他部族の男
ーータン、タン、タン
と足音のような音が聞こえてきたためセンが顔を上げると既にイコトは闇に紛れ姿を消していた。
牢の前に現れたのは貧相な格好の今にも死んでしまいそうな目をした男だった。ラゴ部族でないことは間違いない。つまりは他部族の人間なのだろう。
男は腰を下ろし僅かな明かりをつけると男の手元が鮮明になる。
そこには小さなお椀一杯に入った粥のような物が三人分用意されていた。
「食事です……」
男は消え入りそうな声で呟き鉄格子の間からそれを差し出した。
その腕を見たセンは思わず顔をしかめる。あまりにも細い、骨と皮しかないような簡単に折れてしまいそうな腕だった。
ヲチも複雑な表情を浮かべ口をつぐむ。
「しけた飯じゃのう」
そう言ってオオトリノはぎこちなさそうに縛られた手で何とかお椀を口へ運ぶ。
他部族の男は牢の内側にお椀を置くと少し三人を観察していた。
その視線に気づいたセンが男を見つめ返すと男は身体をびくっと震わせ麻痺したかのように固まってしまう。
二人の視線が交わったまましばらくの沈黙が訪れる。
身体つきだけじゃなく振る舞いまでもがラゴ部族とは正反対だ。こちらが見つめ返しただけで恐怖や警戒の色が見てとれる。
センは相手が何か言うのをじっと待っていたが固まったまま動きそうにない男に観念すると自分の方から何か語りかけることにする。
「あんたたちは……」
「……ようで……?」
センの言葉と重なるようにか細い声がかすかに聞こえる。
「え?」
「如何用で……私たちの村に……?」
そう言った男の表情は恐怖と警戒の色だけではない、外の人間や外の世界に対する期待と好奇心のようなものも混ざっていた。
そんな表情にセンは奇妙な親近感を覚える。
(そうか……もしかするとこの人も……故郷の外を見たことがないのか……)
「僕たちはここに用事があったわけじゃないんです。ただ、慣れない山道をさ迷っていたらここにたどり着いてしまっただけで」
真実とは少し違うが少なくともヲチとセンはここがラゴ部族の暮らす集落だと知っていれば決して近づくことはなかっただろう。
「ああ、そうですか……そうですよね……こんな山奥に用があるわけないですよね……」
男は少し残念そうな表情で俯く。
そんな他部族の男に対してセンは苛立ちと共に素朴な疑問を口にする。
「どうしてここはこんなことになってるんだ?あんたたちはあんなひどい扱いを受けてどうして何の抵抗もなく従っていられる?」
センの言葉に男の顔からは感情が消え失せ次第に汗が滲み出てくる。
「ラゴ部族が強そうなのは分かるけど、でもあんたみたいな虐げられてる人間の方が圧倒的に多い筈だろ?そいつら全員が立ち上がればこの狂った世界を変えられる。そうは思わないのか?」
「セン、よすんだ」
「何でだよ!あんな奴らに好き勝手にさせておくからあんたたちはそんな貧相な身体で……いつ死んでもおかしくないくらいまで追い詰められてるんだろ!?俺には分からない。それでも尚戦おうとしない理由が。それじゃあまるで……」
屈服することを受け入れているみたいじゃないか。
そう続けようとしたセンの言葉が途切れる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……許してください……どうか……命だけは……」
男は全身をガタガタ震わせながら頭を抱えながら地面に伏していた。
「な……え……?」
男の反応にセンは戸惑いを隠しきれない。理解できなかった。
一回り年下のそれも録に事情も知らない自分に少し強く言われただけでここまで取り乱す男に。
「全く……声ばかりでかい無知というのは見ていて痛々しいの……」
「なっ……俺は何も間違ったことなんて……」
「セン、確かに外から来た人が見ればここがどれ程狂っているかというのは一目瞭然さ。でも……ここで生まれた人たちは……外の世界を知らずにずっとここで生きてきた人たちは違う。ここで起きていることこそ彼らにとって常識で日常なんだよ」
「だからって……」
