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人材確保と婚姻の承認

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 馬路宮内・正頼が伊勢から帰って来たのだが、一人の少年を連れていた。

 なかなか精悍な顔付きをした少年である。


 「殿、こちらにおるのが、甥の川俣十郎正具にござる」


 連れてきた少年は、楠木正具だったようだ。何か機会があったら連れてきてもらおうと思っていたけれど、思ったより早かったな。


 「川俣十郎正具にござる。美濃では変わった訓練をしてると聞いて参った」


 元気なのは良いが、興味の対象は訓練らしい。

 馬路宮内の話を聞くと、川俣忠盛は父・稙家に楠木正成公の赦免を請うたことに感謝し、伊勢を攻める際は協力をしてくれるとのことであった。

 その証として、嫡子の川俣十郎を人質に寄越したとのことである。

 本人は、それよりも大島甚六の弓の腕などのほうが気になって仕方ないようだが。

 まぁ、同い年のようなので、川俣十郎は長い目で見て教育することにしよう。

 取り敢えず、大島甚六に川俣十郎を託し、当家のやり方を身体でもって教えてあげるよう命じた。



 鵜飼孫六には、今も医者を探してもらっているが、都で有名になっていた医者を思い出した。

 谷野一栢という大和の蓮仙院の僧で、明に渡り医術を学んだ人物だ。

 都では儒学、医学、易学で名を知られ、史実では1532年(天文1年)に朝倉孝景の招きで一乗谷に移住し、朝倉氏に仕えている。

 一栢は、1536年(天文5年)、孝景の命により、中国の明代に成立した医書を校訂し、日本で2番目に古く出版された医書である『勿聴子俗解八十一難経』を出版している。

 そんな有能な人材は是非とも欲しい。現時点なら、まだ間に合うかもしれない。

 金銭や物質面で朝倉ほど支援するのは厳しいかもしれないが、他の面ではサポート出来る。



 稲葉山の養父・西村新九郎規秀と義祖父・西村勘九郎正利に、織田弾正忠家より婚姻の申し出があったので、承認してもらうべく、稲葉山へ向かった。

 養父も義祖父も弾正忠との婚姻に反対はなかったどころか、歓迎している。

 この頃は、尾張と敵対していないから当然と言えるし、養父は津島の堀田家と繋がりがあるらしく、井ノ口と津島の取引を強化する上でも、わしと弾正忠家の婚姻は有効と判断したようだ。


 弾正忠には、ヤツの妹と婚姻を結ぶ旨を伝えるとしよう。

 祝言は、いつ頃になるだろうか?花嫁はどんな娘なのだろう?器量の良い娘だと良いなぁ。楽しみでしょうがない。



 谷野一栢の勧誘を兼ねて、実家にも結婚の報告をしておくか。

 近衛家に伝えないといけないので、顔の通っている多羅尾光俊に行ってもらうことにしよう。

 谷野一栢を勧誘する上で、提示できる条件には表に出せないこともあるからな。

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