アチェへ使節派遣と志摩産ジャンク船
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野分の季節が終わったと言うことで、馬路玄蕃たちが琉球王府の使節とともに、アチェ王国へと外交使節として出発したとの報せを、交易船を通じて受け取った。
琉球王府とは馬路宮内を通じて、アチェ王国へ外交使節を送る話を事前にしており、琉球王府も不安定な状況になっている南蛮との交易を活発化させたいようだ。
馬路玄蕃は野分の季節の前に琉球へ戻っていたが、これから野分の季節になると言うことで、終わるまで琉球で待っていたのである。
今回は、アチェ王国への外交使節と言うことで、スルタンへ贈り物も相応の物を用意した。
螺鈿細工、漆器、陶磁器、甲冑、刀剣など日本の高級な品々を持たせてある。因みに、刀剣は坂倉正利が打ったものだ。
アチェ王国と外交関係が結べたならば、更に西の国へ使節を派遣出来る様に、馬路玄蕃や何人かの文官を、語学や礼法の留学を依頼するつもりである。
鳥羽の平井宮内卿から、志摩の造船所でジャンク船が出来上がったとの報告を受ける。
川俣十郎たちが伊勢湾にジャンク船を持ち帰ってから、大体一年ほどだから、新しい大工道具を使ったことを考えると、妥当な期間であろう。
わしは、志摩製ジャンク船を観るべく、鳥羽へと向かった。
鳥羽湊に着くと、倭寇から鹵獲したジャンク船の横に、もう一隻ジャンク船が泊まっていた。
それが、新造のジャンク船らしく、平井宮内卿とともに乗船する。
新しい木の香りがするが、なかなか良く出来ている様に見受けられ、案内する船大工の棟梁は誇らしげな様子であった。
今後、海軍に引き渡され、航海や訓練を通じて、使用に問題ないか確認するらしい。
わしは、船大工たちを労うとともに、褒賞金を与えることにする。
海軍力や海運力を強化するためにも、ジャンク船は必要なので、引き続き建造する様に指示すると、やりがいを感じているのか、褒賞金が嬉しかったのか意気込んでいた。
志摩でジャンク船を建造出来る様になったことで、海軍力や交易力を増強出来ることだろう。
海軍の人員を増やすとともに、東天竺屋の武装商船団を設立することも検討しする必要がありそうだ。
海軍の人員を増やしたら、船を運用する水兵と戦う海軍歩兵は、そろそろ分けた方が良さそうだな。
海軍歩兵から海兵隊の創設も検討した方が良いかもしれない。
海軍力が増強出来ているのは良いのだが、陸軍力も拡大したいものだ。
美濃の領地より志摩の領地の方が人口が多いから仕方ないのだが。
海軍力だけでなく、何とかして陸軍力も増強させていくとしよう。