逃走
「あいつ!早いぞ!これじゃ追いつかれる!」
白銀真珠蟻のせいで視界不良の中、何者かがどんどん距離を縮めて来るのが分かる。
「ゴイだ!副族長のゴイ!」
ついに相手の顔が分かる程の距離まで詰められる。ゴイは走りながら投げて木に突き刺ささった槍を回収する。
「大丈夫です、まだ追っ手は一人だけ。なんとかします」
「なんとかって……」
「当然、今回の作戦に参加している『石竜子殺し』は僕一人ではありません」
イコトがそう言った瞬間、イコトたちと似た格好をした者たちが二人、ヲチたちの頭上から現れゴイの前に立ちはだかった。
恐らく木の上に身を潜めていたイコト同様『石竜子殺し』の構成員だろう。
「おい!これはどういう状況だ!?」
背中を向けながらこちらに語りかけてきた男はセンやヲチたちと似たようなローブを被りそのローブの上には全身、白銀真珠蟻たちが纏わりついている。
「分からない!けどお陰で祭儀は大混乱だ!獅子龍も暴れてる!今はとにかくそいつをなんとか足止めしてくれ!」
イコトが少し振り向きながら口早に答える。
「他にも虫螻が混ざってたか……だが逃げられると思うなよ。お前たちは……特に獅子龍様にふざけた口を聞いた貴様だけはどこまでも追い詰めて惨めに惨たらしく殺してやる!」
ゴイは槍を振り回し二人の『石竜子殺し』たちと戦闘を開始する。
「お前さん、よほど恨まれとるようじゃの」
「くそっ!何で俺だけ!」
「とにかく走って!あの二人もそう長くはもたない!」
「いくらあいつでも二人がかりならそう簡単には……」
そう言ってセンが後ろを振り返った瞬間だった。
「あがあああああっ!!!」
「嘘だろ……」
なんという、人間離れした腕力だろう。戦闘が始まってものの数十秒で一人が殺された。
「ラゴ部族はカッサランが派遣した外交使節とその護衛部隊を皆殺しにしてしまうほど戦闘狂で強者ぞろいです。中でも族長や副族長は強さこそが絶対的な価値観のラゴ部族の中で上に立つ存在として相当な実力の持ち主なんです」
「やばい奴らの中でも特に強い奴ってことかよ……」
「しかもここは彼らの慣れた地。まともにやりあっても万が一にも勝ち目はありません」
センは自分が他部族たちに対して放った言葉を思い出す。
ーー戦え!戦えよ!
ーーそれで生きてるっていえるのか!?
今の自分はどうだろう。もちろん自分と彼らでは事情が違う。
自分はただの余所者だが彼らにとってはここが故郷だ。
自分は何の躊躇いもなく逃げ出すことが出来たが、きっと彼らにはそう簡単に逃げられない理由が、しがらみがあるのだろう。
だとしたら現状戦いもせず逃げることに必死な自分が発したあの言葉は、正しかったかもしれない。けれど、とても無責任なようにも思えた。
本気の殺意を向けられて分かる。
ラゴ部族はーー
ゴイはーー
(化け物だ……)
走る自身の身体が震え始める。
「セン!しっかり!」
恐怖で身体がすくむセンをヲチが鼓舞こぶする。
「大丈夫。戦って勝つことは不可能でも逃げきることなら十分可能なはず」
「でも……このままじゃ……」
ヲチが後方を確認するとさっきより遠ざかってはいるがあのラゴ部族の身体能力なら簡単に追いつかれそうな危うい距離だ。
ヲチの言葉にイコトは不敵に笑う。
「僕たちを誰だと思ってるんですか。『石竜子殺し』はまだまだこんなものじゃない」
すると視界を覆い尽くす白銀真珠蟻とは対照的な黒色の靄が前方から現れ始めた。
(これは……煙幕!)
