怒り心頭
降り注いでいた蟻がピタリと止んだかと思うと地を這っていた蟻たちが宙に浮き始めた。赤黒く風船のように膨張した腹部を上に向け大量の白銀真珠蟻がゆっくりと舞い上がっていく。
やがて空中を漂う大量の白銀真珠蟻たちによる密集空間が視界を埋め尽くす。
遠くの者がこの光景を見れば赤黒い濃い霧がかかったような異様な景色が見えるかもしれない。
ラゴ部族たちは蟻の雨が止んでから一度、勝利の雄叫びが飛び交ったが視界が赤黒く染まると再び呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
獅子龍はしばらく固まっていたが浮遊する蟻が自分の顔の高さまで上昇し全身を覆い始めると両腕でそれらを振り払おうとする。
どれほど振り払ってもまるで蟻の海に溺れてしまったかのように次から次へとしつこく周囲に流れ、口や鼻から体内にまで入ってくる蟻に痺れを切らし、ついには出し惜しんでいた吐息を放った。
ボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴッ!!!!!!!!!!
その瞬間、空中に漂っていた白銀真珠蟻たちが一斉に、正確には光が瞬いた方向から連鎖するように一気に爆発した。
白銀真珠蟻の腹部には可燃性のガスが詰まっていて獅子龍の吐息が引き金となって起爆したのだ。
そして一匹一匹の爆発は獅子龍にとって些細なものでも、最初の爆発から一瞬で周囲の蟻へと連鎖的に派生した爆発は何乗にもなって獅子龍をいや、霧のように拡がる蟻の密集空間にいる全ての者を巻き込んで途轍もなく巨大で広範囲な爆発を起こした。
森の木々は腰ほどの高さから上の部分は跡形もなく破壊され残った幹にも火が燃え移っている。
ガザンらラゴ部族たちや他部族たちなど爆発が直撃した者たちは上半身が消し飛んでいた。
黒焦げになったそれらしき肉塊は見当たるが殆ど原形を留めておらず誰の物かは判別できない。下半身こそ原形を留めているが爆発の衝撃で吹き飛ばされあらぬ方向に身体が曲がっている物ばかりだ。
獅子龍は流石に龍種だけあって原形を留めないほどの損傷は見られないが、所々抉られたような傷を負い、膝をつき顔をしたに向けじっとして動かない。
「う……が……全員……無事……ですか……?」
イコトは衝撃の痛みに耐えながら何とか言葉を絞りだす。
「僕は……なんとか……セン、大丈夫?」
「ああ……なんとか生きてるみたいだ……」
「ぐははははっ!こいつはとんでもないことになったのう!」
「はあ……どうしてこの状況で元気なんだか」
「周りを見ろ」
連なっていた木々は連鎖爆発の直撃を受けた一定の高さから上の方がほとんど跡形もなく消し飛んでいる。
逆に直撃を受けなかった下の方は多少抉れた部分があるものの、ほとんどが無傷である。
故に地面におもいっきり滑り込んだセンやヲチたちは爆風によるダメージはあっても上質なローブを纏っていたのもあり身体の損傷はほとんど見られなかった。
「とんでもないな。これを奴らがやったのか……」
空中に漂っていた白銀真珠蟻たちは自らの大規模連鎖爆発で跡形もなく消し飛んでいた。
「そうだ!あいつ……ゴイは!?」
ヲチの疑問に対する答えはイコトが黙って指さした方にあった。
そこには上半身が消し飛んだ人間の下半身が放り出されたように横たわっていた。
「あ……あ……」
死んだ。頭も。胸も。腹も。両手も跡形もなくなっている。
あんなに恐ろしかった怪物が呆気なくあっさりと死んでいた。
「虫螻と侮った相手に殺された。皮肉な最期でしたね」
イコトは何の感慨もなさそうに言う。
(あれは恐らく……可燃性ガスによる連鎖的なガス爆発……といったところだろうか。宙に浮いていたのも空気より軽い気体による風船のような原理が……)
「とにかくこれで一安心……というわけでもなさそうですね……」
空を見上げると再び白銀真珠蟻たちが降り注いで来るのが分かる。
「第二波……ってことか……」
恐らくまだ闘いは続いているのだろう。追っ手はなくなったもののまだ戦闘に巻き込まれる危険は十分にある。急いでここから離れなければ。
獅子龍アスカゴウラは通常の龍種と比べて筋肉の質や量が格段に高く多い代わりに身体を守る体皮の割合が少ない。つまり攻撃力は高いが敵からの攻撃に耐え得る防御力は龍種の中でも低いのだ。
爆発で自らをも消し飛ばした白銀真珠蟻たちは再び上空から降り注ぎ始めた。
それに気付いた獅子龍は上空に向けて咆哮を轟かせる。途轍もない迫力で憤怒がありありと伝わってくる。
それと同時に獅子龍の体色が徐々に紅色に染まり始め、体温もどんどん上昇しているのか獅子龍の身体からは湯気がもくもくと立ち上っていた。
ーーガアアアアアアアアアアアアッ!!!!!
