ピファウル集落の異常
「はあ……はあ……」
「セン、もう少しだから……」
当初の予定の倍の日数をかけてようやく山地を踏破した二人は孔雀龍連合集落の一つであるピファウル集落を目指していた。
商人や出稼ぎ労働者などカッサランを目指して南からやって来る者たちの中継地としての役割を持つピファウル集落はカッサラン程ではないにしろ、毎日人通りの絶えない賑やかな場所であった。
(くそ……もうあれから飯と寝る時以外はずっと歩きっぱなしだってのに……なんでヲチはあんなにぴんぴんしてるんだ……)
昆虫食を避け木の実や山菜でやり過ごしてきたセンは何度も腹を鳴らしへとへとになりながら、少し先を行くヲチの持久力に驚愕していた。
山林を抜けてしばらくは原野を歩いていたがヲチの言った通り少しすると原野の中にぽつんと木々が密集する森が見えてきた。
(あれがピファウル集落の目印……)
ピファウル集落はラゴ部族たち同様、森の中を暮らしやすいように伐採・開拓してできた集落だ。
森の入り口まで来たところで何かしら違和感を感じたヲチは一度足を止めた。
(…………ずいぶん物静かだな…………)
辺りを見渡す。
カッサランの中継地として人通りが絶えない場所だと聞いていたが森の外側にいるのは自分と少し遅れて来るセン以外に見当たらない。
「ヲチ、どうかしたのか?」
考え込んでいる内にセンが追いついてきていた。
「いや、何でもないよ。とにかくここで半日ほど休ませてもらおう。流石に疲れたでしょ?」
「ああ、そうしてくれると助かる」
センは長距離長時間の徒歩で足がもう限界に近い。空腹感も無視できないが今はとにかくゆっくり休みたいところだ。
そうして二人が森に足を踏み入れた瞬間だった。
ーーゴオオオッ!!!!!
「くっ……」
「うぉわっ!」
突如、強烈な突風が吹き荒れ二人はバランスを崩して倒れてしまう。
「セン、大丈夫?」
「ああ、何とかな。何なんだ一体」
二人は辺りを見渡すがおかしな点は見つからない。周囲は平地が広がり、空も穏やかな晴天だ。
あんな強烈な突風がどこから生じたのか、皆目見当がつかない。
まるで巨大な何かが近くを過ぎ去ったような、そんな感じにも思えた。
(まさか……ね……)
ヲチは嫌な予感を頭から取りはらうとセンと共にピファウル集落へと歩き出した。
ピファウル集落はその役割からか宿屋が充実しているらしい。身体を休めるにはもってこいの場所だ。
とはいえ、不安要素が一つだけあった。二人は今、宿代を払えるお金がない一文無しだということだ。
止むに止まれぬ事情があるとはいえ、そんな事は相手にとって何の価値もない話だろう。
どう交渉しようか、と頭を悩ませていると木材や石で作られた建築物が建ち並ぶ開けた場所に出た。
思わず二人はそこで立ち止まる。そこには全く予想外の光景が広がっていた。
「誰も……いない……」
人通りの絶えないピファウル集落で人の姿がどこにも見当たらなかった。
音一つ聞こえない。静まり返った無人の家屋。
「道を間違えたんじゃないか?」
「いや間違いなくここはピファウル集落だよ」
ヲチが指さす方を見ると木の看板に確かにピファウルと書いてある。
「それじゃ、一体どうして誰もいないんだよ?」
「………………」
当然、今来たばかりのヲチに答えられる筈もない。
「……これは……」
地面をよく見ると人の足跡と思われる跡が無数にできている。
(やっぱり……少し前まではここに人がいたんだ……)
「はあーっ、ちょっと休ませてくれ。そろそろ限界だ」
そう言ってセンは地面に腰を下ろす。
「うん、僕はもう少し探索してみるよ」
まだここはピファウル集落全体の入り口でしかない。
もっと奥に行けば誰かに会える筈だ、と気を取り直して先へ進む。
歩きながらヲチは現状を推測する。入り口でしかないとはいえ、誰一人としていないなんてことがあるだろうか?
