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不良JKは弟(ぼく)に逆らえない  作者: 秋月志音
第三章 もう、家には来ないでね
25/42

4-9

「……ハジメ?」

「紅ちゃんはどこ?」


 僕は静かに言った。唯奈は手を離すと、え、とか、あ、とか言って動揺し始めた。


「なんでここにいるのよ?」


 麗は冷静そうに言う。怒ろうとしているのに、悲しくなっているように見えた。


「唯奈の後を付けた」

「……チッ。何ハジメを連れて来てんのよ!」

「紅ちゃんはどこだって言ってるんだよ!」


 僕が怒鳴りつけると、今度は麗も弱々しい顔になった。麗は重そうに口を開く。


「……危ないから」

「だったらなおさらだよ。早く連れていって」


 麗は唯奈と顔を合わせる。ごまかそうとしているのか、それとも、諦めてすぐに連れて行ってくれるのか。

 後者だと信じたいけれど、念のためにと僕はもう一度二人を睨みつける。二人揃って同じような顔をして僕を見てから、二人は無言で歩き出した。


 背の高い木ばかりだからか、木々の立ち並んでいても、この辺りは道じゃない場所にそれなりのスペースがあった。

 僕は黙って二人についていく。少し離れた後ろに千愛莉ちゃんもついてきていた。


 話し声が聞こえる。というよりは、叫び声とか喚き声とか歓声とかそういうものだろうか。最初に見えたのは、倒れている男の人だった。


 男は顔を押さえながら唸り声を上げていた。どうやら鼻血が出ているらしい。


「なんだなんだ? 松坂さんじゃん。まだ終わってないよ」


 離れた場所から様子を眺めている男が、麗に声をかけた。


「……今日は終わりよ。もうおしまい。帰って」

「はぁ? 今、黒岩がやられたんだから、こんなところで終われるかよ。こっちはちゃんと松坂さんが決めたルール通りにのってやってんだから」


 別の男はそう食い下がった。他にも二人ほど男が立っていて、それは順番待ちをしているような感じだった。


「あれ、姫じゃね?」

「うっわー、はじめて見た」


 その姫とは麗のことだろうか。

 しかし、さっきの男の感じだと、他の男たちも麗と繋がりがあるようなので、はじめて見たという言い方はおかしい。なら唯奈だろうか。


「真二郎を連れてくるわよ」

「なんだよそれ。結局バックを使って脅しですか」

「今いいとこなのに。ほら、関谷の奴がんばってる」


 男が指し示した先には、また別の男が暴れていた。そしてここに相応しくない女性が一人、男を相手に戦っていた。……紅ちゃんだ。


 紅ちゃんは、男がつっこんでくるのを避けると、綺麗な回し蹴りを頭にぶち込んだ。


「あちゃー」

「あいつ、絶対勝てるって言ってたのによ。よえー」


 男達はけらけらと下品に笑う。彼らは特に仲間でもなんでもないのか、やられていく男を見て楽しんでいた。


「早く止めねえと知らんぞ」


 最初に麗に話しかけた男が、嫌な笑みを浮かべながら、僕らに向けてそう言った。

 向こうを見ると、紅ちゃんは倒れこんだ男の顔面を踏みつけるように蹴っていた。男の鼻からは血が流れていく。紅ちゃんの靴にも血がついている。


「紅ちゃん!!」


 紅ちゃんは肩をビクッと震わせてから、こちらへ振り返ることなく固まっていた。


「その倒れてるやつも連れて、早く帰って。本当に呼ぶわよ」

「つまんねーなー」


 男達も続けることができないと判断したのか、あるいは麗の言うことに怯えたのか、そう言って引き下がっていった。


 入れ替わるように、僕は紅ちゃんへと距離を詰めていく。

 やっとこちらへ振り向いた紅ちゃんの顔はとても綺麗で、今までケンカをしていたようには見えなかった。


 紅ちゃんはただ悲しそうに僕の方を見ていた。


「……なんでここに?」

「それはこっちの台詞だよ。こんなところで何をしてるの?」


 紅ちゃんの見た目にはなんの傷も付いていないのに、心は傷だらけだった。あの時のまま、変わらない姿がここにあったのだ。


「麗、唯奈、紅ちゃん。誰が説明してくれるの?」


 僕は努めて冷静にそう言った。怒りよりもただただ悲しい。


 しかし、今は後者の感情を出すわけにはいかない。僕は誰かを、あるいは三人全員を叱りつけなければならない。


 今まで揃って顔を出さなかった三人が、今こうして揃っている。

 それなのになぜ、紅ちゃんがケンカしていて、それを二人は僕に隠すようにしていたんだ。僕は自分だけが違う世界に飛ばされていたような気分だった。


「……見ての通りよ。さっきのは紅輝とケンカをしたいバカたち。それを紅輝が一掃するっていう――ショーみたいなものよ」


 口を開いたのは麗だった。「ショー」という表現は適切なのだろうか。僕は一度深く息を吸い込む。


「ショー? 紅ちゃんを使って賭けでもしてたの?」

「ゲームなのよ。紅輝を使ったゲーム。勝てば賞品が貰えるの」

「なんだよそれ」


 僕は麗に怒りをぶつける。麗は堪えるような顔をして、僕を真っ直ぐに見ていた。


「紅輝自身よ」