これまでで最も怒りを纏った獅子龍の咆哮が轟いた。あの大規模連鎖爆発を獅子龍もくらったのだろう。
当然だ。あれは獅子龍をこそ狙ったものなのだろうから。
「う……うああああっ!!!」
センが急に頭を抱えて叫び声をあげる。
「セン!?どうしたんだ!」
「ぐ……う……あ、あいつの……獅子龍の様子がおかしい」
「獅子龍が?一体何を……」
「あの大爆発があってからあいつの体温がどんどん上がって……身体の色も変わってる。それに何よりこのバカでかい感情は……怒り?」
「博士!これって……」
「うむ!まさか!」
オオトリノは脇から細長い筒のような物を取り出し、獅子龍がいる方へと向け覗き込むと、筒を持つ手を震わせながら歓喜の声をあげる。
「ふはははははははっ!!!たまらんぞ!!!今日という日は一体、どれ程の幸運に恵まれておるのか!!!まさか!!!まさか逸話でしか聞いたことのないあの『怒り心頭』状態が見られるとはのう!!!」
「『怒り心頭』状態……ってたしか……」
「『怒り心頭』状態とは龍種が身体的、精神的に追いつめられた際に起こる理性よりも怒りが支配する精神状態であり身体能力やその他の能力が一時的に向上している状態のことじゃ」
『怒り心頭』状態になった龍は凶暴性が増し身体能力などが向上する代わりに理性が弱まり判断能力が低下する。
『怒り心頭』状態になることでどの程度能力や精神状態に影響があるかは個体差があるが、獅子龍は自身の体色まで変容するという目に見えて分かるほどの変化があることから龍種の中でも特にそれが顕著である、と龍種を専門に研究を行うオオトリノは言う。
「話に聞いていた通りじゃ!!!全身が紅色に染まり体温の上昇で湯気が立ち上っておるわ!!!ぐふっぐふははははははははっ!!!」
「博士!それが本当ならとんでもないことになる!ここから早く離れないと!」
「ふざけるな!先ほどから儂がどれだけ我慢しておると思っとる!儂の老い先短い時間でこんな光景はもう二度と見られるものか!」
「ヲチさん、僕もそうしたいのは山々ですがさっきの爆発の衝撃で受けたダメージで普段通りに身体が動きません。それはあなたも同じ筈だ。それに彼も……」
イコトはセンの方を見る。なぜだか顔を真っ赤にしながら頭を抱えてうずくまっている。
「この状態ではどうせそう遠くまでは逃げられません」
「他の『石竜子殺し』に助けを……」
「死んだか僕らと似たような状況でしょう相当広範囲の爆発でしたから。彼らが助けに来るとは考えない方がいい」
「そっか……」
「全く情けないですよ。あの『石竜子殺し』がここまで無力だとは……」
自嘲するイコトは白銀真珠蟻たちが降り注ぐ空を見上げる。
「後は、運に身を任せる他ありません……」
確かにイコトの言う通りだ。大規模連鎖爆発。あれの直撃は間一髪避けたものの背中や腰に途轍もなく重い衝撃、爆風を受けてしまった。
口ではああ言ったが実は立ち上がるだけでも精一杯だ。
それに加えてどうもセンの様子がおかしい。




