天より降り注ぐ蟻
まさしくそれは蟻だった。
先ほど雨粒と間違えた顔に落ちてきた宝石のような体色をした蟻と全くの同一種だ。
蟻が空から降ってきている。それも大量に。激しい雨のように。
「何だ?何なんだ……?」
「わからん……だが……ふははっ!ぶくぁははははははははははははっ!!!」
いきなり笑いだすオオトリノにヲチは眉をひそめる。
「やはりお前は愛されておる。悪戯な運命の神に」
オオトリノは心の底から愉しそうな異様な笑みを浮かべる。
「こんな時に……一体何を……」
「お前たちの言う通りなら、こ奴らは獅子龍を襲うつもりか?」
オオトリノの言葉から自分たちの発言に一定の理解を示された事が分かる。
「っ……分かりません。僕たちが遭遇した蟻とはどうやら別物のようですから」
確かに空から降り注ぐなんて見たことも聞いたこともない生態だ。
とはいえ山羊龍龍奉儀に現れた蟻たちとは体色や生態に多くの相違点が見られることから、この蟻たちの狙いを推測するのは難しい。
「何ダ……コレハ……」
気付けば獅子龍の全身に白銀真珠の蟻が纏わりついている。
「獅子龍アスカゴウラ……これが蟻だよ……ちょっと度が過ぎてるけどな」
「蟻……コレガ……ソウカ。コイツラガ……ヤギ……ヲ……」
呆然と降り注ぐ蟻たちを見つめながら自らが発した言葉の意味を自覚していく。
そしてそれを悟った瞬間、獅子龍の中の絶対的な何かが確かに崩れ去った。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!」
それに耐えきれなかった獅子龍は空気の振動が目に見えるほどの巨大な咆哮を上げた。
そして怒りと絶望が混在するそれは確かに開戦の合図だった。
何とか咆哮の直前に耳を塞いだ三人は鼓膜の破壊を免れる。
咆哮が止んだ直後、二人の背後にイコトが現れる。
「イコーー」
「かぶって!早く!」
ヲチの言葉より早くイコトが放った大きな布がヲチやオオトリノに覆い被さる。見るとそれはこの辺りの木々の葉を貼りつけて迷彩加工された全身を覆うローブのような衣服だった。
これなら空から降り注ぐ蟻たちから身を守るだけでなく追っ手の目を撹乱するのに多少の役割が期待できる。
そして今この瞬間にここから逃げ出そうとするイコトの意図を理解する。
確かここから逃げ出す絶好の機会だ。他部族の者たちも降り注ぐ蟻と獅子龍の咆哮に悲鳴をあげる者や逃げ回る者たちで溢れている。
「セン!」
「ヲチ!これって……」
「とにかくこれ被って!逃げるなら今しかない!」
「逃げる?馬鹿を言え。こんな絶好の機会二度とあるか分からんぞ」
オオトリノがヲチの判断に反対する。
こんな状況でも自身の欲望に忠実な態度にヲチは理解できないという顔をする。
「博士!見て分かる通り獅子龍は今臨戦態勢です!奴が暴れだしたらいくら僕たちでも到底守りきれない!」
オオトリノの奇行をイコトは怒鳴るようにして諌める。
こうして言い合っている間にもどんどん蟻たちは降り注ぐ。本当に雨なんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。
センがローブを羽織った瞬間、オオトリノを無理やり引きずるようにしてヲチたちは一目散に走り出した。
祭儀場は混乱し多くの他部族たちが慌ただしく走り回っている。
唯一、ガザンたちラゴ部族は降り注ぐ蟻たちをその身に受けながら苛立ちを内包したおぞましい笑みを浮かべていた。
(この虫けらどもが……まさか我ら獅子龍龍奉儀をここまで滅茶苦茶にしてくれるとはな……)
ガザンは槍を強く握りながら勢いよく地面に突き刺し声を張り上げる。
「聞いたか!獅子龍様の怒りを!怒号を!ならば闘え!戦士たちよ!獅子龍様と共に闘えるのは選ばれた部族の我らだけだ!我らと獅子龍様の神聖な儀式に土足で踏み込んだ虫けらどもを!一匹残らず駆逐しろ!!!」
