ぼろぼろの二人と怪しい二人
「博士!オオトリノ博士!死体です!また見つけました!」
「うむ……またか。これで四体目かの……」
オオトリノと呼ばれた初老の男は足を川に沈めパシャパシャ音を立てながら上流へと上っていた。
「若いな……僕と同じくらいですかね……可哀想に」
「一体何事じゃ……」
「相当きな臭いですね……ん?あっちにもまだあったのか」
川に流されてきた若い少年のすぐ側に同じ歳くらいの少年が浮かんでいた。眼鏡をかけている以外にこれといって特徴のない少年だ。
「んー…………む!こやつは……」
「まさか、知り合いですか?」
「イコト、この二人を岸に上げて看病してやれ。生きとるかもしれんぞ」
「先に見つけた人たちは死んでましたけど……確かに脈はある……」
「全く……お前は相変わらず厄介事に縁があるようじゃのう」
眼鏡の少年の顔を見ながら久しぶりの思わぬ再会にオオトリノは邪悪な笑みを浮かべた。
水が流れる音。蝉の大合唱に紛れる僅かな鳥の囀り。暖かな陽射し。ほんのりと香る緑の匂いを嗅ぎながらヲチは瞼を開けた。
数回のまばたきの後、自分がどんな状況に置かれていたのかを徐々に思い出す。
「こ、ここは……つっ!」
上半身を起こそうとすると身体の各所に痛みが走る。
「怪我人はおとなしくしておれ」
そう声をかけてきた男を見てヲチは驚く。
歳は50代いや60代くらいだろうか。ボサボサの白髪に気だるそうな格好の上に白衣を来ている。
医者に見えなくもないがヲチはその男がそうではないことを知っていた。
「あ、あなたは……オオトリノ博士!」
知人との意外な再会につい声が大きくなる。
「知ってるのか……?」
ヲチのすぐ側で同様にオオトリノたちに助けられたセンが木にもたれるようにして座っていた。
「セン!よかった……無事だったんだね……」
「まあ、なんとかな……」
「お前さんより先に目覚めたのじゃが、事情を聞いても中々口を開かん。ヲチ、お前さんはどうじゃ?何があったか話せるか?」
何があったか。ヲチは山羊龍龍奉儀で起きたあの災厄を思い返す。
人を喰い殺す蟻。大規模な地揺れ。山羊龍カプリコーンと朱色の蟻たちの壮絶な戦い。それに巻き込まれながらの苦肉の逃避。濃厚な死臭。
そして、山羊龍の死ーー
それは山羊龍の庇護下にあった集落の存続、暮らしが崩壊してしまったことを意味していた。
ヲチは俯きただ一点を見つめながら静かに身体を震わせる。
言葉にならない。あの恐怖。暴力と破壊と死が飛び交い、いつ心が壊れてもおかしくなかったあの状況。
「ヲチ…………ヲチ!」
「あ……ああ、そうだね……えっと……何から話そうか……」
センの呼び掛けで何とか平静さを取り戻す。
「まずはこの爺さんのこと、教えてくれよ」
生まれてから一度も故郷を出たことのないセンにとって、見たことのないオオトリノの奇妙な風貌がセンを警戒させているようだ。
「この人はオオトリノ博士。生物を研究する生物学者なんだ」
「学者……ってことは頭が良いのか?」
「いや頭は……そんなに良くない……というより狂ってると言った方がいいかもね」
ヲチの言葉にセンは警戒の色を強くする。
「はっ!はっ!はっ!」
ヲチのあまり肯定的ではない、どちらかと言えば否定的な紹介を笑い飛ばす。
「警戒するにはまだ早いぞ。おいヲチ、紹介するならもっとしっかりやらんか。儂が一体何の生物を研究しておるのかをそやつにも教えてやれ」
少しの間を置きながらもため息を吐くとヲチは答えた。
「龍だよ」
「え?」
「龍、つまり龍種を専門に研究してるんだ」
「………………すげえ」
素直な感想を口にする。
「ほう……何じゃ、話の分かる奴ではないか。普通は怯えたり敵意を剥き出しにしてくるものだが」
「何でだよ?龍の生態なんて普通みんな気になるもんじゃないか?」
