暴虐の獅子龍アスカゴウラ
それはあまりに巨大で全身を把握するのは難しい。
一見して分かるのは赤紫と紅色が混ざったような体色と体皮を突き破って出てきそうなパンパンに膨れ上がった筋肉で、身体のラインが比較的細い山羊龍とは威圧感が段違いだ。
だが、龍種が一般的に持つとされる翼が見られないことから飛行能力が皆無であることが推測できる。
そして最も特徴的なのが獅子龍と呼ばれる由縁となった顔を囲うように生える獅子のような気高さを感じさせる鬣だ。
だが、それ以外は全てが暴力的だと言っていいだろう。
使い古された獰猛な爪や牙。怪力を思わせる膨れ上がった筋肉。今にも暴れだしそうな荒い呼吸と血走った眼。
ついにはその姿を現した。
あの傍若無人なラゴ部族たちが神のように崇める暴虐の獅子龍アスカゴウラである。
オオトリノはその姿に歓喜し荒い呼吸を抑えながら食い入るように観察している。
「オオォ……アアァ……ウッ……アガッ……」
獅子龍は言葉にならない声を発する。久しぶりに言葉を発するからか発声に戸惑っているようだ。
そんな姿でさえ族長ガザンを筆頭にラゴ部族たちは尊敬と恐怖の眼差しで獅子龍を見ている。
「アアァ……ワレハ……アスカゴウラ……ボウギャクノ……アスカゴウラ……」
少し聞き取りづらいが確かに人語を喋っている。
「お待ちしておりました」
この場にいる人間の代表としてガザンが獅子龍を歓迎する。
「マチワビタゾ……コノトキヲ」
獅子龍の口角がぐにゃりと上がる。
「我らの並々ならぬ獅子龍様への忠誠、感謝、畏怖の証としてどうかお受け取りください」
あの言葉の通じない猛獣のような男が獅子龍の前では神を崇める敬虔な信者のようだ。
「それから今回はもう一つ獅子龍様に捧げたい者がございます」
「モウヒトツ……?」
ヲチとセンが獅子龍の前に連れてこられる。
「この者たちはつい先日行われた山羊龍カプリコーンの龍奉際の参加者です。獅子龍様の宿敵である山羊龍カプリコーンの姿を見たと言っております」
山羊龍の名を聴いた瞬間、獅子龍の瞼が大きく見開いた。
その直後、
「アアァ……ゴガアアアアアアアアアア!!!!!」
獅子龍の咆哮が祭儀場を越え山々に響き渡ると生々しい咀嚼音を立てながら無我夢中で贄を食い漁る。
ヲチはぽかんと口を開け呆然とする中、オオトリノやガザンたちラゴ部族はとても満足そうな笑みを浮かべている。
しばらくすると獅子龍は全身をこちらへ向け覗き込むようにして顔をこちらに近付ける。
「ソウ。ヤツコソ……カプリコーンコソ……ワガサイダイノ宿敵……」
怒りと憎しみ。そんな感情が獅子龍の表情から伝わってくる。
間近に迫る獅子龍の迫力にヲチは呼吸することさえ儘ならなくなる。
「アレハ、ヨク晴れたヒの事ダッタ……」
獅子龍は顔を持ち上げヲチたちから視線をずらすと唐突に語り始めた。
(始まったぞ、よく見ておれ……)
オオトリノが小声で語りかける。
「イツモのヨウニ餌と敵モトメサマヨイながら、コノ辺りデ挑んでクル者ハもうイナイダロウト、そんな風に考えてイタトキダッタ……」
ぎこちなさそうだった言葉の節々が徐々に流暢に、聞き取りやすくなっているように感じる。
「そんな時ダ……アノ忌マワシイ山羊ガ我ガマエニ現レタのは……我ト対峙スルモノハ皆警戒シ緊迫シ開口一番二咆哮ヲブツケテクルガ……奴ハ一切取リ乱ス事なくただ飄々ト佇ンデイタ」
獅子龍の語りは続く。
「ソノ態度ガ気ニイラナカッタ我ハ咆哮モアゲルコトナク奴二ムカッテイッタ……コレマデ闘ってきたモノタチ同様ニ一撃デ沈メテヤロウト我ハ勝利ヲ確信シテイタ……」
獅子龍はどこか遠い目をする。
「ダガ、結末ハ全ク想定外ナモノダッタ。我ノ攻撃ハホトンド当タラズヤツノ狡猾ナ動キ二翻弄サレ続ケ……ツイニハ…………」