「「「ウオオオオオオオオオオオオッ!!!!!」」」
ラゴ部族たちが族長の闘争心に呼応する。
「まさかあいつら、戦う気か!?」
「そんな、こんな状況で!?獅子龍だって臨戦態勢なのに!」
「龍奉儀を妨害されたのじゃからな。奴らの獣並みの理性なら当然の選択じゃろう」
「蛮族め……しかしおかげで逃げやすくなりました」
セン、ヲチ、オオトリノ、イコトの四人は混乱に乗じて全力で駆け抜ける。
幸い先ほどのセンと獅子龍とのやり取りは大混乱の中忘れられラゴ部族たちの意識は完全に上空から降り注ぐ蟻たちに移っていた。
「小人風情が……逃げられると思うなよ……」
そんな状況下でも逃亡する四人を追いかけようとする者がいた。
ラゴ部族の副族長小柄の大男ゴイだ。ゴイは槍を片手に人間離れした速さで慣れた地を駆け抜ける。
走り出したセンとヲチたちは上空へと巨大な火の塊がとんでもない速さで向かっていくのが一瞬見える。
「おおおっ!吐息、吐息じゃ!獅子龍の吐息!」
「とにかく走って!しばらく行けば仲間と合流できます!」
ヲチの推測の通り何らかの逃亡計画は用意されていたらしい。
子供のようにはしゃぐオオトリノを無視して先頭を走る。
「くそっ!走りづれえ!」
蟻が雨のように降り注ぐ中、四人は顔にかからないように腕を前に掲げるようにして走っている。
朱蟻の脅威を経験したセンとヲチたちは出来るだけ身体に直接触れないように努めてはいるが雨のように大量に降り注ぐ蟻たちにはほとんど焼け石に水といったところだ。
獅子龍は咆哮をあげた後、敵に対して有効な攻撃手段が殆どないことに気付く。なぜなら敵は空から降り注いでくる。
敵の発生源を叩きたいところだが自分には翼がないため上空まで行くことが出来ない。
自身の脚力でそれなりに高くは跳べるが雲の高さまでは流石に届かない。
ならば、と獅子龍は息を深く吸い込みガバッ!と口を開けると大きな炎の塊を上空に向けて吐き出した。龍種特有の吐息攻撃である。
山羊龍の直線的な形態の吐息とは異なり、獅子龍の吐息は塊となって放出される。
このように龍種によって吐息も形態や性質が異なることがある。
吐き出された吐息は降り注ぐ蟻たちを焼き尽くしながらどんどん上昇していく。
「……して、この状況。ヲチ、おぬしはどう考える?」
いつの間に冷静になったのか、この異常な状況の解説をヲチに頼る。
「僕……ですか?」
「おぬしたちのあの妄言のような話、今なら信じるに値する。であればその死中を生き延びたおぬしたちが……今この状況、どう考えているのか聞いてみたい」
「それはーー」
「雲がさ……」
ヲチが答える前にセンがぽつりと呟く。
「雲が……蠢いてるように見えたんだ。うねったり波打ったりまるで生きてるみたいに……」
センの話を聞いてヲチは視線だけを上に向ける。分厚い雲が空を覆い雨粒のように蟻が上空から降り注いでいる。
「ほとんど何も分かりませんが……ただ漠然と……僕らが雲だと思っていたものは全てこの蟻たちの集合体……なのかもしれません……」
ヲチの言葉に一同は押し黙る。
「あり得ない……そんなこと……」
イコトが少し間をおいてから絞り出すように言葉を発する。相当戸惑っている様子だ。
当然だ。山羊龍龍奉儀の厄災を経験したばかりの二人にとっても何が起きているのか、これから何が起こるのか想像もできない。
「くふふふ……くはははははっ!面白い!確かにそう考えれば辻褄は合うのかもしれん。つまりあれらは大群で空に浮かび巨大な入道雲に擬態しておったということか!」
オオトリノは豪快に笑う。
豪快に笑ってからオオトリノはぽつりと呟いた。
「では山羊龍カプリコーンは……本当に死んだということか……」
「……ああ」
センは少しだけ悲しそうにそう答えた。