「とんでもないよセン。龍種を神様のように崇めてる国は多い。知的好奇心なんかで近づいていい相手じゃないんだ」
「そう……なのか?」
「例えば、君の村で博士が龍種の研究のために山羊龍の生息域に入りたい、と言えば村の人たちがどんな反応するかだいたい想像つくだろう?」
「……確かに。あいつらなら怒り狂うだろうな」
「その反応が大多数なんだよ。そして博士は世界の至る所でそんな人たちの気持ちを無視して研究を強行してきた。おかげで今は超特級大罪人の国際指名手配犯。その懸賞金は人生を五回ほど遊んで暮らしてもお釣がくるほどだと言われてるほどさ」
「な……」
想像の何倍もイカれた経歴の持ち主だったため理解が追いつかず警戒するどころではなくなってしまう。
「な、何で……そんなやばい爺さんと……知り合い……なんだ……?」
「セン……それは話すと長くなるから今は……」
「端的に言えばこやつが儂と同じく龍の謎を追い求める者、だからじゃろうな」
「龍の謎?」
「あの巨大な身体!強固な体皮!そして高い知能に何と言っても百年以上も生き続け、十年近く断食しても死ぬことのないあの生命力!一体どれ程の神秘と謎に包まれているのか!そんな超常の生物を解明したいと思うのは人間として当然の欲求だというのに!」
センの疑問が何かのスイッチ押したようでオオトリノは急に立ち上がると口早に熱弁する。
そんなオオトリノの表情は先ほどの気だるそうな老人とはうって変わりまるで何かが取り憑いたかのような狂気に満ち溢れ、全く話が通じるようには思えなかった。
目の前にいる老人が全国指名手配の大罪人だということにセンは妙に納得してしまう。
「博士、落ち着いてください。ドン引きされてますよ」
センとヲチ二人が声の方を振り向くと二人と同じくらいの年齢の少年が立っていた。
「戻ったか。それで?」
「三体ほど。やはり全員死んでいました」
「うむ……」
「えっと……博士……」
「おお、そうじゃな。こやつは儂の助手じゃ」
「どうもイコトといいます。ヲチさん、ですよね?初めまして。博士から何度か話を聞いたことがあるので勝手に親近感をもってました。よろしく」
イコトと名乗った少年は握手のため笑顔でヲチに手を差し出す。
「あ、ああ。よろしく。それから助けてくれてありがとう。そうか。君が助手なのか。きっととんでもない苦労を……いや相当優秀なんだね君は」
「ははは……まあ、お察しの通りですよ」
初対面の二人がどこか微妙に通じ合っているのを不思議そうな顔でセンは見つめる。
「君も大変だったね」
「ああ、助けてくれたことには礼を言うけどさ、この爺さんの助手をやってるって……お前は一体何者なんだ?」
「ん?ああ、そうだね。僕は……いや、僕らはーー」
「セン、その話はまた今度にしよう。博士、とんでもない事が起きました」
「うむ……ようやく本題か」
今でも信じられない。きっと悪い夢だと、そう思えたのならどれだけ楽だろう。
けれどヲチの脳裏には鮮明に残っている。
朱蟻たちの巨大な波。全身を朱蟻たちに纏わりつかれた挙げ句、両目を潰された山羊龍。
そして、最後の最後に現れた謎の急襲者たちによって首を捻切られた山羊龍。
龍が負ける筈がないと思っていた。
人類はかつて龍種と対決しそして手も足も出ずに敗れ去った歴史がある。
だから龍種こそが世界最強の種族だと信じて疑わなかった。
だが現実はその絶対的な価値観を覆した。龍は蟲に敗れたのだ。
「山羊龍龍奉儀で山波の山羊龍カプリコーンが死にました」
まるで時間が止まったかのようにオオトリノもイコトも暫く誰も言葉を発しなかった。
ただ黙ってヲチの言葉を何度も頭の中で繰り返しその意味を探っている。
そんな夏の陽射しが強い森の中を蝉や寒蟬、蜩たちの風情ある合唱が響き渡っていた。