当時の事を思い出しているのだろうか。強い歯軋りと共に獅子龍の表情が歪んでいくのが分かる。
オオトリノから聞いた話では獅子龍はその後敗走したと聞いている。
「アレホドノ屈辱ハ初メテダッタ……コノ……コノ我ガ!」
感情的になった獅子龍は地面を握り潰す。
「ひっ……」
その怒りがまるで自分に向けられたような気がしてヲチは小さな悲鳴をあげる。
「次ハ……次ハ必ズト怒リニ身ヲ任せ何度モ挑ンダガ、結果ハ同ジ……」
それにしても、とヲチは思う。
本当によくもまあこれだけ喋るものだ。オオトリノ博士が危険を顧みずやって来ただけの事はあるのかもしれない。こんな光景一生に一度ですら見れるかどうか分からないだろう。
「幾度モ闘争ヲ繰リ返ス内、状況ハ少シズツ変ワッテキタ。ヤツノ動キガ見えルヨウニナッテキタノダ……グハハハハッ!……アノ時ノ高揚ハ忘レモシナイ……」
そう言った獅子龍の口角は上がっている。何てことだ、喜怒哀楽までこんなに分かりやすいだなんて。
お喋りが好きだという博士の言葉は嘘ではないらしい。
「奴トノ闘イハ驚愕ノ連続ダッタガ……今思エバ、アレホド満チ足リタ時ハナカッタ」
今は無き遠い昔に思いを馳せるような獅子龍の表情にヲチは人間らしさを感じて戸惑う。
「結局、奴トハ最後マデ決着ガツクコトハナカッタ……」
再び獅子龍は見下ろすようにしてヲチたちを見る。
「ダカラコソ!!!必ズ!!!奴ヲコノ手デ葬リサッテヤルノダ!!!」
聞いていた通り、いやそれ以上だ。明らかに山羊龍へ強い執着を抱いている。
「ソレデ……奴ハ健在カ?」
ついに来た。例の問いかけだ。
(僕の役割はこの問いに『山羊龍は健在です』と答えること……)
だが口を開こうとする直前、ふと数日前の悲劇を思い出す。
山羊龍はもう生きてはいないだろう。蟻たちに身体を喰い破られ妙な生き物に首を飛ばされたのだから。
その事を正直に言ったらどうなるのだろう。僕たちの役目は元々、あの出来事を世界に伝えることだ。
ヲチは少し言葉に詰まる。正直に話せば事態は好転するだろうか?あの未曾有の災厄をこの場にいる全員が認識すれば僕らは手を取り合えるのだろうか?
(馬鹿馬鹿しい……)
ヲチは心の中でそう吐き捨てた。そんな事は絶対に起こり得ない。山羊龍が死んだと言えば獅子龍の機嫌を損ねたちまち僕らは肉塊と成り果てるだろう。
例えそうでなくても龍奉儀を荒らされたとしてラゴ部族たちが僕らを許しはしない。待っているのは最悪の結末だけだ。
だとしたら答えなんて決まっている。
奇妙な間に周囲がざわつき始めるとヲチは前を向き獅子龍を真っ直ぐに見つめた。
「山羊龍は、けーー」
ヲチがそう言おうとした瞬間、センがヲチの横を通り過ぎ前に出た。ゴイに受けた傷が痛々しく残ったまま一歩一歩獅子龍へと歩み寄っていく。
その場にいた全員の思考が一瞬停止する。
そしてセンは言った。
「死んだよ」
まるで時間が止まっていたようだった。
センの言葉を切っ掛けに祭儀場は気の遠くなるような静寂に包まれた。
なぜだかこの時期騒がしい蝉や蜩も今は不気味なほどおとなしい。
「セーー」
「ナニ……?」
最初に沈黙を破ったのは獅子龍だった。
センの言葉の意味が理解できず聞き返す。
無理もない。ラゴ部族たちだけでなく一度話を聞いていたオオトリノや同じ体験をしたヲチですらそれを今伝える意図が理解できずに困惑していたのだ。
「セン……?」
ヲチは全く理解できないという表情でセンの背中を見つめる。
「キサマ……今ナント言った……?」
センが上を見上げると、今にも怒りで爆発しそうな獅子龍の顔が限りなく近い距離にある。
それでも全く臆する事なくセンは言った。
「死んだんだ。山羊龍カプリコーンは……死んだんだよ」




