山羊龍カプリコーンは死んだ
ガザンもゴイも耳を疑った。山羊龍が死んだ?暫くの間何が起きているのか理解できなかったいや理解することを頭が拒んでいたのかもしれない。
そして現状を理解した時、最初に感じたのは恐怖に近い困惑だった。
(何だ……こいつは……)
(龍を……獅子龍様を前にして……狂っている……)
それが徐々に怒りへと変わっていく。
自らが崇める神に対する不遜な態度そして獅子龍の機嫌を損ね龍奉儀を滅茶苦茶にしたことに対する激しい怒りへと。
ガザンもゴイも鬼の形相でセンを睨み付けていた。
(やってくれたな小僧。自らの死を覚悟し龍奉儀を滅茶苦茶にするとは……まさかお前がこれほど狂っているとはなぁ……)
だがこちらから手は出せない。
獅子龍の怒りのぶつけ先を奪っては八つ当たりでこちらがどんな被害を受けるか想像もつかない。
歯軋りをしながら怒りに震える身体を何とか抑え込む。
「何ダ……オマエハ……」
「全身に蟻が群がっててさ……翼もボロボロで両目まで潰されてるのに……それでもまだあいつは闘おうとしてたんだ」
「………………ヤメロ」
「でも結局殺された……首を捻じ切られた瞬間、あいつの全身から力が抜けていくのが分かった」
(早く……センを止めないと、取り返しのつかないことになる……)
分かっていてもどうすればいいのか分からない。
今すぐ無理やりセンの口を塞いでも獅子龍にどう取り繕えばいいのか。どう誤魔化せばいいのか検討もつかない。
下手をすれば怒りを助長してしまうかもしれない。
誰も動けない。誰もセンを止められない。ヲチにも。ガザンやゴイにも。当然オオトリノや他部族たちも。
「俺だってあいつには言いたい事がたくさんあったんだ。それでも……あんな結末を望んでたわけじゃなかった」
その瞬間、獅子龍の咆哮が轟いた。
ーーゴアアアアアアアアアアッ!!!!!
獅子龍の咆哮が轟く中、オオトリノはセンをずっと奇妙な目で見ていた。
オオトリノ自身、自分が螺の一つ外れた人間だということの自覚はある。そんなオオトリノから見てもセンの行動は常軌を逸していた。
不思議な感覚だ。自分が目の前の龍ではなく人間に関心を示しているのだから。
(そうか……)
オオトリノは一つ納得する。
どうしてこの少年がこんなに狂ってるように見えるのか。
(こやつは獅子龍を……恐れてなどいない……)
あの猛獣のような男、ラゴ部族族長ガザンですら大量の汗をかき、途轍もない重圧を感じているというのに。
そしてふと思い出した。
ヤギ村の山羊龍カプリコーンと友になった者の話を。
(何か関係があるかもしれんな……それにしても……またとんでもない奴の隣におるのう……)
呆然としているヲチを見ながら感心したようにオオトリノは息を吐いた。
「……すごい」
他部族の集団に紛れ龍奉儀を傍観していたイコトはその光景にかつてないほどの胸の高鳴りを感じていた。
龍を、それも特に気性の激しい暴虐の獅子龍を前にして一切臆することなく対峙しているのだから。
こんな規格外の人間を見たのはオオトリノに初めて出会った時以来だろうか。
(きっと彼は停滞する今の石竜子殺しに新しい風を呼ぶ存在になる……)
イコトはそう確信する。
しかし、このままでは確実に殺される。彼だけじゃない。近くにいるオオトリノ博士も巻き込まれる可能性が高い。
(もうなりふり構ってはいられない。今すぐ動かなければ石竜子殺しは二つの希望を失うことになる……)
不可解なことに。非常に不可解なことに獅子龍アスカゴウラにはセンが嘘を言っていないことがよく分かった。
だが、だからこそ腸が煮えくり返る想いだった。そんな真実を受け入れられる筈がない。
山羊龍と死力を尽くして闘ったからこそわかる。山羊龍がそう簡単に負ける筈がない。
(ダガ……コイツハ嘘ハ言ッテイナイ……)
何故だかは分からない。
目の前にいる人間とはたった今、出会ったばかりの筈なのにそれだけは確かだった。
他の人間とは何か違う、この人間の言葉からは感情のようなものが伝わってくる。
「誰ガ……山羊ヲ殺シタ?」
「蟻。それと蚤」
その言葉を聞いた瞬間、獅子龍の表情は一瞬膠着したかと思うと直後、眼をかっと見開き牙を剥き出しにしてセンを睨む。
我慢の限界だった。
例え嘘を言っていなくてもこいつの言葉を認めるわけにはいかない。
認めてしまえば、自分の中の絶対的な何かが崩れ去ってしまう気がした。
「ガギャアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!」
獅子龍の憤怒の咆哮が強烈な爆音となって鳴り響いた。
(終わったな……)
ガザンは心の中でそう呟きながらこの後のことで頭がいっぱいだった。
獅子龍を怒らせたあのガキは殺される。
獅子龍が軽く脚を振り下ろせば即、肉塊と化すだろう。だがそれだけで獅子龍の怒りが収まるとは思えなかった。
恐らくはあれを獅子龍に捧げた自分も身を捧げなければならないだろう。
それでも獅子龍が鎮まるとは思えない。どれだけの犠牲を払えば獅子龍が鎮静化するのか見当もつかない。
元々生かして返すつもりは毛頭なかったがこんな形で龍奉儀を滅茶苦茶してくれるとは。
(やってくれたな……劣等種の分際で……)
地面を強く握りしめながら自らの怒りが爆発しないよう努める。
するとポツッと自身の額に何かが落ちてきた感触がした。直感で雨だと思った。なぜなら、しばらく前から大きな入道雲が上空に発生し龍奉儀当日は大雨になるだろうと皆予想していたからだ。
だが、額を拭った手を見た瞬間、思わず眉をひそめた。
(これは……蟻……?)