「きっと彼らの中にも抵抗しようとした人もいたと思う。けどそんな人たちから殺されていく。ラゴ部族と話しててよく分かった。奴らは何の躊躇いもなく人を殺せる。きっとここの人たちは物心ついた時からそんな光景をずっと目の当たりにしてきて……」
ヲチは悔しそうに奥歯を噛みしめる。
ヲチの言葉を聞いて視線を男に戻すと、先ほどから変わらず頭を抱え地に伏しながらガタガタと震えていた。
その光景を眺めながらセンは一つも納得できなかったが、こうも怯えている人間をこれ以上追いつめるような事はできなかった。
怒りのぶつけどころを見失ったセンは暫く放心したように暗闇を見つめ沈黙していた。
「全く君は……彼にラゴ部族と戦えだなんてずいぶんと酷なことを言ってしまったね」
そう言って気配を消し身を潜めていたイコトが再び現れる。
「まだいたのか……」
気付けば頭を抱え震えていた男の姿はない。
だからこそイコトも姿を現したのだろう。
「ラゴ部族はあのカッサランの兵団が手を焼くほどの相手なんですから。農耕しかやってこなかった他の部族たちが敵う道理はありませんよ」
「あいつら……そんなに強いのか……」
「ええ。過去にこんな事件がありました。今から十年ほど前カッサランは国交を結ぶためとある近隣の集落に使節団を派遣しました。繁栄都市と呼ばれて久しいカッサランにとって国交を結んで与える益はあっても得る益はあまり多くはありませんでした。しかしそれでも、周辺の国々とあまり得のない国交を結んだのはカッサランの上層部が恐れていたからです」
「恐れる?何を?」
「龍奉儀が失敗し周辺の国から繁栄都市を脅かす脅威が現れることをです。もちろんカッサランにも自国を守る盟約を結んだ龍がいます。だからと言って龍種がカッサランを襲えば被害がゼロで済む筈がない。そういったリスクを避けるため国交を結び他国の龍奉儀を監視する必要があったのです。カッサランと国交を結べることを歓迎しない国はなかった。たった一つを除いて」
「…………」
話の流れからそれがどこなのかは想像がつく。
「お察しの通り、それが暴虐の獅子龍アスカゴウラを崇め盟約を結び、ラゴ部族という野蛮な部族が幅を利かせる獅子龍連合集落なのです。ラゴ部族は自らの領域に踏み入ったカッサランの使節団を皆殺しにし、行方不明になった使節団の捜索隊までも襲撃したのです。運良く生存した捜索隊の者がラゴ部族たちの主張をカッサランに伝えました。『お前たちは神とそれに仕える我らが住まう地を汚した。よって万死に値する』そう言って命乞いをする仲間に狂喜の笑みを浮かべて槍を突き立てた、とね」
やはり何度聞いてもどうかしてるとしか思えない。ラゴ部族にとって他の人間というのは害虫か何かと同価値なのだろうか。
「これに憤慨したカッサランの一部勢力が暴走し兵団を率いてラゴ部族が住まう山岳地帯へと侵攻しました。数も武器の質も上回っていたカッサランが負ける筈はないとカッサランの誰もが思っていました。それよりも憂慮すべきはやり過ぎて獅子龍龍奉儀が儘ならなくなるほどの損害を与えてしまうことだと。しかし、結果はラゴ部族にいいようにやられて惨敗。連れてきた兵団の半分を失って何とかカッサランまで逃げ帰ることができたそうです」
カッサラン、育ての親であるカンコンから広大で豊かな土地に多くの人間が集まる栄華を極めた大国だと聞いている。
そんな大国の兵士や兵器を相手に圧倒したというのだからラゴ部族と戦おうなんていう発想は勇敢と無謀をはき違えた考えなのだろう。
「分かりましたか?慣れ親しんだ土地がラゴ部族に味方したということもありますが少なくともラゴ部族は戦いに関して優れた素質を持っていることは確かです」
「……ああ、分かったよ。くそっ……」
口ではそう言うものの、この現実をセンはどうしても受け入れきれなかった。
支配する者と支配される者。この両者の存在を実感して自分の心にわき上がる感情があることに気付いた。
それは故郷で村八分にされた時に抱いた世界を憎悪する気持ちによく似ていた。




