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享禄3年(1530年) 異様な雰囲気と去る者来る者

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享禄3年(1530年)


 新年を迎え、土岐頼芸様の下へ新年の挨拶に向かったが、守護所である福光館には、異様な雰囲気が漂っていた。

 昨年に比べると訪れる者が多く、土岐頼武方に与していた国人領主が散見される。

 養祖父の西村勘九郎に訪ねると、昨年までの調略の結果、土岐頼武方から頼芸様に寝返ったものがそれなりにいるらしい。

 今年は戦になるぞと養祖父に言われたので、この機会に頼武方の国人が治める良い城を取ろうと決意する。



 昨年、馬路宮内を琉球へ送り出してから、当家の中でもそれなりの変化があった。

 測量などの指導に招いていた大宮伊治が官務復帰のため、都に戻ったのだ。

 大宮家は壬生家と3年交替で官務に就くことになっているが、お互いに経済的困窮で下向するため、官務を遂行出来ず、双方に官務職が移る事態が頻発しているらしい。

 今回も壬生家が下向することになり、官務に復帰しなければならなくなったそうだ。

 契約期間を満たしていないが、日割り計算に色を付けて、報酬を支払った。

 大宮殿のお陰で、文官たちの測量技術や業務能力が向上したのは、有難い成果である。

 壬生家と官務を交替したら、また来て欲しいものだ。


 なお、大宮殿は当家に滞在中に『御成敗式目』の版本を刊行している。

 美濃紙を提供したところ、大層喜ばれ、何冊か分けていただくこととなった。

 この本は、後世では日本における法律書の出版の嚆矢と言われているらしい。



 去る者がいれば、来る者も現れると言うことで、領内で仕官募集の立札を見たり、各地に忍を派遣して目ぼしい牢人を勧誘するなどして、仕官希望の牢人の雇用が進んでいる。

 当家としては、武辺者では無く、文官働きが出来る者が欲しいのであって、自ら名乗り出た者で、採用にまで至る人物はそこまで多くない。

 武辺者の様な牢人でも、当家でやっていけそうな者は、常備軍に雇い入れてはいる。


 そんな中で、鳥羽で自ら仕官を申し出てきた者がいた。

 間野七郎時秋と言う初老の人物で、元々は摂津伊丹城主の伊丹元扶に仕えていたらしい。

 しかし、畿内の細川家の争いで伊丹城は落城し、伊丹元扶は討死したそうだ。

 当主の国扶は、そのまま細川高国に仕えているそうだが、畿内は高国が不利な状態であり、畿内に孫や生き残った一族郎党を連れて頼れるところが無かったらしい。

 そのため、東国へ落ち延び様と、船で鳥羽まで来たところ、当家の牢人募集の立札を観て、文官働きなら初老の自分でも出来ると思い、仕官を希望したそうだ。

 孫が大きくなったら、東国に行くかもしれないと言うのが、仕官の条件だったが、文官が足りていないので、了承して平出宮内卿の下で働かせることにした。



 間野七郎も伊丹氏に仕えていたと言うことで、厄介の種を抱いていそうだが、問題は勧誘に成功した牢人の中におり、厄介な人物が紛れていたため、わしは思い悩まされることになったのだった。

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[気になる点] 伊丹元扶は討死したのに細川に仕えてる?
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