとヲチが放心状態の男に肩を貸し床に座らせる。
「カイラン、ああ……大丈夫かい?」
ススノロがカイランの元へ駆け寄ると、即座にカイランはバチィン!と音を立てススノロの頬を叩く。
「大丈夫かい?じゃないのよ!見て分からないの?分かるわけないか……あんたみたいな家柄しか取り柄のない木偶の坊なんかに!」
先ほどと同様にカイランはススノロの身体に蹴りをいれ続ける。
「ああ……ごめん……ごめんよ……」
(くそっ……さっきから何なんだこいつらは……)
センは内心で舌打ちする。
あんなに感情を剥き出しにして八つ当たりする女も女だが、一切反論することもなく女の言うがままになってる男の方にも苛立ちを覚える。
少しだけ、ラゴ部族の集落で出会った、奴隷のような扱いを受けてもそれを受け入れていた他部族の男と重なる。
(家柄しか取り柄のない……?)
同じく、そのやり取りを聞いていたヲチはカイランの物言いに妙な違和感を覚えた。
確かに二人が着ている服装には格差とも言える目に見えて分かる差がある。
だが明らかに上品かつ質の良い物を身に付けているのはカイランであり、ススノロが身に付けているのはセンやヲチと比べても大差のない、お世辞にも良いとは言えない代物だった。
(ススノロさんが着ている服装はとても富裕層が身につけるものじゃない。むしろそういった服を着てるのはカイランさんの方じゃ…………まさかお互いの服を交換してるのか……?)
そうだとしても、一体何の目的で?
まるで何かを隠したがっているような、まるで何かから逃げているような。
そんな風に考えていると、ここに来た時のことを思い出す。
誰もいないピファウル集落。横になって倒れ捨て去られた荷車、各方向へ散らばる足跡。
(ん……?これって……)
ヲチが思考を巡らせる間、エニシは軽いため息をつく。
(結局、何の収穫もなしか……まあ、予想通りではあったが……)
大した情報は何も引き出すことはできなかった。
若者と子供だと聞いた時から察してはいたが本当にここへはたまたま立ち寄っただけに過ぎないのだろう。
せめてピファウル集落の事情について少しでも何か得ることができればと期待していたのだが。
すると、恐る恐る一人の少年が手を上げた。
率直に言うと小汚ない身なりの眼鏡をかけていること以外はこれといって特徴のない少年だ。
名前はたしかーー
「ヲチ?」
もう一人の少年が彼の名前を呼ぶ。
「……ちょっと思ったんですけど……」
「ん?どうした?」
「もしかしたら、ここにいた人たちは……何かから逃げていたんじゃないでしょうか……?」
「なぜそう思う?」
「最初は孔雀龍の龍奉儀かと思ったんですが……仮にそうだとしてもこの人一人を置き去りにして誰一人としていなくなるのは、いくらなんでもおかしいと思います。放置された荷車があるのも不自然だ。そして何より不規則に散らばる足跡からそうではないかと……」
(ほう……どうやら少しは頭が回るのもおるようだな。確かに儂も同じ事を考えたがしかし……)
「それでは何から逃げたというのだ?」
「それは……盗賊に襲撃されて、とか……」
ヲチは自信なさげに言い淀む。
「うーむ……盗賊か……盗賊にしては荒し方が随分とおとなしい気がするんだがのう……」
正直、盗賊と言ったヲチ自身もそんな気はしていた。
踏み入られた形跡のない家屋。それに目立った血痕も見当たらない。
盗賊に襲われたのならもっと荒れている筈だ。
「そもそもピファウルほどの規模の集落を襲うのであれば盗賊側の規模もそれなりに大きくなければならん。だがそんな規模の盗賊団の情報を儂ら行商人が知らぬ筈がないのだ」
「………………」
全くその通りだとヲチは思った。
ピファウル集落を襲うなら百人いても十分足りるか分からない。
そしてそんな規模の盗賊団の情報が出回らないのも不自然であり、出回ったのならカッサランがこれを放置することもあり得ない。
(そもそも地理的にピファウル集落を襲う盗賊団がいるとは考えにくいのか……)
盗賊ではない。
盗賊ではないのだとしたら一体何なのだろう。
ピファウル集落の人々、そして行商人たちが自分の命の次に大切な売り物を乗せた荷車を捨ててまで逃げ出した理由とはーー
そうして考え続けるヲチの頭の中で暗雲が立ち込めると同時に突如としてあの災厄の光景が甦った。
激しい地響きと共に血飛沫のように地中から噴き出す朱色の蟻の大群。山羊龍によって焼き尽くされた森。
そして空から降り注ぐ白銀真珠の蟻と怒りに身を任せ何もかも破壊し尽くした獅子龍。
それに巻き込まれ無惨にそして呆気なく潰されて死んでいく人たちとそれを見て泣き叫び絶望する人たち。
「……ヲチ…………ヲチ…………おい……ヲチ…………ヲチ!!!」
「……はあっ……」
思い詰めた様子で考え込むヲチの肩を掴み自身の名を呼ぶセンの声でヲチは我に返る。
「セン……」
「大丈夫か?酷い顔してたぜ」
「ああ、ごめん。変なこと……考えてたみたいだ……」
ヲチはどこかぎこちない笑顔で笑う。
(そうだよ……あり得ない。もしここであれが起きていたというならもっと原形すらとどめないくらいに破壊されてる筈だ……)
だというのに、ピファウル集落は住民たちが消失したということ以外は家屋も木々も荒らされた形跡もなく綺麗に残っている。
(まあ……こんなところか……)
ヲチから返答がないことを確認するとエニシは話題を変える。
「儂らはこれから、こやつの面倒を見ながらここで狼煙を上げ続けよう。また新たな来客があるやもしれんし、それにこやつが何か喋れるようになるやもしれん。どちらともなくとも明日になれば儂らはここを発つだろう」
エニシの言葉を聞くとシムラはヲチの前に立つ。
「おいガキ」
シムラは睨むようにヲチを見下ろす。
近くで見るとラゴ部族ほどではないがかなり大柄なことが分かる。
「一体誰に意見したつもりだ……汚ねえなりしたガキが……」
「おい、何だお前は……」
「セン……いいよ、今はとにかく身体を休めよう」
シムラの前に立ち塞がろうとするセンをヲチは止める。
「シムラ……お前は余計なことはしなくてよい。さっさと狼煙を上げてこい」
「は……」
軽く頭を下げるとシムラは外に出ていった。