 一瞬、麗が何を言っているのかが分からなかった。

 自分の言葉を思い出すと、ようやくその理解が追いつく。僕の質問を「賞品が何なのか」と解釈した麗の答えが、紅ちゃん自身ということだ。


「紅輝に勝てば、紅輝に何をしてもいいってことになってるのよ。紅輝を恨んでるやつが決めた賞品。だから私はルールを決めて、場を仕切ってた」


 紅ちゃんに何をしてもいい。賞品に対して男が求めることを想像して、僕は戦慄した。


「ふざけるなよ……」


 なぜ止めない。なぜ、紅ちゃんの敵になるんだ。僕は敵意というものを麗にぶつけようとした。


 でもできなかった。麗は真っ直ぐ僕を見ている。

 そんな目で僕を見ているのに、こんなにバカげたことを言っている。これは、麗がまだ何かを隠していて、それが麗以外の誰かのためだということだ。


 そして、その誰かという答えが、僕の目に映っていた。


「紅ちゃん。紅ちゃんから何か言うことはないの?」

「だから――」

「麗は黙ってて」


 僕が静かにそう言うと、麗は大人しく引き下がった。紅ちゃんはずっと俯いている。


 紅ちゃんの視線を追うと、そこには湿った土と落ち葉しかなかった。

 スニーカーはびしょびしょにぬれている。さっきまで付いていた血が、しっかりと洗い流されていた。


「隠すのが上手くなってたんだね。……僕が見抜けなかっただけか。この前も、ケンカしてたんだね」


 この前、スニーカーが濡れていたのは、きっとどこかで洗ったからだろう。蹴ったときについた血を洗い流していたのだ。


「うん」


 紅ちゃんからは弱々しい返事がくる。それは思考して出している声ではなく、ただ諦めているだけのようだった。

 今の紅ちゃんは、誰よりも弱いのかもしれない。


「全部麗の言うとおりで、麗が連れてきたやつらに対して紅ちゃんはただ自分の身を守っているだけ。そう思っていいのかな?」


 紅ちゃんは首を横に振った。


「私が……ずっと同じことをしてるから。バカなやつを見ると、許せない気持ちになって殴りかかったりしてる。だから、私に復讐したいやつが多い。麗はそいつらを、私が有利になるように取り締まってくれただけ」


 ずっと同じことをしている。それは、僕が追い掛け回していた頃と同じということだろう。だから今、紅ちゃんはそれがバレたことで絶望的な表情を浮かべているのだ。


 姉さんがいなくなって不安定になってしまった紅ちゃんは、今でも変わっていなかった。


 約束だった。もう暴力はしないって。

 それは紅ちゃんに殴られた相手のためではない。紅ちゃん自身のために、絶対にしないでほしかった。


 しかし、約束は破られていた。ずっと同じことをして敵を作っている。隠すことだけが上手くなっていて、僕はそれを見破ることができなかった。


 裏切られたのなら、することは一つだ。


 僕は紅ちゃんへ近づいていく。ぬかるんだ地面は不快で、僕の足取りをより重くさせている。


 紅ちゃんに触れられる距離まで近づくと、僕は持っていた傘を紅ちゃんに持たせた。いつの間にか雨はかなり強くなっていた。


「……はっきり言ってほしい」


 僕は大きく息を吸い込んでからそう言った。濡れた土の匂いが、一気に体に染み渡る。


「もうこれ以上は絶対にしない。今日で終わりだって。そう言ってくれたら、その約束を守ってくれたら、今までどおりだよ」


 僕自身、紅ちゃんを突き放すのが嫌だった。心配ばかりかけられても、紅ちゃんと縁を切るなんてできるわけなかった。

 唯奈や麗もそう。相手をしてあげてるという体であっても、実際は相手をしてもらっているのだから。


 僕は一人だ。結局、三人を突き放すことなんてできない。


 だから僕はそんな甘い提案をした。ここでやめてくれたら、また今までどおりに紅ちゃんと過ごせる。

 そして、紅ちゃんはこの提案を受け入れて、もうこんなことをしないって約束をしてくれる。


「…………」


 しかし、紅ちゃんは首を横に振った。夢が覚めたような気がした。


「……もう、家には来ないでね」


 別れの言葉をどんな表情で言えばいいのかわからなかった。だから僕自身、どんな表情になったのか想像もつかない。笑えてたかもしれないし、怒ってたかもしれないし、泣いてたかもしれない。


 僕は振り返って、公園の出口へと向かって歩いていく。唯奈も麗も千愛莉ちゃんも雨で見えない。それが雨のせいなのかもわからない。


「風邪ひいちゃうよ……」


 かろうじて聞こえたのは千愛莉ちゃんの声だった。彼女は自分の傘に僕を無理やり入れてくれる。


 僕は千愛莉ちゃんの方を見た。彼女が少しびくっと震えてしまったのは、僕が睨んだように見てしまったからかもしれない。


「ごめんね」


 それはこんなものを見せてしまったから出た言葉でもあり、協力してくれていたことが残念な結果になってしまったから出た言葉でもあり、これから僕が千愛莉ちゃんを置いて走っていってしまうから先に出た言葉でもある。


 僕は千愛莉ちゃんから逃げるように、雨の中を走った。

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