忍衆・御倉所創設及び他国で活動開始
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家臣たちとの今年の方針を話し合った後、多羅尾光俊と鵜飼孫六を呼び、裏の活動の話し合いをする。
まず、初めに今まで使っていた「乱波」という呼称を改めることを伝えた。今後は「忍び」若しくは「忍者」と呼ぶことにする。
情報収集や調略、秘密の作業をする上で、世を忍び活動をするからとテキトーに理由付けたら、光俊も孫六も喜んでいた。
乱波という呼称は世間一般では侮蔑の意味が込められているそうなので、本当は嫌だったようだ。
その後、去年から始めさせている硝石作りについての報告を受ける。
甲賀衆の中でも多羅尾家と鵜飼家を中心に、特に忠誠心の高い者たちが配属されている。
しかし、流石に人糞を回収して、攪拌作業は精神的に参るようだ。
人糞回収と攪拌作業の要領は分かったようなので、今後は作業員に段階的に重犯罪者を導入し、甲賀衆は指揮監督する立場に就くよう指示した。
硝石作成の部門を「御倉所」と名付け、そこで働く甲賀衆は「御倉番」という役目に就けることにする。
「御倉番」は、当家の機密性の高い事業を指揮監督する部署として、当家でも高い地位を約束する。「御倉所」と「御倉番」の話をすると、光俊は感激し、孫六も喜んでいた。
わしが秘密の作業と伝えていたが、硝石が出来ることを伝えていないし、鉄砲が伝来していないので、硝石の価値も分かっていない。そのため、人糞を回収させ、攪拌する作業を命じるのが、心苦しかったようだ。
地位、禄ともに高くなることで、人糞を取り扱わされてたツラさに報いることが出来れば良いと思った。
なお、重犯罪者など今は領内にいないと孫六に言われたので、領内や友好的な近隣領主のところで盗賊などを探すよう伝えた。
見つかったならば、大島甚六に命じて、捕まえてこさせよう。軍事訓練にも丁度良い。
そして、他国への調略についても話し合う。
孫六に伝えたのは、志摩国、関東、摂津に忍びを送って欲しいと伝える。
志摩国は各地頭の詳細な情報が欲しいことと、各地頭に忍びを混ぜてもらう。
関東は以前から医者探しのため、足利などに忍びを派遣していたが、山内上杉氏の安中宮内少輔、小幡顕高、藤田業繁、用土業国、成田親泰などに伝手を作るよう指示をする。
孫六は馬路正統を中心に、新たに入った甲賀衆にやらせるとのことだったので、長野方業、長野業政兄弟と上泉伊勢守に、孫六が伝手を作るよう伝えた。
摂津については、一向宗の拠点を調べさせ、特に大坂御坊の詳細な情報と忍びを仕込むよう指示をする。
当家の諜報活動については、当家執事の多羅尾光俊が裏の活動を統括し、鵜飼孫六を忍頭として実働を指揮監督する。その下に新設の機密事業を司る「御倉所」、馬路正統などの甲賀衆を据えた体制として活動することとなった。
こうして、新年の裏の活動の方針についても決まったのであった。
「御倉所」
「御倉所」は後世においても謎の多い機関である。設立の前身で人糞を回収していたため、その地位が上がった後も陰口を叩かれたりなどしていた。
しかし、正義が新たなことを始める際には、「御倉所」が関与した痕跡が少なからずあり、当時の他家が探ろうとしても、何も探ることが出来なかった。
近年において、正義が作らせていた新技術などの開発部署の秘密を守っていたとされる資料が発見されたが、真実は未だに不明である。
「御倉所」は当初は「御蔵」にしようと思ったんですが、御蔵だと幕府や大名の米蔵を指すみたいなので、「御倉」にしました。硝石を作っていた倉から取りました。