確かに四人の運動能力は鍛えられた肉体を持つゴイには遠く及ばないだろう。さらにここがラゴ部族たちの慣れた土地であることからも部が悪い。
だが降り注ぐ蟻のせいでただでさえ悪い視界が煙幕で完全に奪われる。
視界が奪われるのはお互い様だが、現状自分たちは逃げる側だ。追う側は逃亡者の位置を把握していなくてはならないが逃げる側はその限りではない。
この場合、イコトたちの仲間が待機している場所までたどり着ければいいのだから、向かう方向さえ間違えなければ問題ない。
受ける利はこちらの方が大きいだろう。
(そうだ……異常な出来事の連続で忘れてたけど、彼は『石竜子殺し』なんだ……)
ラゴ部族が残忍な戦闘狂集団なら石竜子殺しは龍種を心の底から憎み滅ぼそうとしている異常者たちだ。
世間の悪名高さなら石竜子殺しの方がよっぽど上だろう。いや、既に石竜子殺しは龍種に有効な兵器の開発をする過程で人間なら大量虐殺を可能にする兵器を開発していると聞いたこともある。
その気になれば槍や剣、後は自身の身体能力でのみ戦うラゴ部族なんていつでも滅ぼせるのかもしれない。
そうしないのは曲がりなりにもラゴ部族が獅子龍アスカゴウラと共に歩んできた歴史があるからだろう。
そもそも龍奉儀は贄を捧げればいいという物ではない。山羊龍龍奉儀におけるカンコンや獅子龍龍奉儀におけるガザンのように人間側の代表として龍種と対話を行う必要があるのだ。
その役割こそ最も生命の危険を伴う役職でありそれ故にその者は多くの者から尊敬の念を集める。
もしラゴ部族がいなくなってしまえば残された他部族たちに獅子龍アスカゴウラと対話を行える者がいるだろうか。
龍奉儀が途切れてしまえば獅子龍アスカゴウラはかつての、縦横無尽に暴れていた暗黒時代の獅子龍アスカゴウラに戻ってしまう。
そうなってしまえば世界がどれ程の被害を被るか検討もつかない。石竜子殺しもそれは望むところではないのだろう。
いつか龍種を打倒する算段が整うその日まで。
(とにかく……今は彼らを信じ頼るしかない……)
煙幕に入ると悪かった視界が更に悪くなる。全力で走っていると身体をおもいっきり木にぶつけそうだ。
「どぅあっ!」
案の定、センが顔をぶつけ倒れる。
「セン!大丈夫!?」
「くそっ……おもいっきりぶつけちまった……」
「ここからは速足で行きましょう」
「逃がすかああああああっ!!!」
ゴイは握力で相手の喉を潰し絶命した男を投げ捨ててから叫ぶ。
(早い……もう来たのか……)
(嘘だろおい……)
焦るヲチやセンと対照的にイコトとオオトリノは落ち着いている。
同い歳か年下であろう少年の殺されるかもしれないこの状況での落着き様はやはり彼がただ者ではないことを実感させる。
オオトリノに関しては先ほどからぶつぶつと一人言を繰り返しており、恐らくこの状況で全く別の事を考えているのだろう。
獅子龍は空を睨む。自身が想い描くような闘いが出来ない。こんな取るに足らない者たちをいくら潰したところで何の感慨もない。
やはり高揚する、自らを満たす闘いとは同等の力を持つ者同士でなければなしえない。
(ソウ……ヤハリ奴デナケレバ……)
何の危害も加える様子もなくただ漫然と降り注ぐ者たちは一体何を考えているのか。
すると、いきなり蟻の雨が激しさを増した。地面は一面、白銀真珠蟻で埋め尽くされ嵩も人間の踝ほどの高さまで上がっていた。
激しさを増した蟻の雨に怒り狂っていたラゴ部族たちも自分たちでは到底対処しきれないと悟り呆然と立ち尽くしている。
だが相手の思わぬ反応の変化に獅子龍は相手が動揺していると思ったのか口角がぐにゃりと上がる。
獅子龍は再び、腕を地面に突き刺し巨塊として抉りとると跳躍して集合体に向けて投げた。結果は同じだ。二度集合体を貫通すると途轍もない勢いで地面に衝突し、獅子龍はそれを繰り返した。
相手か苛ついているのか焦っているのかはどちらでも構わない。ただ相手に反応の変化が生じたことが思いの外愉快なようだ。
すると更に蟻雨の激しさが増す。最早、雨というより滝といった方が相応しいかもしれない。
「これは一体……何なんだ、こいつらは……」
豪雨といったレベルを遥かに凌駕しているその降蟻量にガザンですら気味悪がり身体を震わせていた。