何か平時ではない事が起きているではないか。
(例えばそう……孔雀龍の龍奉儀……とか……)
孔雀龍。かつてオオトリノ博士から聞いたことがある龍種だ。
第二呼称を絢爛の孔雀龍、第一呼称をハスコイフィリア。繋げて正式名称を絢爛の孔雀龍ハスコイフィリア。
冠羽という一部の鳥などに見られる特徴的な長く伸びた羽が頭部にあり、長い尾翼を持っている。
頭から首にかけて青く、胴体から尾翼かけて緑っぽい色で、両翼は茶色と肌色の中間の色をしている。
四肢ではなく二脚の脚で立ち、前脚はない。
孔雀龍と呼ばれるようにその姿はまさしく巨大な孔雀だろう。
とはいえ、二脚の脚につく凶悪な爪や口から覗かせる牙、そして何を考えているのか分からない眼が確かに龍種であることを、かつてこの世界の全てを喰らい尽くした化け物であるということを確信させる。
そんなことを考えながら奥へと進んでいくが、進めど進めど景色は変わらない。
自然に囲まれた無人の建築物が建ち並ぶだけである。
同様に無数の足跡も途絶えることなく続いていたが、途中であらゆる方向に枝分かれしていたため追跡を一時中断して立ち止まる。
「誰かあ!誰かいませんかあ!」
大声で呼び掛けるが返事が返ってくる気配はない。
「はあ……気は進まないんだけど……」
ヲチは適当な民家の扉の前に立つと一応数回ノックした後、扉を開ける。
中に入るとやはり誰もいる気配はない。少し探索していると、テーブルの上にパンが置いてあるのを見つけ、それを手に取る。
「とりあえずこれを持ってセンの所まで戻ろう」
そう言って家屋から出ていく。
一方、センは地面に仰向けになって空を見上げていた。
「はあ……それにしても、これから一体どうなるんだ……」
ヤギ村の人間たちは、カンコンは無事でいるだろうか。
カンコンの助言の通りカッサランを目指してすぐ近くまでは来たが山羊龍を喰い殺したあんな化け物を本当に何とかできるのかと疑問に思う。
(ヲチも……きっと本当は焦ってるだろうな……)
自分たちが今こうしている間にも朱蟻は勢力圏を広げすぐそこまで迫ってきているかもしれない。
ここまでの道中自分だけ歩けなくなったりとかなり足を引っ張ってしまった。
きっとヲチ一人ならもっと早く山地を抜けることも出来ただろう。
事態は深刻だというのにセンの腹は呑気に空腹を訴える。
「はあ……何やってんだ俺は……ん?」
刹那、雲の合間を何かが通り過ぎたように見えた。上半身を起こしかけるが、すぐに見間違いだろうと思い直し、また寝ころがる。
空には太陽の光が滲んで見えるくらいの薄い雲が広がっていた。
雲を眺めていると十日ほど前のことをつい思い出す。
獅子龍アスカゴウラとラゴ部族たちによる龍奉儀で起きた惨劇。
巨大な入道雲となって上空から降り注ぐ白銀真珠の蟻と大混乱に陥った祭儀広場。
どれ程の人間が犠牲になったことだろう。
そう、災厄は一つだけではなかった。
朱蟻だけでも津波や噴火などの災害級だというのに白銀真珠の蟻まで対処しなければならないのだとしたら果たしてそんなものが人類の手に負えるだろうか。
「セン、やっぱり駄目だ。誰も見当たらないよ」
少しすると探索に行っていたヲチが戻ってきた。ヲチからパンを受け取るとセンは夢中でそれを貪り食らう。
ヲチもパンを噛りながらこの状況において自分たちがとるべき行動について思考を巡らせる。
(人はどこにもいないけど……食べる物もあるし雨風を凌げる場所もある……交渉の必要がないのはむしろ好都合なのかも……)
最悪、盗人扱いされてもこの状況下なら理解してもらえる筈だ。
パンを胃に入れると今度は水が欲しくなってくる。
「どこか、適当な家にお邪魔しよう。そこで水を貰って今日はゆっくり休もう」
「ああ、そうだな」
そう言って二人が立ち上がった直後だった。
木々の上から細く伸びる白い何かが視界に入る。
「ヲチ……」
「あれは……」
どこからか狼煙が上がっている。しかもそう遠い場所でない。恐らくは同じこの森の中からだろう。
二人の足は自然とそちらへ向かっていた。