姿形は蟻そのものだが見たことのない色をしている。黒や茶色ではない。白、いや真珠色と銀色が混ざったような光が当たればさぞ美しいだろう色をしていた。
下らない、と手を軽く振り払った瞬間、更にポツポツッと顔に二匹同じ蟻が降ってきた。
何だ?と空を見上げた瞬間、更に眉をひそめた。
ボトッ!ドサドサドサッ!
(……鳥?)
恐らく渡り鳥の群れだろう。一匹だけではない、ガザンの周辺だけでも四匹が上空から落下し鈍い音を立てて地面に叩きつけられた。
もがき苦しむのもいればピクリともせず動かないのもいる。
(何だ……これは……?)
ガザンとゴイは目を合わせながらゆっくりと上空を見上げた。
(終わった……)
ヲチは死を覚悟した。事実とはいえ完全に獅子龍を怒らせたのだ。獅子龍の表情は誰が見ても分かるくらい怒りに震えていた。
それが自分に向けられているという事実がヲチの全身を硬直させ力が入らない。
バアァンッ!!!
獅子龍の前脚がセンたちに振り下ろされた。
だが振り下ろされた前脚の指の合間にいたため傷を負うことはなかった。
しかし、これが相手を恐怖に陥れるための前座でしかないことがヲチには分かった。
(無理だ……どうやったって逃げられない……)
センはこんな状況でも一切取り乱すことなく飄々とした態度で獅子龍と対峙していた。
獅子龍とセン、そんな両者を眺めながら震えるヲチだったが、ふと顔に小さな何かが触れる感触がした。
(……雨か)
最初はヲチもそう思った。ヲチたちがいる空は分厚い大きな入道雲に覆われ今にも大雨が降りだしそうな雰囲気だったからだ。
だが、顔に落ちてきた滴だと思っていたものが顔を這うようにして動きだしてからヲチは咄嗟にそれを摘まみ取る。
そしてその姿形にぎょっとした。
(これは……蟻だ……)
それも見たことのない色だ。白銀と真珠が混ざったような日にかざせば宝石のように美しく煌めくだろう色をしている。新種なのだろうか。
(まさか……そんな……)
嫌な予感がした。ヤギ村で起きた悲劇を思い起こさせる、そんな最悪の予感が。
「む?……何じゃこれは」
「何だ……これ……」
オオトリノとセンも何らかの異常を感じ取ると上空を見上げる。
「貴様……ドコヲ見テイル……」
センの意識が自分から離れていることを妙に思った獅子龍はセンが見つめる上空に視線を移す。
「何だ……あれは……」
センやヲチだけではない。オオトリノやガザンそして獅子龍まで何らかの異常を感じた者たちは分厚い雲が覆う曇り空を見上げその光景に思考が止まる。
あれは、雨?いや雪だろうか。白っぽい色をした数多の粒が上空より降り注いでくる。
雪だって?そんな筈はない。今は真夏だ。強い陽射しに高い湿度。それらを喝采するような虫たちの鳴き声が一日中ずっと鳴り響いていたのだから。
じゃあ何だ?雨でも雪でもないというなら一体何が空から降り注いでくるのだろうか。
ポタポタポタポタッと降り注ぐ粒がヲチたちの身体に落ちる。
「あぁ……」
その粒の正体が何か認識した瞬間、ヲチは戦慄した。
「嘘だ……」
まさしくそれは降り注ぐ蟻だった。




