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馬路宮内⑦

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 前回の薩摩との外交により、琉球との交易は二航路で行われることとなる様だ。

 伊勢湾~薩摩航路、薩摩~琉球航路をそれぞれ往復し、無駄な時間をかけなくて良くなるらしい。

 その分、交易に使う人や船の数が増える様だが、交易の利を考えれば、無理をしてでも頑張る様だ。

 交易の船の他にも、倭寇狩りの船も用意しており、新たに部隊も用意されている。

 川俣十郎殿、神代勝利殿、九鬼宮内大輔殿が、兵を率いることに決まったそうだ。

 陸にいた兵で海でも戦える者、九鬼氏など海軍の中でも進んで服従している者たちが選ばれたらしい。

 他にも、奪った船を操船する者たちも交易の船に紛れて乗っている。

 慌ただしい準備であったが、更に慌ただしく我々は出発した。



 まずは、土佐に着き、土佐一条家で美濃紙を売る。

 土佐一条氏は富裕であり、一条兼良の子孫であることから、文化人である。

 そのため、美濃紙は大層喜ばれ、高値で買い取っていただくことが出来た。



 薩摩に到着し、坊津の役人に日新斎様への到着の報せと目通りを願う旨を伝えたところ、役人は伊作城へと報告しに行った様だ。

 その後、日新斎様の都合の合う日時に、伊作城を訪問し、日新斎様と会談をすることとなった。

 日新斎様への挨拶をし、同盟を受諾させていただく旨を伝え、殿の書状をお渡しする。

 日新斎様の表情も和らいでいる様に見受けられるので、食料供給の目処が立って、安心されたのだろう。

 年の始めに比べて、想定していた以上に食料が手に入ったため、年が明けたら、前当主方への反攻を始めると教えてくださった。

 約束していた拠点も用意してあるとのことなので、伊作城を退去した後に、坊津の役人の案内で拠点を案内してもらう。

 蔵と屋敷が用意されており、ここに東天竺屋、大橋家、湊衆が滞在し、中継地として運用される。



 薩摩~伊勢湾航路を往復する船を残し、我々は薩摩を出発して琉球へと到着する。

 琉球へと到着すると、那覇の役人に到着した旨を伝え、担当の親方への取り次ぎを願い出る。

 親方の都合がつくまで、息子の正頼に会ったり、那覇に滞在し取引に立ち会ったりしていた。

 正頼のマレー語も、それなりに意味は通じる様になったらしい。

 来年ぐらいには、実際に南蛮へ行ってみるのも良いかもしれないと言われたそうだ。

 その後、約束の日時に担当の親方と会い、到着した旨を伝え、倭寇狩りの人員や船の数などを伝えると、拠点は用意してあるそうなので、細部は那覇の役人に聞くように言われた。

 我々は、那覇の役人の案内に従い、用意された拠点へ向かい、倭寇狩りで戻った際の手続きなどについて説明を受ける。

 役人の説明を受け終えた後、川俣十郎殿、神代勝利殿、九鬼宮内大輔殿に後を任せ、交易を終えた船に乗り、殿の下へと向かい帰路に着いたのだった。

 兼山に着く頃には、年を越していることだろう。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 航路が設定されたけど結局薩摩で米を売った代わりに何を買い込むんだろう。空船という選択肢はあり得ないだろうけどこの時代だとサツマイモどころかサトウキビもないと思うんだが。可能性としては他…
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